へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

退院はしたものの・・・・

2012年01月28日 18時17分09秒 | Weblog
退院して10日になるが、困った問題に直面している。

それは「食事」である。

当たり前の話だが、入院中は病院で作る食事を食べれば事足りたのだが、退院した現在は自分で作らなくてはならず、一人分を作るのが大変なのである。

もともと料理は出来るので作ること自体は苦にならないのだが、メニューが限られてしまうのが問題なのだ。

3ヶ月近くにわたり鼻から管を入れた栄養補給から開放されて1ヶ月。

その上に舌の半分がないのだから食べられるものは限られてしまう。

更には、限られた食材で一人分を作ると成ると「至難の業」といってよいだろう。

私の場合は何とかなるだろうと退院したのだが、人によっては退院を渋る人もいるそうである。

好き嫌いがあると更に厳しいのだが、私は好き嫌いは殆どないので何とかしのいでいるが、時には「3食続けて同じものを食べる」と言う事も起きてしまう。

単に「食べる」と言うことだけを考えれば多少は楽なのだが、栄養の偏りにも注意しなければならず、「食べる楽しみ」など何処にもないのである。

こんな状態で1日に必要なカロリーを摂取するのは困難な話で、今のところは病院で購入した「栄養ドリンク」で500カロリーを確保するようにしている。

この栄養ドリンクは病人に使う経管流動食と同じもので、栄養のバランスを考えて飲むようにしているのだが・・・・。

しかし、今では慣れたからいいのだが、飲み始めた当初は不味くて飲むのに苦労をしたものである。

主治医たちの話でも、殆どの人は「不味くて飲めない」といって飲むのを断念するそうで、私が継続して飲んでいると言うと喜んでくれた。

味は、コーヒー味とバニラ、イチゴの3種類しかなく、その中ではコーヒー味が一番飲みやすいという話で、私もコーヒー味にしている。

慣れてくると「コーヒー牛乳」のような感じになるのだが、牛乳が苦手な人には無理かもしれないが。

さて今夜は何にしようか・・・・。

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言語療法士もビックリである

2012年01月25日 23時20分26秒 | Weblog
手術の内容はすでに書いてあるので省略するが、その結果として「言葉を上手く話せない」と言う問題がおきる。

3度目の手術の前に一度試したのだが、そのときは上手く言葉を発することが出来ず、言葉として通じたのは一部にすぎなかった。

3度目の手術の10日ほどあとから言語療法士による訓練が始まるのだが、2度目の治療を受けたあと「話せるようになるのはかなり先になるだろう」と言う判断がなされたらしい。

このとき「胃ろう」の話が出ているのだが、このことは主治医たちだけが知っていて、私は知らなかったのである。

私自身もかなり悲観的な考えに成っていて、「退院は早くて2月か3月ごろ」とさえ考えていたほどなのだが・・・・。

ところが、全くの偶然の出来事から、それまで話すことが出来なかったはずの言葉が出たのである。

何しろ、1回目の手術以来80日と言うもの「筆談」でしか意思が伝えられず、常にノートとボールペンを手放すことが出来なかったのである。

出たとはいっても完全ではなく、言葉の「70%」程度しか通じないのだが、それでもそばにいた看護婦さんは涙をこぼして喜んでくれた。

私自身もビックリである。

タダ、か、き、く、け、こ、などの「か行、が行」は発音することが出来ず、電話では上手く話が通じない。

当然のこと、主治医たちもビックリで、それ以後は言語療法士の治療を受けていないのである。

それでは何故急に言葉が出るようになったのであろうか。

これはあくまでも私の推測なのだが、口から食事をとるようになったことで、それまで上手く動かなかったはずの舌が、口に食べ物が入ったことで多少とも動かそうとするようになったことが良かったのだと思っている。

言葉を発することが出来るようになるとともに食事も上手くできるようになり、今ではミキサーにかけた流動食から卒業である。

はじめは「重湯」だったものが「五分粥」になり、今では「七分粥」でも食べられるようになり、時間をかければ普通のご飯も食べられるのだが、少々時間がかかり過ぎるので断念している。

