へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「言語力が足りない」

2010年01月31日 04時02分10秒 | Weblog
NHK総合で「言語力を磨け」と言う番組を放送していたのだが、元々不足している日本人の言語力が、携帯のメールなどで急速に失われようとしているのだそうであるが、日本人は元々言葉に表して自分を表現する事が苦手なのだが、それに追い打つをかけるのが、携帯の小さな画面では全体的な文章のまとまりを確認することが難しいため、前後の脈絡のない文章になりやすく、良くある事なのだが「こいつ一体何を言いたいの?」と言う事態にぶち当たってしまうのです。
私が書いているブログも、けして自慢できるような文章にはなってはいないのだが、それでも1000文字程度の文章を書き上げるのには「1時間くらいかかる」のです。
以前ある人に「1000文字で1時間?」と言われた事があるのだが、出来上がっている原稿を入力するのであればいざ知らず、前後の文章との繋がりを考え、書き上げた文章を再確認するなどすれば「1時間はアッと言う間」なのです。
このように、普段からこのような事をしていれば「全体的な意味の掌握」も出来るのだろうが、携帯のメールに馴染んでしまった人には「一部分しか理解できない」と言うことになり、大きな「意味の取り違い」も起きてくるのです。
「木を見て森を見ず」と言うように、現代の若者たちの多くが「目先の事ばかりで全体的に物事を見ることが出来ない」と言う弱点を持っているのだが、残念ながら、そのことを彼らは気が付いていないのです。
このような「全体的な物事の判断が出来ない人」が増える事によって「群盲象をなでる」と言うようなことが起きてくるのだが、その先に待っている物は・・・・。
オバマ大統領が、「アメリカの競争相手は、中国、ドイツ、インド」と言って、敢えて日本を入れなかったのも当然の話と言ってよいだろう。
そして、このような状態を続けるなら「世界中が日本を相手にしなくなる」と言うことも有り得ることでしょう。
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「973兆もの借金」、一体誰が払うの?

2010年01月30日 02時17分37秒 | Weblog
以前からしばしば国債(国の借金)について書いているのだが、平成22年度末の国の借金が「973兆円」と発表されたが、これはあくまでも「国の借金」であって、地方自治体(県や市区町村など)の分は含まれていないし、不景気で税収が減れば更に増える事になるだろう。
そして、何時も書くことではあるが「国の借金なのだから我々には関係ない」と思っている人も多いのである。
更に困った事には、「このようなことを報道するメディアが殆どない」と言うことである。
新聞もテレビもこのことに触れる事は殆どないのだから、ネットなどで情報を得ている人たちのは「全く無縁な話」と言わざるを得ないだろう。
この事は、以前書いた「デジタル社会の欠点」と言っても良く、デジタル化によって多くの情報が送られる「情報化社会」の落とし穴と言っても良いだろう。
これも過去に何度も書いているのだが、「情報化社会→情報(過)社会→情報(禍)社会」と言う「負の連鎖反応」を起こしているのである。
かつて「テレビは人間を白痴化させる」と言われていたのだが、今では「デジタル化は人間を廃人にする」と言わねばならないかもしれない。
「バカとハサミは使いようで切れる」と言う言葉が有るが、その一方で「ハサミも使いようによっては凶器になる」と言うことも気をつけなくてはいけないことで、デジタル化社会も「使い方を間違えると害が有る」と考えなくてはいけないのだが、最早「デジタル依存症」に陥っている人が大勢いるようであるが、前回の記事で「政治依存症」のことを書いたように、「デジタル依存症」にも同じことが言えるだろう。
バカやハサミばかりか、薬だって使い方を誤れば毒にもなり、毒だってうまく使えば薬になる事だってある事に気が付きべきだと思うのだが・・・・。
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国民は何故政治にばかり頼るのだろうか

2010年01月29日 19時34分14秒 | Weblog
以前から書こうと思いながら何となく書きそびれていたことに「政治依存症?」と言うことが有る。
「政治依存症」、「依存症」である以上、それを断ち切って自活する能力がなくなり、自らの力で解決すると言う「自助努力」と言う能力も失われているのである。
「自助努力」とは、読んで字のごとく「自らを助けようと努力する事」である以上、政治の力で解決することが難しいのだが、今多くの国民がしていることは、最近問題になっている「モンスターペアレント」とか「クレーマー」と呼ばれる人たちと同じ事をしているに過ぎず、そこに付け込んで成立した民主党政権なのだから「問題が山積み」なのは仕方がないだろう。
モンスターペアレントやクレーマーが何故問題になるかを考えれば、今の政治の混乱もわかると思うのだが・・・・。
全ての依存症に共通の事では有るが、一度依存症になってしまえば、そこから抜け出す事は非常に困難な事なのだが、そこから抜け出さない限り「悲惨な未来が待っている」と言う事は覚悟しなくてはいけないだろう。
私自身は政治に頼る事を可能な限り避けようとはしているが、「自助努力にも限界が有る」と言う事は知っているのだが、その先に有るべき「政治の力」が存在しないのが悩みのタネである。
多くの国民が望むところの「景気回復」だが、理想論から言えば「景気が回復して欲しい」とは思うのだが、私個人の考えから言えば「望む方が無理」だと思っている。
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隔世の感

