へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

再び大河ドラマ「篤姫」

2008年10月31日 02時39分35秒 | Weblog
最近の視聴率には一時の勢いがなくなっているのだが、当然の結果ではないだろうか・・・・。
「宮崎あおいの演技力が過大評価されている」と言うことを以前書いているのだが、私の知り合いで、普段殆んどNHKを見ないのを、週刊誌などで「宮崎あおいの演技力・・・・」などと言う記事を見て見るようになったのだが、その人が私と殆んど同じことを言っているのである。
そして、その人は「タイトルが篤姫だから、一応宮崎あおいが主演と言うことにはなるのだが、冷静に見ていると脇役のような感じがする」と言うのだが、確かに言い得て妙である。
確かにドラマの中心は篤姫なのだが、宮崎あおいが始めから出ていたわけではなく、3月頃までは子役が出ていたのだし、その頃すでにそこそこの視聴率を稼いでいたのだから「宮崎あおいの演技力」と言うのは少し無理があると思うのだが、「高い視聴率の理由付け」に「宮崎あおいの演技力」を持ってきたのではないだろうか・・・・。
良くあるところの「後から理由をこじつける」と言う事で、メディアが取り上げたことで、それまで見ていなかった人が見るようになり視聴率が押し上げられてきたのだろうが、どうやら付け焼刃がはがれてきたのではないだろうか・・・・。
ただここで誤解をされては困るのだが、けして「宮崎あおいはヘタだ」などと言う気は毛頭ないのだが、余りにもメディアが「宮崎あおいの演技力」にばかり触れているので反発したくなってしまうのである。
私が反発したくなる理由は「1月28日の私のブログ」を見てもらえばわかると思うのだが、ともかく「主役の演技がどうの・・・・」と言うより「主役以外がドラマを盛り上げている」と言うべきだろう。
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円高株安に歯止めが掛からない

2008年10月28日 03時08分40秒 | Weblog
かなり以前から「いずれ景気は悪くなる」と言っていたのだが、これほどまで急に悪くなるとは予想していなかった。
インターネットが発達して、さまざまな情報が瞬時に世界中を飛び回るため、どこかで悪い状態が起きるとドミノ倒し(日本風に言えば、将棋倒し)のごとく世界中に広まってしまう。
今回の「世界同時株安」の切っ掛けは、アメリカのサブプライムローン問題に端を発しているのだが、私は「中国が震源になるのでは?」と予想していたので対応が後手に回ってしまい、持久戦で耐えるしかないだろう。
資産を投資に回して生活の足しにしている人にとっては大変な問題なのだが、「まさかこんなに下がるとは思っても見なかった」と言う人が多いのだが、投資にはこのようなリスク(危険)が伴うのは仕方のないことで、それが嫌なら「元本保証」の国債や定期預金などにすればよいのである。
「利息が安い」からと敬遠されるのだが、今回のようなときには「元本保証」の有り難さが身にしみるのであるが、この先どのような展開が待っているのであろうか・・・・。
「世界恐慌直前」などと言う人が居る一方で「円高のメリットを生かして海外旅行へ」と言う、なんともうらやましい人も中にはいるのであるが、日本の円にそんなに値打ちがあるとは思えないのだが、なんとも不思議なものである。
さて、株の値下がりばかりが問題になっているようなのだが、下がったのは株ばかりではなく、原油・大豆なども値下がりをしており、一時期「レギュラーガソリンが1リットル200円になるかも」と言われていたのだが、今では140円を切るところも出てきている。
原油の価格が何処まで下がるか不透明なのだが、下がれば下がるほど「バイオエタノール」の生産に影響が出るだろうから、当然の結果として「原料として使われる穀物の価格も下がる」と言うことになり、今まで値上がりを続けていた食料品の価格も上げ止まっており、一部では値下がりをはじめているのだが、原油価格の下落は中東の産油国にとっても大きな痛手になるのではないだろうか・・・・。
つい最近発表された「1000メートルを超えるビル」の建設計画にしても、その建設資金は「高騰したオイルマネー」を当てにしているのだろうから、これだけ原油価格が値下がりしては実現は難しいのではないだろうか・・・・。
1000メートルを超えるビルの建設計画が発表された後に、「日本では2000メートルや、富士山の高さを超える4000メートルのビルを立てる構想があった」などと言う新聞記事があったのだが、そんなものを作ってどうしようと言うのだろうか・・・・。
人間の欲にはキリがないので困ったものである。
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KY(空気が読めない)