退院した事で言語療法士に会うことが出来なくなり、急速な回復振りにどんな顔をするか見ることが出来ないのが残念である。
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退院に向けた準備

2012年01月24日 18時53分18秒 | Weblog
三度目の手術が上手く行ったことで退院時期が早まったのだが、ここで新たな問題が発生する。

それは、1回目の手術後から続いている「鼻から入れたチューブによる栄養補給」である。

チューブによる栄養補給を続けていては退院もままならず、チューブをはずして口から食事ができるかが問題になるのである。

ここで問題になるのが、舌の半分を失い「食べ物を噛んで飲み込む」と言うことが出来ないことである。

手術の後遺症で唇の一部が半分麻痺したような状態になり、水を飲む事さえ困難な状態で、どうしたら口からの栄養補給ができるのだろうか。

しかし、それが出来なければ退院どころの話ではない。

そこで意を決し、12月20日頃だったか、思い切って鼻からのチューブをはずす事になるのだが、主治医たちもかなり不安だったそうである。

その1週間くらい前から水を飲む練習はしていたのだが、正直な話、流動食とはいえ「口からの補給」が出来るかどうか不安で仕方なかった。

しかし、出来なければまたチューブを入れなくては成らず、退院もままならないため必死で挑戦である。

何事もはじめは上手く行かないもので、口に入れたものの三分の二はこぼしてしまう有様で、掃除の手間を省くため「洗面台」の前に立っての食事である。

唇の一部に麻痺が残り、完全に口が閉じられない状態で流動食を口に含んで飲み込むのだから、これがナントも大変な作業で、何とか飲み込んだとしても流動食と一緒に空気も飲み込んでしまうため、たちまち胃が膨れてしまうのである。

上を向いて飲めばよいと思うかもしれないが、上を向くと気管に入ってしまう「誤嚥」と言う問題が発生し、下手をすると「肺炎」にもなりかねないのである。

自分でも胃が膨らんだのがわかるほどで、次を口に入れる気にならないほどなのです。

ですから、椅子に座って食べる事などできず、立ったままの食事になり、胃に入った空気がゲップとして出るのを待つのである。

ゲップが出てから次にかからなければならないのだから、1回の食事は1時間以上もかかってしまい、終わるとがっくりしてしまう。

更に困ったことは「言葉を話す」と言う問題である。

口からの食事が始まると同時に「言語療法士」によるリハビリも始まったのだが、これが余り芳しい状態では無いらしいのだ。

後で聞いた話によると、口からの食事はかなり困難で、体力の回復を優先するために「胃ろう(腹部に胃までの穴を開け、そこから栄養を補給する)」にしてはどうかと言う話さえ出たのだそうである。

タダ、「胃ろう」にするとなると4回目の手術が必要になるばかりか、それを修復する手術も必要になり、主治医たちは大いに悩んだそうである。

最終的には「私の回復力に期待して胃ろうにはしない」と言う結論に至ったそうである。

結果的には主治医の判断に誤りはなく、その後驚異の回復を遂げるのである。

その話は次にしよう。
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三度目の手術後に悪夢を見る

2012年01月23日 21時56分14秒 | Weblog
二度あることは三度ある、とは言うものの、よいことが三度あるならともかく、手術が三度もあるのはゴメン被りたいのだが、少しでも回復を早めるため、やむを得ず三度目の手術(今回は4時間)をすることになる。

一度ならず二度も手術をしたにもかかわらず、どうしても回復の遅い部分が出来てしまったのである。

手術をしなくても回復はするのだが、自然回復を待っていては退院がいつになるかわからないため、問題の部分の修復をすることになる。

ところが、手術の後に悪夢を見るとは誰が予想をしただろう。

この「悪夢」とは。

手術が終わって病室に戻ってからの出来事である。

本来であれば麻酔が効いていて、まだ目が醒めないはずの時間に意識が回復し始めてしまったのである。

はじめは夢の世界だと思っていたのだが、次第に夢を見ているのではないことがわかるのだが、私が意識を回復し始めていることに誰も気がついてくれないのである。

始めは夢だと思っていたものが、次第に夢ではないことがわかるのだが、私自身は必死で助けを求めているのに、6人もいた医師や看護婦は気が付かないのである。

何しろ、タンが喉に絡まって呼吸が困難に成り、声を出す事すら出来ないのである。

このまま死ぬのではないかと思った頃やっと一人が気が付いてくれたのだが、こんなに早く覚醒するとは誰も思っていなかったそうである。

後で聞いた話なのだが、麻酔に「悪い夢を見ることがある麻薬」が使われたのだそうで、そのせいで悪夢を見ることになったのであろうが、二度とこのような目にはあいたくないものである。

