ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

トールキンの嫌った「寓意」のこと

2005年01月22日 | 指輪物語&トールキン
ラジオドラマ、昨日は少し聴けたのですが、日記一日分に相当するほどの感想が出てこないので(汗)ちょっと違う話を。
実は映画カテゴリーで最近書きまくっている(笑)「ハウルの動く城」の感想でも同じようなことを書いたのですが、指輪カテゴリーでも書いておきたかったので、ちょっと内容ダブってます。「その話はもう読んだ!」と思われる方、すみません。

「指輪物語」を初めて読んで、最後にトールキンのあとがきを読んで、トールキンが「寓意」を嫌っているという話を読んだ時は、「え、そうなの?」とびっくりしたものでした。
「指輪物語」はとても寓意的で、メッセージ性のある作品に思えたからです。
これは決して私だけではないはずです。「指輪物語」発表以来、多くの人がそう感じたはずです。そして、「一つの指輪=原爆」だとか、色々な寓意を取り沙汰し、そういう受け取り方に対してトールキンはあのようなあとがきを書いたようです。
トールキンが自分でそう言うんだからそうなんだろうなあ・・・と素直に受け入れた私ですが(笑)しばらくはその意味が理解はできていませんでした。
私にとっては、ファンタジーは現実世界を象徴的に映したものでないと面白くないし価値もない、と思えていたのです。
これは「ゲド戦記」の影響がかなりあると思います。「ゲド」は寓意で物語が成り立っているように感じます。何か表現したい抽象的なテーマを、物語に変えて表現しているように思えました。
もちろんそれだけが「ゲド」の魅力ではないと思いますが、そういう物語の創り方が、私には魅力的に感じたことは確かです。今でも「ゲド」は好きですよ。
そんな私が、トールキンが寓意を嫌ったということの意味を初めてちょっとだけ理解できた、と思ったのは、FotR SEEの特典映像でのコメントでした。誰が言ってたかは忘れたんですが・・・(汗)
その人は「トールキンが寓意を嫌ったのは、自分の物語を様々に解釈して欲しかったからだ」と言っていたのですが、この言葉に「ああ、そういうことか」と初めて少しだけ理解できました。
そして、つい最近、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を読み返していて、意外な言葉に行き当たりました。
バスチアンが嫌いな「本」について説明されていた文章で、「物語の中に少しでも何かを説教しようとか、そういう意図に気がつくとすぐに読むのをやめてしまうくらいだった」というようなことが書いてあったのです。「これってトールキンの言葉とそっくりじゃん!」ととてもびっくりしました。
そしてその後に、「物語に意図的に何かを篭めることは読者を支配することだ」というようなことが書いてあって、目からウロコが落ちるようにトールキンが寓意を嫌った理由が「これだ!」と思いました。
エンデはトールキンを読んではいたような気がしますが、トールキンから影響を受けているかどうかについてはよく知りません。ちゃんとその気になって調べればわかるかもしれませんが・・・でもエンデの作風自体からはトールキンの影響は特に感じませんが。
そして、「はてしない物語」の岩波少年文庫版の訳者あとがきで、エンデは物語を作る時に、頭の中に浮かぶ映像を元に無秩序に、先のことは考えずにひとつひとつの場面を書いて行く手法を取っていた、と読んでとてもびっくりしました。「はてしない物語」も、「本の中に入り込んでしまう物語を書きたい」というだけで書き始め、どう結末がつくのかエンデ自身も分からずに書いていたというのです。
「はてしない物語」もとてもメッセージ性、寓意性の強い作品だと思っていたので、これには本当にびっくりでした。本当に何も考えないであの結末にたどり着いたんでしょうか!? 本人がそう言うからそうなんでしょうね・・・
ただ、もちろん本人の思想やおかれた環境は作品に影響を与えるけれど、というようなことは書いてありましたが、私はそれが物語に方向性を与えるのだな、と解釈しました。
この言葉も、トールキンがあとがきで似たようなことを書いていたなあと思いました。エンデの言葉の方がよりわかりやすいですが、トールキンの言葉と併せて読むとよりくっきり理解できるように思いました。
そして、トールキンもエンデも同じようなことを言っているのなら、意図的に寓意を篭めずにあのような物語を書くことは本当に可能なのかも、と実感できるようになりました。
その後、ティム・バートンが「ビッグ・フィッシュ」で来日した時の記者会見で、「物語に作者は様々なテーマを篭めるけれど、それは見る人がそれとなく気づく程度のものにするべきだ」というような発言をしていたと教えていただきました。
私が好きなファンタジー作品の作者が3人も似たようなことを言っているのに、不思議な気分になりました。
読む(観る)人の想像力を刺激し、それぞれに解釈を委ねられる作品・・・もしかしたら、ファンタジーって本来はそういうものであるべきかなのかもしれないと・・・
そう言えば、「ゲド戦記」が4巻から作品のカラーが変わり、かなりファンタジーファンに批判されているらしく、4巻以降も結構好きな私は不思議だったのですが、確かにトールキンやエンデやティム・バートンの意見によれば、その理由もわかるような気がします。それでも私は「帰還」以降の「ゲド」も好きですけどね。
で、「ハウルの動く城」を見て、また感じることがありました。
私は映画カテゴリーでは散々書いてますが(笑)賛否両論渦巻く中、「ハウル」は結構好きなのです。それも、最近は宮崎アニメに食傷気味だったりしたので、自分でも「なんで?」と意外でした。
それが、評判が悪い理由のひとつに、「これまでの宮崎アニメに比べてテーマが小さい」と言われているらしいのを読んで、「あれ・・・」と思いました。
そうか、もしかしたら今までの宮崎アニメは、その「壮大なテーマ」がなんだか押し付けがましく感じられたのかもしれないと・・・
「ハウル」のテーマはかなりシンプル、だと思うのですが、色々と思わせぶりというかはっきりしない表現があり、それが「訳が分からない」と感じる人と、その理由を熱心に分析する人とにきっぱり分かれているのですよね。
私には「ハウル」の謎が多い面は、見る人に解釈の余地を残していていいなあと思えました。ファンタジーに「想像の余地がある」ということがこんなに楽しいものだとは思いませんでした。
指輪ファンには「ハウル」が面白くないという方が結構多いので、「ハウル」を引き合いに出した例えはあまり理解していただけないかもしれませんが(汗)なんだか私には「想像の余地があるファンタジーの面白さ」を改めて教えてくれたような気がしています。
というわけで、トールキンが言う「寓意」について会得した! と思っている今日この頃なのでした。的外しているかもしれませんが・・・(汗)
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6 コメント

