へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

灯台下暗し・大男総身に知恵回りかね

2008年12月28日 04時11分25秒 | Weblog
少し前に「今年最後?・・・」などと書いたのだが、どうしても書いておきたいことがあり、書くことにした。
タイトルの「灯台下暗し・大男総身に知恵回りかね」とは、最近のトヨタ自動車のことである。
半年前には史上空前の利益を上げていたものが、あっという間に赤字体質に。
何故このようなことになったのかと言うと、新聞・テレビなどの報道では様々なことが言われているのだが、私は少しちがう観点から考えてみたいと思う。
そもそもトヨタと言う会社は、「トヨタ」という表看板を前面に出し、他社の車の売れ行きを見ながら売れそうな車だけを作り、けして冒険をしようとはしなかったのだが、販売台数の増加とともに「生産台数世界一」と言うものがちらついてきてしまい、足元が見えなくなってしまったのであろう。
そして、企業が巨大化するにつれ「末端の情報が中央に伝わりにくくなる」と言う問題も抱え、状況の急な変化に対応できなくなってしまったのである。
「世界のトヨタ」などと言われるようになって「ある種の驕り」が出ていたのも確かであるが、F1参戦も一種の驕りと同じで、自社でスポーツカーを作れないのにどのようにして戦うつもりだったのであろうか?。
「金で人材を集めればナントカなるだろう」と言った感じがしていたのだが、予想通りの結果になってしまった。
「予想通り?」と言うのは、NHKがトヨタのF1参戦の特集番組を放送したのを見たときに、思わず「エッ?!」と思うようなことがあったのだが、直ぐに私の予想通りの結果で止めてしまったのである。
「コーナリングを安定させるためにリアウイングの角度を大きくする」=「直線では空気抵抗が大きくなり大きなマイナスになる」と言う基本的なことも理解できていないのである。
私のブログを読んでくださっている方の中にもトヨタの車に乗っている方が沢山いるだろうが、気を悪くせず読んでいただきたい。
私自身何度も乗った経験から言わせていただくと「トヨタの車は足回りに決定的な弱点を抱えている」と言っても過言ではないだろう。
このように足回りに弱点があってはスポーツカーなど作れるはずも無く、F1で勝てないのも当然の話で、現状では「未勝利のままF1から撤退」と言うことも有り得るのではないだろうか。
昔から、トヨタの車には「カックンブレーキ」「腰砕け」「60点主義」など、余り良い言い方がされていなかったが、そこは「販売のトヨタ」と言われているように「販売(営業)力」で乗り越えてきたのだが、これから先、果たしてどうなることやら。
これまでは十分な利益を支えに様々な広告宣伝が出来たのだが、赤字体質になればそれもままならなくなり、「販売(営業)力」に影響が出ることも考えられるのだが・・・・。
平家物語の冒頭の一説にある「驕れるものは久しからず」などと言うことになれねばよいのだが・・・・。
「世界一」と言う言葉に大きな魅力があるのは確かなのだが・・・・。
コメント (4)
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今年最後?・・・・