2010年01月28日 04時26分01秒 | Weblog
新聞に載っていた「郵便貯金の預け入れ限度額の推移」なのだが、僅か半世紀余りでこれほどの違いが出るとは、正に「隔世の感」である。
1946年は終戦の翌年で、私は未だ4歳だったのでまるで記憶が無いのだが、52年ごろ(私が10歳の頃)は、未だ「50銭(1円の半分)札」と言うものが立派に通用していて、駄菓子屋でお菓子が買えたのです。
1円持っていけば大威張りお菓子が買えたものだが、今では到底想像も出来ないだろうが、この頃は「卵が一個15円」「バナナは一本30円」「ラーメンも一杯30円」していたのだから驚きです。
そして、この記事を見てある悲惨な事件を思い出してしまったのです。
当時は百万円有れば「百万長者」と言われていたものだが、ある時、近所に住む貧しいおばあさんが「栄養失調」で亡くなったのだが、亡くなった後でわかったのは「布団の下に百万円もの大金を貯めていた」と言うのです。
当時は銀行にお金を預けず「現金で家に置いておく」と言う家も結構あったようだが、百万円もの大金を貯めながら「栄養失調で死ぬ」など、何とも哀れな話であるが、このおばあさん、身寄りが全く無かったそうで、頼る人がいなかったので「お金を頼りにした」のではないだろうか。
それにしてもこの大金、大卒の初任給が1万円にも満たない時期に一体どうやって貯めたのだろうか。
「高利貸し」をしていたと言ううわさもあったのだが・・・・。
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「既得権益」について

2010年01月26日 03時51分22秒 | Weblog
民主党が、官僚や各省庁の「既得権益」に対して激しい批判をしていたのだが、鳩山総理の「母親からの資金援助問題」や、小沢幹事長の「資金管理団体の土地購入に関する疑惑問題」など、かつて「自からが自民党の批判をしていたことを、自らがする」と言う問題を起こしながら、総理大臣の座や幹事長の座を降りようとしないのは、言い方を変えるなら「既得権益にしがみついている」としか言いようが無いであろう。
ただ・・・・、このようなことは、鳩山・小沢両氏だけに限ったことではなく、人間なら誰でもやりかねないことなのであるが・・・・。
実際には「生物界全般」にも当てはまる事で、人間だけがすることではなく、「地球上でごく普通に行われている」事なのです。
「地球上でごく普通に?」と思われるだろうが、「既得権益」は「他の人より先に手に入れた有利な条件」と言うことも出来るので、「餌や水などが簡単に手に入る場所」など、生きてゆくのに都合の良い場所(既得権益)を必死で守ろうとする(縄張り争い)のと同じ事なのである。
そして、自然界で「既得権益を失う(縄張り争いに負ける)」と言う事は「生死にかかわる重大な問題」でも有るのです。
このように考えれば、鳩山・小沢両氏のとっている行動は「自然界の理にかなっている」と言う事で、所詮「鳩山・小沢両氏ともタダの人」でしかないのです。
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若さには「未熟」と言う意味も有る

2010年01月25日 19時08分54秒 | Weblog
何時の時代でも言われる事に「今時の若い者は・・・・」と言う言葉が有るのだが、法律的には、「20歳になれば大人として扱われる」と言う事が思わぬ誤解を生む事も多いので有る。
確かに、20歳になれば法律的には大人なのだが、いわば「大人の1年生」でしかなく、十分な経験をつんだ大人たちと同列にするわけにはいかないのであるが・・・・。
これを書く気になったのは、知り合いの職人の嘆きを聞いたからである。
その人は40年以上も同じ仕事をしており、正にベテランなのだが、先週有る現場で「若い職人のために大損害(100万円以上)を被った」と言っていたのである。
この不始末をしでかした職人は、親方の言う事を守らず「今日やってはダメだ!」と言う仕事を、翌日自分の都合で仕事を休みたいばかりに、「皆が帰った後にコッソリやった」のだそうである。
翌朝「休ませてください」と言う電話が有ったのだそうだが、不審に思った親方が現場に行ったところ「見るも無残な現場」を見ることになったのだそうです。
1日置かなければ十分な強度が出ないため、次の仕事をしてはいけないところに次の仕事を無理にすればどうなるか・・・・。
ある程度経験を積まなくてはわからない事もある事が理解できなかった事が起こした事件で、「若さゆえの過ち」とも言えるだろうが、今の時代は私たちの時代と違って「タメ口が当たり前」の時代で、「タメ口を利く」と言う事は「自らの未熟さがわからなくなる」と言う問題も起き、「未熟なままの大人」が増え続けることだろう。
そしてこの「未熟なままの大人」が増える事によって、最近問題になっている「キレ易い人」が増えているのだが、これは若い世代ばかりでなく「高齢者」にもいるのだが、この「キレ易い人」は「我慢(耐える事)をする経験をしたことの無い人」と言うことも出来、昔であれば「我慢(耐える事)をするのが当たり前」の時代であったが、これからは「我慢(耐える事)するのが当たり前」と思う時代の人がどんどん減ってゆく。
その結果として「些細な事でキレて争いが起きる」と言うことが多発する事も覚悟しなくてはいけないと思うのだが・・・・。
「若さ=活力が有る、最新の知識が有る、・・・・」と、良い事ばかりが強調されているが、「若さ=未熟」と言うことも十分に理解しておく必要が有ると思うのだが・・・・。
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最近気分が優れない日が続いている

