遊郭話大好きな皆様方おたませ致しました
前回からの続編であります
前回は昭和感をたっぷり味合うために
藤沢遊郭跡をモノクロ設定で撮影した画像を
沢山載せた
今回はカラー画像で
かーーーん
(拍子木を叩いた音)
隅から隅まで~ ずずい~と
ごらんあれ~~ぇ
左側に見える質店の土蔵もいい味出している
前回のモノクロの画像からでは
よく分からなかったマンション群が
背後のあたりにはずらりんこと見える
周りがマンションだらけなのに
よくぞこの一箇所だけ
当時の赤線時代の建物が残っていたもんである
一軒一軒の店の権利が絡んでいて
壊す事ができないのかもしれない
この入り口上のデカイ庇にはその昔、
なんだらかんだらと、
ここの遊び場の名前が書かれていたそうである
<参考資料>
藤沢駅北口を出てすぐの銀座通り交差点から
北側の細い路地へ入る。
かつて「辰巳町」という名前だったそこは、
飯盛旅籠(つまり遊女を置く宿)から遊郭となり、
戦後はいわゆる赤線地帯へ移行。
辰巳新地と称するその特飲街は、
通称『小鳥の街』と呼ばれていた
☆☆☆さんが撮影して
はげまるブログでも書いた
岡山の遊郭跡は完璧に近い姿で残っていたが
場所が中洲みたいな所であるから
残っているのであろう
話は変わるが
吉原遊郭はお国に認められた唯一の遊び場で
その他の場所は遊郭とは呼ばなかたった
そうである
東京だったら品川、新宿、北千住、板橋、
川崎だったら堀之内、南町
横浜だったら前にも書いたが
真金町、曙町、石川町、本牧
東海道五十三次ではないが
宿場宿場に女郎あり
なんて話があるくらいであるから
ナニが大好きな男共は
旅の途中で路銀を使い果たして
来た道をションボリと
引き返すはめになったそうである
異常に好きな輩は
東京から旅に出て、
最初の宿場町品川に連泊、
毎夜芸者や太鼓持ち女郎さん達を
上げてのどんちゃん騒ぎ
大阪までの旅が品川で
ハイそれまでぇ~よ~
と相成り候
そのまま東京に引き返すはめに
なったそうである
(はげまると同年代仲間にもそんな感じの奴いるぞ)
とにかく全国津々浦々までそのような
形式の男の遊び場があった事ははすごい
おね~さんの吸引力は
昔も今も変わらないのであるな
この写真の右側の汚れた窓から
店の中を撮ってみた
はい こんな感じでありました
次回はこの遊郭跡の建物を通り抜けて
周りの散策話でも書く事にしますね。