へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

文部科学省による教科書検定って?

2007年03月31日 21時01分08秒 | Weblog
国による、国民の「思想統一」ではないだろうか?。
悪い意味で言うならば、国が国民を「洗脳」しようとしているとも言える。
「検定」などと言う言葉を使っているが、現実は「検閲」と同じ。
合格しなければ、「教科書」として使う事は出来ない。
国家権力による、「無言の威圧」、命令である。
沖縄戦の「集団自決」も、「日本軍の威圧」と言う、命令によって起きた事ではないか?。
「命令はなかった」などとよく言えたものである。
自分達に都合の悪い資料は無視して、「あの手この手」を使い、「詭弁」を並べ立てる政府に、「まともな政治」は出来ないであろう。
中国が、学校教育で日本を「悪い国」と教えこむのと、なんら変わる事はない。
従軍慰安婦、集団自決、南京大虐殺、・・・・。
次々と、日本軍の過去が消し去られようとしている。
これはヒョットして、憲法改正(九条)のための「布石」ではないであろうか?。
「日本軍は悪い事はしていない、国の為に戦っただけだ」と言いたいのでは?。
そして、次に来るのが本当の目的である、自衛隊の軍への格上げ。
防衛省を庁に格上げしたのも、その「伏線」であろう。
航空自衛隊のイラク派遣も、「なし崩し」に延長されてきたが、「堂々と」派兵出来るようにしたいのではないだろうか?。
しかし現実の話、軍隊とは「必要悪」に他ならない。
「米軍を撤退させろ」「自衛隊を無くせ」と言う人たちがいる。
どちらも居なくなったらどうなるのだろう?。
すぐに「これ幸い」とばかり侵略、攻撃してくる国があるではないか。
これが抑えられているのは、自衛隊だけの力ではない。
米軍が駐留していると言う「無言の威圧」のおかげである。
「軍隊は必要悪」ではあるが、「何が何でも作らなければ」と言う物でもない。
「平和外交」に徹すれば良いのだが、これには様々な「痛み」を伴う。
戦争が避けられるのであれば、「ある程度の痛みは我慢」すれば良いのだが、これがまた難しい。
戦争とはいったい何か?。
戦争とは、国と国との争いである。
その争いが国の中で起きると、内戦、紛争などと言う。
更に範囲が狭くなると、抗争になり、そして、一対一の喧嘩になるのです。
一対一の喧嘩も、国と国との戦争も、基本的には同じ事です。
「規模が大きいか小さい」かの違いしかありません。
人間も、「弱肉強食の自然界の一員」です。
遺伝子のなかに、「弱肉強食」の遺伝子が残っていても不思議はありません。
人間だけが持ち合わせている「知能」をもってしても、解決は難しいでしょう。
生命科学が発達して、遺伝子操作により、「悪い遺伝子」を取り除けばよいのかもしれないのだが・・・・。
取り除いたら取り除いたで、新たに「別な問題」が発生することも考えておかないとダメかも。
「もぐらたたき」にならなければ良いのだが。
すでに今の、医学、科学、教育、法律、・・・・。
とられている対策は、どれをとっても、「もぐらたたき」になっては居ないだろうか?。
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道徳を正式な教科にする

