赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
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愛する浦和レッズと、軽く食べ歩いているラーメンとたまに思い出したようにジャズと洋書について書いてたのも今は昔。低空飛行が続いてましたが、そろそろ再起動したい。
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江戸城跡(皇居東御苑)をゆく(7)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2018-01-21 22:22:31
(
前回
からのつづき)
二ノ丸跡にある草花はまた別の機会でも、と思って中之門跡まで戻ってきたのですが、結局踵を返して二ノ丸跡に足を伸ばしました。写真は諏訪の茶屋と呼ばれる建物で、火災などで消失といった紆余曲折がありつつ11代将軍・徳川家斉の治世に現在の吹上御苑(西の丸西側、いわゆる御所のある界隈)のあたりに創建されたものだそうです。ただ、現在のこの建物は明治時代に再建されたもので、戦後皇居東御苑の整備の際に移築されてきたもので、現在は茶室としては利用していないようですね。
というわけで二の丸庭園まで来ました。1630(寛永7)年に3代将軍家光公の命により、数々の庭園を手掛けた文化人・小堀遠州の手により造成され、ここで将軍の茶会も催されたようです。ただ、現存する庭園は昭和に入ってからに復元されたものだそうです。
二ノ丸庭園にあった藤の木に外国人観光客の皆さんが群がっていました。自分はと言えば、奈良公園で藤の花に近づいたら熊ん蜂がうようよしていたのがトラウマで、藤の木には余り近寄りたくないというのが正直なところです。まあ、そもそも花は咲いていませんが(笑)
そういうわけで大手門まで戻りました。大手門渡櫓の脇にも石垣に上がるための石段がありました。
大手門渡櫓の門扉、アップです。
大手門を出て左にある大手濠には優雅に泳ぐ白鳥はじめ鳥たちの姿を見ることが出来、鳥々を心安らかに眺めるのも良いですね。
その後時間があったので明治神宮にも足を伸ばしてみました。これは明治神宮東門近くにある「代々木の大樅」と呼ばれるモミの木で、この木が代々木と言う地名の由来という説もあるそうです。といっても、ここにあったそのモミの木は明治中期に枯れ、そして戦時中にB29が樹上に墜落して焼失してしまったそうです。そういうわけで、このモミの木は戦後に植樹されたものとのこと。
しかし皇居東御苑だけでなく、この明治神宮にも外国人観光客の姿が多いのはびっくりしました。
(おわり)
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江戸城跡(皇居東御苑)をゆく(6)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2018-01-20 23:30:02
(
前回
からのつづき)
梅林坂を下り終えたところで右側を見たあたりだったと思います。この先は白鳥壕を右手に見ながら百人番所方面に戻る道です。石垣の高さがよくわかりますね。
その道を少々進むと右手には汐見坂があり、坂の上には宮内庁楽部の建物があるそうです。坂の名前の由来ですが、築城当時は付近まで日比谷入江が入り込んでいたため、この坂から海を眺めることができたことによるそうです。
高く聳え立つこのあたりの石垣は家康公の時代に積み上げられたもののようです。
汐見坂を上り、石垣の上に戻ります。そして本丸休憩場の裏手にある展望台からの丸の内ビル群を臨むことができます。石垣の高さをまた異なる観点から実感することができます。
眼下に見えるのが独立した濠である白鳥壕ですが、この白鳥濠を挟んで本丸と二の丸のところはいわゆる河岸段丘ということで標高差が10mほどあるそうで、その高低差を活かして先ほどの高い石垣が成立しているということなのでしょうね。
展望台を後にし、そのまま中雀門跡を通って本丸から下ると再び遠くに大番所が見えてきます。
そして中之門跡まで戻ってきました。二ノ丸跡に広がる雑木林はまた紅葉シーズンにでも訪れてじっくり愛でたい…そう思っていたのですが。
(つづく)
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江戸城跡(皇居東御苑)をゆく(5)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2018-01-08 00:07:42
(
前回
からのつづき)
天守台裏(北側)から見上げた石垣です。こちらの写真では捉えられていませんが、よく見るとところどころ破損等したところがあり、そこは明暦の大火や東京空襲の痕跡だと理解されているようです。
