へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

期待されるばかりの「可哀相なオリンピック選手」

2010年02月25日 03時52分59秒 | Weblog
朝日新聞の夕刊に「スポーツ後進国日本」と言う見出しで、スピードスケートの清水宏保選手が皮肉交じりの記事を書いているのだが、読んでいて「全く持ってその通り」だと言わざるを得ないだろう。
これは政治の問題にも共通する事で「いいとこ取りの典型」と言わざるを得ないだろう。
私は特別日本の選手を応援するつもりはなく、メダルの数も「多ければそれに越したことはないが・・・・」と言った程度で、「スポーツの祭典を楽しむ」と言うことが第一で、「結果は二の次」なのだが、多くの日本人は「結果ばかり問題にする」と言う傾向が強いのだが、その一方で「選手育成のためにお金を出す」と言う事はしたがらない。
そして、「金メダルをとっても余りお金(ご褒美)に成らない」と言うこともあり、期待ばかりされて「それに見合う結果が得られない」と言う可哀相な事が起きてしまうのである。
多くの国はメダルに相応する報酬が得られるのだから真剣さも違い、勝った時の喜びの表し方にも違いが出てくるのであろう。
過去にはメダルを期待される重圧て負けて自らの命を絶った人もいるように、日本人のメダルに対する期待感は尋常な物ではないのだが、それに反して「選手の育成」「メダルを取った人への報奨金」などには余り関心を持とうとはしない。
また、このようなメダルへの執着心が国母選手のような人間を生み出したとも言えるのではないだろうか。
このように「スポーツ後進国」と言われる原因に「日本は島国」だと言う事も関係があるようで、何時までも「島国根性が抜けない」ために、「国際化」と言うことが叫ばれながら国際化が遅れている原因にもなっているのであろう。

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トヨタの品質管理とは

2010年02月21日 03時29分32秒 | Weblog
私はトヨタ自動車の部品を作った事はないのだが、同じ系列の「日野自動車」の下請けで13年働いた事はある。
始めのうちはそれほどでもなかった「トヨタ自動車の介入」も、10年ほど経った頃から顕著になり、年に何回かは「工場見学」と言う名のもとに「査察」が入るようになったのだが、査察に来る連中の態度は非常に横柄で、彼らの言う事は「現場無視」もはなはだしく、タダひたすら自分たちの考えを押し付ける「上意下達」以外の何物でもなく、その根底にあるものは「何が何でも自分たちの利益優先」と言う考え方なのである。
そして、彼らの言うところの「品質管理」にしても、「外見的な見てくれ」と言う部分も多く、「ユーザー(顧客)のため」と言うより「ブランドイメージを高めるため」と言った感じのものになっているのである。
これはある意味「驕れる者」が取りがちな行動で、プリウスのブレーキの問題で「フィーリング(感覚)の違い」などと言う発言をする原因にもなっているのであるが、これは「俺たちの作った車に文句を言うな!」と言う意味にも繋がり、更に掘り下げてゆくと「平氏にあらずんば人にあらず」と言った事と同じで、正に「驕れる者」以外の何物でもなのである。
このように考えてゆくと、トヨタの言う「品質管理」とは、「自己満足の品質管理」と言うことも出来、そこには「ユーザーのため」と言う意識は欠落しているのだろう。
さて、「世界のトヨタ」「顧客第一」「品質のトヨタ」など、トヨタを褒め称える言葉が多いのだが、これらの言葉は一体誰が言い出したのであろうか。
「販売のトヨタ」と言う言葉は一般市民から出た言葉であろうが、それ以外の褒め称える言葉は「トヨタ自信が言い出したことで、一般市民が言い出したのではない」のではないだろうか。
一部の人は「世界のトヨタ」は違うと考えるかもしれないが、これには注釈をつけるべきで、単に「販売台数が世界一」なだけで、「品質が世界一」ではないことに気をつけなくてはいけないのである。
これは中国政府がよく言う「上海は香港を抜いて中国一の国際都市になった」と言うのと同じような物で、上海・香港の両都市を知るものにとっては「上海のどこが国際都市なの?」と思うのと同じ事であろう。
そうなると「自我自賛」と言うことになり、最終的に残るのは「販売のトヨタ」だけになってしまうだろうが、私はトヨタの車を買うつもりなど全くないのでどうでも良いのだが、しばらくの間は「高みの見物」と洒落込む事にするが、この事がきっかけで「景気の二番底」が来なければ良いのだが・・・・。
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ブレーキの次はハンドル

