へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「群盲」は差別用語だったんですね

2007年09月30日 19時31分58秒 | Weblog
全く気が付かずに使っていました。
気分を害された方には「ゴメンナサイ」。
私のブログの中には、幾つもの差別用語が使われていると思います。
ここで、「私の真意」を書いておきたいと思います。
今回の「群盲象をなでる」だけでなく、「目明き千人、メクラ千人」と言う表現は、障害者を差別する意味ではなく、「健常者」に対する「皮肉」として使っています。
「五体満足」な健常者が、障害者と同じか、それ以下の事しか出来ない。
ナンとも「情けない」話です。
ここで名前を出すわけにはいきませんが、「一部の企業」では、「健常者の中にいるメクラ」(物事の本質を知らない・知ろうとしない人たち)相手の商売を始めています。
ネット上に流れる情報、TV,ラジオ、新聞、雑誌などによる情報は、「情報操作」をする気になれば十分可能なのです。
特に、日本人は「群れたがる」傾向があります。
「意図的」に大量の情報を流せば、その情報に左右される人は多いでしょう。
「情報操作」は、共産圏や軍事政権国家だけではないのです。
数の力、権力などによって「自分にとって都合の悪い事」を隠蔽しても、それを暴く事はたやすい事ではありません。
「最後は正義が勝つ」等と言う事は、「夢物語」に近いかもしれません。
結局最後は、「数の力が物を言う」と言う事になるでしょう。
「格差の無い社会」など出来るはずがありません。
昔から「金が金を呼ぶ」と言います。
豊かな人(富裕層)はより豊かに、貧しい人は・・・・・・?。
最早、「時代の流れ」が変わってしまっているのです。
その原因は、「原油の高騰」に有るでしょう。
それでは何故、原油が高騰したのでしょう?。
生産量を増やせば、価格は下がります。
しかし今の情勢では、産油国が増産してくれる事は期待薄です。
多くの産油国は、原油以外に売るものが殆ど無い「売り食い状態」なのです。
「原油の枯渇」が現実のものとなっては、「少しでも高値で売りたい」と言うのが本音でしょう。
かつては、「買ってやる」だったものが、今では「売って下さい」に代わってしまったのです。
「攻守所を代える」と言う事になってしまったのです。
こんな事も解らない国民や政府は、「群盲以下」と言わざるを得ない。
これも「差別発言」と言う事になるのか?。
何年か前、小柴さんと田中さんが、同時にノーベル賞を受賞した時に、誰かさんが「日本もたいしたものだ」とバカ騒ぎしていたが、その後、ノーベル賞のノの字も出て来ない。
アメリカは100万人以下で一個、北欧では30万人位で一個もらっている国もある。
それに対し、日本は一千万人で一個。
「自分に都合の良い情報だけを強調する」。
これも、「情報操作」の一種である。
洪水のように情報があふれる「情報化社会」。
その中から有益なものを選ぶ。
大変な事である。
有益だと思った情報が、後になって「有害な情報だった」と言う事にならない様に気を付けなくてはいけない。
他人を安易に信用してはいけない。
最後は「自己責任」で身を守るしかない。
いざとなったら、他人(政府も含めて)は守ってくれないのだから。