北詰橋門を左手に見ながら、更に平川壕沿いに東へと歩を進めると右手に宮内庁書陵部の建物が見えてきます。書陵部は戦後の1949(昭和24)年に旧図書寮の職務を引き継いで誕生した、45万点以上の皇室にまつわる歴史的資料を保存しているところです。そしてその歴史的資料というのは、代々皇室に伝わってきたものを中心に古典籍・古文書類、歴史資料として重要な明治以降の宮内省/宮内府/宮内庁の公文書類、宮内庁が管理している陵墓等から出土した考古品といったものだそうです。
書陵部を右に歩を進めるとワインディングロードな下り坂が見えてきますが、こちらは皇居東御苑の梅の名所「梅林坂」。初代江戸城を築城した太田道灌公が1478(文明10)年に菅原道真を祀り梅樹数百株を植えたことにその名は由来するようです。現在も70本ほどの梅の木がありますが、どうやらその多くは戦後に植えられたもののようですね。
こちらの梅の花のうち早咲きの品種は冬至のころから咲き始め、例年2月中旬に見頃を迎えるそうです。また、この梅林坂には山王権現神社があったといわれ、それが現在永田町の総理官邸の裏にある山王日枝神社になったということのようです。
梅林坂を下り、左を平川壕、右を天神壕に囲まれた道を進むとドン突きには平川門があります。門の向こうに見えるのは毎日新聞東京本社のようですね。この平川門からも皇居東御苑に出入りできるそうです。大奥に近いということで大奥女中達の出入りする通用門であり、かつ清水、一橋、田安の御三卿の登城口でもあったようですが、一方で罪人や遺体を運び出す際に使われる門でもあったようで、件の松の廊下で刀傷沙汰を起こした浅野内匠頭もこの門から城外に移送されたようです。
平川門を確認して本丸方面に戻ります。向こうに毎日新聞の建物が見えますので、こちらも平川壕だったのだと思います。道がお城らしくクランクになっているところです。
ここにもかつて門があったのでしょうか。ここを進み突き当りを左に進むと梅林坂を降りたところに戻ることができます。
(つづく)
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江戸城跡(皇居東御苑)をゆく(4)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2018-01-06 23:14:23
(
前回
からのつづき)
そしていよいよ(というほどでもないか)天守台が近づいてきました。1657年明暦の大火(俗に言う「振袖火事」)で消失してしまい、再建の計画もあったようですが復興優先ということで見送られ、現在に至るまで天守台のみが残っています。以後は先述の富士見櫓が天守的な役割を果たしたということのようです。
浜離宮あたりもそうですが、遠くに大都会のビル群を望むコントラストは見事ですね。この江戸城跡をはじめ武家屋敷の庭園が数多あり、さらに新たに開発される地区でも積極的に木々が植えられたりしているのだから東京に緑が少ないはずがありませんね。
この江戸城天守台は天守台の高さ13m、上面(天守1階)は35mx40mほどあったというのですから日本の城の天守台としては最大規模だったのではないでしょうか(まあ当然と言えば当然か)。
天守台の奥に見えるのは桃華楽堂(とうかがくどう)、1966(昭和41)年2月に昭和天皇の皇后であり今上陛下の実母である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の還暦記念に建設された音楽堂とのことです。音楽がお好きだったようですね。
3度築かれたという江戸城本丸天守のうち最大だった寛永度(1638年)は45mもの高さがあり、天守台の13mと足すと地上58mということになりますから、江戸時代としては相当大きく高い建物だったのでしょうね。
天守台を登る途中であらためて振り返ってみた丸の内のビル群ですが、手前に広がる本丸御殿跡の広さも何となくうかがえる構図になっていますね。
天守台の上の本丸広場との反対方向(北側)には北詰橋門を窺がうことができます。こちらも門からも皇居東御苑に出入りすることはできるようです。最寄駅は地下鉄竹橋駅になるようです。
整然と積まれた石垣にはあらためて惚れ惚れします。現存するのは明暦の大火後に再建された4代目の天守台で、加賀藩4代藩主・前田綱紀の手によるものです。
(つづく)
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江戸城跡(皇居東御苑)をゆく(3)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2017-12-24 16:58:51