2008年12月24日 17時20分00秒 | Weblog
ここのところブログの更新をサボり気味なので、これが今年の最後になるかもしれない。
年末を控えて今年一年を思い返してみると「過去に例を見ない激動の年」と言えるのではないだろうか?。
典型的な例としては「ガソリン価格の変動」「売り手市場から買い手市場に変わった就職戦線」を上げることが出来るだろう。
夏頃までの「一体どこまで値上がりするのだろうか?」と言われていたガソリンの価格が、今では「どこまで下がるのか・・・・」といった感じで、一時期1リッター180円台まで値上がりした価格も、今ではその半分の90円台をつけるスタンドまで現れている。
就職戦線にしても、「いかに人材を集めるか・・・」と言って苦労していた企業が、今度は「いかにして内定を取り消すか・・・」と言った具合になってしまい、隔世の感と言っても良いだろう。
派遣社員や契約社員、季節工の解雇も毎日のようにテレビ、新聞などで報道されているのだが、この先日本はどうなってしまうのであろうか・・・・。
麻生政権だけではなく、民主党も様々な景気対策を考えているようであるが、果たして「本当に有効な救済対策」と言うものがあるのだろうか?。
私の結論から言えば「その場しのぎの対症療法以外に有効な対策など無い!」としか言いようが無いのだが、「その場しのぎの対症療法」にも大きな副作用があることに注意する必要があるだろう。
「副作用?」とは、「その場しのぎの対症療法」を実施するにも「財源」と言うものが必要なのだが、この財源とは「我々国民(企業も含むが)が払う税金」であるが、半年前まで多額の利益を計上していた「世界のトヨタ?」でさえ「赤字に転落」と言う状態では「大幅な税収不足」と言う事態は避けられず、その結果として「赤字国債(借金)の増発」と言うことになってしまうのである。
「埋蔵金」と言うものをあてにしている向きもあるようだが、この埋蔵金と言うものは「万一何かあったときの備え」と言う意味合いもあるので、使ってしまえば「万一の時どうするの?」と言うことになってしまうのである。
我々一般家庭で言う「貯金、へそくり」と同じようなもので、貯金やへそくりがなくなった時のことを考えればその重要性がわかると思うのだが・・・・。
それでは来年はどうなるのであろうか?・・・・。
悲観的な話で申し訳ないが「更に悪化する」と考えておいたほうが良いと思うのだが・・・・。
問題が日本だけの局地的なものではなく「世界規模の景気悪化」と言うだけに、「沈静化」するのにはかなりの時間がかかるだろう。
北米の景気悪化が「トヨタの業績悪化の原因」になっているのだが、金融不安に端を発したアメリカ経済の悪化に「もう一つの不安材料」があることに気が付いている人がどれだけいるだろうか・・・・。
「もう一つの不安材料?(他にもあるのだが)」とは、「原油価格の高騰で盛んになったバイオ燃料の生産」なのであるが、本来コストの高いバイオ燃料の生産が増大したのは「原油価格の高騰」によるもので、「1バレル35ドル」などと言う「一時の4分の1と言う安値」になってしまっては採算が取れるはずが無い。
採算が取れなくなれば当然の結果として「原料のトウモロコシの価格を引き下げる」と言うことになり、その結果「農家の収入が大幅に減る」と言うことになるのだが、その程度で収まればまだよい方で、最悪のケースとして「バイオ燃料生産が成り立たなくなる(倒産・廃業)」と言うことになれば影響は計り知れないだろうが、その一方で「トウモロコシ(穀物)の価格低下」と言う「トウモロコシを主食としている貧しい人たち」にとっての「プラス材料」にはなるのだが・・・・。
今年最後?の記事も、「悪いことばかり書く」と言うことになってしまったが「備えあれば憂いなし」と言うように、万一に備えて心の準備をしておけばその時になって慌てる事もなくなると思うのだが・・・・。
最後に「私の予想など外れてくれればよいのにナーーーッ!」と言うのが本音ではあるが・・・・。
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賞味期限切れ食品の安全性

2008年12月08日 04時13分47秒 | Weblog
東京江東区のあるスーパーで「賞味期限が切れた食品」を格安で売っていいることがニュースで紹介されていたのだが、保健所の注意を聞かずに売り続けている店主に拍手を送りたい。
以前にも書いたことがあるのだが「賞味期限」とは一体何なのであろうか?。
私は酒屋の生まれなのでよくわかるのだが、一部の食品以外では「メーカーが決める賞味期限」と言うものに何時も????と言う思いがしてならない。
そもそも「賞味期限」と言うものには明確な規定がなく、「メーカーの自主判断」と言うものが基準になっていることが多い。
私の話で恐縮だが、私の場合は賞味期限切れ間近のものを安く買ってくることが多いので「賞味期限内の食品」を口にすることは少ないのだが、ここで気を付けてもらいたいのは「何か問題が起きたときは自己責任」と言うことである。
この事が良く理解できれば、メーカーが決める「賞味期限」の意味もわかると思うのだが・・・・。
わかり易く言うなら「何か問題があった場合はメーカーが責任を負わなければならない」と言うことになるので、必然的に「賞味期限を短く設定する」と言うことになるのであるが、一部の商品では「販売戦略上の理由」と言うものも絡んでくる場合もあるから問題を更にややこしくしている。
「賞味期限」などというものが記載されていなかった昔は、「目と鼻と舌」が重要な役割を担っていたのだが、いつの間にか忘れ去られてしまい「昔であれば異常に感じて口にしなかったであろう」と思われるものを食べて中毒事件を起こしていることさえあるのだが、こうなると「携帯依存症」ならぬ「賞味期限依存症」と言うべきかもしれない。
便利な世の中になるとともに「人間が本来持っていた能力」と言うものが失われつつあることにも気を付けるべきだと思うのだが・・・・。
6日の記事にも書いたように「良いことが悪いことを呼ぶ」と言うことともに「逆のこともある」ということにも注意が必要である。


