本格アメリカ風高級ステーキ屋さん「ジャックス」がまだ
チャン街(中華街)にあった頃
そう はげまるがまだ 完ハゲでない 30年ぐらい前に恐る恐る行った記憶がある
その頃のチャン街は まだアメリカの兵隊さん 外国船員さん達が
そこそこ遊んでいた頃であり 日本の中の外国であった
火事で喪失した 有名なピアノバー「ストーククラブ」もマダあった時代
スススス ステーキは お大臣様 お殿様 将軍様(北のではない)
有名人達が食べる物であった
並みの庶民 (牛丼ではないぞ)はげまるがおいそれとは喰らえない時代
決死の覚悟で ステーキの「ジャックス」に行ったのである
美味かった記憶はかすかに残っているのであるが
高級ステーキ>高価 の図式が食べている時も
頭の中はぐるぐると鳴門の海の渦巻き状態
食べ終わって外に出た時には 足元ふらふら 意識もうろう
テナ事で 味もよく覚えてないのである
「ジャックス」が チャン街から 今の間門(まかど)に移転したのは
今から20年ぐらい前だと記憶しているのであるが
風の噂で(どんな風なんでぃ 見せてみろ なんて言わないでちょうだぃ)
そろそろ店主が高齢で 店を閉めるみたいである~ ぴゅ~(風である)
昨年の暮れに 母とふたりで行ってきました
そして今回の散策は「ジャックス」の閉店前日 そうなのです
最後の日に行ってきました
(2011年3月27日 日曜 PM7時)
入り口であります
入り口の両側には 異国情緒あふるる横浜的な配色の看板があり
もう たまらなくなってしまうのである
この感覚は今の若い人達には理解できないかもしれない
はげまると同年代で そこそこ横浜で遊んでいたじじぃなら
理解できる感覚
あこがれのアメリカ 深いブルー色
あこがれのステーキ
あこがれの アメリカンハイスクールの女子学生
(どさくさ紛れだな)
コノ看板を見ただけで涙して中に入らずステーキも食べず
帰って行く人もいるそうである (想像です)
参考資料 無段転載で加筆してます
<本牧間門にある炭火焼きステーキ専門店。
店名の由来は、ベースで働いていた店主の
ニックネームがジャックだったから。
石原慎太郎・裕次郎兄弟も常連だったそうです。
創業は昭和33年、
「トーク・オブ・ザ・タウン」という店名で、
中華街にあり、米軍関係や外国人のお客が多かったが、
米兵の喧嘩で店は焼失してしまったらしいです。
その後、昭和35年に「ジャックス」と名前を変えて
同じ場所にオープンして 現在の間門に移転した >
次回は 中を散策します
ステーキ 食べます わいわいわい。