2010年02月19日 03時48分10秒 | Weblog
少し前から一部では「次はカローラのパワステ」と言うことがささやかれていたのだが、正にその通りになってしまったようである。
前にもトヨタ車を批判する記事を書いているのだが、トヨタが表看板にしている「顧客第一」と言う言葉だが、私にしてみれば「一体どこが!」と言った感じで、「起こるべくして起きた問題」と考えている。
前にも書いているのだが、過去に勤務先の車や友人・知人の車など、20台以上のトヨタ車に乗っているのだが、毎回感じるのは「こんな車のどこがいいの?」と言う事で、乗っても楽しくないばかりか「ブレーキとハンドルに気を使う」と言うことになり、急なカーブでは何度も危険な目に合っているのです。
私個人は「マツダ」以外の車は買うつもりがなく、40年以上もマツダの車に乗っているため、どうしてもトヨタの車に乗っても同じような運転をしてしまい、結果として「危険な目に合う」と言うことになってしまうのです。
実際の話なのだが、ハイエースワゴンで前を行く友人の車(ボンゴワゴン)を追走していた時の事だが、左へ分かれる道を前の車と同じスピードで曲がろうとしたところ、前の車は何事もなく曲がって行ったのに、私が運転していたハイエースワゴン(別の友人の車)は右へ大きく傾き、危うく横転しそうになったのだが、幸いな事に対向車線に車が来ず、危うく対向車線に大きくはみ出して事なきを得たのですが、これに近い事は何度もあり、昔からトヨタの車には「ブレーキ、ハンドル、サスペンション」に大きな問題を抱えているのですが、そこは、強力な「宣伝も含む営業力」でカバーしているのです。
今に始まったことではないが「大きいことはいいことだ」と言う、言わば「大企業病」に侵されているトヨタの「真の姿が表に出てきただけ」と言ってもよいだろう。
私が50年近くに渡り見てきたことは、トヨタが表看板(建前)にしている「顧客第一」の裏に潜む「本音」は、「金儲けが第一」と言うトヨタの姿なのである。
今回起きた問題の根底にあるのは「大企業病に侵されて金儲けに走って結果」と言うことも出来るだろうが、その一方で「大男総身に知恵回りかね」と言う一面もあるだろう。
ドイツに20年余り住んでいた人から聞いた話であるが、「ドイツ人は余り宣伝文句に左右されないが、日本人は簡単に騙される」と言うのであるが、私も「全くもってそのとおり」だと思っている。
「大量に売って儲けた金を大量に広告費に回し、それで更に車を売る」と言う手法だが、その影に今回のような問題が潜んでいる事に気がつかなかったのだろうが、これぞ正しく「大男総身に知恵回りかね」ではないだろうか。
「大きいことがいいことではない」と言う見本のような話だと思うのだが・・・・。
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報道(情報)の限界

2010年02月18日 04時46分29秒 | Weblog
トヨタのリコール問題も、日本では殆ど報道されなくなってしまったのだが、アメリカでは重大な問題として取り上げられ、そのことを問題視する投書などが新聞に掲載されているのだが、これが逆の事だったらどうなるか考えたことがあるのだろうか。
それ以前に、日本でトヨタのリコール問題が報道されなくなった理由の一つに「トヨタは重要な広告主」だと言う事に気がつくべきだろう。
多くのメディアは、トヨタから多額の広告宣伝費を頂戴している「大事な顧客」であ事を考えれば、顧客に都合の悪い報道をする事は、「一つ間違えると大事な収入源を失う」と言うことにも繋がりかねず、報道には細心の注意を払わなくてはいけないのである。
一方のアメリカにしてみれば「このチャンスに自国の自動車産業を盛り返したい」と言う思惑も働くのは当然の話で、日本だって同じ事をしているのであるが、「顧客第一」をうたい文句にしているトヨタが、プリウスのブレーキ問題を「感覚(フィーリング)の違い」でかたずけようとした姿勢は「どこが顧客第一だ!」と言わざるを得ないだろう。
これは「何が何でも世界一に!」と言う焦りから来たものと考えられるのだが、「顧客第一」と言う表看板の裏に、「販売(強力な営業力で売る)のトヨタ」と言うもう一枚の看板がある事に気がつかないユーザーが育てた「偽りの世界一」なのである。
トヨタだけではないのだが、日本やアメリカの多くの自動車メーカーは、車を作っているのではなく「金儲けの道具を作っている」と言うことに気がつくべきだろうが、こんな事を報道したら「確実に収入源を失う」と言うことになってしまいのである。
これは今政治で問題になっている「企業献金」と相通ずる物があり、ネットなどで得られる情報など「何の役にも立たない」と言いたいのである。
物事には全て「裏」がある事を理解していないと、後になって「こんなはずでは・・・・」と言うことに成るので注意が必要だろう。
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崩れゆく?日本社会

