へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

アライグマを退治するのは「動物虐待」だろうか

2010年07月29日 03時16分58秒 | Weblog
私がアライグマを捕獲して始末した話を聞いた近所の人が「なんて可哀相な事をするのよ!」と文句を言っていたのだが、アライグマを退治したことだけを考えれば「動物虐待」と言う事も考えられるのだが、物事はそれ程単純なものではないと思っている。
私だって好き好んでアライグマの退治をしたわけではなく、それ相応の被害に悩まされた結果退治する気になっただけで、少しくらいの被害であれば我慢もしただろう。
実際の話し、アライグマやハクビシンが出没する前は、「殆んど毎日」と言ってよいほどタヌキが出没していたが、その被害は微々たる物で、退治を考えるどころか「餌付け」を試みたほどなのです。
更に考えるなら、アライグマやハクビシンが進出して来た結果として「在来種の生存が脅かされる」と言うことになり、アライグマやハクビシンを保護すると言う事は「間接的に在来種を虐待している」と言う事も言えると思うのだが・・・・。
多くの人は「自分の目の前で起きた事」ばかりに気を取られて「目に見えない部分を見ようとしない」と言う癖がある。
世界各地で活動している「動物愛護協会」なるものにしても、「自分たちが可哀相だと思う動物」だけを保護の対象としてしか考えておらず、自らが生きて行くために「毎日無数の生き物の命を奪っている」と言うことには考えが及ばないのである。
何も被害を受けていない人が「可哀相」だと思うことも理解できるのだが、重大?な被害を受けている人の事も考えて欲しいと思うのだが、残念ながらその人には「聞く耳を持たぬ」と言う事で、何を話してもムダなのである。
これは余計な事かもしれないが、私に文句を言った人は猫を飼っている人で、自分が飼っている猫が近所で悪さをしていることは「知っていながら無視をする」と言う事で有名な人で、猫を飼う人にはよくいるタイプではないだろうか。
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アライグマとハクビシンの被害に悩まされる

2010年07月28日 03時52分51秒 | Weblog
少し前までは我家の周辺にはタヌキが沢山いたのだが、10年ほど前から余り見かけなくなり、代わりにアライグマとハクビシンが姿を見せるようになっている。
始めの頃はそれ程ひどい被害も無かったのだが、5年くらい前から被害が目立ち始め、去年からは更にひどい状態になり、ついに10日前から「かごわな」を仕掛けている。
役場が無料でかごわなの貸し出しをしてくれるのを利用したのだが、賞味期限の過ぎたさつま揚げを餌にして仕掛けたところ、かごわなを仕掛けて2時間後には一匹目がかかったのである。
かかったのは「去年生まれた子?」と思われる少し小さなアライグマで、役場では「アライグマは病気を持っている可能性があるので引き取る」と言うことだったのだが、生憎わなにかかったのが金曜の夜で、翌日から土・日・月3連休で役場は休みだったのである。
仕方なくそのまま放置していたところ、月曜の朝には死んでいた。
可哀相だとは思っていても、どの道「殺処分」と言うことになるのだから仕方ない事と諦め、裏山に埋葬することにした。
その後また新しい餌を付けてわなを仕掛けたところ、2日後(水)の午後に親のアライグマがかかるのである。
昼頃出かける前に確認したときはかかっていなかったのだが、夕方6時過ぎに帰ってみるとすでに死んでおり、翌日は忙しくて時間がないため役場に引き取ってもらう事が難しく、これも裏山に埋葬したのである。
アライグマは夜行性と言われているのだが、この時は「真夏の昼間の日の当たる場所」でかかっており、強い日差しに照らされて「熱中症」になって死んだのであろう。
そしてまた翌日(木)にもまたかかるのであるが、この時はわなのセットの仕方が悪かったため、扉のストッパーがうまく働かずに逃げられてしまったのである。
これで少し警戒をしたのか月曜夕方までかからなかったのだが、今朝(火)見たところまたかかっていたのです。
今回は役場に引き取ってもらったのだが、引き渡した30分後には死んでいたと言うのだが、生きている場合は、動物病院で注射を打って殺した後「焼却処分」と言うことになり、余り気分の良いことではないが、被害のひどさを考えると「仕方ない事」だと考えざるを得ないだろう。
大人のアライグマ2匹(つがい?)と子供のアライグマ1匹を捕獲できたのだが、未だいる可能性もあり、ハクビシンもいることが確認されており、当分の間はわなを仕掛け続けなくてはいけないだろう。
無責任な人がペットとして飼いきれずに放した事でこのようなことが起きるので、アライグマにもハクビシンにも責任はないのであるが・・・・。
せめてタヌキくらいの被害であれば無視も出来るのだが・・・・。
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自分勝手な話

