へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

さだまさし、と言う男

2007年04月29日 04時26分53秒 | Weblog
ナンとも「摩訶不思議な魅力」を持つ男である。
確か、一昨年の大晦日の深夜(時間的には年が明けているのだが)、NHKのテレビ生放送での事。
「音楽番組」と言うふれこみであった。
しかし、見ていると「音楽番組」のはずが、トークばかり。
さだまさしの歌が聴けると期待していたのに、歌は付け足しのようにほんのわずか。
その後も不定期に、生放送をしているが、やはり歌は付け足しで、歌わない事さえある。
にも拘らず、苦情は殆ど無いのでは?と思うほど。
はじめは何気なく聞いて(見て)いたのであるが、何時の間にか彼の話術の虜になっていた。
NHKらしく「真面目に不真面目」を演じているのである。
民放では「不真面目に真面目」になってしまう。
「真面目に不真面目」と「不真面目に真面目」は、「何処が違うのか?」と質問されても、説明は難しい。
多分に、さだまさしと言う男の持つ、人間性(キャラ)に負うところが大きいだろう。
本人は真面目にやっているのだろうが、傍から見るとおかしく見える、よく有る事である。
その点、私などは損である。
知らない人から見ると、「真面目で神経質で気難しい」と感じ、冗談など言わないと思われています。。
真面目と言う評価は、時と場合により大きく変わるので、必ずしも正しいとは言えません。
不真面目なところも沢山あります(自分で言うのだから、間違いありません)。
神経質、悪い意味ではなく、良い意味では当たっていると思う。
気難しい、これはかなりの誤解である。
冗談を言わない、これは全くの誤解です。
現実の私は、「かなり冗談を言っている」と言うより、時によっては、冗談だらけ。
しかし、多くは気付かないか、気付いても「エッ?」と言う感じです。
時には、ハッキリと「エッ?、冗談を言うんですか?、冗談なんて言わないと思ってた」と言う人さえいます。
何故この様な事になるのであろう?。
多分、私の性格によるところが大きいと思う。
私の性格は、基本的には「目には目を、歯には歯を」である。
そして、「筋の通らない事」は、大嫌いである。
相手が友好的であれば、私も友好的になりますが、攻撃的であれば、私は防御体制に入り、時には攻撃もします。
また、筋が通っている事であれば、少々の事には目をつぶりますが、筋が通っていないとダメです。
さだまさしの様になれれば良いのですが、なかなか難しいですね。
気心の知れた人とは、「掛け合い漫才」の様になります。
また時には、悪意を持って言われた事も、冗談として受け流す事もありますが、相手にとってはそれも面白くない事のようです。
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医は仁術か算術か?

2007年04月28日 03時43分59秒 | Weblog
医は仁術であって欲しい。
しかし、今の医療現場は算術になってしまっている。
ここで言う算術とは、かつて言われた「医者が儲けすぎる」と言うのとは意味が違う。
高齢化社会を迎えて、医療費の増加により、健康保険制度を維持する事が難しくなってきている。
本来なら、健康保険料を引き上げて対応するべきなのだが、国民の反対が多く引き上げは不可能。
その為、診療報酬の見直し、医療内容の見直し、その他様々な対応が行われている。
しかしそれでいいのだろうか?。
診療報酬の減少は、医療現場で働く人たちを追い詰めてきている。
採算(算術)を取る為には、民間企業と同じ様に、合理化をしなければならない。
合理化=人減らし、である。
これは、医療を行う側の話だけではない。
医療を受ける、我々国民にも跳ね返って来るのだ。
高齢化による医療費の増大に対して、保険料を上げなければ「質の低下」は仕方ないであろう。
少子高齢化社会になったにも拘らず、産科、小児科が減っている。
「これでは安心して子供なんて作れない」と言う言葉を耳にする。
高齢者の介護をする、介護士もなる人が減っている。
病院の看護士も、激務で離脱する人が増えているらしい。
この先どう言う事になるのやら、非常に心配である。
民間の医療保険に加入しても、肝心の医療を受けられなければ、意味が無い。
病気にならず、「ポックリ」と死ぬ方法を考える必要があるかも?。
健康保険料をケチると、そのツケがこの様な形で回ってくるのです。
何でもかんでも、合理化すれば良いと言う物でもありません。
多くの場合、合理化は「弱者の切り捨て」につながります。
健康な時は「自分は弱者にはならない」と思っていますが、いつ弱者になるかは誰にもわかりません。
健康保険料は、名前の通り「保険」なのです。
保険である以上、掛け金(保険料)によって見返り(医療内容)に差が出るのは仕方ありません。
私個人の意見としては、少子高齢化社会となった以上、「負担の増加」は避けて通る事は出来ないと思います。
「負担が増加すると、生活が出来ない」と言いますが、「別の形」で見返りがあるのだから「プラスマイナスゼロ」のはずです。
「出す物を惜しめば、返ってくる物も少ない」、当然の話です。
目先だけ見ていると、後で泣きを見る事になるのです。
何度も繰り返しますが、「風が吹くと桶屋が儲かる」と言う理論を忘れない事です。
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密かに進む「オカヤドカリ絶滅計画?」

