へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ついに新しい飼育容器完成

2007年07月28日 22時34分52秒 | Weblog
9ヵ月半ぶりに、@達の引越しである。
結局、生き残っていたのは8匹。
2匹の姿は見当たらなかった。
9ヵ月半の間、エサと水の管理以外は殆ど何もしていない。
生き残った@達は、確実に倍の大きさになっている。
Sサイズだったものが、Mサイズに。
どの@も2回は脱皮しているであろう。
8匹が2回ずつ脱皮したとすると、合計16回。
単純に計算すると、毎月2匹くらい脱皮していた事になる。
30センチ×45センチと、それ程広くない面積から考えると、「脱皮事故」は少ない方ではないだろうか?。
行方不明の2匹も、脱皮事故以外の原因も可能性としては考えられる。
多くの飼育者が、脱皮事故を恐れて、仕切りで「隔離」したり、別容器に移したりしているようだが、かえって余分なストレスを与えているのではないだろうか?。
さて、新しい容器に移った@達は?。
環境が変わったせいであろう、どの@も落ち着き無く動き回っていた。
しかしそれも始めのうちだけ。
一晩たつと、どの@も落ち着いていた。
ここで9ヵ月半交換しなかった砂について、少し書いてみる事にする。
9ヵ月半も交換しなかったので、さぞかし汚れていると思ったのだが、汚れているのは深さ10センチのうちの、表面から3センチ位まで。
下半分は殆ど汚れておらず、無臭と言っていい位である。
これは「ドライに近いウエット」状態が良かったのかもしれない。
「湿度が低いと@が干からびる」と言う話がよく出てくるのだが、本当にそうなのだろうか?。
いささか疑問に思うのだが。
常時乾燥した状態では問題であろうが、通常その様な事は無いはずである。
飼育を始めた昨年、そして今年も、夏場は開放型の容器で、湿度を気にせず(当然霧吹きなどもしない)にいるが、別に問題は起きていない。
飲み水が十分に確保されていれば、湿度はそれ程気にしなくても良いと思う。
炎天下では、湿度100%でも干からびてしまうが、室内では余程(何日も水が無いなど)の事が無い限り、干からびる事は無いのでは?。
あまりに湿度を気にし過ぎると、「過湿」状態になり、「雑菌の繁殖」と言う問題が起きてくる。
雑菌(カビも)の繁殖は、衛生上良くないであろうし、臭いの発生にもつながると思う。
その結果として、砂の交換、と言う事になり、@達にストレスがかかってくるのでは?。
可愛がっているのか、虐待しているのか?。
@達にとっては、「有難迷惑」と言う事になるのでは?。
私から見ると、「そっとしておく」のが、@達には良いと思うのだが。
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オカヤドカリは、不思議な生き物

2007年07月26日 00時05分52秒 | Weblog
オカヤドカリを飼い始めて1年3ヶ月余り。
サイトで調べると、色々な事が書かれていて「何が何だかサッパリ」わからなくる。
一部の人は、それらの情報に翻弄されているような気がする。
初期の頃の飼育者(俗に言うベテラン)の話がいまだにまかり通っている。
初心者にとっては迷惑な話ではないだろうか。
今日或るホームセンターのペットコーナーで、「オカヤドカリは夜行性なので日中は隠れていて動きません」と言う張り紙があった。
それを見た小学校1年生位の男の子が「ウソだ、俺んちのオカヤドカリは昼間だって動いている」と、怒っていた。
我が家の@達も、昼間の方が良く動いている。
別なホームセンターでも、昼間よく動いているのを見る。
何故この様な誤解が生じるのであろうか?。
実は、或る条件が揃うと昼間でも良く動くのである。
その条件とは?。
照明の当て方の違いに有るのである。
明るい方から暗い方は良く見えないが、暗い方から明るい方は良く見える。
つまり、飼育容器の中を明るくして、観賞する人間の方を暗くすれば良いのである。
飼育容器の中を明るくすると、ガラスの内面で光が反射する為、外は見えなくなる。
これが逆になると、臆病な@達は、「外の動きが気になって」隠れてしまうのである。
流木などから落ちるのは、この為です。
外の動きが見えなくなると、昼間でも良く動くはずです。
次に、湿度に対する「思い違い」にも。
どのブログを見ても、湿度に対して、少し「神経質」になっているように感じます。
皆さんが気にしている「湿度」は、湿度計で計った「空中」の湿度です。
極度に乾燥した砂漠。
その砂漠にも生き物が棲息しているのです。
極度に乾燥した「灼熱地獄」の何処で生きているのでしょう?。
一見乾燥しきっているように見えるが、「砂の中に潜る」と、そこは「別世界」。
サラサラに乾いた砂の上に湿度計を置き、透明な容器でスッポリと蓋をして見ると?。
アーラ不思議、湿度が上がり始め、条件によっては「容器に結露が」、なんて事も起きます。
一度試して見ては?。
「霧吹きで霧を吹きかける」なんて、虐待じゃないの?。
砂を頻繁(月に1回、2回でも)に取り替えるのも、可哀相な気がするが。
1ヶ月以上潜っている事も珍しくないのだから、落ち着いて脱皮も出来ないんでは?。
我が家では、60cmの水槽より少し小さいくらいの容器で10匹と言う過密飼育。
10ヶ月近く、水と餌の交換以外は何もしていないが、8匹まで生存を確認(後の2匹は生死不明)
どれも大きくなって、元気です。
新しい容器も、「ほぼ完成」したので、近いうちに引越しです。
残り2匹の生死も判明します。
続きは又後日に。