2010年07月24日 03時59分40秒 | Weblog
私だって人の事を言えた義理ではないが、余りにも自分勝手な話ばかりする高齢者が多くて困る。
消費税引き上げの問題にしても、「後期高齢者医療保険制度」にしても、高齢者の多くが「そんなことをしたら生活が出来なくなる」などと言うことを言うのだが、大変なのは「若い世代の方」だということを考えようともしないのである。
こんなことを突然書こうと思いたったのは、昼間かかって来た電話での話がきっかけになっている。
電話をかけてきたのは、所謂「電話セールス」で、こちらは適当に相手をしていたのに「私の話に食いついてくる」と言う事で、結局58分も長話をすることになってしまった。
その中で保険の話が出てきたのだが、私が常々思っていることを率直に話したところ、相手は「エッ!?」と言う反応を示したのである。
私も68になるのだから「立派?な高齢者の一人」なのだが、身勝手な事ばかり言う多くの高齢者に同調する事はどうしても出来ないのである。
さて、国民健康保険にしても社会保険にしても、収入によって保険料は変わっても、民間の保険会社のように「年齢で保険料が変わる(高齢になるほど高くなる)」と言うことはなく、ましてや「健康状態によっては加入できない」などと言う事も全くないのである。
小泉元総理が「郵政民営化」を進めようとした時、余りにも「民営化の良い部分」だけが強調され、「民営化されると良い事が起きる」と考える人が多くなっているのだが、その一方で「健康保険制度を民営化する」と言う話は全く出てこないのである。
何故「健康保険制度の民営化」が問題にならないかといえば、「すでに民間の保険会社があり、その内容を熟知している」と言うことが根底にあり、最も「保険制度の恩恵」を受ける人たちの殆んどが「加入できない」と言うことを知っているからである。
私だって、個人的に言えば「負担は少ないほうが良い」とは思うのだが、それがいかに「身勝手な話」だと言うことも自覚しているのです。
更に言うなら、私も含めた現在の高齢者は「後の世代にツケは残すが、自分は過去のツケを負わない」と言うことにも気が付くべきだろう。
「少子高齢化」により、これから益々「高齢化社会」になることを考えれば、「若い世代にツケを押し付ける」と言う事は「若い世代の崩壊」と言うことにつながり、「若い世代が崩壊すると高齢者は生きてゆけない」と言う事も考えなくてはいけないのだが、身勝手な事ばかり考える高齢者には「余計な話」としか写らないだろう。
「今時の若い者は・・・・」と言う言葉があるのだが、最近は「今時の年寄りは・・・・」と言う言葉も必要になってくるのではないだろうか。
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民主党大敗

