へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ついに政権交代

2009年08月31日 04時43分07秒 | Weblog
予想通りと言うか、民主党の圧勝に終わってしまったが、何となく「圧勝」だとか「惨敗」と言う表現に違和感を感じてならない。
これは民主党に限った事ではないのだが、「選挙に勝つ」と言う事ばかりが表に出て「国の将来をしっかりと見つめた政治」と言う事がおろそかになっている。
毎度同じ事を書くようになってしまうのだが、「長期的視野に立った政策」より「目先の損得」ばかりが争われる選挙。
こんな選挙になるのも「自分の利益しか考えない有権者」が大多数を占めるからで、「政治の腐敗はそれを選んだ有権者の責任」だと言う事になど全く関心を持とうとはしない。
今回の選挙で民主党が発表したマニュフェスト(選挙公約)、内容に多少の違いはあるものの、「バブル崩壊前まで自民党(与党)が使っていた選挙に勝つための常套手段」となんら変わる事がなく、財政危機を感じた自民党が使うのをためらっている隙に横取りをしたようなもので、言わば「二番煎じ」「二匹目のドジョウ」と言ったところだろう。
「選挙権の行使を放棄したお前が何を言うか!」と言う方もいるだろうが、私とすれば「放棄したのではなく、良い結果など期待していない」と言う事で、民主党の政策にしろ自民党の政策にしろ「将来に悪いツケを残す」と言う事では大した違いがないと思っている。
多くの人が「景気回復」と言う事を期待しているだろうが、現状を冷静に考えてみれば「景気回復にはかなり無理な財政対策が必要」と言う事になるだろうから、結果として「将来にツケを回す」と言う事にしかならないのである。
このように考えてゆくと、今の状態で景気回復を望むのは「自分の手で我が子や孫の首を絞める」と言う事になってしまうのだが、「自分には子供も孫もいないから関係ないよ!」と言う人には言うだけ無駄かもしれないが・・・・。
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効能書き

2009年08月29日 03時46分23秒 | Weblog
昼間ある食品会社の社員が「これを試しに飲んでみてください」と言ってサンプルを2本置いていったのだが、彼は一生懸命自社製品の良さを話しているのだが、私から見ると「本当にそれだけの効果があるの?」と思わずにはいられなかった。
効果については「学術的に証明されている」とは言うのだが、この「学術的に証明」と言う部分には気をつけなくてはいけないだろう。
「公正な第三者が一切の利害関係を排除した上での学術的な証明」であれば良いのだが、そんな物は事実上存在するはずも無く、自分たちに都合の良い部分ばかりが強調されてしまう。
余りにもしつこい説明に、ついつい余計な突込みを入れてしまったのだが、さすがに明確な回答は得られず、次第にあいまいな答えになってしまった。
「なんだか民主党のマニュフェストと同じみたいだね!」と私が言うと、彼は困ったような顔になり帰って行ったのだが、ここであることを思い出した。
あることとは、麻生総理が良く口にしていた「今回の不況は全治三年」と言う事である。
景気回復が求められている折「麻生総理の景気回復に対する手腕」と言う物が問われているのだが、始めから「全治三年」と言っているのに一年も経たないうちから結果が問題になっている。
麻生総理は「全治三年」と言っているのだが、私は「全治不能?」ではないかと思っているのだが、いずれにしても「百年に一度」と言う重病に罹っていることを考えれば「一年で回復などとても無理」と考えるべきだろう。
今世界的な流行になろうとしている「新型インフルエンザ」にしても同じ事で、世界各国が沈静化に様々な対策を採っているにもかかわらず、沈静化する様子も見えない。
百年に一度と言われる「世界的な不況」も、世界各国が様々な対策を打ち出してはいるが、「効果の程は?」と言ったところが現実の状態で、「結果を期待する方が無理」と言わざるを得ないのでは・・・・。
30日の投票の予想では「民主党の圧勝」と言う事がささやかれているのだが、後になって「こんなはずでは・・・・」と言う事にならなければ良いのだが・・・・。
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塀の外の懲りないやつら