2007年03月31日 04時28分31秒 | Weblog
道徳を正式な教科にするという話が持ち上がっている。
その名も、徳育。
「ピントがずれている」と言うより、「的がはずれている」と言う方が正しいだろう。
昔から「子供は親(大人)の背中を見て育つ」と言われている。
たまに、私のようなへそ曲がりが「反面教師」にする事は有るが。
今手本となる、親(大人)はどうであろう?。
内閣が新しくなると、必ず新大臣の不祥事が発覚する。
大臣にならなければ、発覚せずに済んだかもしれないのに。
「キジも鳴かずば打たれまいに」とはこの事では?。
国会だけではない。
法を犯すものを取り締まるはずの、警察官までが違法行為(犯罪)をしているのです。
大人が悪い手本を見せておいて「お前達は、道徳を守りなさい」などと言っても無駄なのでは?。
今や、道徳教育は、「国家全体の問題」として取り組まなくてはダメです。
高度経済成長により、金銭的、物質的には豊かになりましたが、精神的(心)には、貧しい国になってしまったのです。
「美しい国」って、いったい何処が美しいのだろう?。
例え様が悪いかもしれないが、お見合い写真、と同じでは?。
あるいは「仏作って魂入れず」って処では?。
対症療法(学校教育)で解決出来る問題ではないはずだがね。
思い切った根本(荒)治療をしなければいけないのだが、治療できる名医がいない。
「そろばん勘定」ばかり得意な、薮医者、ばかり。
薮医者ばかりだから、患者が悪くなったのか?。
患者がダメだから、名医がいなくなったのか?。
両方なのだろうが、どちらが先かは難しい問題である。
中国でも、北京オリンピックを控えて、マナーの問題で苦労している。
何度も上海へ行っているので、マナーの悪さは良くわかる。
日本と同じで、国家的規模で考えたとしても、短時間では難しいであろう。
共産党幹部、公安幹部などは、特に態度が悪い。
国家の威信を掛けて取り組むであろうが、「付け焼刃はすぐに剥がれる」と言う事になるのでは?。
「上海は香港を抜いて国際都市になった」等と自慢しているが、満足に英語が通じる店など、極わずかしかない。
実態は、物流面の数字で上回っただけ。
しかし、多くの上海市民は香港へ行った事が無いから、政府の宣伝で喜んでいる。
日本も同じ様なもなかもしれない。
「人の振り見て我が振り直せ」、私も気を付けないと。
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理論は正しいのか?

2007年03月30日 03時27分08秒 | Weblog
世の中には様々な理論が渦巻いている。
理論だけを聞いていると、どれも正しいように思えるのだが。
しかし実際には、理論通りに行かないことが多い。
何故であろうか?。
答えは簡単。
理論とは、目の前、あるいは過去に起きた事を、証明(説明)するための手段に過ぎないのです。
時には正当化する為に使われる事もあります。
将来起きる事は、想定に無いのです。
将来起きる事は、想定外なのです。
新製品を研究開発する現場では、様々な実験が行われていますが、これなども、理論が正しいと言う保証が無いからです。
理論上は、「こうなるはず」と思っても、結果は予想外、正反対と言う事も珍しい事ではないのです。
実験に失敗した結果、ノーベル化学賞を貰った人もいるのです。
「実験に失敗」、と書きましたが、これはあくまでも、準備された理論に対してと言う事で、正確には、「理論が間違っていた」と言う事です。
よく、「科学が発達した」と言う人がいますが、本当でしょうか?。
研究開発に携わる人ほど「まだまだ」と言うはずです。
素人目には発達したように見えるかもしれないのですが、朝鮮人参のどの成分が体に良いのか?。
ローヤルゼリーによって、女王蜂が、何故巨大化して長生きできるのか、・・・・。
解らない事だらけです。
「あるある大辞典」に端を発した、データ捏造事件。
騙された人も多いと思いますが。
これとても、視聴者が物事を正しく判断する力を持っていれば、起きなかったのでは?。
民放の場合、特に気を付けなければいけないことがあります。
NHKでも無いわけではないのですが。
民放の場合、まず始めに、視聴率、が問題になります。
見てくれる人が少なくては、スポンサーが付きません。
スポンサーが付かない番組など作っていては、経営は成り立ちません。
「スポンサーが付く番組」=「視聴者が喜んで見る番組」と言う事になります。
「視聴者が喜んで見る番組」=「内容は??」と見るべきです。
私が民放を見る場合(あまり見ないのですが)、あくまでも「娯楽番組」として見ています。
しかし、全く役に立たないわけではありません。
役に立つ物もあるのですが、何せ「玉石混淆」状態ですから、「玉」と「石」を見解る能力が無ければなりません。
これはテレビ放送に限った事ではありません。
DM,折り込み広告、店頭のポスター、・・・。
油断も隙もあったものでは無いのですが、今に始まった事では有りません。
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拉致と慰安婦

