へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

やはり野に置けレンゲソウ

2008年09月30日 04時01分36秒 | Weblog
今回の中山国交相の問題発言で思い出した言葉で、最近の若い人はご存じないだろうが、かつて埼玉県選出で「荒船清十郎」と言う国会議員がいたのだが、才能を期待されて大臣になったのはいいのだが、大臣になったとたん「問題発言が多く辞任」と言うことになってしまい、その事に対して言われた言葉で、「野原で見るレンゲソウはきれいだが、鉢に植えるとダメだ」と言うような意味が転じて「見所があるので大臣にしたが、大臣にしたらダメだった」と言うことであるが、こんなことは至る所にある話であろう。
私も含めて、人間にはいろいろなタイプがあり、肩書きが付くことによって良くなる人もいれば悪くなる人もいるし、時には肩書きにつぶされてしまう人さえ出てくるのだが、かなりの「人を見分ける能力」を持った人でも見分けることは難しいだろう。
ましてや、二年で3人も総理大臣が変わり、そのたびに新しい大臣(一部留任もいるが)が選ばれるのだから「人材不足」と言うことになり、残された人の中から選ぶ以上「ハズレ」が出ても仕方ないだろう。
今の日本社会は「枝葉にこだわって根幹を忘れている」と言う状態になってしまい、まさに「迷走状態」に陥っているのである。
「民意が政治に反映されていない」とよく言われているのだが、私から見ると「これ以上民意に振り回されてどうするのだ!」と言いたくなる。
民主党小沢代表の掲げる政策もまた「民意に迎合」したものでしかないのだが、麻生総理の掲げる政策にしても「民意に迎合」したものに過ぎず、ともに「財源の裏付けが無い」と言う部分で共通している。
ともに「景気回復」と言うことに力点を置き、「内需の活性化」と言うことを言っているのだが、本当に活性化できるのだろうか?・・・・。
「無駄をなくして財源を確保」などと言っているようだが、これも民意に沿った考え方なのだが、正直な話「無駄を無くしたらどうなるのか?」と言うことを真剣に考えて事があるのだろうか?・・・・。
無駄=不要なもの、と考えられがちであるが、本当の意味で「無駄」と言えるものがあるのだろうか?。
「無駄の無い社会」と言うと、一見「理想的な社会」のように見えるが、「水清ければ魚住まず」と言うように、現実には住みにくい社会になってしまうのである。
「そんなことは無い」と言う人が多いと思うのだが、現実の世界は厳しく、冷静になって自分自身の生活を考えて見てほしいものである。
「国ですることと一般家庭ですることは違う」と言う意見もあるかもしれないが、現実はまったく同じ事で、家庭内の「ありとあらゆる無駄」をなくした状態を考えてほしい。
今私がこうして書いているブログも「無駄」と言うことになり、お菓子も果物も携帯電話も音楽プレーヤーもきれいな洋服も靴も化粧品も宝飾品も高級食材も・・・・もと、無くなってしまったらどんな生活になるのであろうか・・・・。
「お金が残るだけ」と考える人もいるだろうが、それはとんでもない間違いで、実際には「多くの産業が成り立たなくなり失業者だらけ」と言う状態に陥ってしまうのである。
真の意味の「無駄の無い社会」とは、文明の利器など何も無かった「原始社会」で、へそ曲がり的な考え方をすれば「無駄が人間社会を発展させてきた」と言えるだろう。
景気対策のために「無駄をなくして財源に充てる」などと言うことをしても、所詮は「場当たり的な一時しのぎ」に過ぎず、その後には「増税・自己負担の増加・・・・」と言う厳しい現実が待ちうけていることに気が付くべきだと思うのだが・・・・。
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中山国交相辞任