2009年08月25日 03時10分20秒 | Weblog
「塀の中」の書き間違いではなく、正真正銘「塀の外」だと言う事に注意してください。
「塀の中の懲りないやつら」と言う本の存在は知っているのだが、残念ながら読んだ事はない。
題名から大よその内容は理解できるので、ここではその題名をパクッタ「パロディー(皮肉)判」と言った感じで書いてみる。
さて、塀の外と中を分けるものは「塀」だと言うと「バカにするな!」と言うお叱りを頂きそうだが、「塀=法律}だと言う事は以外に意識していない人が多い。
このことを考えれば、塀の中にいる人は「法律を犯した人」である事は間違いないのだが、それでは、塀の外にいる人は「法律を犯していない人」と言い切れるのであろうか。
ここで私が言おうとしているのは「法を犯しながら捕まらず逃げ回っている人」の話でもない。
「贈収賄」と言う事が良く問題になるのだが、これは送る側も受け取る側も「違法行為」として処罰されるのだが、選挙においては「自分のお金を使うと買収になるが、税金を使うと買収にはならない」と言う矛盾したことが起きてくる。
「法律で認められているのだから良いのだ」と言う人もいるだろうが、果たしてそれでよいのであろうか。
「あの人(党)ならこんな事をしてくれるだろう=成果の期待=ワイロの要求」と私は考えており、当選するためには「こんな公約をすれば投票してくれるだろう=ワイロの予告」と言う事にもなると思うのだが。
「そんな事など考えた事もない!」と言う人も多いだろうが、これは法律上で言うところの「未必の故意」と言う事に当たるはずである。
「未必の故意」、「本人が意識していなくても、ある事をすれば必然的に起きるであろうことを見逃す」と言う事を言い、選挙の公約は「誰もその違法性を司法の場に持ち込まない」と言う事で「違法行為とはならない」と考えられているだけで、この事が改まらない限り「金権腐敗政治」はなくならないであろう。
このことを考えれば「金権腐敗の元凶は国民?」と言うことになるのだが、それでは需要と供給、一体どちらが先に起きるのであろうか。
「需要と供給」「需給バランス」などと言うように、殆どの場合需要が先に来る。
極一部には「供給が新たな需要を開拓」と言うことも無いではないが、これとて、根底には「潜在的な需要があった」と言うことにほかならず、「需要の無いところに供給は生まれ無い」と言う事で、「卵が先か鶏が先か?」と同じレベルで論ずる事は出来ないだろう。
このように考えれば、「政治が悪いから・・・・」は誤りで、「国民が悪いから政治が悪くなる」と言い改めるべきだと思うのだが・・・・。
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政権交代は、吉と出るか凶と出るか

2009年08月24日 14時06分17秒 | Weblog
新聞テレビなどの報道で「民主党優位」を報じているのだが、このままの状態で「民主党政権誕生」などということになった場合でも「政権交代が吉と出る保障はどこにも無い」と言う事に気をつけるべきだと思うのだが・・・・。
政治とスポーツを同列で比較するのはどうかとは思うのだが、「選手が交代したらもっと悪い結果になった」と言う話などいくらでもあることで、民主党政権の誕生に過度の期待はしないほうが良いと思うのだが・・・・。
百年に一度と言われるほどの経済不況の中、「早急な景気回復」を求める気持ちもわからないではないが、ある意味「経済不況も、地震や台風などの自然災害と同じ」だと考えるべきで、「復旧にはそれ相応の時間とお金と労力が必要」だと言う事を理解するべきだと思うのだが・・・・。
私が最も恐れている事は「復旧を急ぐ余り事態を更に悪化させる」と言う事で、冷静な対応が必要だと思うのだが、肝心の自民党政権でさえ「民主党と似たり寄ったりな政策」なのだから困ってしまう。
民主党の議員の多くが「元自民党員」だということを考えれば、やることが似てくるのは仕方のないことかもしれない。

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カニは己の甲羅に似た穴を掘る

2009年08月23日 02時54分35秒 | Weblog
特別カニに限った事ではなく、自然界では身の丈にあった巣穴を掘って生活しているのだが、唯一人間だけが身の丈以上(分不相応?)の生活を求めている。
さて、身の丈に合わないほどに大きな穴を掘った場合の問題点を考えてみると、「穴は大きくなるほど崩れやすく、維持管理が難しい」と言う事で、一度崩れてしまうと修復はかなり難しくなるだろう。
バブル崩壊も、今回の経済不況も、正に「大きくなり過ぎた穴が崩れた」と言っても過言ではなく、その修復は簡単なものではないだろう。
何事においても「過ぎたるは及ばざるが如し」と言うように、程々で止められればよいのだが、なまじ「中途半端な知能」を持ったがために起きた問題で右往左往しているのである。
人間が本当に優れた知能(能力)を持っているのであれば、この程度の問題で右往左往しなくてもよいはずであるが、悲しいかな「人間以上に優れた生物を知らない」と言う事で、人間は優れていると言う「錯覚」に囚われているのである。
ここでアインシュタインの話を持ち出すのはおかしいかもしれないが、彼の学説である「宇宙はビックバンによって生まれた」と言う話、私は少々マユツバだと思っているのだが、現実的には世界的に通用しているのだが、何故通用しているかと言うと「それを覆すだけの説が見つからない」と言う事にほかならず、何時の日か「あの学説は間違いだった」と言う日がやってこないとも限らないのである。
科学の世界では、様々な理論が飛び交っているのだが、そもそも理論とは「目の前で起きた事を説明する」と言う程度のもので、「理論=必ずしも正解とは限らない」と言うことに気をつけなくてはいけないだろう。
理論や常識と言われる物は、「たまたま起きた事を上手く説明出来て一般に広がった」と言う程度のもので、「常識のウソ」と言う言葉もあるように、必ずしも正しいわけではない事に注意しなくてはいけないだろう。
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変革へ  祖父の党に弓を引く