2008年10月27日 03時11分40秒 | Weblog
最近「あいつはKYだ」などと言う言葉が盛んに使われるのだが、何故このような言葉が使われるようになったのであろうか・・・・。
それを特徴付けるような現場に昨日遭遇した。
私があるお店の駐車場に車を止めたところ、数メートル離れたところで何人かの女子高生が言い争いをはじめたので「何事?」と思わず聞いてしまったのだが、話の内容は「一人の子を除く他の全員で遊ぶ予定のところに、その一人の子が何時までも付いてきた」と言うことが原因らしいのだが、そのことに対してリーダー格の女の子(A)が「オメー空気ヨメネーのかよ!」と言っているのだが、その一人の子(B)は「始めに、今日は一日遊べるよね!って聞いたじゃない」と言っているのだが、それに対する反応はなかったらしい。
そしてまた別な子(C)は「あんたは参加しないって言ったんじゃないの?」とも言っているのだが、Bは「そんな話聞いてないよ」と言うことになり、どうやらAがBに話をするのを忘れたことが原因だったようで、その場は何とか丸く収まったようなのだが、私も含めて、過去に「空気を読めよ!」と言われた場面を思い出すと、「全てがこれと同じ」と言って良いほどよく似ており、「空気を読めよ!」と言う側に「情報の発信不足」または「相手側の発信した情報を聞いていない」と言う落ち度が存在しているのだが、多くの場合「置かれた立場・雰囲気」などにより、「言われた側が悪者」にされてしまうことが多いのだが、「空気を読めよ!」と言う人の多くは「独善的または上位な人」が多く、言われた側は黙って引き下がるしかなくなってしまうのだが、昨日の女子高生たちの場合は「対等に近い立場」だったことが良かったのだろうが、私の場合は「相手に空気を読ませる」などと言うことは良くないことだと思うのだが・・・・。
「情報化社会」などと言われているのだが、現実には「無駄な情報ばかりで、必要な時に必要な情報が得られない」と言うことの方が多く、時には、折角顔を会わせたのに「後でメールで送るよ」などと言って、その後何時まで経ってもメールが来ず「メールどうしたの?」と送ると「悪い!忘れてた」で済まされることも珍しくない。
私などはメールが嫌いなので、「書面と口頭」又は、会った時に口頭で概略を話しておき、その後「書面かメール」と言うように、出来る限り二通りの方法で相手に伝えるようにしているのだが、最近は「口頭で伝えると言うことが少なくなった」と言うより、「無視」されているように感じてならないのだが・・・・。
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救急患者の「たらいまわし」問題について