2008年09月28日 23時08分18秒 | Weblog
「さすが失言癖のある麻生総理が選んだ人だけある」、と言いたいのであるが、中山国交相の場合は「失言ではなく確信犯」と言うべきだろう。
同じ与党の中からさえ「辞めてすむ問題ではない!」と言う声が聞こえるほどで、麻生総理も任命した責任を謝罪していたのだが、その一方では「任命したときは適任だと思っていた」とか、「普通、官僚になったら口にしない言葉なのだが・・・・」とも言っているのだが、ここで私が問題にしたいのは、「普通、官僚になったら口にしないのだが・・・・」と言う部分である。
「官僚になったら口にしない」と言うことは、「建前と本音を使い分ける」と言う事で、これは官僚だけの話ではなく「ある程度以上の地位にあるもの全て」が当てはまることで、メディアに流されてくる報道は、そのほとんどが「建前論」と考えるべきで、安易に信用しないほうが賢明だろう。
小泉元総理の突然の引退表明の中で「総理のときに全精力を使い果たし・・・・」と言うのも一種の「方便」で、腹の中で何を思っているのかは本人以外は知る由もない事である。
話を元に戻すが、民主党の小沢代表が掲げる公約(マニュフェスト)も、このように考えて行くと「選挙に勝つための建前論」と言うことになり(麻生総理の公約も同類なのだが)、後になってから「増税・個人負担の増額・・・・」と言う本音が表れてくるのだが、そのときは「あの時は上手く出来ると思っていたのだが・・・・」と言う言い訳が出てきて「オシマイ」と言うことになってしまうであろう。
そして今日、まさにこのことを象徴するような言葉が民主党小沢代表の口から出てきたのである。
小沢代表の話「民主党に任せて上手くいかなかったときは、次の選挙で選ばなければ良い・・・・」。
全く先のことなど考えておらず、ただひたすら「政権が取れればいい」と考えているのだろう。
しかしながら、麻生総理率いる自民党にしても「五十歩百歩」でしかなく、ある意味「競り合い」をやっているようなもので、「高値(条件のよい政策)で落札」と言うことになるのだろうが、その「高値」の支払いは我々国民が支払うことになることに注意しなくてはいけない。
与野党ともに「景気対策」と言うことを前面に出しているのだが、いずれも「財源の裏付けがない」と言う共通した問題を抱えているのだが、「徹底して税金の無駄使いを無くす」「埋蔵金(ヘソクリ)を充てる」・・・・、と言うことで対応しようとしているようだが、本当の意味で「無駄」と言えるものがあるのだろうか?・・・・。
埋蔵金(ヘソクリ)にしても「一度使えばそれで終わり」と言うことで、「一時しのぎ」にしかならず、根本的な解決策にはならない。
「無駄な公共工事」と言うことがよく言われるのだが、無駄と言われる公共工事にも「雇用対策」と言う隠れた役割を併せ持っている事に注意しなくてはいけないだろう。
地方では、公共工事の減少が「雇用不安」と言う問題を引き起こし、地方の活力を奪っている。
賢明な登山家は「道に迷ったらやたらに動くな!」と言うように、今は「混迷した時代」なのだから、「やたらアレコレするな!」と思うのだが・・・・。
現状では、遭難(問題が起きてから)したとしても、「誰が助けてくれるの?」と疑問に感じて仕方ないのだが・・・・。
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無責任

2008年09月26日 02時52分27秒 | Weblog
安部・福田と二代続けて現職の総理大臣が「突然の辞任」をしたときに、多くの人が「無責任だ!」と言っていたのだが、私から見れば「小泉元総理の突然の政界引退」の方がはるかに無責任だと思うのだが・・・・。
年齢的に見ても、私より半年早く生まれた程度で、とても「政界から引退する」と言う歳ではないだろう。
本来であれば「長老・ご意見番として総理を助ける」と言う重要な仕事があるはずなのだが、それもしないで引退するなど「無責任もはなはだしい」と言わなくてはならない。
総理大臣を止めると言い出したときから感じていたのだが(実際は始めから胡散臭いと思っていたのだが)、「俺は郵政さえ民営化すればそれ以外はどうでもよい」と言った感じで、総理大臣を辞任した後はほとんど表舞台に姿を現わさず、そして今回の突然の引退表明である。
しかも、引退を表明する時期が「麻生新総理がアメリカへ行く飛行機の中」と言う絶妙なタイミングを選んでいるのである。
ところで、「メディアの報道と私の話が正反対」と思う人もいるかもしれないが、これには大きな理由があるのだ。
以前にも書いたことがあるのだが、私の場合はいくらでも本当のことが書けるのだが、メディアの場合はそうは行かない。
うっかり本当のことを報道してしまうと「それを快く思わない人たちの激しいバッシング」にさらされなければならず、その後に大きな悪影響が出てしまうのだ。
つまり「民衆に迎合した報道しか出来ない」と言うことになってしまうのだが、私の場合はそのようなことに気を使う必要はなく、閲覧者が少し減る程度で痛くも痒くもないのだ。