2007年04月26日 21時50分01秒 | Weblog
「オカヤドカリオタク」の人は、販売方法や飼育方法等にいろいろとうるさい。
更には、人間による乱獲で「絶滅するのでは?」と心配する。
心配する気持ちは解るのだが、その一方で、無意識のうちに「個体減少」に手を貸してはいないだろうか?。
「何を馬鹿なことを言うんだ!」と言う声が聞こえてきそうだが、よく考えて欲しい。
以前或るブログで、プラスチックのキャップを貝殻の代わりにしていたオカヤドカリの写真を見たことがある。
この事が示すように、棲息地では、「宿替え用の貝殻」を手に入れることはかなり難しいのだある。
棲息地では、擦り減ったり、壊れたりして使えなくなるまでリサイクルされる。
しかし、人間がペットとして飼育する場合は、リサイクルされる事は無い。
更に、リサイクルされないばかりか、予備の貝殻として「死蔵」されてしまう。
そして、これらの需要に応じる為に、新たな「貝殻の採集」が行われる。
タダでさえ少ない貝殻が更に少なくなる。
入る貝殻が無ければ、オカヤドカリは生きてはゆけない。
極端な言い方をすれば、オカヤドカリの生息数は、「貝殻の数によって決まる」とも言えるのではないだろうか?。
「オカヤドカリの命を大切に」と言いながら、棲息地の「生息環境」を悪化させている。
なんとも「矛盾した話」ではないか。
物事を一時的にしか見ないと、この様な事になる。
どの様な奇麗事を並べ立てようが、所詮人間は「地球の毒」でしかないようだ。
ツケはやがて回ってくるだろう。

バイオガソリンの販売が始まるが、これとて同じこと。
原材料が成長する過程で、「二酸化炭素」を吸収するので、「プラスマイナス、ゼロ」と言うが、本当だろうか?。
製造過程で消費されるエネルギーはどうなるのであろうか?。
フランスから輸入したバイオエタノールの原料は、なんと、小麦だと言う。
価格が安いと言う事で、トウモロコシ、サトウキビが使われていたのに、小麦まで・・・。
今度は「人間の食料不足」が問題になるであろう?。
すでに「価格高騰」が始まっている。
ここでも「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う理論が当てはまるのだ。
良かれ、と思ってした事が悪い結果を招く。
日常茶飯事、なのだがね。
「臭い物には蓋」「問題は先送り」、これも日常茶飯事か・・・。

