(前回からのつづき)
二ノ丸跡にある草花はまた別の機会でも、と思って中之門跡まで戻ってきたのですが、結局踵を返して二ノ丸跡に足を伸ばしました。写真は諏訪の茶屋と呼ばれる建物で、火災などで消失といった紆余曲折がありつつ11代将軍・徳川家斉の治世に現在の吹上御苑(西の丸西側、いわゆる御所のある界隈)のあたりに創建されたものだそうです。ただ、現在のこの建物は明治時代に再建されたもので、戦後皇居東御苑の整備の際に移築されてきたもので、現在は茶室としては利用していないようですね。
というわけで二の丸庭園まで来ました。1630(寛永7)年に3代将軍家光公の命により、数々の庭園を手掛けた文化人・小堀遠州の手により造成され、ここで将軍の茶会も催されたようです。ただ、現存する庭園は昭和に入ってからに復元されたものだそうです。
二ノ丸庭園にあった藤の木に外国人観光客の皆さんが群がっていました。自分はと言えば、奈良公園で藤の花に近づいたら熊ん蜂がうようよしていたのがトラウマで、藤の木には余り近寄りたくないというのが正直なところです。まあ、そもそも花は咲いていませんが(笑)
そういうわけで大手門まで戻りました。大手門渡櫓の脇にも石垣に上がるための石段がありました。
大手門渡櫓の門扉、アップです。
大手門を出て左にある大手濠には優雅に泳ぐ白鳥はじめ鳥たちの姿を見ることが出来、鳥々を心安らかに眺めるのも良いですね。
その後時間があったので明治神宮にも足を伸ばしてみました。これは明治神宮東門近くにある「代々木の大樅」と呼ばれるモミの木で、この木が代々木と言う地名の由来という説もあるそうです。といっても、ここにあったそのモミの木は明治中期に枯れ、そして戦時中にB29が樹上に墜落して焼失してしまったそうです。そういうわけで、このモミの木は戦後に植樹されたものとのこと。
しかし皇居東御苑だけでなく、この明治神宮にも外国人観光客の姿が多いのはびっくりしました。
(おわり)
二ノ丸跡にある草花はまた別の機会でも、と思って中之門跡まで戻ってきたのですが、結局踵を返して二ノ丸跡に足を伸ばしました。写真は諏訪の茶屋と呼ばれる建物で、火災などで消失といった紆余曲折がありつつ11代将軍・徳川家斉の治世に現在の吹上御苑(西の丸西側、いわゆる御所のある界隈)のあたりに創建されたものだそうです。ただ、現在のこの建物は明治時代に再建されたもので、戦後皇居東御苑の整備の際に移築されてきたもので、現在は茶室としては利用していないようですね。
というわけで二の丸庭園まで来ました。1630(寛永7)年に3代将軍家光公の命により、数々の庭園を手掛けた文化人・小堀遠州の手により造成され、ここで将軍の茶会も催されたようです。ただ、現存する庭園は昭和に入ってからに復元されたものだそうです。
二ノ丸庭園にあった藤の木に外国人観光客の皆さんが群がっていました。自分はと言えば、奈良公園で藤の花に近づいたら熊ん蜂がうようよしていたのがトラウマで、藤の木には余り近寄りたくないというのが正直なところです。まあ、そもそも花は咲いていませんが(笑)
そういうわけで大手門まで戻りました。大手門渡櫓の脇にも石垣に上がるための石段がありました。
大手門渡櫓の門扉、アップです。
大手門を出て左にある大手濠には優雅に泳ぐ白鳥はじめ鳥たちの姿を見ることが出来、鳥々を心安らかに眺めるのも良いですね。
その後時間があったので明治神宮にも足を伸ばしてみました。これは明治神宮東門近くにある「代々木の大樅」と呼ばれるモミの木で、この木が代々木と言う地名の由来という説もあるそうです。といっても、ここにあったそのモミの木は明治中期に枯れ、そして戦時中にB29が樹上に墜落して焼失してしまったそうです。そういうわけで、このモミの木は戦後に植樹されたものとのこと。
しかし皇居東御苑だけでなく、この明治神宮にも外国人観光客の姿が多いのはびっくりしました。
(おわり)