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地球は温暖化していると言うのに、寒冷化しているもの

2008年09月24日 04時00分42秒 | Weblog
人間社会(日本だけではない)の経済のことで、一部では「冬の時代」と言う表現をしているのだが、私は敢えて「冬の時代」と言う言葉は使いたくない。
何故使わないのか・・・・。
その理由は、「冬の時代」と言う言葉の裏には「我慢をしていればいずれ春が来る」と言う意味が込められているからであるが、「いずれ春が来る」と言うことは、最早「過去の言葉」と言ってもよく、一時的には回復することもあるだろうが、長期的に見れば「衰退(寒冷化)」して行くだろう。
私のブログはいつも暗い話ばかりで申し訳ないのだが、正直な話、明るいことを書こうと思えば書けるのだが、それでは「書く意味がない」と言うことになってしまうのである。
敢えて「暗い話」と書いたのだが、別な表現で、「警鐘」と言う言い方も連想してほしいと思うのだが・・・・。
「楽観的に考えて後で泣く」か、「最悪のことを想定して泣かずに済ませる」かは個人の自由選択だが、私が何とか無事に存在しているのは後者を選択してきたからである。
その一つの例が、多くの人がバブルに浮かれていたときに、息子が私に「父さん、うちは貧乏なの?」と言わしめたのである。
あの時に借金(住宅ローン)を繰り上げて返済していなければ、息子を大学に入れることも出来ず、今の私も苦しい生活になっていたであろう。
「楽の後に苦が来る」のと「苦の後に楽が来る」のでは、どちらが良いのだろうか?。
私は迷わず後のほうを選ぶのだが・・・・。
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大同小異

2008年09月23日 04時08分40秒 | Weblog
「ばらまきに対抗」の続きの様なものだが、麻生太郎が自民党の総裁になったことにより、民主党が政権をとっても自民党が政権を維持しても「大同小異」でしかなくなってしまったようである。
「ばらまきに対抗」と主張する麻生太郎が自民党総裁になったことにより、誰が言ったのか記憶にないのだが、かつてアメリカで「二つの悪のうち、より少ない悪を選ぶ悲しさ」と言われたことを思い出してしまう。
「総理大臣になるための人気稼ぎ」に終始している状態では、「船の過密地帯を自動操舵で航行する」様なものではないだろうか?。
「自分で勝手に描いたコース」に、沢山の船(難問)がいることに気が付かないのだろうか?。
事故が起きてから「シマッタ!」ではすまされないと思うのだが・・・・。
ただひたすらに前に進む(景気回復に努める)ばかりが能ではないはず、時には「勇気ある撤退」と言うことも必要だと思うのだが・・・・。
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消費電力

2008年09月23日 02時20分48秒 | Weblog
昼間電気の検針に来たのだが、検針票を見て「ビックリ!」である。
テレビを32型に変えたので、使用量は「前年より多くなっているか、良くて横ばい」と予想していたのだが、ナント、10%以上も減少していたのである。
昨年9月の使用量が「30日で306KW(1日では10.2KW)」だったのに対して、今年は「31日で275KW(1日では8.87KW」」と大幅(11.3%)に減少していたのである。
そこで、過去1年分の検針票を引っ張り出して比べてみたところ、不思議なことが起きていた。
昨年の10月から今年の3月までの半年間は、平均すると一日あたりの使用量が、前年の11.55KWに対して、12.07KWと、4.5%増加していたのだが、今年の4月から9月までの半年間では、前年の10.46KWから9.61KWへと、8.1%も減少していたのであるが、1年間を通してみると、1日あたり11KWだったものが10.83KWへと、わずか170W(1.5%)しか減っていないのである。
170Wと言えば、32型液晶テレビを1時間チョット見るくらいの消費電力で、天候などの影響も考えると、本当に減ったのかは不明であるが・・・・。
しかしながら、私のようなケースは少ないのではないだろうか・・・・。
こんなことを書くきっかけを作ってくれたのは、検針票のせいだけではなく、半月くらい前に聞いた近所の家の話も関係しているのである。
実は、その家では2年前から電気の使用量が「倍近くにも増えて困っている」と言うのである。
増えた原因はいたって簡単なことで、「ご主人が定年退職した」事が電力消費を増やしてしまったのである。
定年退職をきっかけに「テレビを大型(50型以上)にした」のだそうだが、それ以外にも、私と違って趣味がほとんどない人らしいので「昼間もテレビを見ていることが多い」と言うことで、当然のことだが「冷暖房の電気代も馬鹿にならない」と嘆いていたが、これでは電気の使用量が倍近くになるのも当然であろう。
そして、追い討ちをかけるように、「2年で体重が7キロも増加」と言うおまけまでつき、これ以上増えたら「着る服がない」と言うのである。
私の場合も、徐々にではあったが体重が増加して、58キロ台だったものが62キロまで増えてしまったのだが、半年くらい前から少しずつ減らす努力をした結果、やっと59キロ前後までは減らすことが出来たのだが、そこからがなかなか減ってくれず、増えないようにするのがやっとである。
あと3キロか4キロ減らしたいのだが、胃腸が丈夫なためか「食欲が落ちない」と言うことで、「ついつい食べ過ぎる」と言うことになり、食欲の秋を迎えて困っている。
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「ばらまきに対抗」