2010年02月16日 03時59分06秒 | Weblog
オリンピックの選手に選ばれたある選手の服装の乱れが問題になったのだが、このことに限らず、最近の日本全体が「自由の履き違え」をしているように感じてならない。
「憲法の下で言論の自由が保障されている」などとほざく人間も数多くいるのだが、いくら自由が保障されているとは言っても「何を言ってもかまわない」と言うわけにはゆかない事は明白なように、「自由にも一定の制約がある」と言うことを忘れてはいけないだろうが、今はその制約さえあやふやになろうとしている。
さて、この制約と言うものがなくなったらどうなるかを考えてみると、身勝手な自由と身勝手な自由がぶつかり合って「収集がつかなくなる」と言うことになってしまうだろう。
これは学校の制服や校則にも言えることで、ある一定の歯止めを設けておかなければ「際限の無い乱れ」に発展する恐れが大きく、健全?な社会生活を営む上では「完全な自由など存在しない」と思わなくてはならず、「有名人(選手)だから特別扱いをする」と言う事が許されてはいけないのである。
仮の話し「有名人(選手)だから特別扱いしてもいい」と言うことになった場合でも、「何処からが有名人(選手)か?」と言う線引きの問題も起き、その線引きは難しいのが現実なのだが、有名になり人気が出てくると「俺は偉いんだ!」などと思い上がる人がいるのは残念で仕方がないのだが、そんな「精神的に幼い人」を育てるのは「ファン」だと言う事も忘れてはいけないだろう。
「実るほど、頭をたれる稲穂かな」と言う言葉も「死語」になるつつあるが、この言葉が完全に「死語」になったときは「日本社会が崩壊した」と考えるべきではないだろうか。
いくら時代が変わったとしても「社会秩序」まで全て変わってよいはずはなく、ある一定の歯止めをかける必要があるのだが、一国を代表するような存在の人(政権与党も)が模範を示せないようでは困った物だが、これも、「そのような人を選んだ人(有権者)」の存在を忘れてはいけないだろう。
何でもかんでも「他人(政府)のせいにする」と言う事は「天に唾する」と言うことと同じで、やがては我が身に降りかかってくる事を覚悟しておく必要があるだろう。
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小沢幹事長が「鳩山政権の現状を懸念する?」

2010年02月14日 03時06分52秒 | Weblog
ネットでたまたま見つけた記事なのだが、タイトルを見た瞬間「エ、エッ!?」と思わずにはいられなかったのである。
そもそも鳩山政権が発足した当初から不思議に思っていたことに、「小沢一郎は幹事長と言うポストの意味がわかっているのだろうか?」と言う事があり、「鳩山政権の現状を懸念する」と言う発言を聞くと「意味が全く理解できていない」と思わずにはいられないだろう。
このような人を何故幹事長と言う重要なポストに置くと言う選択をしたのであろうか。
本来であれば自分自身が総理の座に着きたかったのであろうが、様々な不祥事によってそれを実現する事が難しくなり、「仕方なく幹事長の座で我慢をする」と言うことが実情と考えて見れば、「仕方なく・・・・」である以上、職務を全うする事など出来ないのであろう。
ここで「幹事」と言う言葉を辞書で調べてみると、「①主となって事務を担当すること。また、その一人。②世話人、まとめ役」と出てくるのだが、それに「長」とつくのだから重要な役職である事は確かで、「鳩山政権の現状を懸念する」と言う事は、「自らの職務怠慢を棚に上げる」と言うことになることに気がつかないのだろうか。
「西松建設の献金問題」「陸山会の土地購入資金疑惑」など、数々の疑惑をもたれている人が幹事長の座に居座る民主党の姿を見ていると「醜悪」としか思えないのだが、それを支持する国民がいることのほうがもっと「不可解」でならない。
このような現状を考えれば、夏の参院選の結果など関係なく「日本の将来に希望は無い」と思わなくてはいけないだろう。
亀井静香ものんきな事を言っているのだが、彼の歳を考えれば、日本の財政事情が最悪状態に陥る頃には「政界を引退(墓の中?)している」だろうから、「俺には関係ないよ!」と思っているのだろう。
私自身もその頃まで生きているかどうか怪しい物で、「余計な心配などせず自分の事だけ考えていれば良い」と思いたいのだが・・・・。
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日本人のおかしな思考回路

