へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ブルーベリーって、本当に眼に良いの?

2008年07月31日 03時51分44秒 | Weblog
少し前に書いたブログを投稿したあとに、ブルーベリーの広告が出てきたのだが、「宣伝に偽りあり」と言えなくはないだろうか?。
前の記事にも書いているのだが、とかく日本人は宣伝に騙されやすい。
私自身、花便りを読んでくださっている人はご存知だと思うが、「自家製ブルーベリージャム」を作っていて、かなりよく食べているのだが、「特別変わった事は感じ無い」と言うのが実情で、宣伝文句を過信しない方がよいだろう。
そもそも「ブルーベリーが目に良い」と言われるようになったのは、その昔、ヨーロッパの戦闘機のパイロットが「ブルーベリーのジャムを沢山食べて日は、暗くても良く見える」と言う話が元になっているもので、効果が無いわけでは無いだろうが、「宣伝文句ほど効き目は無い」と考えた方が無難だと思うのだが・・・・。
「沢山」と言う部分にも注意をしなくてはいけないだろう。
ヨーロッパ人の言う「沢山」は、日本人が考える「沢山」とは「かなり開きがある可能性がある」と考えた方がよいかもしれない。
仮の話し、メーカーに抗議をしたとしても「効き目には個人差があるので・・・・」と言う返事が返ってくるのが関の山である。
「個人差」、実に都合のよい言葉ではないか。
女性が夢中になる「ダイエット」の話も、「個人差が激しい」ものの代表であろう。
今年は久しぶりにブルーベリーが沢山採れるので、精出してジャムを作る事にしている。
すでに4キロ以上作ったのだが、最低でも後4キロは作ろうと思っているが、全部自分で食べるわけではないので、悪しからず。
そんなに食べたら、肥満で苦労しなくてはならなくなるので。
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大分前から気になっていたこと

2008年07月31日 03時02分53秒 | Weblog
NHKの大河ドラマ「篤姫」の人気についてである。
巷では「宮崎あおいの演技が・・・・」とか、言われているようなのだが、私から見ると「とんでもない見当違い」と言いたい。
「後からなら何とでも言える」と思う人も居るだろうが、それは私の方ではなく、「今になって篤姫の人気をとやかく言う輩」の方だということは、1月28日の私のブログを見ていただければ、その意味がわかっていただけると思う。
私がブログに書いた頃は、まだ宮崎あおいは出ておらず、子役が出ていただけなのだが、すでに、かなりの視聴率を稼いでいた事を思い出す。
とかく日本人の悪い癖で、「結果ばかりが重視されて、プロセスは軽視する」と言うことがここにも現れて居るように思えてならない。
正に「勝てば官軍」と言う言葉(別にこじつけた訳ではありませんが)が当てはまるだろう。
科学技術の世界で言われる「応用は上手いが、基礎はダメ」と言うのも同じ様な事だと思うのだが・・・・。
そして、更に困ったことがある。
これも日本人の悪い癖で、「群れたがる」と言う習性があるため、誰かが「いい番組だ」などと言うと、とたんに内容に関係なく見たがる人が出てくる。
俗に言う「口コミ」なのであるが、最近はこの「口コミ」にも気をつけなくてはいけないようである。
特に、ネットの世界では、陰でスポンサーからお金をもらって、「個人を装って宣伝をする」と言う手口が増えているからである。
過去においては、何度となく「・・・ドラマは良い」とか、「・・・と言う番組は良いから見たほうがいい」などと言われて見たことがあるのだが、正直な話「何処が良いの?」と言うものがほとんどである。
そんな訳で、ここ数年、民放の番組はほとんど見ることも無くなってしまったのだが、それが影響した?のか、かなり前から12チャンネルが白黒にしか写らなくなり、10チャンネルも同様になり、最近では8チャンネルも写りが悪くなってきている。
10年以上経っているブラウン管のテレビで、特別民放の番組を見たいとも思わない(テレビ放送自体に、それ程執着していないせいもあるのだが・・・・)し、あと3年で地デジに変わるので、「それまで持てばよい」と言う程度にしか思っていない。
「民放の番組を見ていない」と言う事は、「CMも見ていない」と言うことで、「CMを重要な情報源にしている」と言う人から見ると、「一体何を参考にして物選びをするのか?」と考えるだろうが、私に言わせれば、CMとは「売るために必用な良い所ばかりを強調して、都合の悪い部分は隠している」としか言えないので、仮に見たとしても「疑ってみる」と言う事になってしまう。
企業の宣伝(企業に限った事ではないが)は、「自分に都合のよい事しか言わない」と言う、大きな問題点を持っているのだから、「自分自身で判断する」と言う能力を鍛えておく必要が有ると思うのだが・・・・。
「情報の9割はウソだ」と言う人も居るくらい、情報には「信憑性」を疑いたくなる物が多い。
騙されて泣くのは「自分自身」だと言うことを忘れないようにしなくてはいけないだろう。
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大分サボってしまった