2008年09月22日 02時29分47秒 | Weblog
次期自民党総裁候補の麻生太郎が、民主党の党首である小沢一郎が掲げる政策に対抗して言った言葉なのだが、なんとも「無責任」な発言ではなかろうか?・・・・。
「何処が無責任?」と思う方もいるかもしれないのだが、ただでさえ財政難の折、いったい何処からばらまくための財源を捻出すると言うのであろうか?・・・・。
「あちらを削り、こちらを削り、無駄なことを止める」と言うことで対応しようと思っているのだろうが、そんなことをしたらとんでもない「ツケ」に苦しむことを考えたことがあるのだろうか?・・・・。
「そんなことは、問題が起きた時になって考えればよい」とでも思っているのだろうか?・・・・。
なんとも「無責任」な話で、総理大臣になったとたん「解散総選挙」と言う可能性が強いことを考えれば、「単なる名誉欲」ではないだろうか・・・・。
民主党の小沢代表にも同じことが言えるのだが・・・・。
「人の噂も75日」と言うように、時が経てば「第92代内閣総理大臣・麻生太郎」と言う名前だけが残り、業績(良い悪いに関係なく)などはほとんど忘れられてしまうのが世の常であろう。
その良い例として、「総理大臣」と言う甘いえさに釣られて自民党と連立政権を組み、「第81代内閣総理大臣」となり、「社会党を崩壊」させる原因を作った「村山富市」など「忘却のかなた」に忘れ去られている。
最近の話でも、元どころか「前総理安部晋三」のことでさえ忘れられかけているではないか。
「窮鼠猫を噛む」ではないが、余りにも突然の「福田総理の辞任」も、余りにもひどい周囲の「非協力的態度」から起きたもので、そのことが日本と言う国に「重大な問題」を引き起こさなければ良いのだが、「悪い予感」が的中しそうな情勢になり心配である。
財政難と言う時期に「ばらまき政策」を実行すれば、その後に待っているものは「今よりもっとひどい財政難」と言う難問が待ち受けていて、「ばらまいた分を上回る増税」あるいは「福祉をはじめとする行政サービスの切捨て」あるいは「その両方」と言うことになるのは仕方ないことであろう。
単なる人気取りの政策にだまされて「後で泣きを見る」のは我々一般市民で、その時になって嘆いても「後の祭り」「後悔先に立たず」である。
「注意一秒、怪我一生」と言うが、現状では「注意一秒」ではとても無理で、一生注意する必要がありそうなのだが・・・・。
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国会議員は人気稼業

2008年09月20日 04時16分37秒 | Weblog
国会議員に限ったことではないが、都道府県会議員、知事・・・・・と言う人たちは、悪い言い方をするなら「人気稼業」と言えなくもないだろう・・・・。
「人気稼業」と言えば、俳優・歌手などに代表される「芸能人」を連想するだろうが、議員や知事なども、所詮は人気に左右される芸能人と同じ「人気稼業」と言ってよいだろう。
ただ、両者の間には「決定的な違い」があることは確かなのだが・・・・。
その違いとは、芸能人の場合は「人気が落ちても引退しない限り芸能人でいられる」のに対して、議員や知事の場合は「人気が落ちると次の選挙で落選して、議員でも知事でもなくなってしまう」と言うことで、芸能人は「最後まで自分の持ち味(主義主張)を前面に出せる」が、議員や知事は「支持者の意向に従わなければ落選してしまうので、主義主張を前面に出すことは難しい」と言うことになってしまう。
同じ人気稼業でも、大きな違いがあるのだが・・・・。
昨夜の「ブログ通信簿」の中で、私に対して「政治家を目指しましょう」とあったのだが、以前私に「町会議員に・・・」と言う話があったことを書いているのだが、正直な話「その気は全く無い」のである。
これは仮の話であるが、仮に私が議員になったとしても「支持者の喜ぶようなことはしない」と言うことが「基本原則」なので、すぐに支持者がそっぽを向き「それで一巻の終わり」と言うことになってしまい、「議員になる意味が無い」のである。
これは、私自身が過去に何度か「選挙の裏側」に首を突っ込んだときに身にしみて感じた事が根底にある。
身にしみて感じたこととは、議員を支持する人(投票する人ではない)は、「止むを得ず(仕方なく?)支持する人」と、「あわよくば余禄を・・・・」と言う人ばかりなのである。
一方の「投票する側の人」にしても、「あの人なら何かをしてくれるだろう」と言う期待を込めて投票するのだろうが、「何かをしてくれるだろう」と言う「何か」は、「自分にとって利益になること」と言うのが真実ではないだろうか?・・・・。
このように、有権者が「私利私欲」で政治を考えているのであれば、日本の将来は絶望的だろう。
一度本当の意味で「痛い目」に合わなければわからないようなので、民主党に政権を任せて、その「本当の痛さ」を思い知らせるのも一つの手ではあるが、その後の混乱を考えると複雑な心境ではあるが・・・・。
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ブログ通信簿

