へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

夢に関して一言

2015年03月31日 22時58分04秒 | Weblog
朝ドラも「まっさん」が終わり、今週からは「まれ」が始まった。

その中で「夢」という言葉がよく出てくるが、夢とはいったい何であろうか?。

これは非常に抽象的な言葉で、「山」とよく似ていると思う。

そう、単に「山」と言っても、子供でも登れる「裏山」も山だし、世界最高峰の「エベレスト」だって同じ山である。

要は「高いか低いか」の違いだけで、山であることには変わりはない。

と考えると、「地道にコツコツ」も夢の一種になると思う。

誰がなんと言おうが、地道にコツコツと生きたいと思っていても、地道にコツコツと生きられない人だっているのだから。

これも、「大きいか小さいか」の違いだけ。


ところで、話を私個人に当てはめると、一見「波乱万丈」のようにも思えるが、実はそうとも言えないのだ。

そう、表面的にはいろいろな問題が発生し、「地道にコツコツ」とは裏腹のように見える人生が、実は、その裏では地道にコツコツと倹約に努め、その結果が今なのである。

31歳で自分の家を建てたのだが、建築が始まると同時に「第一次石油ショック」が始まる。

そのあおりを受けて、2年後には勤めていた会社を辞める羽目に。

やっと仕事を見つけたが、給料は「半減」。

住宅ローンが払えないので、仕方なしに姉に泣きつく。

ここから私の耐乏生活が始まる。

まさに「地道にコツコツ」である。

そう、姉からお金を借りっぱなしにはできないのだから。

昼食は外食に頼らざるをえないが、最も安いもので済ませ、家で食べる、朝食、夕食は、その大半が「袋入りのインスタントラーメン」。

それも、安売りの日に買い貯めをする。

それだけでは栄養の面で問題があるので、これも安売りの時に買ってある卵と、野菜は「もやし」がほとんど。

飲み物にしても、できるだけ安いものを見つけ、それを水で倍くらいに薄める。

好きな甘いお菓子などもってのほか。

たまに「半額」のシールが張ってあるものは買ったが・・・・。

およそ1年ほどで、借りたお金を完済。

その頃はまだ独身で、なんとか生活が落ち着いた36歳でやっと結婚をする。


が・・・・。

これは大失敗である。


書くとキリがないので、今日はここまでにする。
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数の論理

2015年03月30日 03時59分21秒 | Weblog
数の論理とは、簡単に言うと「数が多いか少ないかで物事を決める(多数決)」と言うことで、日本人が好んで使う言葉だが、日本だけで行われていることではない。

世界各國でごく当たり前に行われていることだが・・・・。

はてさて、この数の多い少ないだが、一体何を基準に考えているのであろうか?。

これは非常に難しい問題で、それぞれが勝手に「自分に都合の良い数」が基準になる。

と言うことで、日本では多数派であっても、ほかの国に行くと「少数派」となってしまうことが多い。

なので、日本では「数の論理」などと言いながら、「対中国」となると、間違っても「数の論理」など口にしない。

また、歴史的に見ても、多数派が常に多数派でいられることも少ない。

多数派だったのが、いつの間にか少数派に成り下がり、少数派が多数派になってしまうことも多いのだ。

ガリレオが言い出した「地動説」にしても、始めはたった一人である。

また「常識のウソ」と言う言葉もあるように、多くの人が正しいと思っていたことが、実は「間違っていた」ということだって珍しくない。

また、この場合の「常識」には、「○○論」や「○○学的には」ということも含まれる。

そして、この「○○学的には」と言うこどであっても「正しい」と言えないものもあるだろう。

「多数派工作」という言葉もあるように、意図的に作られる「多数派」だってある。


と言うことで、私は「数の論理」は使わないようにしている。
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玉虫色

2015年03月27日 22時57分17秒 | Weblog
「玉虫厨子」で有名な玉虫だが、最近はほとんど見かけない。

が・・・・。

昭和20年代の東京では、結構見つけることができた。

その当時は小学生だったので、よく捕まえたものである。

と言うことで、実物を見たことのない人が多いと思うが、この虫、見る角度によって羽の色が様々な色に変化する。

鳥の中にも同じように羽の色が変化するものがあるが、一般的には「玉虫色」という言い方をする。

と言うことで、「玉虫色の結論」などとよく言われるのは、見る角度によって色が違うことが転化して、「考え方によってどうでも解釈できる」という意味になるのである。

通常は「悪い意味」で使われるのだが・・・・。

日本人が好んで使う言葉(結論)に対して使われることが多い。



また、あれやこれやと様々なことを引き合いに出し、「結論をぼやかす」と言うのも日本人の得意とするところであろう。


で、私はこう聞き返す。

「それでどうだと言うの?」と。

何かと難し話を引き合いに出すが、それらのほとんどは「誰かが言ったことの引用」であって、本人の考えはどこにもない。

日本人の多くは「群れたがり症候群」や「寄らば大樹症候群」になっていて、私のような人間は排除される。

へそ曲がりであるとともに、「一匹狼」でもあるのだから、特にどうということもないのだが・・・・。
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不毛の論議