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久しぶりにオカヤドカリのことをチョット

2007年07月16日 22時23分18秒 | Weblog
昨年の10月6日に、冬用に容器を新しくして、今年の4月に夏用に更新する予定でいたのだが、・・・・・・。
幾つかのオカヤドカリのブログを見ているうちに、何となく気乗りがしなくなってしまった。
「オカヤドカリの命を大切に」「大切に可愛がっています」等と言いながら、私から見れば、「オカヤドカリをおもちゃにしている」としか思えないような事が、堂々と行われている。
「室温が高くなるので、容器に入れて会社へ持っていく」
写真に撮るためにわざわざ「ひっくり返して並べる」
「無理やり塩水浴をさせる」など。
私から見れば、虐待としか思えない。
そんなこんなで、9ヶ月余り、砂も洗わず今日に至ってしまった。
昨年10月の時点で10匹いたオカヤドカリは、現時点では、同時に7匹までは確認できるのだが、個体識別が出来ないので確かではないが、あと一匹か二匹居る様な気がする。
大きさはどれも去年より大きくなっている。
狭い容器での「多頭飼育」の割には、脱皮事故は少なかったのではないだろうか?。
現在は、気を取り直して新しい容器を製作中である。
今までの容器は、容量が50リットル余りであったが、今度のは90リットル以上になる。
形としては、今までの容器を上に伸ばした形なので、脱皮の時に潜る砂の部分は殆ど変わらない。
脱皮事故(共食い)は、エサ不足(量は十分でも種類が少ない場合も)、ストレス(セキセイインコ等では、脅かすと親が雛を食べてしまう事もある)等が主な原因のような気がする。
私の場合は、エサを交換する時以外は「殆どほったらかし」である。
汚れた砂を取り替えるのも、大きなストレスになるのではないだろうか?。
9ヶ月余り砂を交換していないのだが、湿度も気温も高い時期にも拘らず、容器の中は多少臭うという程度である。
特に「異臭」とか「悪臭」と言うレベルではない。
何日か締め切っていた部屋の匂いを「強くした程度」である。
「ドライでもなく、ウエットでもない」、強いて言うなら「生乾き」と言った感じである。
少し蓋を開けておけば気にならないレベルになる。
空気の流通をよくすれば良いと思うので、新しい容器は、側面にあるメンテ用の開口部は、ガラスではなく金網(バーベキュー用のもの)で作っている。
ついでながら、ガラス製容器内側の上面と、奥と右側面にも金網を取り付けている。
オカヤドカリが「自由に登れる」ようにしたのである。
何しろ、オカヤドカリは高いところが好きなようなのでね。
早く完成させないと、すぐに冬用に戻さないといけないので大変。
完成したらまた報告します。
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嵐の前の静けさ?