(
前回
からのつづき)
富士見櫓の能書きもしっかりチェック。当然こちら側からの写真では見えませんが、このあたりの石垣を積んだのは加藤清正公だったのだとか。関東大震災をも耐えた石垣ということのようです。
眼前に広がる本丸広場を前に左にやや旋回し、広場の西側の小路を進みます。この広大な広場にはかつて本丸御殿が広がっており、手前から行政窓口的役割の「表御殿」、将軍の居所である中奥、そしてかの大奥という順で建っていたようです。明治時代には気象台が建っていたというのも面白い話ではあります。
本丸広場の西側の小路を進むと、年末の定番作品・忠臣蔵の「殿中でござる!」のセリフで有名な松の廊下跡もあります。とは申せ、ご覧のとおり今となっては何の変哲もない茂みでしかない感じなのですが。
元禄14年(1701)3月14日に赤穂藩主・浅野匠頭が高家衆筆頭の吉良上野介に斬りかかった刃傷事件です。上野介は軽傷で事なきを得るも殿中での刃傷はご法度ということで内匠頭は切腹を命じられ、その後同藩は改易となりました。そして浪人となった、大石内蔵助をはじめとする旧浅野家家臣たちが、御咎めなしに終わった上野介を討つべく翌年12月15日に本所松坂町にあった吉良邸に討ち入り「本懐を遂げた」というのは余りに有名な物語です。
そこに突然の茶畑。綺麗に刈り込まれた茶畑ではありますが、いわゆる茶葉にするため茶摘みをするわけではないため、秋ごろには珍しい茶の花を、そしてその後は茶の実まで見ることができるようです。
その茶畑の裏手(西側の蓮池壕の際)の高台の上には富士見多聞がひっそりと建っています。濠に面する石垣の上に立つ防御施設といった位置づけになり、江戸城に15あった多聞のうち唯一現存のものとのこと。
普段は鉄砲や弓矢といった武具が収められていたようで、
格子窓からは蓮池壕を見下ろすことができますすが、ご覧の高さ。20M級の石垣の上に建っていて、かつては富士山を望むことまでできたことをあらためて実感できます。建物の内部は昨年(2016年)11月から内部も通年公開になったようですね。
高台を下りて更に北へと進路を進めると見えてくるのが「石室」ですが、こちらは大奥の調度品用を格納しておく施設だったようです。この後うちの親をこちらに連れてきた時は「…折檻部屋?」とか言ってましたが(笑)
(つづく)
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江戸城跡(皇居東御苑)をゆく(2)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2017-05-13 23:47:08
(
前回
からのつづき)
大手三の門をくぐると左手に百人番所という、ご覧のとおり全長50メートルくらいはあるとても長い建物があります。ここでは1日24時間ずっと、甲賀組をはじめとした4グループが輪番で警護をしていたところだそうで、文字通り各グループ100人配置されていたとのこと。
そして右手には中之門跡がありますが、ご覧のとおりこちらの石垣は江戸城の中でも最大級の石が使用されています。しかもその巨石が加工されて隙間なく積まれています。
この積み方「切込みはぎ」と呼ばれる技法だそうです。そしてここで使われている石は瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩だということで、西国の諸大名から献上されたのではないかと考えられているのだとか。外国人観光客の方と比べてもご覧の規模感です。
その中乃門跡をくぐると右手にあるのが大番所。こちらでは百人番所、同心番所と比べて一番位の高い与力や同心が警備にあたっていたようで、本丸への道では最後の番所ということで警備上の重要性は高かったと考えられているようです。建物自体は明治期に再建されたもののようではありますが。
その大番所の横にあった松の木と、その背後の石垣の内側の階段と思われるものです。
大番所を後にし、本丸へと続く大きくカーブした道を進みます。
そこには中雀門跡(ちゅうじゃくもん)があります。写真だとわかりにくいかもしれませんが奥の左側の石垣の損傷がかなり激しく、これは先述の明暦の大火で焼けた旧天守台の石垣を利用したのではないかと言われているようなのです。
中雀門跡のところで振り返ったところの石垣です。どうやらかつてこちらには書院二重櫓とよばれたものがあったようですね。
中雀門跡をくぐるとかつて大きな御殿があった本丸が広がるのですが、そちらは我慢してその前に左に旋回、木々を掻い潜るように歩を進めた先に富士見櫓があります。江戸城にあった櫓のうち現存する3つの櫓のうちのひとつです。明暦の大火で焼けたもののその後再建され、再建されなかった天守の代わりとしての機能も果たしたようで、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたりしたのだとか。