2015年03月27日 03時48分43秒 | Weblog
何もできない土地のことを「不毛の地」と言う言葉もあるように、単なる議論を繰り返す「不毛の議論」もある。

不毛の議論からは何も生まれない。

国会での論議もそのたぐいである。

お互いが言いたいことを言い合って、「時間切れ」で終わる。

その結果は、日本(だけではないのだが)では「数の論理」が強く働くため、数の力によって少数意見は封じ込まれてしまう。

要するに、数が多い方の意見だけがまかり通るのだ。

が・・・・。

「数の論理(多数決)」は、一体何を基準にしているのであろうか。

ある人は「日本においては」と言っているのだが・・・・。

日本においては。

この言葉は一見都合の良い言葉のように思えるが、実際は違う。

「日本においては」という言葉が成り立つのであれば、「アジアにおいては」という言葉も成り立つだろうし、「刑務所の中においては」「暴力団の世界においては」「我が家においては」「私個人においては」など、非常に多くの条件が当てはまることになる。

アジア、特に中国に対しては、人間の数ではとても太刀打ちができない。

刑務所の中では囚人の方が圧倒的に多いのだから、刑務所の中では「囚人が正義」と言うことになる。

と言うように、「数の論理」は、その基準をどこに置くかによって結果が違ってくる。

結果が違ったら、一体どれが正しいのか。

ガリレオが唱えた「地動説」だって、始めはたった一人である。

ローマ法王庁からの迫害を受けたらしいが、後になってそれが正しいことが証明される。

「数が少ないからダメだ」とか、「数が多いから良い」という考えは捨てられないのだろうか。
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老兵は死なず、ただ消え去るのみ

2015年03月25日 03時20分44秒 | Weblog
マッカーサー元帥が退任した時に口にした、非常に有名な言葉だが・・・・。

前々からおかしいと思っていながら、特別取り上げる理由もなく今日に至ったが、ようやく取り上げる機会が・・・・。

それは、ある人がブログで「年寄りと雪は構うな、そのうち消えてなくなる」と書いていたので、ちょうど良い機会である。

そう、年寄りも老兵も、近い将来消えてなくなるのです。



が・・・・。



消えてなくなるのは、年寄りや老兵だけではない。

人間は「おぎゃー!」と生まれてきた以上、早いか遅いかの違いだけで、いずれは必ず消えてなくなるのです。


ところで、「年寄りと雪は構うな」と書いた人の真意だが、想像するに、私に対するあてつけ(拒絶反応?)ではないだろうか。

そう、私はその人のブログに何度もコメントを書いているので、相手をするのが面倒になったのだろう。

初めからこうなることは分かっていたが、なんとも残念である。


が・・・・。


過去にも何度か経験しているので、日本ではこれが当たり前なのだろう。

最近もアメーバのブログで起きているしね。


「島国根性丸出しの日本人」と、外国人から「あなたは日本人らしくない」と言われた私である。

物の見方考え方が全く違う。



「水と油」「水と火」と言いたいところだが、こに場合は全く違う。


「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」とも言われているが・・・・。
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「物を見る」と言うこと

2015年03月17日 03時28分11秒 | Weblog
これは「考える」ということにも共通するのだが、10人いれば10通り、100人いれば100通りの見方がある。