手術そのものは上手く行ったので、手術をしなければ3月ごろになりそうだった退院が、2ヶ月くらい早くなるのである。

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同じ穴の狢

2012年01月21日 23時37分26秒 | Weblog
自民党政権から民主党政権に移って久しいのだが、自民党にしても民主党にしても、所詮は「同じ穴の狢」である事に気付く人がどれだけいるだろうか。

野田内閣になって「消費税増税」が表舞台に上がったのだが、これに対する自民党の対応がふざけている。

もともとは自分たちが主張していた事で、本来であれば、野田首相の意見に賛同してもおかしくないはずが、「ああだ、こうだ」と難癖をつけて邪魔をしている。

これは一体何を意味しているのであろうか。

単純に考えると「国民(有権者)の利益になることをしている」と見る人もいるだろうが、本音は「何とかして民主党から政権を奪い返したい」と言うだけのもので、本当の意味で国民の事を考えてなどいないのだ。

このように、立場が変わると言う事が変わるのは珍しい話ではなく、極当たり前の事なのだが・・・・。

しかし、何故このような事になるのだろうか。

それは、国民の多くが「税金を払いたくない」と考えている事が原因なので、選挙の人気取り(票集め)でしかないのだ。。

私だって、正直な話、払わずに済むなら払いたくはないのだが、国の借金である国債の発行額が一千兆円(国民一人当たり八百万円)にも成り、更に増加することは間違いない状態では「払いたくない」などとは言っていられないのだ。

だが、私が入院中に他の患者さんたちの話を聞くところによると、「国債は国の借金であって、私たちに関係ないのでは?」と言う人さえいるのである。

それ以外でも、ロビーには、朝日、読売、毎日新聞に、スポーツ新聞が置いてあるのだが、スポーツ新聞しか読まない人も結構いるのだ。

他の新聞を手に取る人でも、テレビ欄と三面記事以外には興味を示さない人もいる。

テレビを見るのも同じようなもので、ニュースを全く無視する人が多いのだから困ってしまう。

これでは日本がどのような状態に置かれているか知る由も無く、その結果として、当選するための票集めに終始する議員ばかりが大手を振るってまかり通る事になるのである。

要するに、政治が悪いのではなく「票集め(民意)ばかり気にする議員を選んだ有権者が悪い」と言うことなのである。

民意を尊重することが悪いと言うわけではないが、今の状態は「政治が民意に振り回されている」と言うしかないだろう。

「尊重」ではなく「振り回される」ではお話にならない。



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耐性菌に感染する

2012年01月20日 12時01分36秒 | Weblog
1度目の手術は何とか無事に終わったのだが、その後私が暴れた事も原因に成ったようで、切除した舌を補うために移植した大胸筋が上手く定着せず、それを修復するための手術をすることになるのである。

私は全く覚えていないのだが、手術をしたことによって付けられた何本ものチューブを取ろうとして暴れたらしいのだ。

再手術は1回目の手術から僅か2週間余り後の事である。

2回目の手術は6時間で、このときも手術後の記憶は曖昧で、記憶がハッキリするのは手術の2日後の事である。

しかし・・・・。

手術のあとの細菌検査で「耐性菌」に感染していることが判明し、急遽、隔離病室に移動である。

一応「移動」とは書いたのだが、悪い言い方をすれば「座敷牢」に閉じ込められたのと同じで、3週間近く病室から出る事ができなかったのであるが、感染源は特定できず、「院内感染」もなかったのである。

このようなわけで、耐性菌の感染から開放されるまでは38度から39度の発熱も珍しくなかったのだが、このこと自体は苦にはならなかったが、看護婦さんたちはかなりハラハラしたそうである。