2007年07月10日 04時37分24秒 | Weblog
国会も閉幕して、選挙を待つだけ。
大騒ぎした「原爆投下 しかたない」発言も、ニュースにならなくなってしまった。
さて、今度の選挙はどの様な結果になるのであろうか?。
与野党逆転、と言う事も考えられるのだが?、仮の話、逆転したとして何が変わるのであろうか?。
昔ならともかく、成熟した現代ではどの党が政権をとっても、大同小異、と言ったところではないだろうか?。
各党の政策を聞いて見ても、いずれも有権者の気を引くようなものばかり。
現実の話、どの政策をとっても、実現すれば新しい別な問題が発生する事ばかり。
地球温暖化の問題など、どの党も取り上げない。
票に結びつかないのであるから、当然の話である。
消費税の問題にしても、「引き上げる」等といたら、確実に票を失うであろう。
しかし現実の話、消費税にかかわらず、「増税」と言う問題を避けて通る事は難しいのではないであろうか?。
かつては、選挙で票を集める為に「減税」をした事がある。
一時的なものとして実施するのならともかく、何度も票集めの道具にした結果、国民一人当たり一千万近い借金(国債など)を抱える事になってしまったのである。
これ以上借金が増えれば、日本という国が、夕張市のような事になるのである。
少子高齢化社会を迎えた今日では、税収の伸びは期待できず、社会保障費などの増加で、財政は益々悪化するであろう。
健康保険、介護保険なども、いずれは破綻してしまうのでは無いだろうか?。
一般のお店では、「特売」「大安売り」「賞味期限が近いので、半額」等といった事も有るだろうが、国が実施する政策には、特売も大安売りも無いのである。
千円の物が欲しければ、千円を払わなければいけないのである。
五百円に値切れば、五百円分の物しか帰ってこないのである。
健康保険にしても、少しずつ自己負担が増えているではないか。
払うものをケチれば、そのツケは何処かに回ってくるのである。
「税金の無駄を無くせ」と言う前に、我々国民の側も無駄を無くせばいいのである。
他人には無駄を無くせと言いながら、当の本人が無駄な事をしていたのでは、自分勝手も甚だしいのではないだろうか。
他人に要求するのであれば、まず自分が手本を示すべきである。
私は選挙には関心はありません、当然の事、投票もしません。
投票しないで文句を言う人がいますが、私は文句も言いません。
成り行きに任せ、後は、その中で「自己責任」で行動する、と言うのが基本的な考え方です。
政治にいくら期待したところで、限られた財源の中で出来る事はたかが知れています。
期待しても、ガッカリするのが関の山でしょう。
「金は天下のまわり物」、払うものを払わなければ、当然の結果、まわる物もまわってはきません。

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被害者と加害者

2007年07月05日 04時22分57秒 | Weblog
久間元防衛相の失言に、広島、長崎の原爆被害者が強く抗議をしている。
私はこの問題が出てくるたびに、複雑な気分なる。
確かに日本は、原爆に関しては被害者の立場ではあるが、アジア諸国の人たちに対しては、加害者なのである。
原爆と言う都合の良い材料があるため、常に被害者の立場を強調する事により、加害者と言う都合の悪い部分を隠蔽してきている。
朝鮮半島における、従軍慰安婦問題、南京大虐殺・・・・・。
証拠が無いから、その様な事は無かった。
本当に無かったのであろうか?。
60年以上も昔のこと、証拠など残っているはずが無い。
終戦直後に、都合の悪い書類は、全て焼却処分してしまっている。
これは日本各地で行われた事である。
逆に、「無かった」という証拠を見せて欲しいものである。
広島、長崎の原爆被害者の人たちは、被害を受けた当事者として、抗議するのは当然の事である。
しかし、当事者以外の人は、原爆被害者の問題だけではなく、全ての戦争被害者の事を考えなくてはいけないのではないだろうか?。
原爆による被害も大変であろうが、可愛い我が子の命を、自らの手で絶た無ければならなかった、沖縄の人たち。
そして、味方であるはずの日本軍に殺された沖縄の人たち。
更には、朝鮮半島、大陸、東南アジア諸国で日本軍が犯した、数々の残虐行為の被害者達。
被害者は、広島、長崎の被爆者だけではないのです。
日本は、原爆の被害国ではあるが、それ以外の部分では、加害国だという事実を忘れてはいけないのです。
原爆の被害を主張するのであれば、それ以外の部分で加害者である事を認めるべきだと思う。
そおしなければ、何時までたっても、原爆被害の実態は理解されないのではないだろうか?。
我々の日常生活でも、己の非を非として認めた上で話せば、受け入れてもらえる事も、自己主張だけする人の話は、なかなか聞いてもらえないではないか。