2007年03月29日 03時52分47秒 | Weblog
従軍慰安婦の問題には、「軍は係っていない」と主張するお偉いさんがいる。
どおいう神経をしているのであろうか?。
日本政府が、この問題を否定したところで、一体どうなると言うのだろうか?。
否定すればするほど、中朝は、態度を硬化させるのではないだろうか?。
60年以上も前の話、まともに資料など残っているはずが無い。
それを良い事に、「軍の関与は無い」と、言い通すつもりなのであろう。
悪いやつらはけして、自分の手は汚さない。
「斡旋業者がした事」、などと言う言い訳が、成り立つと思っているのだろうか?。
軍国主義の時代、軍の命令とあらば、何でも言う事を聞かなければならなかったはず。
ナンセンスもはなはだしい。
一方、拉致問題はどうであろうか?。
渋々では有るが、北朝鮮政府は、拉致の事実を認め、被害者の帰国が実現した。
そして、「残りの被害者は全員死亡した」、と主張し、「拉致問題は解決済みである」と繰り返し主張している。
一国の政府が、解決済みと発言した以上、それを翻らせるのは、至難の業である。
残された被害者の家族の心情は、良くわかりますが、経済制裁をしたところで、問題は顔決しません。
経済制裁をして困るのは誰でしょう?。
まず一番初めに困るのは、極貧生活をしている、罪も無い人々でしょう。
今日、フィリピンで発生したバスジャック。
「子供たちのために」と言いながら、子供たちを人質にする。
これと変わりないのでは?。
自分の主張を通す為には、他人を犠牲にしても良いのだろうか?。
理不尽な問題ではあるが、それを解決する為に、新たな犠牲を強いるのは考え物です。
可哀相なのは、拉致被害者だけではありません。
無謀運転事故により、子供の命を奪われた親、アスベストによる被害者、公害、薬害・・・・・。
イラクの自爆テロによる被害者だって同じでしょう、
世の中には、解決しなければならない問題が、山済みなのです。
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格差が拡がるわけ

2007年03月28日 04時01分05秒 | Weblog
昨日も書いたのですが、多くの利益を上げている大企業(強者)は、多くの献金をしいています。
多額の献金をしているのだから、当然、口も出します。
しかし、弱い立場の中小零細企業は、献金をしたくても出来ません。
そんな事をしたら、たちまち倒産です。
当然の結果、弱者の意見など通りません。
お金の或るところにはお金が集まり、無いところからは逃げてゆきます。
自然界の掟、弱肉強食、の世界と同じです。
さて、格差の無い社会とはいったいどんな社会でしょう?。
全ての人が平等な世界、。
一見、理想的な社会、に見えますが、果たしてどうでしょう。
これは、社会主義共産社会、と同じです。
一生懸命頑張った人も、怠けた人も同じでは、頑張った人がバカを見ます。
社会主義共産社会が、次々と崩壊してゆくのは、当然の流れです。
理想論はアクまでも、理想であって、実現は難しいのです。
実際の話し、社会主義共産社会でも格差はあるのです。
上に立つ、指導者、幹部、側近などは、甘い汁を吸っています。
ここでも、強い者と、弱い者に格差があるのです。
「人間は生まれながらに善人である」と言う性善説を説く人がいますが、気持ちとしては理解できるのですが、いささか無理があります。
平家物語の冒頭に、「おごれる者は久しからず、盛者必衰・・・」と言う一文があります。
人間は、生物界の頂点に君臨していて、まさに、おごれる者、盛者に他なりません。
自然界では、一部の種が増えると、それを捕食する種が増えて、バランスを保ちます。
永久に、右肩上がりの成長を続ける事は不可能です。
化石燃料の枯渇が心配される中、バイオ燃料が脚光をあげています。
しかし、これにも大きな問題もあります。
バイオエタノ-ルを生産する為の原材料は、殆どが、我々人間が食料としているものです。
バイオエタノールの生産が増えれば、当然、食料も不足します。
不足した分は、増産してまかなわなければなりませんが。
それには、耕地面積を広げなければなりません。
耕地面積を広げれば、森林破壊、自然破壊という問題が起きます。
また、農業には水が欠かせません。
かつて、満々とした水が流れていた中国の大河である、黄河、でさえも、流域の耕地面積が増えた結果、一部で水が流れない、断流、、と言う問題が出てきているのです。
何らかの対応策を採れば、必ず、何らかの問題(副作用)が起きます。
一つの問題を解決しても、新たに別の問題が発生するのです。
永久に続く、「いたちごっこ」と言いたいのですが、何処かで、オワリ、になります。
その前に、月や火星という、地球以外の天体に移住すると言う計画を立てる人もいますが、「稀有壮大」な計画で、実現性があるのでしょうか?。
実現したとしても、移住できるのは、極一部のヒトになるでしょう。
多くの人は、地球に取り残されます。
ここでも格差の問題が発生するのです。
人類が滅亡するまで、格差と言う問題から逃げる事は出来ないでしょう。
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企業による政治献金