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頼りない総理大臣が誕生する訳

2008年12月06日 22時13分07秒 | Weblog
安部・福田と2代続いて短期間で総理大臣の座を放り出したことがあれこれ言われていたのだが、その後を引き継いだ麻生総理の「総理大臣としての資質」が問われている。
「二度あることは三度ある」などというが、何故にこのような短期間でこのようなことになってしまったのであろうか・・・・。
その原因は「期待するだけで自分は何もせず、期待どうりにならなければ文句を言う」と言う「身勝手な国民」にあると思うのだが・・・・。
「あの人なら・・・、この人なら・・・」と、「常に自分に都合のよいことばかりを期待するだけで自分は何の努力もしない」、このような身勝手なことが通用するのであろうか・・・・。
立場を逆にして考えて見れば良くわかるのではないかと思うが、もっと身近な話として「スポーツの世界」を考えてみればよくわかるだろう。
スポーツの世界には「プロとアマ」と言う二つの世界があるのだが、ある程度以上の実力がある選手は、必ずと言ってよいほどアマチュアからプロの世界に転進してしまうのだが、それでは何故プロの世界に転進するか考えてみてほしい。
その最大の理由は「お金になるかならないか」と言うことではないだろうか?。
「どんなにファンの期待に応えて優勝をしたとしてもお金がもらえないアマチュア」と、「優勝すれば大金が手に入るプロの世界」を比べてみれば答えは自ずから出てくるであろう。
話を元に戻して考えたいのだが、「総理大臣はプロではあるがスポーツとは違う」と言う論理も成り立つのではあるが、それでも「総理大臣が期待どうりの結果を出した」としたらどうなるのであろうか・・・・。
「1億2千万以上の国民のために貢献した報酬」は一体どれ位の額が妥当なのであろうか?。
とてつもない金額にならなくてはいけないのであろうが、現実的には「心配は無用」なのである。
「心配は無用?」と思うかも知れないが、仮の話し、総理大臣がどんなに優れた能力を持っていたとしても、「先立つ税収が無い(無い袖は振れぬ)」のだから能力の発揮しようが無く、「国民の期待に応えようがない」のである。
総理大臣(国)が何かをしようとしても常に付いて回る問題に「財源」と言うものがあるが、多くの国民は「財源=税収」と言うことが理解できていないのだろう。
「無駄をなくして財源にまわす」とか「埋蔵金を発掘する」とか言うことも一理あるのだが、「盗人にも三分の理」と言うように「無駄には無駄なりの役割がある」と言うことも考慮しなくてはならないだろう。
「景気の良し悪しは流通しているお金の量で決まる」とも言うように、「無駄を無くす」と言うことは=「流通するお金の量が減る」と言うことで、結果的には「景気の足を引っ張る」と言うことにしかならないのである。
「居酒屋タクシー」なるものが問題になったのだが、一般市民の感情からすれば「とんでもないこと」と言うことになるのだが、居酒屋タクシーによって恩恵を受けていた運転手の収入が減るだけで問題が終わるのであれば事は簡単なのだが、収入が減った運転手の家族にとっては「収入が減った分物が買えない」と言うことになり、「消費が減退する」と言う「景気回復にとって都合の悪い問題」も発生してくるのである。
冷静になって考えてみれば「良いことだと思ってしたことが他で悪さをし、悪いことのはずが良いこともしている」、つまり「良いことと悪いことは表裏一体で、切り離すことは出来ない」のである。
麻生総理に対する批判が強くなり「首の挿げ替え」などということも取りざたされているようだが、「世界的な金融不安による景気後退局面」に「財源不足」と言う二重・三重の難問を抱えていては、「誰が総理になろうと大同小異」でしかないことに気が付くべきだと思うのだが・・・・。
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総理大臣の使い捨て(粗製濫造?)

2008年12月04日 03時13分57秒 | Weblog
麻生総理に対する批判が噴出しており「麻生総理では選挙に不安だ」などという意見も出始めているようであるが、仮の話し、ここで麻生総理を引き摺り下ろしたとして「次の総理を誰にする?」と言う問題が出てくるだろう。
そもそもこんな下らない問題を引き起こした原因は、「自分たちの思うように行かないからと言って、安部・福田と2代続けて孤立無援の状態に陥れ、突然の辞任に追いやった」ことが原因であろう。
少し前に「残り物には福がある?」と言うタイトルで書いているように、言い方は悪いが、「所詮、麻生総理は残り物」でしかないのであり、残っているのは「それ以上の残り物」と言うことになりはしないだろうか?。
これは別なことで例えるなら「仕事を選ぶ」と言うことと同じであろう。
様々な資料を基に「この会社なら」と選んだ会社であっても、いざ働いてみると「自分の予想と違っていた」と言う理由で転職をしてみても「ここも違う」と転職をしているうちに「自分の希望とかけ離れた仕事しかない」と言うのと同じことである。
「欲に目が眩んで選んでいるうちにカスをつかむ」と言うのも同じことではないだろうか?。
金融不安からくる世界的な景気後退局面に陥っている現状から考えれば「景気回復を考えるなどもってのほか」と言うべきで、今は「じっと我慢する」と言うほかないと思うのだが・・・・。
サブプライムローンに端を発した金融不安の荒波に世界中が慌てふためいている状態が落ち着きを取り戻すには「2年や3年はかかる」と考えるべきで、20年前の「バブル崩壊」から立ち直るのに何年もかかったことを思い出してみればわかると思うのだが・・・・。
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