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久間防衛相、引責辞任

2007年07月04日 20時49分29秒 | Weblog
選挙を目前にしている状況としては、妥当な選択だろう。
選挙を前に、自民党にとっては手痛いダメージになるだろうね。
しかし、テレビ、新聞などの報道を見ても、全て「原爆が投下され、多数の悲惨な犠牲者が出た」と言う結果しか問題にしていない。
広島、長崎に原爆が投下されなければいけない理由はナンなのであろう?。
結果だけで騒ぎ立てるのは簡単な事。
昔のCMに「臭い匂いは元から断たなきゃダメ!」って言うのがあった。
原爆が投下される元とはナンであろう?。
もし原爆が投下されなかったとしたら?。
前回も書いたのだが、今回は視点を少し変えてみたい。
もしも原爆が投下されなかったら、広島、長崎は無事であったのだろうか?。
私は、東京大空襲のとき2歳と9ヶ月。
我が家は焼夷弾の直撃は受けなかったが、火災で焼失。
命からがら逃げ延びたそうである。
広島、長崎だって、原爆以外の兵器で攻撃されていたであろう。
そればかりでは無い。
終戦は8月15日よりずっと後になっていたはずである。
そうなれば、無事に残った地方都市も、戦禍を受けて、多数の犠牲者が発生していたであろう?。
更に、米軍の本土上陸と言う事にでもなれば、沖縄の二の舞三の舞と言う事にもなりかねない。
これに、ソ連軍の北海道攻撃が加わったらどの様な悲惨な結果になったであろう?。
これらの事を踏まえて「原爆の投下は・・・しかたない」と言う発言になったのではないだろうか?。
原爆の投下は、紛れも無く悪い事である。
しかし、「最後の一兵まで」「一億玉砕」と叫ばれていた当時の状況の下で、他に選択肢が有ったのであろうか?。
広島、長崎の原爆被害者の皆さんには、本当に申し訳ないことではあるが、今日本が平和国家(これには異論もあるでしょうが)でいられるのは、皆さんのおかげです。
しかし、今回の問題で、従軍慰安婦、沖縄の集団自決に対する、「軍が関与していたか?」と言う問題は何処かに消えてしまった。
次から次へと新しい問題が発生するため、問題が解決しないまま次の問題え移る。
これでは永久に問題の解決は望めないであろう。
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久間防衛相の「原爆投下 しょうがない」発言

2007年07月03日 04時19分20秒 | Weblog
広島、長崎の被爆者にとっては、神経を逆なでされた様な気持ちであろう。
その気持ちは良く解るのだが、久間防衛相の発言には別な意味が含まれていると思う。
原爆の投下が良くない事は、「火を見るより明らか」である。
しかし、仮の話だが、あの時原爆が投下されなかったとしたらどうなっていたであろうか?。
ソ連は、「日ソ不可侵条約」を破棄して、日本を攻撃し始め、満州大陸で日本軍は敗走を続けていたのである。
次の目標は、北海道、東北になったであろう。
原爆投下により、日本は敗戦を認め、「無条件降伏」をした。
原爆投下が無ければ、「竹やりで、最後の一兵まで」と、無益な戦争を続けていたであろう。
そうすればソ連軍は、北海道、東北に攻め込んでいたであろう。
まさに「前門のトラ、後門のオオカミ」である。
このような状態に成ってからでは遅いのである。
敗戦後、日本を幾つかのブロックに分けて、それぞれ別の国が「分割統治」すると言う計画があったのだが、最終的にアメリカ一国が「占領統治」と言う事になった。
「分割統治計画」には、統治国として、ソ連、中国も含まれていた。
アメリカは後に、「占領統治」をやめて、日本を「自主独立国家」と認め、小笠原、沖縄の返還も認めた。
これは「原爆投下」により、ソ連軍の本格介入の前に戦争が終結した為である。
戦争の終結が遅れ、ソ連軍の関与が大きくなれば、「分割統治」は避けられなかったであろう。
もしソ連が日本を分割統治していたらどうなっていたであろう?。
「北方四島がいまだに返還されない」と言う事実があるではないか。
最悪のケースとしては、朝鮮半島の様な事が日本でも起きたかもしれないのである。
日本という国が南北に分断される。
想像した事があるだろうか?。
久間防衛相の「原爆投下 しょうがない」と言う発言には、このような意味が込められていたはずである。
それでは何故、久間防衛相はそれを言わないのであろう?。
答えは簡単である。
私は単なる一個人、しかし久間防衛相は、国を代表する公人である。
一個人の発言では、外交問題に発展する可能性はゼロと言っていいが、国を代表する公人の発言となると外交問題になる。
久間防衛相としては、立場上、アメリカを意識しての発言であったのだろうが、少し考えが甘かったようである。
原爆が投下された事により、「数多くの犠牲者」が出た事は確かである。
もしもあの時、原爆が投下されなかったとしたら・・・・・・。
原爆投下の是非を問うより、日本が「無益な戦争」を始めた事を反省するべきではないだろうか?。
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