2008年07月29日 04時02分34秒 | Weblog
「花便り」のほうに力を入れているせいか、何となくこちらのブログを書く気になりにくくなっている。
こちらの辛口の文章に対して、「花便り」の方は正反対に近いと言ってもよいため、気持ちの切り替えが上手く行かない。
何度か書こうと思いながら、途中で文章が思いつかなくなり途中でやめた事もある。
さて、久しぶりに書こうと思い立ったのは、NHKの朝ドラ「瞳」の中で、瞳が言ったせりふの中に気になる部分があったからである。
そのせりふとは、「ダンスは楽しいから・・・・」と言う部分である。
意地の悪い言い方をすれば、「楽しい事はするが、楽しくない事はしない」と言っているのと同じ事ではないだろうか・・・・。
このような考え方が、「やりたい仕事が見つからない」「何をすればよいのかわから無い」「一度の失敗で挫折をする」と言う事になるのではないだろうか・・・・。
「古い考えだ!」と言う方もいると思うのだが、一部に例外はあるのだが、本来、「仕事と言う物はけして楽しい物ではない」と私は考えている。
「種の多様性」と言うことが言われているのだが、仕事にも多様性が必要で、楽しい仕事にばかり人が集まっては社会が成り立たない。
「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」と言うように、それぞれがバランスよくいなければ混乱してしまう事は言うまでも無いだろう。
「勝ち組」「負け組」などと言う言葉も私は嫌いである。
「差別」「格差」と言うものが問題になっているが、「勝ち組」「負け組」と言う言葉は、立派な「差別」と言えるだろう。
「負け組」がいるから「勝ち組」と言うものが存在できるので、「負け組」がいなければ「勝ち組」も存在出来ないのである。
「百獣の王」と言われるライオンでさえ、エサとなる草食動物がいるから生きてゆけるので、エサとなる草食動物がいなければ「飢えて死ぬ」以外に道はない、「哀れな存在」なのである。
「ダンスは楽しい」、単純に考えれば確かにそうなのだが・・・・、その言葉だけでかたずけてよいものだろうか?。
「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」と言うように、人生は楽しいことばかりではない。
「楽しい事ばかりではない」と言うより「辛い事の方がはるかに多く、楽しい事など極僅か」と言うべきではないだろうか・・・・。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言うように、若い時の苦労が後になって役に立つと思うのだが・・・・。
これは私の「経験則」でもあるのだが・・・・。
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「民意を反映させる」と言うことの危険性(諸刃の刃)