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Unknown (れんばす)
2005-01-23 15:56:06
ぐらさん、こんにちは。



私は英国のベストセラー作家、フレデリック・フォーサイスの長年の愛読者ですが、以前、彼は作家が書く動機をこう言ってました。

①誰かに自分のメッセージを送りたい②書くこと事態、好きでたまらない③地位や名誉を得たい故④金の為



人間は複雑な生き物ですから理由がひとつという事はなく、重複してると思いますが、トールキンはどうでしょう?

トールキン作品もロクに読んでもいない浅学の私が言うのはおこがましいですが、彼が寓意を嫌った理由のひとつは、もっともらしい解釈をしながらも、実際はかなり独善的で己の意図とこじ付ける者にうんざりしていたからでは?と想像してます。で、自分たちの政治的広告塔代わりに利用しようとする輩なんかもいますから。そんな連中よりも素朴な読者の方を好んだのでは、と思ったのですが…

他のレスでも書きましたが、以前私はファンタジーを子供向けの物語と敬遠していたのです。子供相手に絵空事を書き連ねる類のものとのイメージがあったのですが、ぐらさんの日記を見てそうばかりでないのを知りました。「ゲト戦記」、面白そうですね。
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トールキンが書いた理由 (ぐら)
2005-01-23 19:37:51
>彼が寓意を嫌った理由のひとつは、もっともらしい解釈をしながらも、実際はかなり独善的で己の意図とこじ付ける者にうんざりしていたからでは?と想像してます。



私も全く同感です。それってつまりエンデが書いていた「読者を支配する」ということと同じかなあと。

トールキンが物語を書いた理由は、まだまだ浅学の私がいうのはなんですが(汗)「或る伝記」を読んだ感想では、普通の作家とはかなり違う印象でした。

よく言われているのは、トールキンが好んだ神話・伝説が祖国イギリスにはなかったので、そういう物語を作りたかったこと、そして自分で発明した言語に、その言語を使った種族とはどんなものだったか、その歴史は・・・と言った肉付けをしたかった、ということのようです。

でも、それとは別に、子供たちに語った「ホビット」やサンタクロースの手紙、戯れに作ったような「農夫ジャイルズの冒険」のような作品もありますが。

(私の下手な説明よりも、「J.R.R.トールキン-或る伝記」を読まれるのがお勧めです。本当にいろいろ興味深いことが書いてありますよ!)