2008年10月26日 04時28分47秒 | Weblog
今回も脳内出血を起こした妊婦の受け入れ先が見つからず命を失ったことが問題になっているのだが、過去の同じような事例を思い出しても、報道されるさまざまな意見は「その殆んど」が核心に触れない部分で終わっている。
更には「受け入れを拒否した医療機関の責任の追求」と言うことだけに重点を置いているように感じてならないのだが、それでは永久にこの問題の解決は望めないであろう。
受け入れを断った医療機関が決まって口にする言葉に「医師不足」と言うことがあるのだが、「何故に医師不足が起きるのか」が問題にされることは極めて少なく、NHKが時折放送することもあるのだが、こちらも毎回のように核心部分がぼかされて終わってしまう。
それでは何故この様な事が起きるのであろうか・・・・。
答えは至って簡単なのだが、公の立場にいる人が口にすることはかなりの覚悟が必要で、一般市民からの「猛烈なバッシング」を覚悟しなくてはいけないだろう。
私の場合はバッシングを気にする必要がないので書けるのだが、問題を解決するための答えは「健康保険税の大幅な引き上げ」以外にはないのである。
「これ以上健康保険税が増えたら生きて行けない」と言う意見が大半だろうが、今の税額を維持しようとするならば「いざと言うときの命の保障はアキラメロ」と言うしかないだろう。
命の値段は年々高騰していると言うのに「保険料負担は減少」では、計算が合わなくなるのは当然の結果である。
「後期高齢者医療制度」にも大きな批判が出ているのだが、「国民皆保険」と言う理想の元で出来た「政府管掌健康保険制度」だが、時代が変わると共に「高度な医療」が増加して、「その分余計に医療費が掛かるようになっているので仕方のないこと」と言うより「もっと取るべきだ!」と私は思っている。
かなりきつい言い方になってしまったが、民間の保険会社に入ることを考えれば安いものだと思うのだが・・・・。
そもそも、民間の医療保険は「後期高齢者は入れない」か「入れても保険料が高い」と言うことになるのだが、「政府管掌健康保険でまかなえない部分を補う」と言う程度の保障内容でもこのレベルなのであるが、「全てを賄う」と言うことになったら一体何倍になるのであろうか・・・・。
更に問題にしなければならないことがあるのだが、これもまた迂闊には口に出来ないことなのである。
その問題とは、政府管掌健康保険には「加齢による増額」もなければ「健康状態による加入拒否」もないと言うことで「病気になっている人でも入れる」と言うことある。
政府管掌健康保険が出来た当時は「後期高齢者」などと言う言葉も存在せず、60になれば「還暦祝い」などが盛んな行われていたのだが、今の時代では66の私でさえ年寄りとしては扱われなくなり、昔は60でもらえた「敬老祝い金」も、今では77にならないともらえないそうで、私が77になる11年後には多分もらえなくなってしまうだろう。
民間の保険会社は「社会状況の変化」に合わせて保険料を決めているので成り立つのだが、政府管掌健康保険制度では「社会状況の変化」と言う事は念頭にはなく、社会状況の変化に対応していないのである。
本来、「医療報酬の財源の多くを、働く若い労働者に負担させる」と言う事で成り立っていたものが、「若者が減り、高齢者が増え、更には医療機器・技術の発達」と言う、現状の保険制度にとってマイナス要因ばかりが出てきているのだが、政府かこの問題に取り組むためには「ネズミ(政府)がネコ(有権者=票)の首に鈴(保険料の引き上げ)をつける」のと同じ事で、とても出来る相談ではないだろう。
ドサクサにまぎれて決まった「後期高齢者保険制度」でさえ難航しているのだから・・・・。
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予想外の節電

2008年10月24日 11時27分04秒 | Weblog
ブログの更新をせずにいて、多く?の人にご心配をかけてしまったようで申し訳ない。
昨日まではパソコンを開いても「ブログに書き込みをする気にもならない」と言うくらいの倦怠感があったのだが、今日は大分良くなってきてはいるのだが、キーの打ち間違いが多いので大変である。

