赤い彷徨 part II

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こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

歴史を訪ねてトラベリングゥ~(12)

2008-06-14 02:23:28 | ぶらりアウェイの旅
前回からのつづき)

GWの神戸戦前後の関西・岡山遠征最終日の5日は、岡山の「桃太郎ホテル」というまたコテコテの名前、お世辞にもキレイとは言えない宿泊先でこれまた頑張って早起き。観光先だと言うのにあろうことかマックでサクっと朝飯を済ませ、路面電車に揺られて9時の開門?時間ちょっと前の岡山城へ。曇り模様の朝空の下、旭川の水面に映える光景が何とも鮮やかだ。その水面に映る吊橋のようなトラス橋のような橋は岡山城から後楽園を結ぶもの。



岡山城は、もともと宇喜多直家がこの地に石山城を築城していたが、秀吉の寵愛を受けたその子秀家の代になり大大名の居城としては手狭になり、秀吉の指導の下に8年がかりで建設された城であるとか。その後関が原で敗れた宇喜多秀家が流刑になり、その戦いで見事な裏切りを演じた小早川秀秋が城主となった。



その小早川秀秋、一説によると裏切りの後ろめたさからかいわば「ご乱心」あそばされ若くして亡くなってしまったということで、小早川家当主が城主となったのは彼1代きり。結局この岡山城はその後関が原で東軍についた池田氏に明け渡されることになった。それでこの写真、何だったっけな・・・。



位置的に「干飯櫓」だったろうか。余り自信はありませんが、それであれば本段の南にある二層の櫓。



不明門。本段にある城の正門ということになるらしい。下の天守閣の黒とのコントラスト的にも見える白。



天守閣は黒漆塗の外観が特徴的で、このため「烏城(うじょう)」とも呼ばれることもあり、「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれる姫路城と対比されることもあるとか。実はこれからその両方ともわずか一日で見ることになるわけだが・・・。姫路城の白も鮮やかだが、この岡山城の黒い外観も引き締まって見えて結構好きだな。



天守閣からの眺め。天守閣は太平洋戦争で焼失し、その後再建されたもの。天守閣内は城主縁の品々や歴史についての展示が充実していて、ライトな歴史ファン的にはなかなか楽しめた。しかし本当のお楽しみが天守閣を出てから待っているとはこの時は知る由もなかった。



(つづく)