2010年01月25日 03時00分35秒 | Weblog
年明け早々の「悪夢」が今だに尾を引いている事も有るのだが、昨年11月まで元気だった82歳のボーリング仲間が突然8日に亡くなった事が追い討ちをかけているのです。
私だけでなく、多くのボーリング仲間も「一つの目標」にしていた人で、突然の訃報に皆ビックリしているのです。
後10歳若ければこれほどの落ち込みも無かったのだろうが、さすがに寄る年波には勝てず、しばらくはこの状態が続くのは覚悟しなくてはいけないだろうが、1年で一番寒い時期と重なっている事も影響しているのだろう。

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朝三暮四

2010年01月23日 04時27分19秒 | Weblog
国会討論の中で出てきた言葉で、鳩山総理も意味を理解できていないようだったが、私自身も正直な話初めて聞く言葉である。
早速辞書で調べると、その意味の中に「口先でうまく人をだますこと」と言うのが有り、「なるほどな」と思ってしまった。
過去には自民党も似たようなことをしており、それを民主党などが批判をしていたのだが、今度は批判していた人が同じことをしているのであるが、これなどは「建前と本音を使い分けている」と言っても良いだろう。
しかしながら、この様な建前と本音の使い分けはどこでも起きる有り触れた事で、特別驚くことでは無いのですが、自分ではそんなことはしていないと思っている人が大半なのが残念です。
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知らぬ存ぜぬ

2010年01月21日 03時57分37秒 | Weblog
この言葉は、昔の「悪徳代官」や「悪いことをした役人」などがもっぱら使っていた言葉だが、今の民主党の鳩山総理や小沢幹事長もよく使っている。
それにしても、鳩山総理や小沢幹事長の答弁を聞いていると「口先だけで何とかごまかそう」と言う姿勢が明確に現れており、何とも醜い姿である。
一国を代表する人たちがこのような事では、「日本の国際的信用」は失墜してしまうであろう。
沖縄の米軍基地の問題にしても、「単なる人気取り政策」に過ぎず、先送りしたとしても何の解決策も出てこないだろう。
私に言わせれば、沖縄の米軍基地は「必要悪」で、理想を言えば「無い方がよい」のは当然の話しではあるが、有事の事を考えると「必要悪として受け入れるしかない」のです。
報道などでは「学校のそばに基地がある」と言う言い方をしていることが多いのだが、現実には「基地のそばに学校を作った」と言うことを忘れてはいけないのでは・・・・。
「学校を作るだけの広さのある土地がそこにしかなかった」と言うことでは「文句を言う方がおかしいのでは・・・・」と言いたくなってしまう。
基地の存在が「必要悪」である以上、「沖縄への優遇策」と言うことも視野に入れて考えるべきだと思うのだが・・・・。
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何故、デジタルが良くてアナログがダメなのだろうか?

2010年01月19日 04時44分41秒 | Weblog
これはテレビの話ではなく、広く一般的な観点から見た話で、私から見れば「どちらもそれぞれ長所と短所がある」と言いたいのです。
「デジタルの長所はアナログに短所で、アナログも長所はデジタルの短所」である事は余り問題として取り上げられる機会が少なく、もっぱら「デジタルの良い面」ばかりが強調されているが、何もかもデジタル化された社会など想像したくもないのです。
デジタルの世界は「1か0」と言う世界で、その間にある曖昧(ファジー)な部分を表現することが難しいのです。
これを別な例えで考えて見ると、デジタルを英語に、アナログを日本語に置き換えたような感じではないだろうか。
アルファベットが26しかないのに対し、日本語の場合は、「漢字、ひらがな、カタカナ」を合わせると無数の組み合わせが出来ることにより「微妙な表現」も可能だが、26個のアルファベットの組み合わせではとてもこのようなことは出来ないのです。
「地デジ」を始めとして、様々な分野でデジタル化が進められているのだが、その影響を受けて「物の考え方までデジタル化」しているようで困った物であるが、それを助長しているのだ「活字離れ」と言っても良いだろう。
「携帯小説」や「書籍のデジタル化」が進めば、「広い視野に立って物事を判断する」と言うことが出来なくなってしまうのではないだろうか。
最近良く聞く言葉に「キレル」と言う言葉があるが、冷静になって考えて見ると「話の中の一部分だけが問題になる」と言うことが多く、全体的に話の内容が判断できれば「キレル事はない」と思うのだが・・・・。
携帯電話(メール)の普及も大きくかかわっているだろうが・・・・。
いずれにしても「デジタル化社会の弊害」と言えるのではないだろうか・・・・。
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