2007年03月27日 03時08分47秒 | Weblog
企業は何故、政治団体に献金をするのであろう?。
また、政治団体は何故献金を求めるのであろう?。
「魚心あれば水心」である。
この問題も、「卵が先か、鶏が先か」と言う事と同じで、献金する側は、見返りを期待し、受け取る側は、見返りを与える。
我々一般の市民も、誰かからお金を恵んでもらえば、それに対してお返し(この場合は、感謝の気持ちだけの事もあるが)をするのが礼儀と言う物である。
5円や10円のお金ならいざ知らず、数百万、数千万と言うお金を、見返りを求めずに献金するわけが無い。
大企業ほど多額の献金をする。
売上高も利益も大きいのだから当然である。
その結果として、大企業に有利な法律や規制が出来上がる。
中小零細企業は献金をしたくても出来ない。
献金したとしても、小額である。
弱者に重点を置いた政策に力を入れたら、大企業は献金をやめるでしょう。
ここでも、数の多いもの(強者)が、数の少ないもの(弱者)をいじめる構図が出来上がる。
私がよく言う、数の暴力、である。
多数派工作、などとよく言うが、数の力で押し切ろうとする、まさに、数の暴力です。
「話し合いで決める」等と言う、民主主義の基本理念など、何処にもありません。
「数が多いものが正義だ」などと言うおかしな理論を言う人もいますが、何を基準に、多い少ないを決めるのでしょう?。
自分達に都合の良い範囲内の話でしょう。
「数が多いものはいずれ滅びる」、歴史が証明しています。
「数が多いものが正しい」と言う保障は、何処にも無いのです。
3割の企業が、7割の利益を独占。
これらの企業は献金出来るでしょうが、残りの7割の中小零細企業はどうすればよいのでしょう?。
残念ながらこれが現実です。
私がこんな事をいくらブログに書いたとしても、一体ナンになるのでしょう?。
「焼け石に水」どころではありません。
増水した川に小石を投げ入れた程度で、何の役にも立たないでしょう。
しかし、蟻の穴から堤防が崩れる事もあります。
「ヒョットシタラ」、なんて事は無いですよね。
「自己満足」、で書いてはいますが、読んで下さる人がいたら幸いです。
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とりあえず昨日の続き

2007年03月26日 03時44分42秒 | Weblog
オカヤドカリの飼育は、一見簡単そうに見える。
しかし、これは5月から10月にかけての事である。
5月から10月にかけては、室内の温度も20度以上あるので、加温の必要が無いから楽である。
しかしながら、11月から4月にかけては、室温を20度以上に保つのは、マンションなど一部の建物を除いて、至難の業である。
日中は何んとかなっても、夜間は難しい。
更に、湿度を保つと言う難問が待っている。
実際の話し、販売する方も、その事を心得て販売しているのではないだろうか?。
ペットショップなどでも、オカヤドカリを販売するのは、殆ど4月以降である。
また、販売するに当たって、「いい加減な説明をしている」「管理がひどすぎる」などという非難が、あちこちで聞かれるが、話しとしてはもっともな話であるが、簡単に責める事は出来ないのでは?。
ショップの店員が、販売している生き物全てに精通するのは、難しいと思います。
管理にしても、人手、コストの面で難しいでしょう。
ましてや、パート、アルバイトなどの店員では無理です。
仮の話、全ての店員が精通していたとしても、店頭で説明するのは、時間的に無理があります。
更に仮の話、店頭で、丁寧に説明したとして、お客がその内容をどれだけ記憶出来るでしょう?。
販売する側だけを糾弾するような意見が多いが、買う側にも、自己責任、があるのでは?。
今の時代、何でも他人に頼る傾向がある。
自分では殆ど何もせず、他人のミスだけを追及する。
動きが可愛いからと、オカヤドカリだけを溺愛する姿は、私から見れば、異常、で、滑稽でもある。
私があるサイトに、「野菜や、牛、豚、鶏だって、同じ命あるもの」とコメントしたところ。
「野菜や、牛、豚、鶏は、食べる為に育てているから、かまはない」と言う返事が返って来た。
なんとも呆れた話です。
それでは、山菜や、養殖以外の魚などはどうなるのであろうか?。
彼らは、人間に食べられる為に生まれてきたのではありません。
「オカヤドカリの命を大切にする事で、命の大切さを教える」って、本当かね?。
私から見ると、「自分が可愛いと思うものは大切にするが、それ以外はどうでもよい」と言うように聞こえる。
これでは、差別やいじめを助長するような物ではないだろうか?。
大体、ペットを飼う人は、自分の好きな動物以外は、どうでもよいという傾向がある。
私は、犬、猫は嫌いです。
小さいうちは可愛いのですが、大きくなると、近所迷惑になるからです。
特に、猫は飼っている人も好きになれません。
犬と違って、鎖につなぐ事も出来ず、勝手気ままに行動して、どれだけ近所に迷惑を掛けているか。
犬にしても最近は、皆さん糞を入れる袋を持っているようですが、カッコだけの人が結構います。
見ている人がいなければ、そのまま行ってしまいます。
困った世の中になったものです。
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最近のオカヤドカリ