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今年もオカヤドカリの季節到来

2007年04月25日 04時24分06秒 | Weblog
暖かくなって来たので、今年もオカヤドカリが店頭で売られるようになった。
相変わらず、愛好家に不評な「パック入り」である。
ターゲットは当然の事、子供たちだから「きちんとした説明」などしても、理解してもらうのは難しいだろう。
「冬は加温が必要で、飼育は簡単ではない・・・・・」、等と説明したら、売れる物も売れなくなり、経営が成り立たない。
売られているオカヤドカリの命は、秋まで持てばよい方で、殆どはひと夏の命である。
愛好家達から見ると「可哀相だ」「命を粗末にしている」等と言う言葉が発せられるだろうが・・・・・。
オカヤドカリの命を大切にする事で「命の大切さ」を教えると言うが、本当にそうであろうか?。
現実は、それ程生易しい事ではないと思う。
あれこれ批判している人たちだって、子供の頃にどれだけ生き物の命を奪ってきた事か。
私自身も、数多くの生き物の命を奪ってきた。
人間は、いきなり大人になるわけではない。
大人の目から見れば残酷な事も、子供が成長して行く為にはどうしても通らなければならない「関門」のような気がする。
子供は好奇心が旺盛ですが、飽きるのも早いものです。
大人と同じ様に、一つの事に夢中になる子供の方がおかしいのではないでしょうか?。
オカヤドカリの命の心配をする人たちが、ゴキブリ等の命は「ないがしろ」にする。
これは明らかな差別ではないだろうか?。
自分が可愛い、綺麗だと思うものは大切にするが、それ以外のものは粗末にする。
これは、自分が気に入らない者、目障りな者に危害を加える事と同じではないだろうか?。
ゴキブリにだって生きる権利は有る筈です。
ゴキブリにとって不運な事は、人間にとって醜悪で病原菌の運び屋だと言う事です。
ゴキブリがもっと綺麗で可愛かったらどうでしょう?。
皆さんが可愛がっているペットから移される病気も少なくありません。
「差別をしてはいけない」等と言いながら、無意識のうちに差別をしている。
なんとも矛盾した話ではないだろうか?。
オカヤドカリ愛好家は、「オタク」な人が多いようなので、ナニを言っても無駄かもしれない。
様々なオタクを見ていると、自分の世界にどっぷりと浸かって、周りの意見などまるで気にならないようである。
私は、趣味が多いのだが、決してオタクにはならない。
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可哀相な男の話

2007年04月24日 03時22分34秒 | Weblog
私と同じ年の男の話だが。
定年後も一生懸命働いていたのだが、半年前に心筋梗塞で倒れた。
幸い、命は取り留めたのだが、悪い事は続くものである。
彼は私と違って、大学を卒業後同じ会社に勤め続け、課長に迄なったので、かなりの退職金をもらっている。
私は、アッサリと仕事を諦めて、老後の生活を楽しんでいるのだが、彼は、孫の為にと懸命に働き、密かに貯金をしていたのである。
しかし、これが「悲劇の元」になったのだ。
密かに貯金したはずが、何故か娘婿が知っていたのだそうだ。
かなりの蓄えがあることを知った娘婿は、働く意欲を無くしてしまい、些細な事で会社を辞め、毎日遊び暮らす様になってしまったそうである。
娘と孫は親元に戻り、離婚の話を進めているそうである。
孫の為に蓄えたお金が、とんだ悲劇を呼んだものである。
「子孫に美田を残さず」とはよく言ったものである。
私は、残したくても、残す物が無い。
むしろ、反対に息子から毎月3万の仕送りを受けている。
これは、私から求めたわけではない。
息子が始めて給料をもらった時に、「職場の上司に言われた」と言って始まったものである。
有り難く受け取ってはいるが、手は付けていない。
いざと言う時の為に蓄えている。
秋には結婚するようなので、その時にでも渡すか?、それとも、家を建てる時の頭金にでもしようか?。
我が家は「子孫に残すほどの美田」が無かった事が、結果として良かった様である。
「良かれと思ってした事が不幸を呼ぶ」。
世の中解らない物である。
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こんな所にも格差が

