へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

気休めの党首討論

2008年11月29日 03時53分25秒 | Weblog
麻生総理と民主党の小沢代表による党首討論が実現したのだが、その内容は「お粗末」と言うしかないだろう。
初めから予想されていたことではあるが、こんな下らない党首討論をすることに何の意味があるのだろうか?。
一部には「何らかの成果があるのではないか」と期待する人もいるようであるが、一体どの様な成果を期待しているのであろうか?。
結論から言ってしまえば「自分に都合のよいこと」を期待しているのだろうが、そうは問屋が卸すわけがない。
国民が「自分に都合のよいこと」を期待するのと同じように、各政党も同じように「自分たちに都合のよいこと(党利党略で、言い換えれば、私利私欲)」しか考えていない「同じ穴の狢」なのである。
自民党に期待する人、民主党に期待する人、その他の政党に期待する人、・・・・と、様々な人がいるのだが、冷静に考えてみてほしいのは「どの政党がどんな政策を発表したとしても、その財源はすべて税金で賄われる」と言うことである。
麻生総理による「定額給付金の支給」が始まろうとしているのだが、その一方で「景気後退により来年度の税収が不足した場合は赤字国債の発行も止むを得ない」と言う発言もしているのだが、「赤字国債を発行するくらいなら定額給付をやめろ!」と私は言いたい。
以前にも書いているのだが、今現在でも「国と地方を合わせて1000兆円」とも言われる負債を抱えているのだが、この利払いにどれ位の税金が使われているか考えたことがあるのだろうか?。
仮の話し、利払いが「年1%」としても10兆円(国民一人当たりおよそ8万円)もの税金が必要で、2%、3%ともなれば考えただけでぞっとする。
さらに困ったことには、「定額給付金は1度だけだが、利払いは何度でも続く」と言うことであるが、世界的な景気後退局面では「税収不足は1年ではすまない」と考えるべきで、安易な赤字国債の発行は危険この上ないことで、「借金地獄」と言うことも心配しなくてはいけないのだが・・・・。

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最近またはじめたこと

2008年11月24日 04時17分18秒 | Weblog
一年で一番日が沈むのが早いこのごろ(12月5日か6日頃が最も早いのだが)、10月頃までに比べると外にいる時間がめっきり少なくなってしまい、すっかり運動不足になってしまった。
そこで登場するのが、サイクルマシーンとミニステッパーである。
午後も4時半を過ぎると、日が沈んでしまうと共に気温も下がってくるので、どうしても家の中に入ってしまい、普通であればすぐに暖房を入れなくては寒くて仕方ないのだが、15分ほどサイクルマシーンをこいでいるとかなり体が温まり、しばらくは暖房無しで過ごすことが出来るのだ。
ただ、15分くらいでは運動不足の解消には十分ではないので、少しずつ時間を延ばして、少なくとも1時間はこぐようにしようと思っているのだが、まだ始めたばかりなので15分ずつ2回で止めている。
ミニステッパーは、足が冷えたときに手っ取り早く足を暖めるのに重宝である。
そしてもう一つ始めようと思っているものがある。
それは読書である。
最近は読書をしない人が非常に多いらしいのだが、これは読書をする機会が少なくなってしまったことが原因ではないだろうか?。
私は本を読むことが好きなのだが、これは子供の頃に本をよく読んだことが影響しているのだろう。
私が小学生だった頃は、「テレビもパソコンも携帯もゲーム機も、なーーーんにも無い!」と言う時代であったが、9歳と4歳年上の姉たちが買ってきた本は沢山あったのである。
本の題名自体はあまり覚えていないのだが、子供用に作られた「世界名作文学全集」と言ったものが沢山あり、暇さえあれば読んでいたことを覚えている。
その後は、30代の頃にも一時的に集中して読んだ時期があり、そのころ読んだ本の多くがまだ捨てずに残っているので、改めて読み直してみようと思うのだが少々困ったことがある。
それは、30年以上前に作られた本は、最近の本と比べて「活字が小さい」と言うことである。
当時はかなり目も良いほうだったのだが、さすがに寄る年波には勝てず「老眼」と言う現実にぶち当たってしまったのである。
照明を明るくすればかなり読みやすくなるので、何とか照明を工夫してチャレンジしようと思うのだが、最初に選んだ本は五百ページ以上もある「楡家の人々」と言う小説?で、かなり読み応えがある本である。
「楡家の人々」などと言っても知らない人がほとんどであろうが、作者はペンネームを「北杜夫」と言う人で、別名「ドクトルマンボウ」とも言われているが、明治時代の歌人「斉藤茂吉」の次男である。
五百ページ以上もあるので何時読み終えるのかわからないが、出来ることならば「年内に」と思っているのだが・・・・。
次にチャレンジしたいと思っているのは「夏目漱石」で、文庫本ではあるがほとんどの作品はそろっている。
「ボケ防止」と言うより「頭の活性化」に役立つと良いのだが・・・・。
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今月も11%の節電