(つづく)
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江戸城跡(皇居東御苑)をゆく(1)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2017-05-07 22:35:38
ナクスタで浦和の試合のあった日は我が家に嫁さんのお友達の皆さんが遊びに来られるということで完全リリースされていたのですが、残念ながら大宮さんのつれない対応もあり試合のチケットもあえなく取れず。そのため、当日はひとり皇居東御苑の見学と明治神宮参拝へと出かけました。城ファンを自認しながら誠にお恥ずかしい話なのですが、まさか現在皇居となっている旧江戸城の名残を見学できる、しかも無料で中に入れるなどとは正直思いもよらないことでした。職場の傍にこんな見学スポットがあることに今のいままで気づかないとは…我ながら不覚を取りました。
東京駅八重洲口から行幸通りをまっすぐすすみ、和田倉門のところを右に行ってしばらくすると左手に大手門入口が見えてきます。入口はこの大手門の他北桔橋門(きたばねはしもん)と平川門と計3つあるようです。下のガイドマップの右下が大手門入口になります。こちらの見学についての細かいレギュレーションについては
宮内庁さんのサイト
でご覧ください。
大手門から入場します。外国人観光客に多さにはびっくりしましたが、この日はカンカン照りで暑さが厳しく、ところどころでぐったりしているお姿も。門のところで簡単な荷物検査を受け(検査をしていたのは皇宮警察の方々でしょうか)た後、いよいよ大手門を潜って入場します。
振り向くと聳え立つオフィスビル群、というコントラストは都心ならでは。
大手門の前に置かれている鯱(しゃちほこ)は戦災で焼けた旧大手門渡櫓のものだそうです。
「明暦三丁酉」と刻まれていますが、江戸城天守などを焼いたいわゆる明暦の大火(1657年)の後に再建された時の鯱ということのようです。
こちらの大手門渡櫓は戦災で焼かれたため、戦後1967年に再建されたものとのこと。入って左に向かうと窓口があり、そこで入園票というプラスチック製のものを渡されます。この入園票は退場時に窓口に返却する必要があります。
右手に三の丸尚蔵館、そして大手休憩場などを見ながら進みます。休憩所は各入口にあるようですが、こちら大手休憩所は売店も兼ねていました。こちらの休憩所に↑のガイドマップがありました(窓口ではない点はご注意ください)。そのまま歩を進めると大手三の門跡地があり、その向こうにあるのが同心番所。3つある番所のうち比較で言うと最も位の低いお役人の警備詰所のようなところのようです。
(つづく)
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五能線ありきの旅(8)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2017-03-21 23:50:33
(
前回
までのつづき)
引き続き弘前公園(弘前城)見学ですが、ご覧のとおり絶賛石垣補修工事中でこの期間は天守の見学も一切できない状況でした。全国に12ある現存天守のひとつである弘前城の天守ですが、本来はここにあるという理解でよいのでしょうか?
こちらは下乗橋を別角度から。橋の向こうに見えるのが移設中の天守と思われます。
こちらは未申(ひつじさる)櫓と思われますが、何せ1年半以上前のことなので記憶がおぼろげで…申し訳ありません。
南内門を内側から。二ノ丸に2つある門のうちのひとつ。
こちらは辰巳櫓。三ノ丸を通る弘前八幡宮の山車行列などを歴代藩主が観覧したと言われているとか。
東内門を内側から見ました。
東内門をあらためて外側から。今回弘前城を訪問したことで、全国12の現存天守のうち個人的に未訪なのはいよいよ丸岡城(福井)と備中松山城(岡山)の2つを残すのみ、となりはしたのですが、何分今回の弘前城は天守に入れなかったので何となく消化不良なような気も…。
同じく東内門を外側から中濠とともに。名残惜しいですがこれで弘前城を後にします。今度来るときは花見シーズンなどと贅沢は言いませんので、せめて天守を見学できるタイミングで再訪したいものです。
お城から弘前駅までの復路は近くにバス停を見つけ、ちょうど来たバスにダッシュで乗り込みました。はやぶさで東京方面へ帰ります。
はやぶさの乗り心地は無論よかったのですが、外はもう真っ暗であり、そもそもあっという間に着いてしまったので特段の感慨もなく。以上で今回の旅の記録を終わります。
(おわり)