本題の「予想外の節電」なのだが、今月の検針票を見てビックリ!である。
8月の終わりに新しいテレビを買ったことは前に書いているのだが、新しいテレビの消費電力が40%も多いことを考えると、少々テレビを見る時間を減らしたとしても「良くて前年と同じで、悪ければ増加」と思っていたのだが、ナント、去年は31日で308kW(1日10kW弱)だったものが、今年は30日で269kW(1日9kW弱)にまで減っているのである。
1日1kWを節電するためには、古いテレビであれば9時間、新しいテレビでも6時間以上見ないようにしなければこれだけの節電は難しい。
これは「殆んどテレビを見ない」と言うのと同じなので、「出来るだけテレビを見ない」と言うだけの効果ではないようである。
「それでは何でだろう?」と考えて見たのだが、思い当たるふしがない。
日々の小さな積み重ねがこのような結果を生んだのだろうが、「我ながらビックリ!」である。
それにしても「慣れる」と言うことは恐ろしいもので、初めの頃は「特に見たい番組以外は見ない」ということに多少の違和感もあったのだが、今では「殆んど抵抗がない」と言うより、今まで「なんでこれほどまでにテレビに依存していたのであろうか・・・・」と言う気持ちの方が強くなってきているから不思議である。
私自身は「殆んど民放は見ない」と言うタイプなのだが、それでもこのように感じるのだから困ったものである。
「民放だっていい番組をやっている!」と言うご意見もあるだろうが、強いて「やっていない」と言う気はないのだが、そのような番組に出会う確率は低く「無駄な時間の浪費」でしかないだろうが、その一方で「私のような考えの人ばかりになると景気が閉塞してしまう」と言う問題も起きてしまう。
これも「諸刃の刃」と同じことで、「何かをすれば必ず何かの反作用が起きる」と言うことを覚悟するべきで、現在の世界経済の置かれた状況を考えれば「安易な経済対策は逆効果」と考えるべきだと思うのだが・・・・。
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軽でリッター11キロ?

2008年10月17日 03時30分08秒 | Weblog
ある人がガソリンの高騰にねを上げて、8月に1800CCの車から軽に買い換えたのだが、予想外に燃費が悪いので困っていると言う。
1800のときの燃費が9キロくらいだったので、「少なくとも15キロくらいは走ってくれるのでは・・・・」と期待していたのだそうであるが、
昔は「軽は燃費が良い」と言われていたのだが、最近は事情が変わって「軽より燃費の良い小型車」も増えている。
それでは何故「リッター11キロ」などと言うことが起きるのであろうか?。
詳しく話を聞くと「なるほど!」と思わざるを得ない。
その人の車は、車重が1トンを超える(私の乗っている1500の車と殆んど同じ)ため「ターボ付でないと・・・・」と言われてターボ付を買ったのだが、家族4人で乗ることが多いためターボが付いていても「力不足」になってしまい、どうしてもアクセルを余計に踏んでしまうのだと言う。
アクセルを余計に踏めば、当然ガソリンの消費が多くなり燃費が悪くなってしまうのであるが、それにしても「軽でリッター11キロ」とは・・・・。
1トンを超える車重に家族4人が乗ると言うことは「軽の660CCのエンジンで走ること自体に無理がある」と言うことなのだろう。
私の車は1500CCで「リッター16から17キロ」と言うのは前にも書いているのだが、私以外の人が運転すると2キロ近く燃費が悪くなってしまい、14キロ台に落ちてしまうのである。
運転の仕方は人それぞれなので「運転する人が変わると燃費も変わる」と言うのは当然なのだが、同じ車で2キロ近くも違ってしまう原因は何処にあるのだろうか・・・・。
その原因は、私が「徹底した省エネ運転をしている」と言うことにある。
「徹底した省エネ運転?」とは、「可能な限りブレーキを使わない」と言う事で、エンジンブレーキも「必要最低限」しか使わず、山道などの急な下り坂以外はギアーをニュートラルにして惰性で走るのである。
ギアーを入れたまま走ると、下り坂でもアクセルを踏まなければエンジンブレーキがかかり減速してしまうためアクセルを踏まなければならないのだが、ギアーを抜いてしまえばエンジンはアイドリング状態になりガソリンを食わなくなってしまうのである。
エンジンを止めてしまえばもっと良いのだろうが、切り方が悪いと「ハンドルがロックされる危険」や、「ハンドルやブレーキが重くなる」と言う問題があるのでやめた方が良いだろう。
私が運転してきた限りでは、一般道の殆んどの下り坂では「スピードが出すぎる」と言うことはなく、2キロ以上の坂をノーブレーキで走ることも珍しくない。
私の車はマニュアルなのでこの様な事が可能なのだが、オートマの場合もギアーをニュートラルにして同じことが起きるかはわからない。
どなたか実験してみてはどうだろうか・・・・。
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ノーベル賞を一度に4人も受賞したのに

