へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

週刊誌の広告にこんな言葉が・・・・

2011年05月31日 04時23分44秒 | Weblog
私はこの週刊誌を読んではいないのだが、小さな文字で「東電だけを悪者にするのは無責任。日本人全体に責任がある」と言う小学6年生の言葉だけで十分である。

日頃から私がブログに書いていることと同じで、小学生でもわかることが、何故大人にはわからないのだろうか?。

実は、わからないのではなく、自分たちの責任を東電に押し付け「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいるのだ。

私はブログ以外の場でも同じことを言うのだが、反応は何時も同じで、「シカト」されるのが関の山である。

しかし、今現在大人であっても、過去には小学生の時代があり、そのころはもっと純粋な心を持っていたはずなのだが・・・・。

「朱に交われば赤くなる」と言う言葉があるように、純粋な心を持った小学生も、大人になり社会の一員になるとともに純粋な心が汚れてゆくのである。

話は少しそれるが、世論は「政治に民意が反映されていない」と言うが、実際は「民意に振舞わされた結果今の政治がある」のと同じように、福島原発の事故も「より良い快適な生活を国民が求めた結果」なのである。

私が子供の頃は無かった便利(快適)な物があふれている現在である。

そして、その多くが電力を必要とする。

電力需要はうなぎ登りで増加し、原子力発電に手を出さざるを得なくなってしまったのである。

しかし、ここで重要なことが見落とされていることに気が付くべきである。

株の投資などで使われる言葉に「ハイリスク、ハイリターン」と言う言葉があるが、原発にもこれが当てはまるのである。

「何処が?」と思われるかもしれないが「原発は発電コストが安い」と言う事を思い出して欲しいのだ。

「発電コストが安い=ハイリターン」なのである。

ハイリターンである以上「ハイリスク」でもあることを忘れているのだ。

「発電コストが安い」と言う事は、「事故が起きなければ」と言う事が前提条件で、今回はその前提条件が崩れてしまったのだ。

原発を設計した技術者にしても、東電にしても「事故は起きない」と確信していたのかもしれないが、この世の中に「絶対大丈夫」と言う事があるのだろうか。

「想定外」などとよく言われるのだが、「想定の範囲」はいったい誰が決めるのだろうか?。

これは全て決める側の思惑で決まるのだが、自然は人間の思惑など考えてはくれないのだ。

「過去に・・・・」と言う事もよく言われるのだが、「過去は過去であって、未来ではない」と言う事にも気がつくべきだろう。

「過去何万年も・・・・」と言っても、それは所詮過去の話で、「地球誕生以来初めての事」だって起きる可能性はあるのだ。

世界最高峰のエベレストにしても、インド半島が大陸に衝突した結果出来たもので、石灰石の採掘で有名な、秩父の武甲山(1,303m)だってかつては海の中だったのだから。

私の住んでいるところは更に深い海の底だったのである。

このように考えてゆくと「何が起きてもおかしくない」と考えるべきで、如何に想定の数値が意味を成さないものかわかるだろう。

しかし、こんないい加減な想定の数値がはじき出されたのも、安い電力の供給を求める国民の要求が根底にあるのだ。

「それにしても・・・・」と考える人もいるだろうが、想定の数値を高くすると「コストが上がって安い電力を供給できなくなる」と言うジレンマが起きるのである。

管政権の対応にしても同じことが言えるだろう。

「管総理は頼りない」と言うが、そんな人を総理大臣にしたのはいったい誰なのだろうか?。

民主党政権を誕生させた国民のせいではないだろうか?。

しかし、自民党政権が続いていたとしても、結果は「似たり寄ったり」ではないだろうか。

国民全体が変わる必要があるのだが・・・・。
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新聞にこんな記事が・・・・

2011年05月29日 04時23分35秒 | Weblog
東日本大震災に目が向いているが、世界のいたるところで自然災害は起きているのである。

見出しに書かれているように「生死は時の運」なのかもしれない。

そう考えると、私は「運がよい」と言えるかも・・・・。

私は運がよかったのかもしれないが、その反対の人もいるだろう。

「運も実力のうち」とも言うが、全てがそうではないだろうが、当てはまる面もなくはないだろう。

先日聞いた話だが、知り合いの知人の息子が車を運転中に津波で流されて行方不明になっているそうだが、普段から大音量で音楽を聴きながら運転しているそうなのである。

過去には、救急車のサイレンに気づかず交差点で事故を起こしたこともあるそうで、「あれでは防災無線の放送も聞こえなかったのだろう」と言っていた。

しかし、聞こえていても助からなかった人もいるだろうし、こればかりは「時の運」としか言いようがないのかもしれないが・・・・。

大分前の話ではあるが「どうして津波が来るような所に住むのだろう?」と言っていた人がいるが、この記事で見れば何処も似たようなものだろう。

アメリカでは1年に何度も竜巻の被害が発生しているが、それでも人々は住み続けているのだから。

ハリケーンにしても同じ事で、これは日本だけの話ではないのだろう。

人が何処に住むかは、「偶然や時の運」などで決まることも多く、私が今住んでいる場所を選ぶに当たっても「偶然の連鎖」のおかげなのである。

偶然の連鎖。

そもそもの始まりは、仕事で訪れたことが始まりである。

会社から車で1時間半ほどのところなのだが、車から降りたとたん「アーーーツ、空気が上手い」と感じ、「こんな所に住みたい」とも思ったのである、が・・・・。

そのときはそれだけの事であった、が・・・・。

偶然の連鎖の始まりで、1年余り後に家を出なければならない事態が発生するのである。

アパートを借りて住むつもりは毛頭なく、早速土地探しを始めるのだが、思ったような土地がなかなか見つからないのである。

ここでまた偶然の連鎖が始まるのだ。

土地探しに苦慮している中、たまたま会社に「マンションを買う頭金にしたいので土地を買って欲しい」と言う話が持ち込まれるのである。

しかし、会社が建売用の土地として買うには地形が少し悪く、社長が難色を示したのである。

そこで「私が買ってもいいですか?」と社長に聞くと、「お前ならいいだろう」と言う返事が返ってきたのである。

直ぐに売買が成立し、下職の大工に建築を依頼するのだ、が・・・・。

ここでまた偶然の連鎖である。

図面を引き、正式な契約を済ませて建築が始まるのだ、が・・・・。

建築が始まるとまもなく「第一次石油ショック」が始まるのである。

石油ショックが始まると「砂糖がない」「洗剤がない」「トイレットペーパーがない」・・・・と、正にパニック状態に陥ったのである。

建築資材も例外ではなく、建築中にも資材の値段が高騰し続け、時期が少し遅れていたら私は家を建てる事が出来なかったかもしれないのだ。

しかし、私の近所には全く反対の人もいるのだ。

バブル景気の終末期に家を買った人がいて、買って3ヵ月後にバブルがはじけるのである。

最も高い時期に買ったわけで、なんとも運の悪い人である。

別の家も候補にあったそうだが、その家は、数年前の台風による大雨で「床上浸水」の被害がでているとの事である。

そこに比べると、地震の揺れは他所と比べて少ないようだし、風水害の心配も少ないのだから、その点では幸運であろう。

今回の大地震にしても、周辺の地域が軒並み「震度5強~5弱」だと言うのに、それらの地域に囲まれた中にありながら、何故か「震度4」だったのである。

倒れてもおかしくないものが倒れず、落ちてもおかしくないものも落ちなかったのだから。
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