2008年07月06日 04時18分04秒 | Weblog
石原知事による「東京都独自の二酸化炭素排出量削減計画」には、「一般家庭の排出量削減」と言う事は盛り込まれていない。
国の二酸化炭素排出削減計画にも、表立って一般家庭の排出削減は盛り込まれていないのだが、これも「民意を反映させた結果」と言えるだろう。
産業界は削減のための努力をしていると言うのに「一般家庭は排出量を30%も増加させている」と言う矛盾した事が平然としてまかり通っているのだが、「公平の原則」と言う観点から見ると、一般家庭も6%の削減を実行するためには「6%プラス30%=36%」もの排出量の削減をしなくてはいけないことになる。
「現状より36%の削減」と言うことは、白熱電球を蛍光灯に替えたり、省エネ機器を導入した程度ではとても実現は難しいだろう。
多くの家庭が「生活が苦しい」「やりくりが大変だ」と言っているのだが、本当に苦しいのだろうか、私にはいささか疑問に思えて仕方が無い。
66年も生きてきて感じるのは、「現代社会は、あまりにも生きるために必要無い物が多すぎる」と言うことである。
経済発展と言うことが「お金が無ければ生きてゆけない」と言う弊害をもたらしている。
「経済発展と言う美名」の陰に「商業主義(金儲け主義)と言う魔物」が潜んでいる事に気がつく人は少ないだろう。
次から次えと新製品が開発されているのだが、「消費者の欲望を充たす(民意を反映させる)」と言うことが表看板になっているが、これも裏を返せば「金儲けの道具」と言うことが出来るであろう。
「民意が反映された」と喜んでいると、何時の日か、「巡る巡って自分の身に降りかかる」と言う事になってしまうのだが、時分の身であれば「自業自得」と言う事になるのだが・・・・。
人類は、脳の発達により文明を発達させてきたのだが、その発達が新しい問題を引き起こしているのだが、これも「諸刃の刃」である。
「民意を反映させる」と言うことも「諸刃の刃になる」と言うことが理解されていない。


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家庭から排出される二酸化炭素が30%増加

2008年07月05日 04時14分42秒 | Weblog
京都議定書(日本は議長国だったはずだが)で二酸化炭素の排出量を6%削減しなければならないと言うのに、6.5%も増加していると言う。
この「6.5%増加」と言う数字は一体何が原因で増加したのであろうか?。
6%プラス6.5%、つまり12.5%もの削減をしなくてはいけないのだが、多くの国民は、「大企業などの産業界」に削減の努力を求めているのだが、そのようなことで目標が達成できるのであろうか?。
東京都の石原知事が、「大規模な事業所」などに削減を義務付けさせようとしているのだが、私に言わせれば「選挙対策用の人気取り」と言うように感じてならないのだが・・・・。
ここで、何故タイトルに「家庭から排出される二酸化炭素が30%増加」としたのかを考えて欲しい。
詳しい資料がないので正確なことは書けないのだが、仮の話し、家庭から排出される二酸化炭素の量が全体の20%を占めていたとすると、20%の排出量が30%増加すると言う事は「26%になる」と言うことで、「増加分の大半を占める」と言うことになってしまう。
一方では必死になって削減をしようとしているのに、他方では「我関せず」と言った状態では、「6%(実際には12.5%)の削減」などと言う事は「絵空事」になってしまうだろう。
掛け声ばかり大きくて、その時になったら「出来ませんでした」では済まされないと思うのだが・・・・。
何故に、政府や専門家などの責任ある立場の人がこのようなことを口にしないのであろうか?。
答えは至って簡単な事で、「国民の反発が怖い」と言うことが根底にあり、「選挙対策上口に出せない」と言うことが原因であろう。
ドイツ政府などは「第一次オイルショックのときの日本」を参考に環境問題に取り組んでいるのだが、本家本元の日本では全く生かされていない。
「国民性の違い」と言ってしまえばそれだけだが、どうにかならないものだろうか?。
「洞爺湖サミットの議長国」などと言っているが、「単なる飾り物」のような気がしてならないのだが・・・・。

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日本は本当に大国?

