はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(30)  本牧  ゴールデンカップ

2010-09-26 00:54:12 | 日記



はげまるが この「ゴールデンカップ」と言う名前を初めて耳にしたのは
高校3年の頃である 今から44年前である

ひぇ~ 
我ながら 愕然となるのである
己が知らない間に時間が過ぎ去り じじぃになって行った感もある

若い頃の刺激があった出来事 音楽やら映像なんかは不思議な事に
はっきりと脳裏に刻み込まれていたりする
おね~さん関係なんか 特に特にそ~なのだ
(また 始まりましたか)

ところがどうだ ここんとこ特に物忘れは日常茶飯事
紙にでもメモしておかないと 覚えていられないのである 

かのクラーク博士の有名な言葉に
「少年よ大志をいだけ」 とあるが
じじぃには 少ししか時間が残って無いのである

ここで かの有名な詩人 ポールゲーハの有名な言葉がある
「じじぃよ ゴタクぐだぐだ並べながら だらだら生きろ」

ポールゲーハ(ポールはげ) は はげまるの事である


じじぃには 夢もチボーもない のである 「東京ボンタ」 の世界である
(知らない若い人 ごめんなさい 40年前の売れっ子芸人です)




じじぃになってきた今では 過去の過ぎ去った時間を 
懐かしみ回想するしか無いのである 
(どんどんどん またパソコンの机を叩いている)


ところで何の話してたんだっけ?
そうそう 「ゴールデンカップ」の話なのだ
ほらね 書いている間に前の話を忘れてしまう ははは

その高校3年生の頃 伊勢崎木町で凄く上手い アマチュアバンドがいて
それを聞きによく通っていたのである
たしか 「グロリァ」とういバンドであった
そのメンバーの話で 初めて「ゴールデンカップ」の名前を耳にしたのである

「本牧のゴールデンカップに出ている なんだらかんだら と言うバンドが
凄い舶来の音を出すぞ~ ぼ~や」
なぁんてね 

その なんだらかんだらバンドこそ 横浜本牧が生んだ
本物R&Bバンド 「ゴールデンカップス」なのである







その カップ (横浜では ゴールデン は省いて呼ぶのが普通)
はげまるが初めて行ったのは たしか32~3年前位だと思う

もうとっくにベトナム戦争も終わり アメリカの兵隊さん達の姿も
まばらになってきた頃である
今思えば 10代の頃 根性だして夜市電にでも乗って カップに
行けばよかったな~

過ぎされし時はもどらない 過ぎ去れし おね~さんも戻らない
過ぎ去れし髪の毛も 絶対にもどらない







店に入ると すぐ凹型のカゥンターがある
右手には フロァーがあり 今では ステージが設置されている

この写真は凹型カゥンターの奥から フロァー方面を撮ったモノ

コノ感じは 30年以上前に来た時から 変わってない







カゥンターの壁に飾ってある 「ゴールデンカップス」の写真が飾ってある

ボーカルの 宗さんこと ディブ平尾さん そして ブッチさんこと ケネス伊藤さん
 ふたりとも故人であるのが寂しい限りである








フロアー方面の写真

だいぶ当時より改装されてる感じである

おぼろげな記憶であるが 左側にアップライトのピアノがあって 
店のピアニスト兼バーテンダーの中田さんが(はげまるの先輩ミュージシャン)
 よく弾いていたのが思い起こされる

現在でも 中田さんは ステージでエレピを弾きながら 歌っているのが
とてもうれしいのである







ここにもジュークボックスがあるのだが
まだ一度も この音を聞いていないのでコメントは差し控える事とする

伊勢崎町の 老舗バー「クライスラー」みたいに 
CDのジュークボックスかも知れないのである
今度確認しに行き 逐一報告する事にする







フロアーの天井のシャンデリァ

これは確か昔からそのままの感じである  昔の本牧チャブ屋さん的な容である

(尚 戦前有名であり 谷崎潤一郎の小説にも登場する 本牧チャブ屋(外人相手の高級娼婦屋)の話は
のちのち詳しくとことん 掘り下げて書く予定である)

う~ん 鼻息も荒い はげまるである。
コメント (4)
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