2009年08月22日 14時53分18秒 | Weblog
朝日新聞の記事の中で、民主党鳩山代表の行動に対する見出しの言葉なのだが、私にすると「チョットおかしいのでは?」と言う感じがする。
親子、兄弟、夫婦であっても「所詮は他人」と言う言葉もあるように、人それぞれ考えが違うのは仕方ない事で、相手が祖父のいた党だからと言って手加減をする必要は無いと思うのだが、その方法にはいささか違和感を禁じえない。
日本全体で1000兆円とも言われる多額の債務を累積させたのは「政権を維持するための手段」として与党が採った「票集め政策」による物なのだが、「これ以上は危険」と言う状態になり与党が前面に押し出せなくなったのを幸いに、単に民主党が相手のお株を奪っただけの話なのである。
「無駄を無くして財源に」と繰り返し言われてはいるのだが、「無駄には無駄なりの働きがある」と言う事も忘れてならないことで、「無駄を無くしたら思わぬ問題が!」と言う事にならなければ良いのだが。
「財源の裏付けに乏しい人気取り政策」、それが実施された後に来る物は・・・・。
財政破綻と大幅な増税しかないと思うのだが・・・・。
民主党に対抗する自公政権の公約も「似たり寄ったり」である事も確かなのだが・・・・。
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目的のためには手段を選ばず?

2009年08月20日 04時09分59秒 | Weblog
今回の衆議院選挙、民主党が政権を奪取しようとするために「後先考えない安易な政策」を羅列したために、政権の座が危うくなった自公政権まで同じような政策を公約に挙げている。
最早このような状態では「泥仕合」と言うほか無く、どの政党が政権を取ろうが「大同小異」で、破綻への道をひた走る事に変わりは無いだろう。
とかく「政治が悪いから日本がだめになった」と言われるのだが、私に言わせれば「有権者が政治を悪くした」と思っているのだが・・・・。
しかし・・・・、である。
戦後の日本経済の現実を冷静に見ると、高度経済成長を支えたのは「借金財政(赤字国債など)」だと言う事を自覚しなくてはいけないだろう。
国や地方の長期・短期債務(借金)の合計が1000兆円(国民一人当たり800万円?)にもなろうとしているのだが、正にこの借金による「偽りの経済成長」に他ならないのであるが、今回の選挙の公約に掲げられている事を実施するための財源の当ては無く、結局は「赤字国債の増発」と言う事になるであろう。
先進国の中でも飛びぬけて債務(借金)の多い日本が、これ以上の借金を重ねてどうしようと言うのだろう。
夕張市が破綻し、大阪府も破綻の危機にさらされている。
近い将来「日本も?」と言う事にならなければ良いのだが・・・・。
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攻撃は最大の防御?

2009年08月18日 03時41分52秒 | Weblog
衆議院議員選挙の告示を前に、各党の党首が討論をしたようなのだが、これで果たして討論と言えるのであろうか?。
討論?の中身は「自分たちの政策(公約)の正当性・有効性ばかりをを主張し、タダひたすら対立する政党の政策を批判(攻撃)する」と言う事に終始して、その結果起きるであろう問題には明確な答えを出さずに終わっている。
民主党がタダひたすら「政権を奪取する」と言う事に夢中になり、「有権者が喜ぶような美味しい餌(公約)」を有権者の目の前にちらつかせているため、ほかの政党までが「右へ倣え」とばかり同じような事を口にしている。
「有権者が喜ぶような美味しい餌」、「タダ(無料)」であれば問題はないのだが、タダでさえ財源不足のところへ追い討ちをかけるように起きた、「百年に一度と言う世界規模の不況」である。
どの党の公約を見ても「財源不足は目に見えている」と言う事に気が付くべきだろうが、過去に同じような事を繰り返してきたために起きた結果の現状を考えれば、「行き着くところ(財政破綻)まで行かなくてはわからない」と言う事かもしれない。
「攻撃は最大の防御」とばかり攻め続けていると「思わぬところからの反撃(財源不足など)に手を焼く」と言う事になり、結果として「多大な被害を被る」と言う事になるのだが、この「多大な被害」を被るのは、「政党や議員ではなく、次世代の国民」である事に気が付かないのだろうか・・・・。
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政治は一体誰のためにあるのだろうか・・・・