2008年07月02日 04時02分49秒 | Weblog
何かにつけて「日本は経済大国だ」と言うのだが、本当に「大国」と言うにふさわしい国なのだろうか?。
何となく「虚勢を張っている」と感じてならないのだが・・・・。
単に「経済的な数字」だけを見れば大国と言えなくも無いのだが、「その中身は?」と考えると首を傾げたくなる。
以前にも書いているのだが、中国政府の言う「上海は香港を抜いて中国一の国際都市になった」と言うのと同じ様なものでは無いだろうか?。
同じ日に両方の都市を見た私の目から見ると「雲泥の差」と言うしか無く、長い間イギリスの統治下にあり、世界中から人が集まる香港と、日本や韓国など、アジア地域の人が殆どで、物流に関しても「香港に格差をつけて優位に立つ」と言う姑息な手段を使っているようでは、とても一番とは言えないだろう。
「世界のトヨタ」などと言うが、単に生産台数だけのことで「車そのものの質は?」と言う事になると、????と言う事になってしまう。
日本の国だって「経済大国」などと言っているが、「国際貢献は?」と言われると、これも????と言う事になってしまう。
「武士は食わねど高楊枝」などと虚勢を張ってみても、「鞘の中は竹光」では世界が相手にしなくなるであろう。
別な言い方をするなら「背伸びをしているのと同じ」と言うことで、自分で背伸びをしてみればわかるように、「背伸びを続ける」と言うことがいかに大変な事かわかるであろう。
「背伸び=無理」と考えれば、「無理がたたった」と言うのが現在の日本ではないだろうか・・・・。
思い切って「背伸びをする」のも「虚勢を張る」のも止めてしまえばよいと思うのだが・・・・。
私は昔から、極力「背伸びも虚勢も無理もしない」ようにしているが、至って気楽で「精神衛生上良い」と思うのだが・・・・。
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痛みを伴わない財政再建

2008年07月01日 04時06分29秒 | Weblog
橋下新知事による「大阪府の財政再建」の様子が放送されていたのだが、相も変らぬ「有権者の自覚のなさ」と言うものが露呈されているように思えてならない。
「痛みを伴わない財政再建」が出来るのであれば「誰も苦労はしない」であろう。
「何のための財政再建か?」「何故に財政再建をしなくてはならない状態に追い込まれたのか?」と言うことだけでなく「そもそも財政再建って何?」と言うこと自体理解できていないように思えてならない。
この事は大阪府に限った事ではなく、「日本全体が陥って居る」と言っても過言ではないだろうか。
「夕張市」と言う「これ以上無い見本」がありながら、多くの人はまるで「対岸の火事」と言った感じで受け取っている。
対岸の火事のように見てしまう原因の一つに、「財政再建」と言う、なにやら難しい言葉があるような気がするのだが・・・・。
「財政再建は国や自治体の話で、自分には関係ない」と考えがちであるが、我々一般市民の生活に置き換えて考えると「多額の借金を抱えてその返済に四苦八苦している状態」と言うこと同じで、少しでも返済が滞ってしまうと、その先に待つ物は?・・・・。
住宅、車、家電製品などをローン(借金)で買って、返済が出来なくなったらどうなるのかを考えればわかるだろう。
次に「何故に財政再建をしなくてはいけない状態に追い込まれたのか?」と言う問題であるが、これには自治体の責任もあるのだが、それ以上に「一般市民にもある」と言わざるをえない。
「健全な財政状態」を保つためには、「財源(税収)に見合った行政サービスをする」と言うことが必要で、「財源が少なければ少ないなりの行政サービス」をしてこなかった事の「ツケ」が回ってきたのである。
国や地方自治体が行う行政サービスは「全て税金で賄われる」と言うことが理解されていない。
少し例えがおかしいかもしれないが、一つの例えとして、「800円(税金)しか払わずに1000円の商品(行政サービス)を買う」といった時のことを考えてみたい。
不足する200円はどうすればよいのだろうか?。
一つや二つであればやりくりで何とかしのぐ事も出来るだろうが、数が増えればやりくりにも限界があり、やがては「倒産」と言う事になってしまう。
一般の商品であれば、例えお店が倒産したとしても「他の店で買う」と言うことも出来るが、「行政サービスを他の自治体にお願いする」などと言う事はとても出来る話ではない。
福田内閣が「支持率の低下」と言う危険を冒してまで、ガソリンの暫定税率維持、後期高齢者医療制度の導入、消費税の引き上げ論、・・・・をしなければいけないのは、国の財政状態が「大阪府と同じ様な事態」に追い込まれているからで、その事を理解しないととんでもない事になるであろう・・・・・。
「目先の利益に目が眩んで、その先の落とし穴に落ちる」と言う事にならなければよいのだが・・・・。
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