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群盲象をなでる  その2

2007年09月30日 04時27分31秒 | Weblog
昨日は爆笑問題と、慶応大学の教授について書いたのだが・・・。
こんな事は、今の世の中では至る所で、「極あたり前」に行われている。
政治の世界だけでなく、一般市民でさえも気が付いていない。
各人(党)各様に、言いたい事を言っている。
どの意見、主張にもそれぞれ根拠があり、その問題だけを考えれば「間違えではない」かも知れない。
しかし、現実の世界で、物事がそんなに単純に運ぶのであろうか?。
様々な事が「複雑に絡み合っている」はずである。
個別に考えれば間違っていない問題も、総合的に考えた時には「間違い」と言う事だってある。
日本の行政でよく言われる「縦割り行政」。
横のつながりナシに行われる為、何か問題が起きたときには「責任のなすりあい」と言う事になる。
「長期的視野」に基ずいた考えが無いので、政権が変わるたびに政策もコロコロと変わってしまう。
「政府が悪いのだ」と言うのは、「天に唾する」事と同じである。
「明るい日本」も、看板を下ろしてしまった。
新しい政権だけではなく、それ以外の党も、「口にする政策」は、気まぐれな有権者の気を引こうとするものばかり。
政治だけが悪いのではない、「目先の私利私欲」にしか目が行かない有権者にも「責任の一端」があるのだ。
何人もの人と話しをしてみたが、全て自分に都合の良い要求をするばかり。
そして、「当の本人」は何もしないのである。
「都合の良い要求」だけをして、その要求が実現しなければ「文句」を言う。
国民がこれだから、日本と言う国が悪くなるのは「当然の事」と言うべきだろう。
「美しい日本」など出来るわけが無い。
「物があふれる豊かな国?」になった代わりに、「心が貧しく」なってしまったのだ。
「物質社会」を手に入れるために、心を売り払ってしまったようなものである。
「日本人は頭が良い」等と言われたのは。一体何時の事であったろう?。
「幻影」であったのかもしれない。
「私も後何年生きられるであろうか?」。
「生き延びられるだろうか」といった方が良いかもしれない。
少しでも長く「平穏な社会」が続いて欲しいものである。
出来る事なら、私の予側が外れてくれればよいのだが。
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群盲象をなでる

2007年09月29日 03時43分51秒 | Weblog
爆笑問題が、慶応大学の教授達とトークバトルをしていた。
単に話だけを聞いている分には面白いのだが、各教授達は自分の専門分野の話に集中する。
それぞれが単独にバラバラな話をしているので、アタカも「群盲象をなでる」状態に成っている。
「2030年の日本はどうなっているのか?」。
いろいろな話が出てきたのだが、幾つかの重要な話が抜けている。
その分野の教授がいないのだから当然である。
世の中の成り立ちは、様々な事が複雑に絡み合って成り立っている。
その中の一つでも欠ければ、「全く違う結果」になることもある。
しかし、ここに困った問題がある。
私のような一個人が発言する分には、それ程問題にならないのだが、メディアで私と同じ事を言った場合は大問題になる。
「視聴者からクレームが付くような内容」のものは、放映出来ないのである。
たちまち「槍玉」にされて、大変な事になる。
その結果、視聴者に希望(夢)を持たせるような内容になってしまう。
困った事である。
23年後の世界は、エネルギー、食料、貧困などの問題が深刻化しているのではないだろうか?。
人類は、脳が発達して「言葉や知能」を持つようになったのだが、その事が人類にとって幸せなのかどうかは「少々疑問」に思う。
自然界では、「自然淘汰」によりバランスが保たれてきた。
人類だけが、自然の法則である「自然淘汰」を免れて発展してきた。
しかし、地球という限られた規模の中では、「無限の発展」は有り得ない。
ねずみ講と同じで、いずれ行き詰まるのである。
温暖化や異常気象などは、その「前兆」ではないだろうか?。
もはや「明るい未来」は、夢物語になってしまうだろう。
レジ袋の削減や、省エネで解決出来るレベルではなくなっている。
数十年先には、否応無く「昔の生活」に戻らざるを得ないかも知れない。
場合によっては、エネルギーや食料、鉱物資源を巡って「深刻な争い」が起きる可能性もある。
そうなれば、資源の乏しい日本は大変な事になる。
食料自給率も40%では、とてもお話にならない。
「形や見てくれ」が悪いと廃棄されていたものでも食べざるを得なくなるだろう。
お米にしても、「味よりは収量」が重視される事になるかも。
戦争中のように、「贅沢は敵」という事にもなるのでは?。
「配給制度」の復活も有り得る。
再生産の難しい、化石燃料や鉱物資源に頼った生活をする限り「この問題」から逃れる事は出来ないであろう。
宇宙旅行など「夢のまた夢」と言ったところ。
「備えあれば憂いなし」、「希望的予測」ばかり信じているとショックが大きいかもしれない。
少なくとも、私は「希望的予測」は少しも持っていない。
ガソリンや食料品その他の値上がりも、「来るものが着た」という感じである。
「時代の潮流」がそうなっているのだから、受け入れるしかないだろう。
潮流に逆らってみても、結局は押し流されるだけ。
政治に期待するのは「愚の骨頂」である。
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「科学が発達した」って本当?

