へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

鳥は本当に自由に空を飛んでいるのだろうか・・・・

2008年06月29日 22時27分50秒 | Weblog
とかく人間は「鳥は自由に空を飛べていい」と考える事が多いのだが、本当に自由に飛んでいるのであろうか?。
私自身も時折考えるのだが、よく考えてみると「人間の勝手な妄想」でしかないことに気がつく。
確かに「自分の力で空を飛んでみたい」と言う願望を持つのが普通の人間なのだろうが、実際に空を飛んだときに起きる問題にまで考えが及ぶ事は無いだろう。
タイトルに鳥を使ったのだが、この問題は鳥に限った事ではなく、「他人(人に限った事ではない)を羨む」と言う事全てに共通する問題であろう。
とかく「隣の芝生は青く見える」と言うように、自分の事以外はよく見えてしまいがちであるが、いざ自分がその立場に立たされると「こんな筈ではなかった」と言う事になることが多い。
自分が希望した企業に就職しながら、「短期間で離職する」と言うのも同じことで、自分に都合の良い部分だけを見て、「ウラに潜む問題を見ていない」と言うことが背景にある。
「他人を羨む」と言うことをしていれば、当然の結果?として「自分がミジメになる」と言う事になってしまうから、安易に人を羨む事はしないほうがよいと思うのだが・・・・。。
「上を見たらキリが無い」と言う言葉があるが、上ばかり見ていると首が疲れるばかりではなく「足元の落とし穴に気がつかない」と言う事になり、「ホリエモン」のような結果になるのが関の山では無いだろうか?。
私も時折「羨ましがられる側」に立つ事があるのだが、私の受け取っている年金の額を言っても誰も信じてはくれない。
当然と言えば当然の話なのだが、私の側から見れば「みんなの生活は無駄が多すぎる」と言うくらい私の生活は見えない部分で節約をしているのである。
一つの例として、ペットボトル(缶入りも含めて)の飲み物を考えてみればよくわかるだろう。
昔の私は、ある程度の容器入りの飲料は買ってはいたのだが、最近の数年は殆ど買ったことがなく、自動販売機など何時使ったのか思い出せないくらい使っていない。
それでは、外出した時はどうするのかと言うと「ステンレス魔法瓶をもって行く」と言うことで対応している。
しかしながら今の一般家庭では「普段飲むお茶までペットボトルで買ってくる」と言う状態である。
「自分で沸かして入れる」のと、「買ってくる」のでは、一桁どころか二桁も違いが出てしまう。
ついでながら、外食も殆ど私はしない。
「外食一食分が1日の食費」と言った感じで、外から見えない部分を徹底的に節約していることを理解する人は居ない。
仮の話だが、私が世間並みの生活をしたとすれば「今の年金ではとても無理!」と言う事になるだろう。
今の日本の経済・財政状態を考えると、将来的には「年金の額の先細り」と言うことも視野に入れておく必要があるだろうが、その事に対する備えをしている人がどれほど居るのだろうか。
「備えあれば憂いなし」と言うように、国や自治体に頼るばかりではなく「自助努力」と言うことも必要だと思うのだが・・・・・。
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生きる事が難しい世の中

2008年06月26日 03時59分56秒 | Weblog
科学の発達に伴い、物質的に豊かな暮らしが出来るようになり、医療技術の進歩が平均寿命を延ばしてきたのだが、その反作用として「生きる事が難しい世の中」になってしまったように感じてならない。
「生活が苦しい」と言う話を耳にするたびに感じる、「何でそんなに苦しいの?」と言う疑問。
私が考えるのは、生活を苦しくしているのは「科学技術が発達した事によってもたらされた『物質文明』」では無いだろうか?。
「卵の値段が上がる」と騒いでいるが、私が子供の頃は「卵一個が15円」と言う時代(大卒サラリーマンの初任給が1万円以下)で、「生きる事に精一杯」であったが、今のように追い詰められたような感じはなかったように思う。
「何はなくとも明るい我が家」と言う言葉が飛び出すくらいで、「物は無いが人情はある」と言う、現在とは正反対の時代であった。
どちらがよいかは「価値観」によって違うので一概には言えないのだが、私個人の考えでは「戻れる物なら戻りたい」と思っている。
物が豊かにあふれている現代社会に魅力が無いわけではないが、多くの人は「その裏に潜む商業主義(金儲け)」に翻弄されている気がしてならない。
次々に発売される新商品は、基本的には「企業の売らんかな精神」に満ち溢れている。
「これを買わなきゃ損だ!」と言わんばかりの宣伝で、結果的に消費者は損をさせられている。
昔と違って「利益第一主義」になってしまった現在では、売り手側は様々な人間心理の弱点を突いて売ろうとしているため、消費者の側も気をつけなくてはいけない。
「経済発展が生活を豊かにしてくれる」と考えている人が多いようだが、豊かになるのは「物質的」なものばかりで、「精神的豊かさ」は損なわれてしまう。
「精神的豊かさ」と「物質的豊かさ」。
どちらを選ぶかはその人の自由であるが、その結果は「自己責任」だと言う事を忘れてはいけない。
「どちらも欲しい」と言う考えは捨てた方がよいと思う。
「二兎を追うもの一兎をも得ず」と言う結果になるのが関の山だと思うのだが・・・・。
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民主党は君子?