2008年10月10日 20時20分42秒 | Weblog
6年前の小泉政権時代に、小柴、田中両氏が受賞して大騒ぎしたのとは対照的に、今回は4人も受賞したにもかかわらず反応が少ない。
麻生総理にしても、もう少しはしゃぐかと思ったのだが、意外に静かである。
「性格の違い」と言うこともあるのだろうが、「今はそんな事くらいではしゃいでいるわけには行かない」と言う追い詰められた状態もあるのだろう。
前回の記事で「現状でヘタな景気対策をすると、利益が海外に流出する恐れがある」と書いたのだが、ここまで追い詰められた状態では「前門のトラ、後門の狼」と同じで、無傷で脱出することは無理な相談で、かといってジッとしていてもジリ貧になるだけである。
つまり「何をしてもダメ」と言う八方塞の状態なのである。
ここで話が少し横道にそれるのだが、就職戦線も今年の春までは「学生側の売り手市場」であったのだが、このままで行けば、来年は「企業側の買い手市場」に変化してしまうどころか、「売り手市場で入社した人のリストラ」と言うことも起きてくるであろう。
わずか半年で「流れが逆に変わる」と言う大きな変化を誰が予想したであろうか・・・・。
数年前にあった「就職氷河期(このために私も仕事をあきらめてリタイヤしたのだが)」が再びやってくるのである。
私が生まれる前の話ではあるが、昭和の大恐慌のときに言われた「大学は出たけれど(当時、大学に行ける人は極わずかだったはずだが)・・・・」と言うことが起きても不思議はないだろう。
当然の話ではあるが、一度失業したら「再就職は無理」と言うことも考えなくてはいけないだろうから、「使用者側の無理な要求」も増え「ワーキングプア」の増加は避けられないだろう。
「先行き不透明」と言われているのだが、不透明と言うより「闇」と考えるべきで、この先何が起きるかなど誰にもわからないのだから、「自分の身は自分で守る」と言う意識が重要だと思うのだが・・・・。
「麻生総理が何とかしてくれるのでは・・・・」とか、「民主党なら何とかしてくれるだろう・・・」などと言う楽観的な考えは捨てるべきで、「誰がナニをしようが悪いほうにしか変わらない」と考える方が気が楽だと思うのだが(私の個人的考えだが)・・・・。
かつて「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引く」と言われたように、日本は弱い立場にあるのだから、「日本だけが景気回復」などと言うことはとても無理な話で、しばらくは「世界的な金融恐慌の荒波」に翻弄されるであろうし、荒波が去ったとしても「その後かたずけ」がまた大変なことなのであるが、こんなことは私が言うまでもなく、国会議員はおろか、専門家・有識者ならわかっていることだと思うのだが、国会議員は「選挙」を、専門家・有識者は「世論を敵に回すと仕事の依頼が来なくなる」と言うことがあるので黙っているのである。
世の中など、所詮は「その程度」なのだが・・・・。