2007年09月28日 04時28分44秒 | Weblog
昼間、或る人と科学の話しをした。
その人曰く、「こんなに科学が発達しているのに、何でエネルギーや地球温暖化の問題が解決出来ないのか?」というのである。
一般の人の多くは同じ様に考えているのではないだろうか?。
しかし、私は「それ程発達してはいない」と思っている。
確かに、昔から比べれば発達はしている。
しかし、決して十分といえるレベルではない。
朝鮮人参やローヤルゼリーの有効性は解っても、どの成分がどの様に作用しているのかさえ解っていない。
漢方薬にしても同じ事が言える。
様々な理論に基ずいた実験が行われているが、理論どうりにいかない方が多いはず。
理論に基ずく予測と正反対の結果になる事さえある。
何故この様な事が起きるのだろうか?。
科学が発達したといっても、それは、千里の道の一歩か二歩を踏み出した程度なのかもしれない。
現実は、解らない事だらけ。
人間の能力を超えたコンピューターは出来るだろうか?。
私は無理だと思う。
計算能力や検索など、一部の事は人間以上の能力をすでに持っている。
しかしこの能力は、人間の手でデーターを入力しなければ発揮する事は出来ない。
状況を自分で判断して動くロボットにしても、結局は人間が居なければ何も出来ない。
「エネルギー問題も科学技術で解決を」と言う人もいるが、これも無理だろう。
かえって消費量を増やす事になるのでは?。
そして新たな問題を発生させるのである。
バイオエタノールの生産増が、穀物の価格高騰を招いている。
穀物の価格高騰は、二次製品の値上がりにつながり、それが更に次々と波及してゆく。
「風が吹くと桶屋が儲かる」と言う理論の通りになるのである。
何かを実行すれば、必ずそれに伴い「新しい問題」が発生する。
「いたちごっこ」である。
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なんでも反対野党

2007年09月26日 04時21分42秒 | Weblog
今に始まった事ではないのだが、野党党首のインタビューを聞いていると、「批判と揚げ足取り」に終始している。
「建設的意見」を言う事は出来ないのだろうか?。
「批判と揚げ足取り」ばかりしている限り、政権を担う事は難しいだろう。
気まぐれな有権者が多いので、一時的には政権の座に着くことは出来るかもしれないが、すぐに行き詰まるのは目に見えている。
有権者の多くは、常に「自分にとって利益になる事」を求めている。
しかし、情勢は非常に厳しくなっている。
良くなる可能性より、悪くなる可能性の方が「圧倒的」に大きい。
ねずみ講(マルチ商法)は、法律で禁じられている。
ねずみ講は、子を増やし続けなければ成り立たない。
さて、ねずみ講と経済の発展は同じ事では無いだろうか?。
ねずみ講は、高い利益を上げるために「急速な展開」をするために問題になる。
それでは、経済の発展はどうであろう?。
経済が発展する為には、消費(需要)という子が必要である。
品物を作っても、消費されなければ在庫が溜まって、たちまち破綻してしまう。
日本が戦後「急速に発展」出来たのは、「何も無かった時代」から、様々な需要を掘り起こし「消費の拡大」を図った為である。
しかし、「物余り時代」と言われる現在では、「新たなる需要」を掘り起こすことは難しい。
中国が、高い成長を続けられるのは、日本の十倍、13億もの人口に支えられているからである。
いずれ、日本と同じ様になるだろう。
その前に、環境問題、エネルギー需要の増大、食料不足、水不足などで行き詰まるかもしれない。
かつて、膨大な水量を誇っていた黄河でさえ、農業用水の増加で、「断流」と言う問題が起きいている。
食糧の増産が「水不足」と言う問題を発生させているのだ。
人口の増加を抑える為に取られた「一人っ子政策」。
しかし、その政策による弊害が少しずつ表面化して来ていることも心配である。
多くの企業が中国に進出している現状では「対岸の火事」と言うわけにはいかない。
中国に何かあれば、その影響は日本にも及ぶであろう。
暗い事ばかり書いているが、「供えあれば憂いなし」である。
その時になって慌てても仕方ない。
最後は「自分の身は自分で守る」しかない。
いざとなっては、他人の身を心配する余裕など無くなるはず。
「過大な期待」はしないほうがいい。
期待が外れたときのショックが大きくなるだけ。
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小泉元総理、福田自民党総裁、大田公明党代表の共通点