何しろ、普通の患者であればダウンしているような状態でも、起きて部屋の中を動いていたのだから。

しかし、体重だけは大幅に減少するのである。

入院したときの体重は58キロ余りだったのだが、1ヵ月後には52キロ台にまで減ってしまうのである。

私自身はひそかに「シメタ」と思っていたのだが、主治医たちはかなり心配だったらしい。

それでも、当の本人が元気に動き回っているので「大丈夫だろう」と言う判断をしたそうである。

今現在は51キロ台で、153センチの身長を考えれば「適正体重」といえないだろうか。

体脂肪も「22%が18%」になり、それにつれて内臓脂肪も減少し、以前は「タヌキの置物」だとか言われていたお腹は見る影も無いのである。

更に、体重が大幅に減った事で動くのは非常に楽になり、無理してはいていたズボンも楽にはけるのである。
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書きたいことは山ほどあるが・・・・

2012年01月20日 12時01分27秒 | Weblog
100日余りの入院生活の中では様々な事件も起きたが、今考えると「夢物語」のように感じて成らない。

1回目の手術は8時間にも及ぶものだったのだが、全身麻酔のため、当の本人には何の記憶もない。

手術中の記憶が無いのは当然の話だが、終わって麻酔が覚めてからの記憶どころか、その後の2日間の記憶さえ無いのである。

あとから聞かされた話によると、かなり暴れたらしいのだが、その記憶は全く無いのだ。

しかし・・・・。

その後の1週間は地獄に突き落とされたような苦しみを味わう事になったのである。

苦しみの正体とは「眠れない」と言うことである。

痛みは薬で抑えられているので問題は無かったのだが、とにかく眠れないのである。

睡眠薬を処方されたのだが、それが殆ど効かないのだ。

薬を飲んだ(正確には、鼻から入れられたチューブを通してだが)直後の1時間くらいは眠れるのだが、その後直ぐに目が醒めてしまうのである。

その後はなかなか眠れず、眠ったと思っても直ぐに目が醒め、時計を見ると1分か2分しか経っていないのである。

これが一晩中続くのだから地獄である。

原因はハッキリしているのだが、それを医師たちに伝えることが難しいのだ。

何しろ、舌の半分を失い、筆談でしか意思を伝えられず、なかなか上手く伝わらなかったのだ。

その原因とは。

手術で出来た傷跡から出る膿や浸出液が喉につまり、呼吸が出来なくなってしまうのである。

一応吸引はしてくれるのだが、厄介な事に、目が醒めているときはそれほど問題にならないのに、眠るととたんに悪さをするのである。

昼間は看護婦さんたちも大勢いてまめに気を使ってくれるから良いのだが、夜間は人数が減り、どうしても対応が遅くなってしまうのである。

これが1週間も続くと精神的にも参ってしまい、「これなら死んだほうがまし」とさえ思ったほどである。

その後も同じような状態が続き、1分が2分になり、5分10分と少しずつ時間は延びていったのだが、1時間くらい続けて眠れるように成るのに2ヶ月以上もかかるのである。

今でもその名残は残っていて、日に何回かはそれを洗い流さなくてはいけないのだが、夜はかなり眠れるようにはなっている。

次は「耐性菌」に感染した話を書いてみる。
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地獄からの復活です

2012年01月19日 12時17分19秒 | Weblog
100日余りのお休みでしたが、何とか復活することが出来ました。

ブログを休む事になったのは、舌に出来た潰瘍(癌の一種)を摘出するする手術を受けるためで、当初はもっと早く復活できると予想していたのですが、東日本大震災ではないが「想定外」の事態が起き、1回で済むはずの手術が「2ヶ月で3回」と言う結果になってしまったのです。

取り合えず腫瘍の摘出は上手く言ったのだが、再発予防のための抗がん剤の治療はしています。

その後には「予防的な意味の放射線治療」も待っており、気の休まる暇はありません。

とりあえずは「結果報告」と言った感じで書きますが、閲覧してくださる方の多さに驚いています。

1日平均で「50人」ほどの方がコンスタントに訪れてくださる事には驚きです。

「一桁」になっていると思っていたので・・・・。
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