ケイの読書日記

個人が書く書評

芥川龍之介「奉教人の死」  雑誌「三田文学」大正7年9月号に初出

2024-01-19 10:04:54 | 芥川龍之介
 文体が難しいので読みにくいが、短いので頑張って読む。とても悲しいお話です。キリスト教の聖徒たちのお話を集めた本があり、その中の一つのすじを借りているようだ。本来なら、こんな素晴らしい信徒がいた。皆さんも信仰に励むようにと伝道のために書かれているのだが、芥川の作品は全く違う意図があるように思われる。

 長崎の「さんた・るちあ」という教会に「ろおれんぞ」という美しい少年がいた。数年前のクリスマスの夜、教会の戸口に、行き倒れになっていた孤児で、教会内で養われることになった。「ろおれんぞ」は美しいばかりでなく、信仰心も厚く、長老たちも一目置いていた。そのうち、同じ信徒の傘張の娘と噂になるようになり、「ろおれんぞ」が親密な仲ではないと否定するも、娘が身ごもっていることが分かり、赤ちゃんの父親は「ろおれんぞ」だと告白したので、彼は破門される。
 教会を追い出され、町はずれの非人小屋に寝起きする乞食(差別用語だと思うが原文に書いてある)となって、糊口をしのいでいた。

 一年余りたって長崎に大火事が起き、傘張の娘の家を猛火が包む。そこに「ろおれんぞ」が現れ、赤ちゃんを助け出し自分は焼けただれて死ぬ。傘張の娘は大泣きし「赤ちゃんはろおれんぞの子どもではない。私が家隣の異教徒と密通して生まれた娘」と懺悔するではないか! その証拠に「ろおれんぞ」の焦げ破れた衣の間から、清らかな乳房が見え…

 あらすじは大体こんなふう。これを読むと、信徒たちの阿呆さ加減が分かる。そもそもどうして「ろおれんぞ」を女の子と見抜けないんだろうか? たぶん性被害を避けようと、本人が男の子だと偽っていたのだろうが、貧しいペラペラな衣服を着ているだろうに、なぜ分からない? トイレや風呂や生理の時などどうしていたんだろう。
 「ろおれんぞ」も悪い!自分は女だから、赤ちゃんの父親であるはずがないと自分の性別を明かせば、一発で疑いが晴れるのに、それをしないのは娘を庇っているから?
 周りの信徒も信徒だよ。この冤罪事件、どうするつもり!? 傘張の娘の言い分だけ聞いて、一方的に破門しちゃってさ。「ろおれんぞ」の死を「殉教」なんて持ち上げて、自分たちの責任を転嫁するんじゃない!!!
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