が・・・・。

多くの日本人は、「群れたがり症候群」や「寄らば大樹症候群」に陥っているため、物の見方が偏りがちになる。

また、学歴や肩書き、権威に影響される傾向も強く、それらの意見に「右へ倣え」と言うことにもなりがちである。

要するに、「自分なりの考えを持たない」と言う人が多いのだ。

「○○学的には」などと言う輩は、その典型だろう。

その点では、私は自称「720度へそが曲がっている」と言っているので、一般的な人とは少々物の見方が違うらしい。

が・・・・。

最近この「720度曲がったへそ」に関して、ある別の意味を見つけた。

720度といえば「2回転」ということになるが、720度は何気なく考えたことで、今までは特別な意味はなかった。

が・・・・。

これを、「1回廻ってまた元に戻る(合計で720度になる)」と言うように考えると、今度は重要な意味を持つようになる。

何気なく考えたことに重要な意味が。


ここで話が少し横道にそれるが、例えば、車の右側の座席と左側の座席では、窓から見える景色は違う。

これは、電車や飛行機でも同じである。

が・・・・。

残念ながら、同じではないのだ。

なに?と思う人も多いだろうが、車が走る道路は、電車も飛行機は走れない。

「そんなことは当たり前だ!」と言いたいだろうが、実際にそのようなことを考えたことがあるだろうか。

正直な話、頭ではわかっていても、普段意識することはないだろう。

が・・・・。

車や電車、飛行機と思うからあまり意味を理解できないのだろう。

これを、国会議員(主に総理大臣と与党の議員)、大企業の経営者、教授や学識経験者、と、野党の議員、企業の従業員、一般庶民などに置き換えてみれば良い。

あるいは、超高層ビルに囲まれた低層ビルと超高層ビルの屋上から見える景色。

どれとして同じものはないどころか、「全く違う」と言うことだっていくらでもある。

更に、車から見える景色にしても、同じ道なのに、行きと帰りでも全く見え方が違ってしまう。



ここまで書けばわかった人もいるだろうが、私が言いたいのは「1回廻ってまた元に戻る」というのは、このことを言いたいのである。

もっと単純にわかりやすく言うと・・・・。

私はよく大きな園芸センター巡りをする。

そして、何時もするのは「1回見て回ったら、同じコースを逆戻りする」ということ。

こうすると、行きで見えなかったものが「逆回りをすると見える」のだ。

なので、この逆も起きる。

そう、「重いので帰りにでも」と思っていたものが、帰りに見つからないこともあるのだ。

チョッとした角度の違いで見つからないこともある。

また、同じところにいながら、その人によって見ているものが違うことも・・・・。


まだまだ書きたいことはあるのだが、考えがまとまらない。



そろそろ眠くなっても来たので、また改めて書くことにしよう。
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金持ち喧嘩せず

2015年03月15日 03時48分06秒 | Weblog
昔から「金持ち喧嘩せず」と言うが、「金持ち」にはいろいろな意味があると思うのだが。

「心が広い」と言う意味もあると思う。

また「心が広い」と言われる人は、コンプレックスもあまり持たない人ではないだろうか。

そこでこのコンプレックスだが、日本語では「劣等感」と言う。

ところが、この「劣等感」を持っている人は、自らの弱さを隠そうとするのか、やたらと他人を攻撃したがる。

そう、相手を攻撃することで、自らを「強い」と思わせたいのである。

ところで、突然こんなことを書き始めるには、それなりの理由がある。

その理由とは、ある人のブログにコメントを書いていたが、そこでは書ききれそうにないからである。

その内容は、日中・日韓関係に関してのことである。

今の日中・日韓関係は良くない状態であるが、その原因はどこにあるのであろうか。

私は、その原因は「日本にある」と思っている。

そこでタイトルの「金持ち喧嘩せず」だが、日本人にはコンプレックスを抱えた人が多く、それを隠そうとするあまり、中国や韓国を蔑視した発言をするのである。

「売り言葉に買い言葉」と言う言葉もあるように、日本が中国や韓国を蔑視すれば、お互いが言い合う結果に。

が、日本は戦争の「加害国」である。

が・・・・。

多くの日本人は、それを忘れている。

私は中国でこんな言葉も聞いている。

その言葉は、「盗人猛々しい」である。

「盗人にも三分の理」と言う言葉もなくはないが、それは状況によりけりである。

はてさて、日本に「三分の理」があるのだろうか。

日本が一方的に侵略をしたのだから、一分の理もないだろう。


なんともまとまりのない文章になってしまっているが、その点はご容赦を。


これからは益々中国の存在感は増大するはず。

国土は日本の25倍。

人口も、驚くなかれ、日本の10倍以上。

しかも、今も経済発展を続けている。

言葉の上でいくら中国を蔑視してみたところで、とても敵う相手ではなくなっているのだ。


マグロをはじめとする「高級水産物」の価格決定権は、とっくに中国に奪われている。

鉱物資源もまたしかりである。

牛肉も農産物も、価格決定権は中国に奪われつつある。


そう、かつては「日本の言い値」で買えたものが、今は中国がそれ以上の価格を付けてさらってゆく。


近い将来、今度は日本が蔑視されるようになるのかも。

既ににその兆候は現れている。


最近の日本人の発言。

なんとなく「負け犬の遠吠え」のように聞こえてならないのだが・・・・。
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上を向いて歩くと・・・・