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五能線ありきの旅(7)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2017-03-20 19:03:27
(
前回
までのつづき)
我々のリゾートしらかみの旅は、少々名残惜しいながらも弘前駅で終了。さて弘前といえば弘前城、という理解は城ヲタだけのものなのかもしれませんが、いずれにしてもその弘前城、訪問時は石垣の修復工事に伴い天守を移動させるというプロジェクトの真っ最中ということで天守内は一切見学できない状況でした。ちなみに、「動く!」というセリフに微妙に反応するのも恐らくガンヲタだけなのでしょうね。
当日はお天気いまいちでやや肌寒い中を駅からお城まで長い距離を皆さんに歩かせてしまい幹事失格でした。お昼は市場で、とも思っていたのですが、結局郷土料理のお店
菊富士
さんでいただきました。こちらは修学旅行生も受け入れているようなお店のようです。写真左上に見えるのが弘前の地のものである「いがめんち」で、イカゲソを包丁で叩いて野菜などとともに小麦粉で揚げたもののようです。
弘前城に到着です。こちらは5つある櫓門のうち東門(ひがしもん)です。言わずもがなの津軽藩の居城ですが、その津軽藩は天正18年(1590年)、大浦為信(後の津軽為信)が津軽地方を統一したことに始まったようです。
為信公は時の為政者であった豊臣秀吉から津軽地方の領有を認められ4万5千石の領地を得ます。ただ、まだその時点では堀越城という城を居城にしていたようで、弘前に城が築かれたのは少々後の話ということのようです。その弘前城と言えば桜の名所ですが、訪問したのは11月下旬ということでご覧のとおりどちらかというと紅葉シーズンでした。
中濠と思われますが、お花見シーズンはいわゆる「花筏」も見られそうです。さて為信公ですが、豊臣方、特に石田光成公と近かったながらも関ヶ原の戦いには東軍として参加しその功績から幾ばくかの加増を得ています。ただ、嫡男の信建公は大阪城にいて西軍側だったようなので、それが事実とすれば真田氏と同様お家の生き残りのために「二股をかけていた」ということなのかもしれません。
東内門です。さきほどの東門もこちらも慶長16年(1611年)に津軽藩2代藩主津軽信牧の治世で建てられたものだそうです。この信牧公は為信公の三男で、父とともに関ヶ原では東軍で参加していたとのこと。長男の信建公は病死してしまったようですね。
二ノ丸にあった与力番所です。曳屋移築されたもののようです。津軽氏ですが、関ヶ原の最中に家内で反乱があり堀越城を占領されたりごたごたがあったようで、そんなこともあってか、その後現在の弘前城のある高岡の地に築城を開始。ただ本格的に築城が進んだのはやはり2代信牧公の治世だったようです。
ただ、信牧公の家督相続に当たってもお家騒動があり、最終的に幕府裁定で信牧公が跡継ぎということになったようです。こちらは石垣修理事業の能書き。字が小さくて読めませんかね。
本丸と二の丸に架かる下乗橋と思われます。オフィシャルサイトによれば、かつて二ノ丸側に「下馬札」が置かれて藩士は馬から降りるルールだったようで、それに由来するのではないかとされています。
(つづく)
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五能線ありきの旅(6)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2017-02-26 21:49:08
(
前回
までのつづき)
さて、まもなくこの日本海を間近に見る車窓ともお別れになります。
というのも、五能線はこの鯵ヶ沢駅のあたり、津軽半島にさしかかるところで海沿いから離れて青森市方面に向かっていくためです。
そしてここでリゾートしらかみの名物のひとつであろう、津軽三味線の生演奏がいよいよ始まります。三味線を嗜まないのは勿論のこと、総じて音楽に造詣の浅いこんな私でも魂を揺さぶられるものがありました。流れ行く津軽平野の車窓を横目に聞き入る津軽三味線の音色はまた格別のものがありました。
五能線は一部ワンマン運転の車両もあるようですね。実に味のある光景。
ご覧のとおりリンゴ畑が広がる実に青森らしい光景も見られます。
隣の「撫牛子駅(ないじょうしえき)」はこれは読めませんね…。
この川部駅が路線としての五能線の終点ということになるそうですが、全ての列車が弘前駅発着で運転されているそうです。
(つづく)
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五能線ありきの旅(5)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2017-02-18 00:10:03