2007年03月25日 04時28分30秒 | Weblog
季節が大分春らしくなってきた。
オカヤドカリたちの動きも大分良くなってきた。
やはり、冬眠とはいかないまでも、寒い時期は活動が弱まる、と見た方がよさそうである。
棲息地でも、冬場はある程度気温が下がります。
15度以下になる事もあるはずです。
ただ、愛玩用として飼育している以上、活動してもらわないと困ります。
しかし、活動させる為に温度を上げる事は、果たしてオカヤドカリのためになるのか?。
全体的に見て、12月頃から砂に潜る傾向が強くなります。
潜る期間が長いので、脱皮の為と思われがちですが、果たしてそうなのでしょうか?。
私の考えでは、本能的に寒い時期を砂の中でしのぐ、と言うのが正解のように思います。
容器内の温度が22度では、1月、2月では殆ど動きせん。
しかし最近では、同じ22度にもかかわらず良く動いています。
それも、昼夜関係無、にです。
「オカヤドカリは夜行性」と言うのは間違いで、「昼夜関係なく動く」が正解でしょう。
最近或る出版社から、オカヤドカリに関する本が出版されたようである。
私は読んでいないので、内容は知らない。
私は過去に、一冊の本の出版に係った事がある。
その折に、数多くの本を読む機会があった。
そして、驚くべき事実に気が付いた。
同じ内容の本にもかかわらず、著者、出版社が違うと、全く違う事が書かれている事がよくあるのです。
ではいったいどちらが正しいのか?。
「どちらも間違ってはいないが、正解ではない」これが真実でしょう。
Aと言う人が旨く行ったとしても、Bと言う人が旨く行くとは限りません。
誰一人として、同じ条件の人はいません。
条件が違えば、当然、結果も違います。
オカヤドカリの餌などは、特に顕著な違いが有ります。
あちこちのブログを見ても、人それぞれで、様々な餌が与えられています。
しかも困った事に、全てに共通する物が無いのです。
我が家のオカヤドカリの定番メニュー、薄皮アンパン、スイスロールのカステラ、北海道チーズ蒸しケーキ。
こんな餌を与えている人は、他にはい無いのでは?。
私がへそ曲がりだからではありません。
始めはブログで調べて、色々与えてみたのですが、殆どが一時的には食べるのだが、じきに食べなくなる。
ニンジン、ガジュマルなど、全く手を付けず、ダメ。
試行錯誤を繰るかえして、やった見つけたのです。
園芸に関する話なのだが。
或る園芸農家の人の話。
「園芸書に書いてあるとおりにやってもうまく行かないよ」、「適当な事しか書いてないから参考程度に考えた方がいい」等と言います。
これは、私も40年以上園芸をしてきて、同じ事を感じます。
そして、オカヤドカリを飼育するようになって11ヶ月、同じ事を感じます。
オカヤドカリを飼う事が、これほど手間がかかり、大変だと解っていたら、買う事は無かったでしょう。
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景気回復