2008年11月22日 03時06分36秒 | Weblog
先月も節電について書いたのだが、今月も予想外の節電になっている。
昨年は30日で321kW(1日10.7kW)だったものが、今年は29日で276kW(1日9.52kW)と、およそ11%も減少しているのである。
先月に比べると1日あたりの消費電力が増えているのだが、これは日没が早くなった分家の中にいる時間が増えたことと、気温の低下によるものだろうと思うので、来月・再来月と増えることが予想されるのだが、それにしても1日に1kWも少なくなった要因がわからない。
1kWと言うと、我が家の32型液晶テレビを6時間も見る時間を減らさなくてはならないのだから、これではほとんど見る時間がなくなってしまい、テレビを見る時間を減らしたことだけでは説明できないのだが、さて何で減ったのであろうか・・・・。
話は少し変わるのだが、わが国は京都議定書で温室効果ガスの6%削減の義務があるのだが、現実には削減どころか増加に苦しんでいるのであるが、ヨーロッパ諸国ではかなりの削減をしている国もある。
削減が出来た国と出来なかった国では一体どこが違うのであろうか?。
一言で言えば「国民性の違い」と言うほか無いのであるが、それでは一体どのような違いがあるのだろうか?。
様々な要因があるのだろうが、一つだけハッキリとしている事は「削減に国民が協力しているかいないか」と言うことだろう。
わが国では「産業界は必死に削減努力をしているが、国民は知らん顔」と言った状態で、このような状態で削減目標が達成できるのであれば何の苦労も無いであろう。
サブプライムローンに端を発した世界的な金融不安も「温室効果ガス削減」と言う面から見れば好都合だったはずなのだが、現実には「原油価格の大幅な下落」と言う副産物も生んでしまった。
一時は180円を超えて「200円台も・・・・」と言われていたガソリンの価格が、最近では110円台の店まで現れてくるようになり、車の乗るのを控えていた人も以前と同じように乗るようになり、それに追い討ちをかけるように「高速道路の料金引き下げ」などと言う馬鹿げた事も画策されている。
同じ料金の引き下げをするのであれば、一般車両ではなく「輸送関係の車両」にするのが「最善の策」だと思うのだが・・・・。
一般庶民の一員である私が言うのもおかしいが「日本は庶民を甘やかし過ぎる」と思えてならないのだが・・・・。
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残り物には福がある?