(
前回
までのつづき)
リゾートしらかみの旅は深浦駅でしばしの停車であたりをうろうろすることができます。写真を見返した上でネットで調べて確認できたことですが、江戸時代に北海道~大阪間の物流を海路で結んでいた北前船のいわゆる「風待ち湊」だったのですね。
深浦駅はこのあたり…といってもわかりにくいですね。方角的には地図の左側が北になります。
こちらで同じリゾートしらかみの「くまげら号」とすれ違い。お互いの乗客がお互いの車両の写真を撮り合う異様な光景に。
というわけで深浦駅を発ちます。このあたり、旅行番組にありがちな「沈む夕陽を眺めながら浸かれる」臨海露天風呂があったみたいですね。機会があればそういうのにも入ってみたい気はしますが。
深浦駅を出てからの写真は以下のようなものばかりです。
ネットで調べても確信を持てなかったのですが、このあたりを「千畳敷」というのでしょうか。
いずれにしてもブラタモリ的考察をしたくなるような荒々しい地形に息を飲みます。
(つづく)
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五能線ありきの旅(4)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2017-02-11 13:22:53
(
前回
までのつづき)
さてここから先しばらくはひたすら五能線の車窓、特にいかにも日本海って感じの景色を中心にお送りします。とはいえ、既に1年以上前の出来事なものでこの写真はどこそこの何で、というあたりの記憶はおぼろげなもので、その点はご容赦下さい。
こちらはサッカー選手名と同じ駅名シリーズ、能代駅を出てあきた白神駅を通過して着いた岩館駅…と思ったら「だて」の字が違うのですね。うちの細君がプレーしているのは見たことないのになぜか好きだという浦和GKは「岩舘」選手です。
このあたりは岩舘駅~深浦駅の間ということは間違いないのですが…笑 いずれにせよ演歌でも聴きたくなるような光景が続くわけです。ちなみに、風光明媚な名所的なところを通りがかった時には逐次運行速度を落としてくれる、実に観光列車的な配慮もあります。
余談ですが、今回の旅は私が幹事ということで(
宿の予約ではやらかしました
が)、こちらリゾートしらかみの指定席(全席指定)の購入も私が行いました。指定席券は乗車1か月前に発売、なかでもリゾートしらかみは人気路線ということで私も発売当日(平日…笑)窓口の開く10時より前には東京駅みどりの窓口に並びましたが、9:45の時点で既に行列が形成されており私は確か5、6番目でした。ある程度覚悟はしていましたがそれでも堅気の私には十分「げげっ」という感じでしたね。最終的に「人数分の窓際の席を確保」するという最低限のミッションは無事クリアできたのでよかったのですが。
行列の前にはいろいろな方々がおられましたが、10時になり2つある窓口が開くと、うち1つの窓口は中高年の旅行サークルかなんかの代表者っぽい方がグランスタの良席を買い占めん(?)としていたのか、あれこれ窓口に細かくリクエストしていてすっかりスタック状態に陥ってしまいます。このあたりはきっと運も左右するのでしょうね。私の前の若いお姉さんはなかなか列が前に進まないことに業を煮やしたのか、苛立って職員さんに散々文句を言った挙げ句丸の内側の方に移動していかれました。いやはやご愁傷様です。ともかく今回は事なきを得ました。
車内販売で500円で買った深浦のB級グルメ「まぐろカツサンド」だったと記憶しているのですが、「まぐろカツサンド」で検索しても出てくるのは神奈川県は三崎のそればかり。
マグロステーキ丼のサイト
はしっかりと用意されている一方、カツサンドの方はあまりヒットしてきません。とはいえ、
八戸市の美人過ぎる市議的な方がブログで紹介している
ので間違いないとは思うのですが。
ちなみにまぐろカツサンドはおいしくいただきました。ご覧のとおり当日のお天気はいまいちで雨が降っている時間帯が長ったような。まあ考えようによっては、そういうお天気の方がいかにも日本海らしくてよかったのかもしれませんね。
列車から降りられる深浦駅に辿り着く手前にあった深浦港です。諸々ふまえるとやはりまぐろが水揚げされるんでしょうな。
(つづく)
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五能線ありきの旅(3)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2017-02-05 18:55:54
(
前回
までのつづき)