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日本の実力

2008年10月07日 03時29分26秒 | Weblog
世界同時株安のさなか、与党・野党共に「景気対策」と言うことで有権者の気を引こうとしているのだが、世界的な規模で「景気後退」が進んでいる中で一体何をしようとしているのだろうか?。
日本だけが「株安・景気後退」であれば対応のしようもあるかもしれないが、世界的規模の潮流の変化をどのように考えているのであろうか?。
世界に対する人口比率ではかろうじて2%を占めてはいるのだが、国土の面積、資源の量、経済力、政治的影響力などはまったく問題にならないレベルなのに、何故にこの事に気が付かないのであろうか?・・・・。
原因ははっきりしている、昔からの「島国根性」が抜けないのである。
四方を海に囲まれた島国の宿命と言えるかもしれないのだが、まさに「井の中の蛙大海を知らず」なのである。
日本人の中にも海外旅行をした人がかなりいると思うのだが、その内容は「単なる観光旅行」がほとんどで、「国際化」と言うことにはほとんど役に立っていない。
しかしながら、このような日本と言う国が出来上がった責任は誰にあるのであろうか?。
「国民ではなく政治が悪い」と言う意見が多いかもしれないが、私に言わせれば「どっちもどっち」と言うことになってしまうのだが、「政治が悪いから国民も悪くなった」のか、「国民が悪いから政治も悪くなった」のかは、「卵が先か、鶏が先か」「需要が先か、供給が先か」などと言うことと同じなのだが、私の考えでは「国民と卵と需要」が先だと思っている。
多くの国民が「景気の回復を!」と言うことを望んでいるから「与野党共に景気対策に力点をおく」と言うことになってしまうのである。
私が何故このようなことを書くのか?。
その理由は、「現状でヘタに景気対策をすると、利益が海外に流出する恐れがある」と言う事で、「後にツケだけが残る」と言うことになることが心配なのである。
世界を相手に無駄な抵抗をして体力を消耗させるより、「じっと我慢の子」で嵐が去るのを待つ方が賢いやり方だと思うのだが・・・・。
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追加の経済対策

2008年10月02日 04時12分43秒 | Weblog
麻生内閣によると「世論は解散より景気」だと言うことで、追加の経済対策に積極的なようだが、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した「世界的な金融恐慌」のさなかに、いったい何をしようと言うのだろうか?。
「政治に民意が反映されていない」などと言われているが、「追加の経済対策」など、民意がそれを求めているからに他ならず、れっきとした「民意の反映」と言わざるを得ないだろうが、一般市民的な考え方から見れば「自分たちに都合の良い結果が伴わなければ民意の反映とは言えない」と言うのが正直な話であろう。
自分勝手で欲張りな人たちの言う「自分たちに都合の良い結果」とはいったい何なのであろうか?・・・・。
非常に残念な話ではあるが、多くの日本人は「戦後何故に日本経済が発展できたか?」と言うことを冷静に考えたことが無いだろう。
敗戦後の「何も無かった」と言ってよい状態から、「もの余り」と言われるような社会になるには、「外需(輸出)」と言うものが大きな役割を果たしてきたのだが、いまや韓国、中国などにその座を奪われかねない状態になり、金融恐慌が追い討ちをかけようとしているのだ。
外需(朝鮮戦争のときの戦争特需も含む)によって日本の産業が発展したことが内需を活発化させ、次々と新しい製品(三種の神器など)を求めることによって、更に「新しい需要が起きる」と言う良い循環が出来、所得水準も上がったのだが、「好事魔多し」と言うように、所得水準が上がったことにより製品価格も上昇してしまい、韓国、中国など低賃金の国の製品との「価格競争」に脅かされるようになってしまい、頼みの外需に期待できない状態で「追加の経済対策」など「無謀な策」と言いたいのだが・・・・。
「世界恐慌」と言っても良い状態の中で「日本だけは・・・・」などと言う過度の期待を抱くことは非常に危険だと思うのだが・・・・。
世界的に見れば、日本の存在など微々たる物で、ドンキホーテが風車に立ち向かうようなものではないだろうか?。
また別な言い方をすれば「荒れた海へ小船で乗り出す」と言うようなもので、遭難するのは目に見えたことで、嵐が過ぎるまでじっと港で待つのが良いと思うのだが、それを可能にするのも「民意しだい」と言うことになるのだが・・・・。
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