2010年07月13日 04時06分04秒 | Weblog
鳩山総理が辞任した段階である程度予想が出来ていたのだが、菅新総理の「消費税増税発言」で決定的になってしまったといっても良いだろう。
前から何度も書いているのだが、選挙に勝つためには「有権者が喜ぶコマセ(寄せ餌)をまく」と言うことが必要なのだが、去年の選挙で使ったコマセ(マニフェスト)が偽物だとわかり、その上に「消費税増税」と言う鋭い針が見えては魚(有権者)が警戒するのも当たり前であろう。
そんな隙を突いたのだろう、「みんなの党」と言う、私から見るとなんとも得体の知れない政党が躍進したのだが、この結果がどう出るかは未知数であろうが、果たして理想論が何所まで通用するか・・・・。
いつもの事だが、投票する人の多くは「この人(政党)なら何かをしてくれるだろう」と言う期待感(悪い言い方をするなら、「私利私欲を満たしてくれるだろうと言う期待」)を持っている人も多いだろう。
この「何かをしてくれるだろう」と言う考え方だが、私から見れば「暗黙のうちに賄賂を要求している」と言うことになり、それに応えようとする候補者(政党)はまた「贈賄(買収)」と言うことになるのである。
「族議員」と言うものが存在するのもこの事が原因で、「自分のお金を使うと買収になるが、税金を使うと買収にならない」と言うこと事態がおかしいと思うのだが・・・・。
さて、日本人であれば誰でも、成人(20歳)になると同時に「参政権」と言うものが与えられるのだが、この「参政権」、考え方を変えると「競馬の勝ち馬投票券(馬券)」と同じではないだろうか。
参政権と馬券を同じレベルで考えるのはいささか乱暴な話だと思うだろうが、冷静に考えて見ればさしたる違いはないことに気が付くのではないだろうか。
競馬にしても「馬券が売れなければ配当はない」と言う事で、馬券の売売れた金額によって配当も変わるのだが、選挙でも同じことが言えるのである。
そもそも、国(地方もだが)が何かをしようとすると「財源」と言う問題に直面するのだが、この「財源」、我々が様々な形で納めている「税金」で賄われている事は良く知られている事だが、多くの有権者は「少しでも税金を安くしてもらいたい」と言う心理が働くのだが、これは「馬券を少ししか買わない」のと同じことで、結果として「財源不足で期待されるような事業(配当)が出来ない」と言うことになるのである。
しかし、財源不足だからといって何もしなければ「選挙でそっぽを向かれる」と言う、政治家(屋)にとっては死活問題が待っているため、「赤字国債」と言う借金をしてまでもやり繰りをして、コマセをまいてきたのであり、その結果として「大量の赤字国債」が残ったのである。
しかし、何時まで借金が出来るわけでもなく、理想論を並べ立てて政権の座に着いた民主党も、「財源不足」と言う極めて現実的な問題を前に方向転換をせざるを得ず、菅さんも思わず「消費税増税論」を口にしてしまったのだろうが、私から見ると「よくぞ言ってくれた」と褒めてやりたい気がする。
最後に言うなら、これからの日本は「ジリ貧を覚悟するべきだ」と私は思うのだが・・・・。
少なくとも私はそのつもりで「生活の質」を下げているつもりである。
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本当に選挙運動しているの?

2010年07月10日 04時39分42秒 | Weblog
2日後には投票だと言うのに、今回の参院選は異常に静かである。
通常であれば何度も耳にする「選挙カーの騒音?」も、今回の選挙では殆んど耳にした記憶がなく、他所の地域へ車で出かけても殆んど耳にしないのである。
「本気で争う気持ちがあるの?」と言いたいところではあるが、民主党にしても去年のようなマニフェストを掲げる事も出来ず、正直な話「美味しいコマセ(寄せ餌)が無い」と言うことが大きく原因しているのだろう。
菅総理がタイミングよく?「消費税問題」を口にしてしまい、民主党にしても「財源不足」と言う問題が明るみに出てしまった以上、「有権者が喜ぶマニフェスト」を前面に打ち出せずにいる。
これは自民党にも言えることで、ましてや「急造政党」など全くどうしようもないのではないだろうか。
「たちあがれ日本」など、政党を立ち上げた頃皮肉られていた「立ち枯れ」状態で、全く陰が薄きなってしまっている。
私の周辺でも選挙の話をする人は殆んどおらず、「かなり投票率が下がるのでは?」と言う懸念もある。
後は「私利私欲で向きを変える有権者」がどのような行動をとるか・・・・。
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私のブログを訪問される方々へ

2010年07月04日 03時35分35秒 | Weblog
最近著しくブログの更新が減っているにもかかわらず、毎日のように40人から50人の方が訪問してくださり感謝しています。
しかしながら、3年半余りにわたって書き続けてきた結果「新しいブログネタに事欠く」と言う状態になってしまったのです。
せっかく訪問してくださる方がいる以上「何か書かなければ・・・・」と言う気持ちは山々なのだが、何とか書き出しては見ても、数行書き進むと「これは前に書いた事と同じだ・・・・」と言うことになり、何とか書き始めても直ぐに行き詰まり、全く文章にならないのです。
百合さんのようにコメントをいただければなんとかそれを題材にすることも出来るのだが・・・・。
これは私の正直な気持ちなのだが、出来得るなら、私の更新した記事に対する「反論、疑問、質問・・・・」などを寄せていただないであろうか。
誹謗・中傷的な内容では困るのだが、それ以外であれば、たとえ反論であっても大いに結構なことで、その中から新しい考えが生まれる事だってあるでしょうから。
百合さんのような人が大勢いると良いのだが・・・・。
コメント (2)
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