2010年02月13日 04時32分46秒 | Weblog
「顧客第一」の中でも書いているのだが、「世界のトヨタ」と言う表看板に隠されてしまった「販売のトヨタ」と言うことの意味を良く考えてみると「販売のトヨタ=商売上手なトヨタ」と言うことも出来、「営業力で車を売っている」と言うことにもなり、「品質が良いから売れている」と言う考えは「錯覚」と言うことがいえるのではないだろうか。
とかく日本人が陥りやすい考え方に「沢山売れている=良い物」と言う考え方があるのだが、有名人をCMに起用するなど「視覚(錯覚)的宣伝効果」の力を借りたり、巧みな営業トークで売り上げを上げるなど、必ずしも「品質が良いから売れている」とは言いかねる物も多いだろうし、「トヨタ製のスポーツカーが無い」と言うことなどは、「営業努力でも通用しない」と言うほど「スポーツカーとしての品質」に問題がある事の表れではないだろうか。
そして、松下電器(現パナソニック)における「松下幸之助」の存在にも同じことが言えるのである。
多くの人は「松下幸之助=経営の神様」と言うことを忘れているようで、「経営の神様=金儲けの上手(商売上手)な神様」と言うことに気がついていないのである。
このような例はいたるところにあり、日本人の悪い習性として「表面的なことにばかり目が行って、本質的なことを忘れる」と言う結果に陥り、その結果として「品質より数が優先する」と言う「おかしな思考回路」が出来上がってしまうのです。
今回のトヨタの問題ばかりか、政治の世界にも同じような「おかしな思考回路」が働き、その結果として「鳩山総理・小沢幹事長の金銭問題」と言うことが表面に出てきてしまったのです。
これは私の勝手な推測ではあるが、今回の鳩山・小沢両氏にかかわる金銭問題は「民主党が政権を取らなければうやむやになっていた?」と言うことも有り得る話ではないだろうか。
別な言い方をするなら「藪をつついて蛇を出す(やぶへび)」と言うことを地で行っているようなものだと思うのだが・・・・。
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顧客第一  その②

2010年02月11日 04時19分48秒 | Weblog
昨日は少し怒りに任せて書いたのだが、ここで少し「冷徹な目」でトヨタ自動車と言う会社を見てみたいのだが、「世界のトヨタ」と言うキャッチフレーズはヨーロッパでは認知されておらず、言わば「自画自賛」の言葉と言ってよく、「販売のトヨタ」と言うほうが最も相応しいだろう。
「販売=営業」と言う図式から見れば、営業の仕事をしたことがある人には良くわかるように(私も営業の経験があるのだが)、「営業=物を売る」と言う事で、何かを売ろうとすれば必ずついて回るのが「営業トーク」で、都合の悪い部分は極力触れないようにしないと物を売ることは難しくなってしまうのである。
この結果「魅力的(都合の良い)な部分ばかり強調する」と言うことになり、「顧客第一」などと言う言葉は「有名無実」になってしまうのである。
要するに、トヨタ自動車(他の会社もだが)にとっての車とは「お金を儲けるための道具(商品)」でしかなく、「販売のトヨタ」と言うように「何が何でも売ること」が先行し、お客の気持ちなど「二の次」になりやすいのであるが、それにしても、低速事とは言え「1秒もブレーキが利かない」とは恐れ入りました。
これを「運転している人の感覚の問題」として片付けようとするトヨタの姿勢は、民主党の鳩山総理や小沢幹事長のしていることと何ら変わることが無いのではないだろうか。
ここで私が乗っているマツダの車とトヨタの車のブレーキの利き方の違いを書いてみるが、トヨタのブレーキが重いのに対し、マツダは軽く、ある位置で止まろうとブレーキを踏んでも、同じ力で踏み続けると「トヨタの車は止まりきれず衝突」と言うことになるのだが、「マツダの車はかなり手前で止まる」と言う正反対の結果になり、何度も危ない目に合っているのです。
また、足回りの弱さも問題で、その結果「スポーツカー(カッコウだけの)を作っても売れない」と言うことになり、最早「トヨタにスポーツカーは無い」と言う有様で、F1で勝てなかったのも当然の事であろう。
ところで、トヨタの社長の話も、民主党の鳩山総理や小沢幹事長の話も、どちらも「お客(有権者)の気持ちなど無視?」と言う部分が似ているのが不思議である。
今の日本は「正直者はバカを見る」と言うのが実情のようで、なんとも嫌な世の中になったものである。
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顧客第一