2007年09月25日 04時07分57秒 | Weblog
昼間、福田総裁と大田代表の記者会見のニュースを見ていて気が付いた。
記者会見をしている時の表情が、小泉元総理と良く似ているのだ。
「傲慢な態度で相手を見下す」様な感じがするである。
安部前総理とは大分感じが違う。
党幹部に派閥の領袖を置き、「数の力」で行くつもりではないだろうか?。
「古い自民党に戻った」と言う意見も有るが、現在の状況を考えれば「止むを得ない」事かもしれない。
有る意味で、阿部さんは「人柱(あるいは捨石)」になったのかもしれない。
阿部さんが「人柱」になったことで、福田政権が成立したと言う事も出来るのではないだろうか。
しかし、誰が総理大臣になろうが、「日本と言う国」が良くなるとは思えない。
景気の回復、福祉、年金、医療、格差、・・・・・・・・。
どの問題をとっても、前途は多難である。
以前にも書いているのだが、原油高によるガソリンの高騰。
ガソリンの高騰で、代替燃料としてのバイオエタノールの生産が大幅に増えている。
私が日頃口にする、「風が吹くと桶屋が儲かる」と言う理論どうり、食料品などの「価格上昇」が始まっている。
NHKの番組の中で、ある家庭の消費を元に計算したところ、一ヶ月に4千円余りも負担が増えると言うのである。
これは、現時点での話で、この先どうなるかわからない。
原油の高騰は更に進んでいる。
「需要と供給の原理」から考えると、一時的な値下がりはあっても、長期的には上がり続けると思う。
原油の埋蔵量には限度が有るのに、需要は増え続ける。
値上がりするのが当然である。
経済評論家(一般には専門家とも言われる)等は違う事を言う人もいるが、私の様な事を言ったら仕事の依頼が来なくなり、「飯の種」に困るであろう。
専門化とか評論家の言う事は、余り信用しない方がいい。
外れたって「人の噂も45日」、次に現れる頃には、殆どの人が前に何を言ったか覚えていないのだから。
私などは、この記事が誰にも読まれなかったとしても、「飯の種」に困る事はないのだから。
その点、気象予報士の方などは大変である。
自然現象を予想するのである、当たる方が不思議ではないか?。
先日の台風9号。
各地に、重大な雨と風の被害を残して行った。
ところが、私の住む埼玉県西部地方は、雨は可也降ったのだが、台風の中心が可也近くを通過したにも拘らず、風の被害は全くと言って良い程なかった。
少し離れたところでは、被害が出ているというのにである。
何がどの様に作用して、このような結果をもたらしたのかは解らないであろう。
「次も同じ事が起きる」等と言う事は、自然現象では在り得ない。
政治の世界でも、人生でも同じであろう。
格差が問題になる事か多いが、視点を変えると、格差が有るから「人生は面白い」と言えるのかもしれない。
格差のない社会は、「無気力で変化の無い」つまらない社会になるような気がする。
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自民党総裁に福田康夫

2007年09月24日 04時27分07秒 | Weblog
福田であろうが、麻生であろうが、大局的に見れば大して変わりないのでは?。
同時進行で、二人が政権の運営をするわけではないので、どちらが良いか悪いか比較の仕様がない。
国民は、一人一人がそれぞれに希望(要求)を持っている。
「ああしてくれ、こうしてくれ」と、勝手な希望を並べ立てているが、全員を満足させる事など不可能である。
それではどうするのか?。
結論から先に言えば、「選挙に有利」な政策を優先するであろう。
「選挙に有利」とは?。
「いかに多くの票を集められるか」である。
「多くの票が集まる所」、それは大都市である。
結局のところ、地方や弱者は「二の次、三の次」と言う事になる。
「数が物言う社会」
政治が作った物ではない、国民が作った物である。
「目先の利益」を追求した結果起きた「副産物」なのです。
「風が吹くと桶屋が儲かる」、と言う事は「風が吹かなきゃ桶屋は儲からない」と言う事になる。
別な言い方をするなら、「ドミノ倒し」ともいえるだろう。
ドミノ倒しの場合は、駒の立て方が悪いと、「途中で止まる」事が有るが、人間社会では止まる事はない。
その上困った事に、「ドミノと違って」どの様に波及するか予想が難しい。
後になって「こんな筈ではなかった」、と言う事にもなる。
時すでに遅く、元に戻す事は出来ない。