2007年04月22日 04時20分41秒 | Weblog
ブルーザリガニの子供たち。
偶然見つけたのだが、同時に生まれたのにも拘らず、著しい成長に差が出ているのである。
大きいものは4センチ位になっているのに、まだ1センチ位の個体が居るのである。
飼育水槽の中だから生き延びているのでだろうか?。
自然界では、「生き延びるのはかなり難しいかもしれない」、と言うより、無事に生き残れるのは、1%にも満たない極わずかである。
弱肉強食の自然界では、常に死と隣り合わせなのである。
生命力の弱いもの、病気のものなどは、自然淘汰されてしまう。
人間の目から見ると「可哀相」と思えることも、「種を維持する」為にはやむをえない事である。
「可哀相」だと思う気持ちは大切だとは思うのだが・・・?。
ある部分で「心を鬼」にしなければいけないと思う。
「可哀相」と思ってした事が、「新たな可哀相」の元になる事もあるのだ。
人類だけが、物を作り出す事が出来る。
感情と言う物も持ち合わせている。
どちらも自然界には存在しない物である。
しかし、これらの事が「人類の将来」に、大きな問題を残しつつあるのでは?。
「人類は永遠に発展する」と言う神話じみた考えがあるが、地球と言う限られた環境の中では、とても無理な事では無いだろうか?。
微妙なバランスの下で成り立っていたい地球を、人類が「破壊」しているような気がしてならない。
当然私も、その「共犯者」なのだが。
化石燃料の枯渇、地球の温暖化などの問題で、省エネが叫ばれているが、どれほどの効果が有るのであろう?。
今となっては、最早「手遅れ」では無いだろうか?。
ブログを書くようになって、益々そう感じるようになって来た。
残された手段は「延命治療」と言うところか。
目の前の問題だけに取り組み、「自分の時代」だけ何とか乗り切る。
それによって発生する「新たな問題」は次の世代に「ツケ」を回す。
温暖化問題で、バイオ燃料が注目されているが、その事により、飼料用の穀物の値段が上がってきている。
飼料の値段が上がれば、当然の結果、酪農、養豚、養鶏などの経営を圧迫する。
飼料用の穀物が値上がりすれば、当然の結果として、人間が直接口にする食用穀物も値上がりするのである。
私が常日頃口にする「風が吹くと桶屋が儲かる」とは、この事なのです。
何か新しい事をすれば、その事が「新たな問題」を引き起こし、そしてまた「新たな問題」を引き起こす、・・・・・・。
何処までこんな「下らない事」を続けるつもりだろう?。

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怪しげな電話のその後

2007年04月21日 04時23分06秒 | Weblog
なにやら怪しげな電話が来てから一週間。
結局何の音沙汰もなし。
新手のリホーム商法だろう。
「点検をします」などと言葉巧みに上がりこみ、途中から態度を豹変させる。
知識がないと、簡単に騙されてしまう。
彼らは、消費者の無知に付け込み、不安を煽り、不当な契約に持ち込む。
私の場合は、過去に不動産関係の仕事もしているので、ある程度の知識はある。
しかし、一般の人で知識を持つ人は少ないだろう。
特に価格に対しては、解らない場合が多いと思う。
その結果、2倍、3倍の金額を提示されても気が付かないのだろう。
20年程前の事、外壁をサイディングにする家が増えていた。
その当時、我が家は築13年、外壁はモルタルガン吹き。
吹き直しが必要な時期になっていた。
そこへタイミングよく、サイディングの話が舞い込んできた。
工事費用は108万だと言う。
そこで私「108万では半端だから、100万にしろ」。
業者「108万は、駆け引きナシの価格なので、値切るのなら断る」、という。
「3日、時間をもらった」と言うより、「それ以上は待たない」と言うのである。
結局頼む事にした。
理由は幾つか有る。
まず、吹き直しをする場合、足場その他で60万位かかる。
ガン吹きの場合、何度か吹き直しが必要で、2回吹き直せば、100万以上になるが、サイディングならその必要が無い。
次に最も重要な問題、外側にサイディングを貼ると、家の断熱性が良くなるので、冷暖房にかかる費用が節約出来る、と踏んだのである。
実際の話し、それまで2台必要だったストーブが、1台で十分になり、夏場のクーラーも効きが良くなったので、工事費の元は十分回収出来たと思う。
実はもう一つ理由がある。
それは、近所で工事をした話を聞くと、大体250万前後らしいと聞いていたのである。
明らかに騙されている。
工事完了の3ヶ月位あと、地元の工務店の社長と話した事がある。
社長「うちだったらもっと安く出来たのに」(108万と言う事はまだ話していない)。
私「社長のとこは幾ら位だい?」。
社長「うちなら145万くらいで出来るよ」
私「随分高いネーー、うちは108万だったよ」。
社長「・・・・・・・」、そして、呆れて立ち去る。
この様に、情報を集めておけば、「騙される危険」は少なくなる。
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昨日の続き