2008年09月19日 21時31分00秒 | Weblog
遊び半分で「ブログ通信簿」に参加した結果がこれである。
文章にその人の性格が出るようで、「よいリーダーを見つけて、ブレインになりましょう」と言う部分など「まさにそのとおり」で、私が理想とする役職は「大久保彦左衛門のような立場」である。
天下のご意見番として「肩書きなど気にせずに物を言う」と言うことは、それを可能にするだけの「知識と能力を持った指導者」がいなければ無理な話で、それに近い人はいたが、「近い」と言うだけで終わってしまった。
「物事のよい面にも目を向けましょう」、確かにそのとおりなのだが・・・・、そんなことをしたら「へそ曲がり」の意味がなくなってしまう。
「政治家を目指しましょう」、と言っても、裏を知っているし、仮になったとしても「多勢に無勢」で、何も出来ずに終わるのが関の山であるから、そんな気は毛頭ないが・・・・。
「性別不詳、年齢54」については、「何も言えない」と言ったところか・・・・。
まあ、遊びだからどうでもよいことだが・・・・。
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「毒入り餃子事件」と「事故米流用事件」と「産地偽装事件」など

2008年09月19日 02時59分21秒 | Weblog
いずれの事件も最近起きた問題であるが、「毒入り餃子事件」のときに言われた「中国食品の安全性」が、今や「他人事」では済まされなくなってきている。
更に最近起きた事件に「メラミン入り粉ミルク」と言う問題があるが、この問題にしたところで、過去には日本でも「ヒ素入り粉ミルク事件」「PCB入り油事件」など、ずさんな管理や、安易な金儲けによって引き起こされた事件は数多く起きているのだが、政府や情報機関などは、中国で起きた事件をことさら仰々しく取り上げる傾向にあるが、これは手品の手法と同じで「注意を他にそらせる」と言う意味があるのだろう。
「中国のことを悪く言って日本の問題をぼかす」と言うようなことが行われているようでは、日本の進歩は期待できないだろう。
以前、一部の農家が「自家用の野菜と出荷用の野菜は別々に作る」と言うことを書いたことがあるのだが、これは野菜に限ったことではないと言うことを書き忘れていた。
「野菜に限ったことではない」と言うことは、「日本で作られた食品でも危険は至る所にある」と考えるべきで、「添加物不使用」と書かれた食品でも、よく見ると「添加物と表示しなくてもよい添加物」が使われていることも多いのだが、一部の業者は「防腐剤」のことを「添加物」と解釈しているところもあると言うから気をつけなくてはいけないだろう。
最近とみに強くなってきている「食品に対する安全思考」に付け込んで金儲けをする輩も増えているから、こちらも気をつけなくてはいけない。
賞味期限や消費期限にしても「明確な基準はなく、各社の自主判断に任されている」と言うことで、保存の仕方によっては期限を過ぎても問題がないものも沢山あるが、それを食べるかどうかは「自己責任」と言うことになるので、「それを判断する能力」と言うものも必要になってくる。
近頃は便利な世の中になったため、「機械任せ」「他人任せ」と言う傾向が強く、「自分で判断する」と言う能力に欠けてきているが、ことが起きてからでは手遅れで、「自分のみは自分で守る」と言う習慣をつける必要があると思うのだが・・・・。
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