2008年11月21日 03時20分24秒 | Weblog
「残り物には福がある」などとよく言われるのだが、これは一種の「気休め的な言葉」ではないだろうか?。
人間の心理から考えれば、多くの場合「良い物から先に選ぶ」と言うことになるのだから当然の結果として「残り物は・・・・」と言うことになると言ってよいだろう。
突然残り物の話を始めたのにはそれなりの意味があるのだが、その意味とは「麻生総理の漢字の読み間違いや問題発言」のことである。
医師の資質に関する問題発言の中で「私も病院を経営しているので・・・・」と言っているのだがどのような病院を経営しているのであろうか?。
私の過去の経験を参考に考えれば「一般庶民には敷居が高い病院」では無いだろうか。
さて、「残り物に福」の件なのだが、麻生総理は過去に何度か総理大臣の候補に挙がりながら選ばれずにいたのだが、安部・福田総理とたて続けに突然の辞任と言う「棚ぼた的な幸運に恵まれた」と言っても過言ではないだろう。
「99点をとっても100点をとった人がいれば1位にはなれないが、50点しか取れなくてもそれ以上とった人がいなければ1位になれる」のと同じことなのである。
「漢字が読めない」「問題発言が多い」「庶民感覚に欠ける」・・・・と、いろいろな問題もあるのだが、「ほかにめぼしい人が見当たらない」と言う現状から考えれば仕方ないのかも知れないが、「一国の長がこの程度のレベルだから子供の学力が落ちた」のか、「もともと日本のレベルはこの程度だった」のかは難しい問題ではあるが。
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新総合経済対策の定額給付金

2008年11月14日 03時17分37秒 | Weblog
「新総合経済対策の定額給付金」を支給するに当たって「所得制限をするか否か」が話題になっているのだが、取得制限をすればその分だけ財政的には負担が軽くなる分良い事のように思えるのだが、現実的にはそう簡単にかたずくものではないだろう。
「年間所得が1800万円以上」で線引きをするような形勢なのだが、果たして「年間所得1800万円以上」などという人がどれだけいるのであろうか?。
「年内に支給」という事で急いでいるようだが、年末の忙しい時期と重なり、支給する窓口となる各自治体ではそれに対応するための残業が増えるのではないだろうか?。
残業が増えれば当然「残業手当」を支給しなくてはならないのだが、取得制限で節約した分と残業手当として支給する分とどちらが多いのであろうか?。
「所得制限」という考え方も、一見すると良い考えに見えるのだが「1799万円はもらえるが1800万円になるともらえない」と言うように、わずかな額で差が出る問題も考える必要があるのだが、それ以外の考え方もしてみる必要があると思うのだが・・・・。
「それ以外の考え方?」とは、単純な計算になってしまうのだが、「年収1800万円の人と180万円の人とでは同じ金額でも価値が違う」と言うことである。
つまり「年収1800万円の人の1万円は180万円の人の千円」と同じ程度の値打ちしかないのである(あくまでも単純な比較ではあるが)。
さて、話しを少し変えて考えてみたいのだが、「定額給付金の財源」として埋蔵金などが当てられるようなのだが、私は思い切って「給付をやめてその分を財政再建に充てる」と言うことのほうが得策だと思うのだが・・・・。
何故得策だと思うのかと言うと、今現在「国と地方を合わせた負債総額」は1000兆円とも言われているのだが、貯金に利子がつくのと同じように「負債(借金)にも利子(利息)が付く」と言うことを忘れてはならないのだ。
「超低金利時代」と言われてはいるのだが、仮の話「利息が1%」として考えても「1000兆円の利息は10兆円」と言うことになり、今回の「新総合経済対策の定額給付金」の総額の5倍にもなるのである。
しかも、1000兆円とも言われる負債の多くは日本以外の国が引き受けているのである。
つまり「支払われる利息の多くは海外に流出している」と言うことで、その分日本と言う国が貧しくなってしまうのである。
このことは我々の暮らしの中でも良く見られることで「借金が増えると利息の支払いで生活が苦しくなる」のと同じことなのである。
「利息1%」と書いたのであるが、現実にはそれ以上の利息になるであろうから問題は更に深刻であろう。
単純に10兆円と言うが、これは国民一人当たりおよそ6万円に相当する額で、負債が無ければその分余裕が出来るのである。
当然「消費税の引き上げ」も必要なくなるであろう。



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