2007年03月24日 03時49分20秒 | Weblog
「景気は回復基調のある」と政府は言う。
東京など大都市圏ではそうかもしれない。
しかし地方では全く実感が無い。
むしろ悪くなっているのではないだろうか?。
今日、埼玉県西北部の或るホームセンターの募集内容を見た。
トイレの入り口に貼ってあるのだが、アルバイトで時給がなんと790円。
以前身た時は810円だったと記憶している。
春の園芸シーズンを迎えて、園芸センターなどは人出が増えているのだが、ホームセンターなどはお客が減っているように感じる。
大きな電気店の特別セールでも、数量限定の特価品が売れ残る、なんて事もあるそうです。
以前なら、開店前に行列が出来、整理券を発行していたのが、整理券が必要ない事も良くあるそうです。
主だった物は殆ど普及してしまい、製品の質も良くなっているので、新規の需要が減っているのです。
更に追い討ちをかけるように、人口の減少と言う問題もあります。
一時期ブームになった100円ショップも、食料品を扱っているところはまだ良いのですが、日用雑貨中心の店は、客足が減っています。
食料品は食べる事によって新たに需要が発生します。
日用雑貨の多くは一度買えば当分必要ありません。
私も以前は値段の引かれてかなり買いましてが、最近は殆ど必要がなくなりました。
家の中も、あふれかえる品物の置き場所に困っています。

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都知事選

2007年03月22日 23時26分40秒 | Weblog
なんと、都知事選挙に14人も候補者が。
東京に生まれ、31年間東京都民ではあったが、その後は埼玉県民なので直接は関係ないのだが、14人とは恐れ入りました。
他の候補との違いを明確にする為、イロイロな事を言っているが、所詮は「足の引っ張り合い」でしかない。
「船頭多くして、船山に登る」等という事にならなければいいのだが?。
これでは無党派層だって、目移りがして困るのでは?。
誰一人、有効得票に達しないで、再選挙、なんて事も。
再選挙も、見方を変えれば、東京都の経済を活性化させるのには役立つかもしれません。
一時的ではあっても、選挙関連業界は選挙景気で潤います。
お金が動かなければ、景気は良くならないのです。
「給料が上がらないから物を買わない」のか「物が売れないから給料が上がらない」のか。
「卵が先か、鶏が先か?」と同じです。
しかし、選挙によって一時的にお金が動いても、持続して動かなければ意味がありません。
どうすれば持続的にお金が動くのでしょう?。
今の日本には、持続的にお金を動かす条件が有りません。
戦後日本は、高度経済成長を成し遂げましたが、それには理由がありました。
戦争に敗れた日本は、殆ど何も無い貧しい生活でした。
テレビなど無い時代、ラジオさえない家も珍しくありません。
電気も、裸電球が一つ。
それさえも無い家も数多く有りました。
電線が無く、電気が来ないのです、想像できますか?。
平成の現在では、想像も付かない話です。
それが今ではどうでしょう?。
テレビも電話も車も、一人に一台と言ってよいほど普及しています。
「今どうしても欲しい物はありますか?」、と質問しても、返ってくる答えは「お金」と言うのが殆どです。
「そのお金で何を買いますか?」と聞くと、殆ど答えが返ってきません。
「特別欲しい物は無いが、お金は欲しい」と言ったところでしょう。
企業は必死で消費者の購買意欲をかき立てようとしいますが、これだけ物があふれていては難しいでしょう。
前にも書きましたが、経済は、お金が動く事によって、良くなります。
需要と言う、お金が動く条件が無いのだから、景気は良くなるはずがありせん。
「公務員を減らせ」「税金の無駄ずかいを無くせ」「公共事業を減らせ」。
もっともなご意見ですが、いずれも、景気の足を引っ張ります。
中国が、二桁の経済成長をつずけられるのは、国内に多くの貧しい人たちを抱えているからです。
日本の終戦直後と同じ様な生活をしている人々が、まだ沢山います。
これらの人々が、潜在的な需要を持っているのです。
しかしいつの日か、その需要が無くなる時が来ます。
経済成長とは広い意味で、ねずみ講、と変わりが有りません。
常に新しい子(需要)を増やさなければ成り立ちませんから、新しい子(需要)が増えなくなればオシマイです。
後は、成長型ではなく、持続型経済に変わります。
持続型経済とは。
食料品は食べれば無くなるので、嫌でも買わなければなりません。
これと同じで、耐久消費財と呼ばれる物でも、耐用年数がたてばやがて使えなくなります。
それが必要な物であれば買わざるを得ません。
この様に、否応なく発生する需要に頼る経済を、持続型経済と言います。

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