有権者は自分勝手である。
自分が支持した人でも、「自分に都合の良い事」をしてくれなければ、すぐに乗り換える。
いきおい候補者は、有権者に嫌われまいと、「有権者が喜びそうな政策」ばかり並べ立てる。
「長期的視野」に基ずいた政策等、立てられるはずがない。
「出たとこ勝負」ではうまくいく方が不思議である。
日本と言う国全体が「老齢化」しているのだ。
「老化現象(人間の事ではない)」に伴う問題が増えてくる事を覚悟するべきである。
福田康夫自民党総裁は、当然の事、総理大臣になるであろう。
「お手並み拝見」と行きたいのだが、多くの国民は、自分の予想どうりに行かなければ、「麻生の方が・・・・・・」と言う事になるであろう。
毎度「同じことの繰り返し」である。
何度同じことを繰り返せばいいのだろうか?。
日本と言う国全体が「老齢化」してしまったのだから、「打つ手なし」かもしれない。


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人間には暑すぎても@には快適?

2007年09月22日 22時09分54秒 | Weblog
秋の彼岸だと言うのに暑い。
今頃でも残暑と言うのだろうか?。
室内でも30度を越えている。
おかげで@たちは元気溌剌。
湿度は60%を割っていても、一向気にならない様子。
容器の内側に金網を張ってあるので、天井まで上がったり降りたり。
時折、「アクロバティック」な姿も見せてくれる。
脚一本で天井にぶら下がっているのを見ると、落ちやしないか心配になるが、落ちたのを見た事がない。
そんな@たちの姿を見ているうちに、ふっと、疑問がわいてきた。
「@は貝殻の中に少量の水を貯めている」と言う話。
どう考えての納得がいかない。
上から降りてくる時に、貝殻が完全に逆さまになる事があるが、水がこぼれるのを見た事がない。
宿替え直後の貝殻を見ても、濡れてはいない。
逆に、不用意につまみ上げた場合には、水がたれる事が有る。
@と同じ様に、陸上生活をするカニたちは、甲羅の内側に水を蓄えている。
アメリカザリガニなども、可也の時間、水中から出ても生きている。
しかし、陸生のカニでも、甲羅の中の水が少なくなると、弱って、やがては死んでしまう。
オカヤドカリも、同じことが言えるのでは?。
オカヤドカリは、貝殻の中に水を貯めるのではなく、甲羅の中に水を貯めるのです。
何かの刺激で驚いた時に、甲羅の中の水が貝殻の中にこぼれる。
この事を勘違いして、「@は貝殻の中に少量の水を貯める」と言う事になったのだと思う。
これは私の推論であるが、「小さい鋏で水を飲む」時は、本当に飲んでいる時。
「両方の鋏をそろえて飲む」時は、甲羅の中に水を補給しているのだと思います。
甲羅の中に「タップリ」と水を貯めている時は、少しの事でもこぼれるでしょう。
この事を誤解したのだと思います。
余談ですが、3日前に、ブルーザリガニの大きなオスが、水槽から逃げ出した事に気が付きました。
前日に何かの音がしたのですが、其の時は何の音か気が付きませんでした。
そのザリガニが今朝見つかりました。
3日間水槽の外。
見つかった時は、埃まみれの状態。
水で洗ってから水槽に戻したのですが、全く、弱った様子は有りません。
ナンとも丈夫なやつです。
私が子供の頃、良くザリガニ採りをしました。
そして、少し水を入れたタライで、何日も飼った事を思い出します。
更に、ロクに餌も与えない状態で、沢山のザリガニを入れていたにも拘らず、「共食い」を見た記憶がありません。
尻尾をちぎって餌にすると、良く釣れるのに、ナンとも不思議な事です。
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「再出馬拒否」と言う無責任