というわけで、トールキンが書いた理由は、フォーサイス氏の理由の中には微妙に納まらないような・・・強いて言えば②ですかね?

私には、トールキンはどうしても「作家」というイメージがないんですよね。やっぱり本業はオックスフォードの教授、という感じで。

そんな人が書いた作品だからこそ、今でも新鮮な部分がたくさんあるのかなあと思ったりもします。



大人が読むに耐えるファンタジーも結構ありますよ!

「ゲド戦記」はもちろんお勧めです。途中、テーマにフェミニズムなどが入りだして、そういうのがファンタジーとしては無粋だ、という人もいますが・・・

ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」「モモ」あたりも、体裁は子供向けですが、深いです。

私はもっと子供向けで気楽な「ジム・ボタン」シリーズもとても好きなのですが。(子供の頃見たアニメとは話が大違いでした・・・(汗))

あと、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズも深いと思いました。これもアニメの「ムーミン」とはぜんぜん違います(笑)

「星の王子様」なんかも私の中ではこのあたりの作品と同じカテゴリーです。
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ファンタジーあれこれ (れんばす)
2005-01-24 20:13:07
ファンタジー小説も様々ですね。ぐらさん、情報ありがとうございます。



私は「はてしない物語」「モモ」はビデオで、「ムーミン」は子供の頃、アニメで見ただけの横着さです(汗)。

フォーサイスも評論家のカテゴリーではファンタジーとされるものを書いてます。「マッハンタンの怪人」、「囮たちの掟」の中の一編(時をこえる風)など。これらの物語は、ぐらさんの好みではないかもしれませんが。

「グイン・サーガ」に影響を与えたとされる「コナン」シリーズは、学生時代に好きで読みました。あと、日本では3作しか邦訳されてないフリッツ・ライバーの「ファファード&グレイマウザー」シリーズは今でも大好きです。
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Unknown (ぐら)
2005-01-25 19:47:50
ファンタジー小説には、アメリカのヒロイックファンタジーや、最近日本でも色々出ているものも含むのですよね、そう言えば。

私は児童文学に分類されるような種類のファンタジーが好きみたいです。「指輪」も「ゲド」もなぜか児童文学のくくりですね。どちらも子供には難しいと思いますが・・・日本でだけなのでしょうか?

昔「グイン・サーガ」にハマっていた頃、「コナン」シリーズを読んでみたことがあるのですが、1冊で「私には合わない」と挫折しました(汗)もう内容も、どの本を読んだのかも覚えてません(汗)

「コナン」シリーズもトールキンの影響を受けているんですよね、実は。そこから影響を受けている「グイン」はトールキンからは直接の影響は受けてなさそうですが。



「モモ」の映画はとてもよく出来ていましたが、「ネバーエンディングストーリー」はほぼ別物です(汗)

でもアトレーユかわいくて好きだったなあ(笑)

「ハリポタ」もハーマイオニーがかわいくて映画を見ている私です(笑)
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動機 (ちか)
2005-01-26 10:09:26
季節柄、受験問題で「作者の意図するところを一つ選べ」という問題に原作者は答えられない、という笑い話が頭に浮かびました。(笑)「指輪が象徴するものをあげよ」なんてまことしやかな問題がでたら教授は激怒したでしょう。

私自身は、追補編著者ことわりがきの「読者をおもしろがらせ、はらはら、どきどきさせる物語を書きたかった」というコメントに素直に頷いています。特に「王の帰還」を初めて読み終えたときには、まさにその通りだーと思ったものですから。
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Unknown (ぐら)
2005-01-26 18:41:30
確かに私も、「指輪」を最初に読んだ時は、ストーリーに魅せられてどんどん読み進んだものでした。(3ヶ月かかりましたけど・・・(汗))

思うに、何かメッセージを伝えたいというような寓意的な物語は、自然と物語としての面白さは欠けてしまうものかもしれませんね。他の寓意的(と私には思える)ファンタジーのことを思い出すと、そんな気がします。それはまたそれで好きだったりしますが。

「面白い物語」を作る過程で、作者の経験や思想が反映された場合に、深い意味合いが読み取れるような物語が生まれるのかもしれません。私には「指輪物語」はそのような作品に思えています。
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