2007年04月20日 04時34分09秒 | Weblog
新しい発明や発見は、ある意味で「へそ曲がり」な考えをしないと出来ない。
皆と同じ考えからは、「同じ結果」しか出ないからである。
「へそ曲がり」と言うと、いかにも悪いイメージで見られがちだが、けしてその様な事はありません。
へそ曲がり、常識はずれ、どちらも「異端児」扱いされます。
しかし、研究開発部門では、重要な存在です。
以前にも書いたのですが、「常識」とはいかなる物でしょうか?。
常識とは、普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でないとともに理解力・判断力・思慮分別などを含む。と辞書ある。
しかしながら、世間一般に言われている「常識」の中には、可也いい加減なものもある。
「常識のウソ」と言うやつである。
近年、科学の力で次々と、「常識」が覆されているが、一部には、「意図的?」に流されたのではないかと思われる、「誤った常識」も見受けられる。
多くの人が「健康」に気を使うようになり、それに乗じて、金儲けをしようとする輩が居る。
様々な、健康食品、栄養補助即品等の宣伝文句には気を付けなければいけない。
「効果が有った」などという体験談を、宣伝文句に使う場合が多いが、簡単に信じない方がよい。
私の周りで数年前、ある健康食品が話題になった事がある。
私がその話を聞いた時、「チョット待てよ?」と注意したのだが、なかなか聞いてもらえなかった。
何故ならば、その話を広めたのは、地元でかなり「名の知れた人」だったからである。
「あの人がウソを言うはずが無い」と言う思い込み(一種の常識と同じ)が働いているのである。
結局は、「お金を払ってまで買って摂る必要の無い物」と言う事が解り、「名の知れた人」の信用は失墜した。
「あの人が言うのだから間違いないだろう」「あの会社の製品なら良い物だろう」
と言う思い込み(先入観)は持たない方か良いと思う。
昔は「目明き千人、メクラ千人」と言われてきたが、現代では「目明き百人、メクラ千人」の時代と一部で言われている。
一部には、陰で「目明きを相手にしては商売にならない」と言っている会社もある。
情報化社会の現代では、意図的に「自分に都合の良い情報」を、大量に流す事で、それが、アタカも「常識である」と「錯覚させる」事も出来る。
情報化社会の「落とし穴」である。
大企業は、資金に物を言わせて、大量の「自社に有利な情報」を、広告と言う形で「合法的」に流す事が出来る。
仮の話、「それ以上の良い物」が有ったとしても、資金が無ければ「闇」に消されてしまう事もある。
「格差の拡大」が問題になっているが、消費者がもっと賢くならなければ「正直者がバカを見る」と言う事になり、益々「格差の拡大」に繋がりります。
「格差の拡大」の責任の一端は、安易に情報に踊らされている「消費者」にもあるのです。
政府や行政に文句を言っても始まりません、「自分の身は自分で守る(自己責任)」と言う考えも必要です。
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「やりたい仕事が解らない」「仕事をする意味が解らない」