2007年09月21日 21時53分03秒 | Weblog
安部前総理の後継に、福田、麻生の二人が立候補して争っている。
ここに小泉元総理の名前がないのは何故であろう?。
「構造改革」を旗印に、色々な法案を通してきた。
しかし、法案は審議の場を通せば「それでオワリ」ではない。
何事も、「計画を立てるだけ」であれば、どの様な計画でも立てる事は出来る。
しかし、それを実行するとなると話は違う。
「机上の空論」と言う言葉が有る。
多くの場合、「現場無視」の計画が作られる。
話を元に戻そう。
安部元総理は、小泉政権時代に立てられた計画を、「実行する」と言う責務を負っていたと言って良いのではないだろうか?。
しかし、いざそれを実行しようと言う段階になって、「数々の難問」にぶち当たってしまったのだ。
「小泉前総理の援護」もなく、「各方面からの集中攻撃」を受けてしまったのだ。
また「いじめによる自殺」が起きているが、「安部総理の突然の辞任」も同じ事ではないだろうか?。
小泉元総理が「真の男」であるなら、ここで「もう一度俺に任せろ」と言うべきではないか?。
しかし、「小泉チルドレン」の要請にもかかわらず、再出馬しようとしない。
これを「無責任」と言わないのなら、「無責任」と言うのはどのような事を意味すろのだろうか?。
昔から「有言実行」が最も良い事とされ、「有言不実行」は最も悪い事とされている。
この事を誰も口にしない日本。
一体何を考えているのだろうか?。
「美しい国」も落ちた物である。
人間が高齢化したのと同じ様に、日本と言う国自体も「高齢化」しているのだろう。
生身の人間と同じ様に、「老化現象」が起きているのである。
「老化現象」が起きてしまった以上、残された道は、少しでも長生き出来るようにする「延命療法」を取るしかないであろう。
しかし、「延命療法」は、所詮「延命」させる事しか出来ない。
一時的に「症状が改善」されたとしても、それはあくまでも「一時的」でしかないだろう。
これから先、「一部の大企業」などを除いては、苦しい時代になるはずである。
当然の事、「庶民や貧困層」の生活は大変な事になるだろう。
「給料が上がらないのに、物価は上がる」と言う事になるはず。
さて、その元凶は?。
ガソリンの値上がりが問題にされているが、値下がりの期待は?。
ガソリンの値上がりに伴って活発になってきた「バイオ燃料」の生産。
バイオ燃料の増産によって、ガソリンの「値上がりの抑制」にはなるかもしれないが、その一方で、「飼料用穀物」「大豆油」「小麦」などが値上がりしている。
何かをすれば必ず何か「新しい問題」が起きる。
「作用反作用」の原理と同じ事。
目先の損得に捉われていると、「予期せぬ反作用」に困るはず。
国民一人当たり一千万近い借金(国債・地方債など)を抱えては、身動きは出来ない。
国民だけでなく、政府までこの問題には触れたがらない。
今や日本全体が「私利私欲の塊」と化してしまっている。
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権利と義務

2007年09月19日 19時50分43秒 | Weblog
昼間、数人の人と話をする機会があった。
話題は当然の事、「次期総理は、麻生か福田か?」である。
しかし、話をしていて「腹がっ立って」仕方がなかった。
話の内容は、「生活が苦しいから、ああして欲しいこうして欲しい」と言う話ばかり。
「それを実行する為の財源は?」、と聞くと、あれこれと自分達に関係ないものを無くせと言う。
完全なる「利己主義」以外の何物でもない。
「税金は払わないが、あれもしろこれもしろ」。
これは、レストランで食事をして代金を踏み倒す「無銭飲食」や、買った商品の代金を払わない「犯罪行為」と同じではないか。
何かをしてもらう(権利)為には、それに見合う代償(義務)が必要になる。
一部に、無償(ボランティア)でしてもらえるものも有るが、「例外的」と言わざるを得ない。
基本的には、権利と義務は「表裏一体」の物で、切り離す事は出来ない。
しかし、現代社会では「権利ばかり主張して義務を果たさない」人が増えている。
「自分さえ良ければ、他人はどうでもよい」。
「因果応報」と言う言葉が有る。
「自分さえ良ければよい」と言う考えでは、いずれその「報い」が返ってくるだろう。

麻生、福田両氏とも、それぞれ色々な主張をしているが、結局のところ「どっちもどっち」というところである。
安部前総理の時、「大臣の任命責任」が問われた。
しかし、安部前総理を選んだ人たちの「任命責任」は問われなかった。
安部前総理の「突然の辞任劇」には、様々な批判が噴出した。
しかし、そんな阿部さんを総理大臣にした人たちの責任は?。
今回もまた「同じ事」が繰り返されるであろう。
無責任な話である。
「美しい日本」なんてとても無理、「絵に描いた餅」でしかない。
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