五能線「リゾートしらかみ」での弘前までの旅が始まりました。いつかは五能線各駅停車に長く揺られる途中に立ち寄ってみたい八郎潟ですが今回は通過します。駅標の隣の駅にある「井川さくら」駅は「2008年、gooランキングの『芸名・人名だと勘違いしそうな実在の駅名ランキング』で、『武豊駅』『中山香駅』『近江舞子駅』などを抑え1位になった」(wiki情報)のだとか。最近「吉川美南」という強力なライバルになりそうな駅が埼玉県内武蔵野線沿線に誕生しましたが、そのあたりの争いはどうなんでしょうか。
恐らく東能代駅だったと思いますが、最初のフォトセッション?となるポイントとしてホームに降りてしばし過ごすことができました。リゾートしらかみの「橅」(ぶな)、「青池」、「くまげら」の3車両にはそれぞれゆるキャラ?(
JR東日本秋田支社公認キャラ
)がいるようでこちらはくまげらくん。
当日我々が乗っていたのはこちらのリゾートしらかみ1号青森行でした。
こちらが五能線の在来線で一番オーソドックスな車両のようですね。私はキハ40と同48の区別がつかないほどには普通の人です(そもそもつくのか?)。しかし、ワンマン運転の気動車というのは、私のような非鉄の人間であってもさすがにテンションが上がります。こちらのカラーリングは日本海の青と白神山地の白、みたいなものだったような。
そしていよいよ「ぶな」「あおいけ」「くまげら」の三連星によるジェットストリームアタックを受けます。みんな遠巻きに微妙な距離感で撮影していた様子がなんかじわじわ来ました。
東能代駅が五能線の「起点」ということは、東能代~能代間は「能代線」で、東能代から青森方面が「五能線」と理解すればよいのでしょうか。ちなみに後々知ったのですが、この待合室には本物の運転台があって汽笛を鳴らせたりするみたいです。うーんしまった。
有名なバスケのゴールは東能代駅にもありました。次の
能代駅でかつてイージーなシュートを見事に外した
積年のリベンジをあらためて誓うのであります。
というわけで、能代駅ではリゾートしらかみの乗客用アトラクションとしてのフリースロー。今回の旅の、個人的には最大のミッションでしたが、見事に決めて記念品をいただきました。元バスケ部としてようやく雪辱を果たしました(笑)
能代駅のホームには高校バスケ界に長年君臨してきた秋田県立能代工業高校のユニフォームなどの展示も。こちらは現在Bリーグ栃木の主力としてリーグを引っ張っている田臥勇太選手が在籍時に着用していたユニフォームのようです。公立ながら全国から好選手が集まっていた学校(うちの隣の中学のバスケ部の選手も能代工に進学してその後日本代表にも入ってました)ではありますが、やはり「バスケどころ」のようでBリーグの
秋田ノーザンハピネッツ
も盛り上がっているようですね。
(つづく)
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五能線ありきの旅(2)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2017-02-04 15:10:15
(
前回
までのつづき)
さて、田沢湖を後にしてレンタカーで秋田市内まで移動。スケキヨさんのご親戚のお宅にお邪魔するという得難い経験もさせていただき、秋田駅周辺の繁華街である川反(かわばた)近くの宿にチェックイン。今回の旅はおっさん5人ということで、幹事の私はツイン2部屋とシングルを予約した…そのつもりだったが、チェックインしてみたらなんとツインでなくダブルを2部屋予約していたという衝撃の事実が発覚。痛恨のミスを犯してしまった幹事は顔が真っ青なのか真っ赤なのかわからず茫然自失。
無論ツインに変更を申し出るもフロントの方はニヤニヤしながら「生憎満室でして」という最後通告 _| ̄|○ いや、ホテルの方は本当はにこやかに接してくれていたのでしょうが、もう完全に被害妄想に陥っていたのでニヤ(・∀・)ニヤという表情にしか見えませんでした…(笑)。というわけで敢えなくおっさん2人がひとつのベッドを共にする異常事態。自業自得の私はともかく他の3人の皆様にはご不便をおかけしてというか、妙な経験をさせてしまいいずれにせよ大変申し訳ありませんでした。この場を借りてあらためてお詫び申し上げます(笑)
気を取り直して夕食は宿にほど近い「秋田比内地鶏生産責任者の店 本家あべや 秋田店」さんへ。「エリアなかいち」という複合商業施設の中にあるお店で、ご覧のとおり焼き鳥をはじめ比内地鶏の料理をみんなで喰い倒してやろうという目論見でした。
お目当てだった焼き鳥がどれもおいしいものだったこともあり、おっさん5人の集団がぼんじり10本といった大ロットでの注文を連発したためお店は祭状態だったと思われます。いや、いきなり「あれもこれも10本くれ」とか言われて目を白黒させていたホールのお姉さんには少々悪いことをしましたが。キッチンでの串作りも大変だったと思います。