2007年04月17日 04時17分36秒 | Weblog
若い人の口からよく出る言葉である。
「やりたい仕事」って、どんな仕事なのだろう?。
大抵は「カッコよくて、給料が良い」と言ったところか?。
女子中高生なら「アイドルになりたい」なんて言うのも多い。
息子が中学生の時に、同級生の女の子5人に聞いた事がある。
5人のうち4人が「アイドルになりたい」と言うのである。
その時私は、アイドルになる事が、どれだけ大変かと言う事を話して聞かせたところ、「そんなに大変だとは知らなかった」と言う答えが返ってきた。
華やかな表舞台だけを見て憧れるのだろうが、アイドルも所詮は「人気稼業」だと言う事に気が付いていないのである。
運良く人気が出たとしても、その人気を維持するのは並大抵の事ではない。
多くは「日の目を見る事無く」消えてゆくのである。
現代はメディア社会と言われ、大量の情報が流されている。
しかしその情報はと言うと、殆どが「カッコよい表の部分」ばかり。
「日の当たらない影の部分」は、殆ど出てこない。
私がよく言う言葉に、「籠に乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人」と言う言葉がある。
今風に言うなら、「タクシーに乗る人、運転する人、そのまた車を作る人」と言ったところか。
車を作る人が居なければ、タクシーに乗る事は出来ない。
次々と建築されている、超高層ビル。
超高層ビルが倒れないのは、人の目に触れる事の無い地下に「シッカリとした基礎」が有るからです。
「シッカリとした基礎」が無ければ、どんなに綺麗なビルも建てる事は出来ないのです。
我々が快適な生活を送れるのも、俗に「3K」と呼ばれる仕事をしてくれる人が居るからです。
3K(汚い、キツイ、危険)と呼ばれる仕事をする人が居なかったら、どうなるでしょう。   
また、実際の話し、「自分がやりたい仕事」をしている人が、どれだけ居るでしょう?。
楽しくやりがいを持って、仕事が出来れば最高でしょうが・・・、仕事は、趣味や道楽でするものではありません。
「何の為に仕事をするのか解らない」と言って、仕事をしない人がいるが、仕事をするのに理由なんて必要ない。
人間が生きてゆく上で、毎日、水を飲み、食事をし、排泄をする。
これらの事となんら変わりがないのである。
「何の為に仕事をするのか解らない」と言うのは、「親のすねをかじって、安楽に生きたい」と言うのだろう。
怠け者の「詭弁」でしかない。
仕事は「生きてゆく為の、日々の糧」を得る為にするもので、面白くないのが当たり前。
私は常に、仕事は「日々の糧」を得る為、と割り切ってきた。
「仕事が楽しかった」、等と言う事は、記憶の何処にも無い。
仕事は、人が生きてゆく上で必要な事、理由など無用で、楽しくないのが当たり前である。
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オカヤドカリとブルーザリガニ

2007年04月16日 03時52分11秒 | Weblog
ブルーザリガニはオカヤドカリと違って成長が早い。
一週間前1センチくらいだったのが、もう2センチくらいになっている。
オカヤドカリは10年以上にわたって成長を続けるが、ザリガニは始めの1年で一気に成長する。
ブルーザリガニの寿命がどの位かは、調べた事が無いので解らない。
オカヤドカリより短いのは確かで、長くても数年ではないだろうか?。
ブルーザリガニはオカヤドカリのように臆病ではない。
私が覗き込んでも、あわてて逃げたりはしない。
むしろ、オスなどはハサミを広げて威嚇してくる事がある。
オカヤドカリではこうは行かない。
最近のオカヤドカリたちは、気温が高くなってきたにも拘らず、あまり姿を見せない。
地上に居るのは1匹か2匹。
個体識別が難しいのだが、いつも同じ個体ではないようだ。
脱皮中の個体もいると思うので、一体何匹生き延びているのか解らない。
5月始めごろに、飼育容器のリホームをする予定なので、その時までは確認不能。
全体的に見れば、1年前より大きく成長しているのは確かだが、ブルーザリガニのように顕著ではない。
ブルーザリガニは1年で一気に成長する為、頻繁に脱皮を繰り返す。
脱皮もオカヤドカリに比べると、あっと言う間に終わってしまう。
脱皮後に脱皮殻を食べるのはオカヤドカリと同じ。
観賞と言う面から見ると、オカヤドカリの方が良いと思うのだが、手がかかり過ぎるのが難点。
ブルーザリガニは低温にも強く、室内で飼育するのであればヒーターは必要ない。
餌も、市販の物で十分で、動物質の物であれば何でも良く食べてくれる。
オカヤドカリのように、個体による好みの差は殆ど無い。
オカヤドカリと違って自家繁殖も出来るのだが、残念な事に、オカヤドカリに比べて動きに魅力が無い。
「天は二物を与えず」と言うところか。

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