2015年03月14日 02時23分44秒 | Weblog
涙はこぼれない。

が・・・・。

涙の量が多ければ、やはりこぼれるだろう。

が、こんなことを書くつもりで書き始めたわけではない。

いつものように?、安倍政権と、それに期待をかける国民に対する「皮肉(風刺?)」である。

そう、安部総理は一生懸命になって「アベノミクス」による景気回復を図ろうとしているが、これはまさに「上を向いて歩く」のと同じなのである。

なので、涙の話でもない。

そう、上ばかり見て歩くと?。

足元に潜む障害物には気がつかない。

ちょっとした段差でつまずいて「大怪我」と言うことだってある。

今のところは特別大きな問題は起きていないようだが、「油断大敵」である。


そして、今の安部総理。

エベレストの「デスゾーン(師の領域」を、酸素ボンベ(金融緩和政策)を使って必死で上を目指すようなもの。

が・・・・。

酸素で呼吸は楽になるだろうが、デスゾーンでは呼吸以外にも多くの問題がある。

ましてや、酸素が尽きれば・・・・。

酸素の補給自体も大変なのに・・・・。

天候(世界経済)の悪化も懸念される。

登山の世界では「勇気ある撤退」という言葉もあるが・・・・。

安部総理にはそれだけの勇気はない。

勇気を出せば、「野田前総理の二の舞」になるのだから。

が・・・・。

今の日本には、その勇気が必要なのだが・・・・。
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心ここにあらざれば

2015年03月11日 22時02分45秒 | Weblog
「見るもの見えず、聞こえるもの聞こえず」という言葉がある。

そう、その気になって見ないと見えないものや、聞く気になって聞かないと聞こえないものはいくらでもある。

が・・・・。

実際には見えたり聞こえたりしているのに、「知らぬ顔の半兵衛」を決め込む輩もいる。

昔からよく使われる「知らぬ、存ぜぬ」もそれに当たるかも。

あと、「意識して顔を背ける」という手合いもいるだろう。

顔を背けていれば、見えないのは当たり前。

「臭いものには蓋」という手を使う輩も。

そして・・・・。

それらの手合いを追求してゆくと「証拠は?」と言い始めることも多い。

が・・・・。

古い昔のことでは、証拠など存在するはずもない。

ましてや、悪いことをする連中が、自分たちに都合の悪い証拠を残すであろうか?。


また、学識経験者や有識者などと言う手合いには、「○○学的には」などと言う都合の良い言葉を持ち出す輩も。

「○○学的には」。

学説、論文などはどうにでもでっち上げられる。

最近も論文の捏造が問題になっているのだから。
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老害

2015年03月10日 21時51分31秒 | Weblog
かつては「ろうがい」と言うと「労咳」と書いて、結核のことを言ったが、今回は結核のことではない。

ところで「老」という漢字。

日本ではあまり良い意味に使われないが、中国では尊敬の意味もある。

「老師」と言うと、師匠、先生という意味になる。

最近はあまり使われなくなったらしいが、奥さんのことを「老婆(ラオポ)」とも言う。

それで本題の「老害」だが、これは日本の話なので、良い意味は全くない。

で「老害」だが、「高齢者による害」という意味なので、私もその高齢者の一人に含まれる。

さて、これから大きな問題となるであろう「団塊の世代」が、私のあとを追うように高齢化している。

これらの高齢者。

私は戦争中の生まれなので直接戦争のことは知らないが、幼い頃に様々な話を聞かされている。

私より高齢であれば、ある程度ん事実を知っているはずである。

しかし・・・・。

私は日本軍による残虐非道の限りを尽くした犯罪行為を聞いていて、それを否定するつもりは毛頭ないが、多くの高齢者はそれを否定したり隠蔽しようと目論む。

中国や韓国が日本に対して「歴史認識」という言葉を使うのも、これらのことが根底に有るために起きるのである。

前にも書いてあるが、日本は東京大空襲や広島、長崎の原爆被害者である前に、中国大陸はもとより、東南アジア諸国に対して「戦争の加害者」であるのだ。

なので、日本が東京大空襲や広島、長崎の原爆による被害を世界に訴えるのであれば、日本が加害者となった被害も、同じように世界に広く訴える権利があるだろう。

日本には日本なりの意見があるように、ほかの国にもその国なりの意見があるのだから。

「意見には個人差がある」と言うように、日本の発言がそのまま世界に通じるとは思わないことだ。

「日本の常識は世界の非常識」とまで言われているしね。

近々「安倍談話」なるものが作られるらしいが、また新たな火種にならなければ良いが。

安倍談話を作るのは、偏見に満ち溢れた「愛国主義の高齢者ども」なのだろうから。

学校教育でも何も教えない。

ごく当たり前のことではあるが「自分たちに都合が悪い」のだから。

日本に都合の悪い話。

それは相手国にとって「追求するのに都合の良い話」となる。

お互いに歩み寄る姿勢が必要だが・・・・。

日本は子供の国である。

子供には何を言っても無理?。

困ったものである。
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