なかなか置いているお店のない「一番搾りプレミアム」も、当然ながら焼き鳥との相性も抜群で大変おいしゅうございました(今は置いてる店は増えたのかな?)。こちらのお店は新しい建物の中にあり小奇麗で女性客の姿もちらほら。親の仇のように焼き鳥を食べまくった後のきりたんぽもおいしくいただきました。
記憶が定かではないのですが、恐らく「比内地鶏卵かけごはん」と「鶏白湯スープ」だったかと思います。シメでいただいたものであるのは間違いないのですが。大量に飲み食いしたせいか帰り際に店長さんから丁重なご挨拶をいただきました。お陰様で郷土料理を満喫。どうもごちそうさまでした。どうやら都内でも東京駅、KITTE、神楽坂あたりにお店を出しているようなのでおススメです。
さて、ホテルで男同士の熱い一夜を過ごして迎えた2日目の朝です。この日は五能線「リゾートしらかみ」に揺られてお隣の青森県弘前まで4時間半ほどかけてのんびりと行くという誠に優雅な旅路です。早朝8:30くらいに秋田駅を出発するリゾートしらかみ1号、つまり始発列車に乗り込みます。
列車は「橅」(ぶな)、「青池」、「くまげら」の3種あるうち今回は「青池」に乗車。
向いのホームにいた奥羽本線の在来線(だと思います)。「JR701系」という認識でよろしいのでしょうか。
さあ優雅な鉄道の旅へ出発です。
(つづく)
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五能線ありきの旅(1)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2017-01-22 13:23:58
在庫一掃セールと言うわけでもないのですが、続いて、また随分と寝かせた形になってしまいましたが、一昨年11月に秋田~弘前をめぐった仲間内の旅行について記していきたいと思います。旅先は自分の提案だったのですが、「五能線に乗りたい」という誠に邪な動機があったことは皆さん理解してくれていたとは思いますが、その点はお詫びしておきたいと思います。さて、まずは秋田県角館に向かうため上野駅で落ち合って秋田新幹線こまちに乗り込みます。車両の撮影は見事に失敗しました。
何年か前からこの赤いこまちに乗りたい、とずっと思っていたので感慨深いものがありました。総勢5名だったのですが、角館駅到着時に若干2名が回転椅子にカバンを引っかかって手間取っているうちに電車のドアが目の前で閉まるというハプニング(笑)、自分含むその2名は大曲駅で引き返し、角館の武家屋敷近くのコンビニで無事に再合流。このハプニング、というか事故は今思えば後々の大事故の伏線だったのかもしれません。なお、上記こまち車両の撮影失敗については、とりあえず角館駅にあった模型でご勘弁を。
有名観光地とは言えローシーズン、かつ早朝ということで人気(ひとけ)の少ない角館の武家屋敷街をおっさん5名でしばしブラついた後、昼飯は武家屋敷街にある古泉洞さんで稲庭うどんをいただきました。この古泉洞さんの建物は江戸時代の寺子屋として利用されていたものを移築してきたものだそうで、大変趣のある外観。しかし、肝心のその外観の写真を撮り忘れる失態。
その後角館駅前でレンタカーを借りて一路田沢湖まで足を伸ばします。こちらも全国的に有名な観光地ですが、やはりこの時期は人影がまばら。wiki情報によれば田沢湖のできた原因には諸説あるようですが、現時点では噴火によるものとする説が有力なようです。深度が400m以上あり日本で1番深い湖なのだそうですが、2番目に深いのが
以前札幌遠征の折りに訪れた支笏湖
と知って妙な縁を感じてしまいました。自分が湖に惹かれはじめたのは支笏湖訪問がきっかけでしたから。
田沢湖畔にひっそりと佇むこちらの杜は漢槎宮(かんさぐう)、別名浮木神社と言うそうです。当地
仙北市のサイト
を見ても「流れついた浮木(大木が湖面から2メートルぐらい顔を出し、斜めに水底に深く消えている流木)を祭ったもの『といわれています』」という表現ぶりで、その縁(ゆかり)については断定できていない様子です。映画「君の名は」ではありませんが、隕石説もあるようですね。
その神社ではなぜか魚の餌が売られており、それを湖の波打ち際(という表現が正しいのかは不明ですが)に投げ入れるとご覧のように魚たちが我先にとぐいぐい食いついてくる地獄絵巻のような光景を見ることができます。まあ湖畔に人影が見えた時点で餌を期待して魚たちは集まって来ているのですが…。
湖畔では最近年末のガキの使いの影響ですっかり有名になったであろう「犬神家の一族」スケキヨさんのお姿も。「大佐は湖がお似合いですな」とドレン大尉のようなセリフを吐きたくなりました。さすがです。
(つづく)
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