2008年06月21日 02時44分04秒 | Weblog
民主党の前代表である宮原氏が、「君子豹変」と言う言葉を使って物議を醸しているようなのだが・・・・。
民主党が君子であるかどうかはともかくとして、民主党が政権を取った暁には「それまでの主張を棚に上げて豹変する」と言う事は十分有りうる事である。
宮原氏の言うように「財源の裏付けが無い」と言う状態では、どの様な主張も公約も「空手形」と言う事になってしまうだろう。
空手形にしない方法も無いわけではないが、それを実行するには「かなりの痛みを伴う」と言うことを覚悟しなくてはならない。
一番手っ取り早い方法としては、「赤字国債の増発」と言うことが考えられるのだが、今以上に赤字国債が増えるということは「夕張市の二の舞を演じる」と言う事になりかねない。
「夕張市の二の舞」を避けるためにはどのようなことをすればよいのだろうか?。
冷静になって考えれば、大阪府という「格好のモデル」があるではないか。
「本来であれば不正な財政処理」によって、かろうじて「夕張市の二の舞」になるのを避けることは出来たのだが、その後の新知事による「財政健全化}は遅々として進んでいない。
大阪府の問題は、単に「大阪府だけの問題」「対岸の火事」と捕らえて考えている人が多いようであるが、日本全国の自治体が「明日はわが身」になる可能性がある事を知らない人が多すぎるのだ。
「民主党政権」に期待を掛ける人が多いようだが、後になって「これでは自民党政権の方が良かった」などと言う事になっては「元も子もない」と言う事になってしまう。
正に「後悔先に立たず」とはこのことだろう。
昔から「上手い話には気をつけろ」と言う言葉があるように、上手い話など「めったに無い」ことがわからないのだろうか?。
かなり前の話ではあるが、ある司法関係の人と話す機会があり、「詐欺事件」に関して話をした事があるのだが、その人が言うには「騙す方も悪いが、騙される方も悪い」と言うのである。
その人が「盗人にも三分の利、と言うのはここから出たのではないか」と言っていたが、何となくうなずける気がした。
日本と言う国の将来を「政治家?」だけに任せておいてよいのだろうか?。
何かにつけて「政府の責任」と言うことが問われているのだが、「国民にも責任がある」と言うことをわきまえる必用が有ると思うのだが・・・・。
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今の日本を自民党に任せてよいのか?