2009年08月16日 03時16分40秒 | Weblog
多くの人の答えは「国民のためにある」と答えるであろうが、果たして本当にそうなのであろうか・・・・。
広い意味で言えば確かに国民のためにあるようにも見えるのだが、その内容を精査してみると「とても国民のためとは言いかねる」と言う状態であると思う。
「そのとおりだ」と同調される方も多いのではないかと思うが、私が考える内容と同調された方の考えの内容が同じだとは限らない事に注意して欲しい。
私が考える「政治は一体誰のためにあるのか?」と言う問いに対する答えは、「投票する国民と、選ばれようとする候補者の私利私欲を満たすためにある」と言う物で、大方の予想とは全く違う物であろう。
投票する人は「少しでも自分のため(利益)になる政策」を求め、候補者は候補者で「出来る限り有権者が喜ぶような公約(その殆どは財源に無理がある)」を前面に出し、その結果として「将来に負の遺産を残す」と言う事には関心を持とうとはしないのである。
その傾向は少数野党の公約などによく現れており、有権者が関心を持つような一部の事にばかり都合の良い政策を並べ立て、「それ以外のことはどうなるの?」と言いたくなる事ばかりであるが、これは政権(責任)政党になる見込みが全く無いからできることで、ただひたすら「議席を獲得するための方便」として使っているのである。
民主党の公約には財源の裏づけが乏しいのだが、これは自民党、公明党にしても似たり寄ったりで、「多少民主党よりはまし」と言った程度でしかない。
新聞などで「国と地方の長期債務(借金)の合計が800兆円」と公表されているのだが、これはあくまで「長期債務」であって、「短期債務」まで含めると1000兆円(国民一人当たり800万円)もの借金になるのではないだろうか。
これほど多額の債務を抱えながらどの党も一言も触れようとはせず、タダひたすら「楽観的観測に基づく公約」ばかり並べ立てているのは、ひとえに「有権者がそれを求めている」と言う事に原因があるだろう。
唯一麻生総理だけがこの事に触れてはいるのだが、タダひたすら「景気回復」を求める国民の声に消されてしまおうとしている。
「政治が悪いから日本が悪くなった」と言われるのだが、「その政治を悪くしたのは有権者」だと言う事に気が付くべきだろう。
「今こそ日本を変えるときです」などと言う事が言われているが、変えるのはよいが「悪い方に変わった」などと言う事にならなければ良いのだが・・・・。




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「私は・・・・・・と理解しております」

2009年08月15日 04時10分57秒 | Weblog
民主党の鳩山代表がよく口にする言葉だが、「意見には個人差がある」と言うように、同じ問題でも人が違えば考えも違うのだが、選挙に勝って次期政権を担おうとしている党の党首が軽はずみに口にして良い言葉であろうか?。
一人の人が「一個人として発言する」のであれば許されるかもしれないが、野党第一党の党首として発言するにはいささか無責任ではないだろうか・・・・。
同じ発言であっても「悲観的な考え」であれば「社会に警鐘を鳴らす」と言う意味で役に立つであろうが、「余りにも楽観的な考え」ばかり並べていて、問題が起きたときにどのように責任を取るというのだろうか・・・・。
自民党ばかりか、私の周りにいる人たちの中にも「財源をどうするのだ」と言う人も多く、「誇大広告」となんら変わらないと思うのだが・・・・。
昔からよく言われている言葉に「上手い話には気をつけろ」と言う言葉があるが、今の民主党のマニュフェストは正に「上手い話の典型」ではないだろうか。
「○○を無料で差し上げます」、と誘っておいて、「後で高額の商品を売りつける」と言う悪徳商法にも似ているのだが・・・・。
「無駄を無くして」と言う事も、単純に考えれば良い事のように思えるのだが、「無駄には無駄なりの効能がある」と言う事にも注意しなくてはいけないだろう。
私個人としては「無駄を無くす」と言う事に賛成ではあるが、その結果として「景気が悪化すると言う事以外にも二次的な問題が起きる」と言うことは覚悟しなくてはならないだろう。
7月30日のブログ「予想外のしっぺ返し」を読んでいただければわかると思うのだが、民主党が言うところの「無駄」は、「稲穂を食い荒らすスズメ」と似たようなもので、無駄を無くした結果起きる「二次的な悪影響」と言う事も覚悟しなくてはいけないだろう。
しかしながら非常に困った問題がある。
スズメの場合は翌年(直ぐに)には結果が出るので「因果関係」も明確であるが、この場合「悪い結果が出るまでには時間がかかる」と言う事で「実施した責任者の責任がぼやけてしまう」のである。
このことを良くあらわしているのが、小泉元総理による「郵政の民営化」で、本当の結果が出る前に「民営化した当の本人」はいなくなってしまうのである。
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