2010年02月10日 04時13分50秒 | Weblog
今回のトヨタ車のリコール問題で幹部たちが口にしている言葉だが、私に言わせれば「ふざけるな!」と言いたくて仕方がない。
昔勤めていた会社での話であるが、会社の車(トヨタ)を整備に出したところ、「必要以上(頼んでもいない)の整備」を勝手にしておいて余分な料金を請求し、挙句の果ては「この整備をしないと万一の時保障(クレーム)の対象になりません」とほざくのである。
そして、少し年式が古く(6年くらい)なると整備の手を抜くようで、「車の調子がよくなっていない」と言うと「この車は古いので・・・・」と言って新車を売りつけようとする始末。
今回のブレーキ問題にしても、元々トヨタの車はブレーキと足回りに弱点を抱えており(元トヨタのセールスマンの話)、「トヨタのカックンブレーキ」とか「トヨタの腰砕け」とか言われた事もある程なのですが、多くの人はトヨタの車しか乗っていないので違いがわからないのだろうが、私は「タダでやるから」と言われても乗る気はしません。
過去にトヨタ以外も含めて50台近くの車に乗っているのだが、何時乗ってもトヨタの車は「タダ豪華なだけ」と言う感じしかせず、ブレーキと足回りにはガッカリするしかないのです。
トヨタのセールスマンもある程度この事は知っているようで、時折訪れるセールスマンにこのことを指摘すると困ったような顔をする人が多く、時には素直に認める人もいるのです。
元々「販売のトヨタ」と言われていたように、「車の良さ」より「販売力」でのし上がった会社なので「顧客第一」など、所詮は「絵に書いた餅」でしかないのでしょう。
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景気回復が先か、財政再建が先か

2010年02月10日 03時35分53秒 | Weblog
非常に難しい問題だが、私は「財政再建が先」だと思っている。
しかし、財政再建を先にすると、産業界に大きな打撃を与え、ひいては雇用問題にも波及し、国民の生活も困窮する事になるのだが、ここで景気回復を優先させた場合の事も考えて見なくてはいけないだろう。
さて、国のレベルの話では余り実感がわかないだろうから、ここは一般家庭にあてはめて考えて見たいのだが、一部には「国の予算と家計は別者」と考える人もいるかもしれないが、「収入と支出」と言う面で見れば全く同じ事なのです。
それでは一般家庭で考えてみると、「多額の借金を抱えた状態で収入が減った場合」、「新たな借金をして生活レベルを維持する」か、「支出を抑えて借金を少しでも減らす」か、いずれかの方法を取る事になるのだが、多額の借金がある上に「新たな借金をする」と言う事は、ますます「借金地獄」がひどくなることを意味し、その先に待つ物は「破産」しかないであろう。
冷静に世界の情勢を考えるなら、「日本の経済回復は望み薄」と考えるべきで、「今ある債務の返済も難しい」と考えるべきで、これ以上の国債(借金)の発行は、「債務不履行への道を進む」と言うことになり、「国際的な信用度ゼロ」と言う悲惨な結果しかないのである。
「債務不履行」と言ってもピンと来ない人もいるだろうが、わかりやすく言えば「住宅ローンが返せない」「車のローンが返せない」と言うのと同じ事で、その先に待つ物は「住宅(車)を失う」と言うことしかないのであるが、「国の債務不履行」の場合は一体何を失うことになるかは私にもよくわからないのだが、「夕張市」の規模を大きくしたような物と考えればよいと思うのだが・・・・。
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