2008年06月19日 03時49分23秒 | Weblog
ガソリンの暫定税率復活、後期高齢者医療制度、消費税引き上げ論、・・・・と、今の自民党は消費者の嫌がることばかりしようとしている。
「こんな内閣はつぶれればいい」と言う意見もかなりあるようで、私個人の気持ちとしても賛成したいのだが・・・・、単純に賛成してよいものだろうか?。
与党と野党の主張は真っ向から対立しているのだが、対立の根源が何処にあるのか考えてみたい。
まず始めに、与党は「責任政党」と言われる事があるが、それでは、野党はどうなのであろうか?。
少々乱暴な言い方ではあるが、「与党が責任政党なら、野党は無責任政党」と言う事になりはしないだろうか?。
「無責任政党」が言い過ぎなら「責任を取らなくてもよい政党」と言う事になるだろう。
責任を取らなくてもよいのなら何でも言う事が出来る。
責任を取らなくてもよいのだから、ガソリンの暫定税率廃止、後期高齢者医療制度の廃止、消費税の引き上げ反対、・・・・と、一般の国民が喜ぶような事を並べ立てればよいのである。
今、衆議院を解散して総選挙を実施すれば、かなりの確率で民主党が勝利するであろうが、ここで冷静に考えて欲しい。
仮の話し、選挙で民主党が過半数以上を得て勝利した場合「責任を取らなくてもよい政党から、責任を取らなくてはいけない政党になる」と言う動かし難い問題が発生してくることを忘れてはならないだろう。
この問題を身近でわかりやすい説明をするには、「与党対野党」を「使用者対労働者」に置き換えれば良くわかるのではないだろうか?。
「労使紛争」と言う言葉があるように、「使用者(与党)」と「労働者(野党)」の関係は「水と油」と同じ様に「相容れない関係」にあるのである。
「平社員が出世して管理職になったら言う事が正反対になった」と言うように、置かれた立場が変われば、言う事も変わるのは「世の常」である。
ここで一つお断りをしておかなくてはいけない事がある。
それは、以前にも書いた事があるのだが、「私自身、自民党を支持する気は毛頭無い」と言うことである。
それでは、何故に自民党の肩を持つのであろうか?。
私自身、自民党の肩を持つつもりなど毛頭無いのだが、今の日本の政治情勢を見るにつけ、かつてアメリカの或る人が言っていた「二つの悪の内、より少ない悪を選ぶ悲しさ」と言う言葉を思い出すのである。
今の自民党が、「選挙対策上不利になる」とわかっていて尚且つ実施しようとする事情を考えてみる必用が有ると思うのだが・・・・。
ここで40年ほど昔にあった事件を書いて見たい。
事件と言っても、新聞に載り様な事件ではなく、或る会社の一社員が起こした事件であるが、何となく民主党のしようとしている事に似ているのである。
その事件とは、或る社員が同僚(私もその一員であるが)に「食事をおごる」と言い出して、「俺のおごりだから遠慮なく食ってくれ」と言うことで腹いっぱいご馳走になったのだが、いざ「お勘定」と言う段になって「財布を忘れた」と言うのである。
確かに、「かなりのお金が入っている財布を見た」と言う者がいるので、その場は各自が支払いをして「翌日その分をもらう」と言う事になったのだが、翌日は「無断欠勤」、そのまま退職してしまったのである。
「奢りだと思っていたら、自腹を切らされた」と言うことなのだが、今の民主党を信じると、「何一つ財源の裏付けが無い」と言うことを考えれば、「後の世代にツケが回る」と言う事になるであろう。
「自腹」ならぬ「次世代の腹を切る」と言うことだけは避けたい物だが・・・・。
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「地球の温暖化」についての疑問

2008年06月16日 04時05分54秒 | Weblog
地球温暖化の原因として「温室効果ガスの排出量の増加」と言うことばかりが問題にされているのだが、それ以外にも大きな原因があると思うのだが・・・・。
私が想像する所から言うと、「私と同じ事に気が付いている人は他にもいる」はずなのだが、「様々な思惑」や「利害」と言うものなどが複雑に絡み合っているために表に出てこないのではないだろうか?。
さて、その原因とは?。
「石油、石炭、天然ガスなどを燃焼させたときに出る熱」である。
バイオ燃料は、「生産段階でCO2を吸収するので、プラスマイナス0」と言われているのだが、燃料として使われたときに出る熱は計算に入っていないのである。
仮の話(実現は不可能であるが)、温室効果ガスの排出を「0」にする技術が開発されたとしても、燃焼させることにより発生する熱エネルギーのほうはどうなるのであろうか?。
バイオ燃料の生産にはもう一つの大きな問題が有ると思うのだが・・・・。
現在、バイオ燃料を造るために使われる原料は、その殆どが、サトウキビ、トウモロコシ、小麦と言った、「直接・間接を問わず人間の食料となり得る作物」なのである。
最近日本で問題になっている「食料価格の高騰」も、アジア、アフリカなどの貧困国では日本とは比較にならないほどの「暴騰」を引き起こし、「死活問題」になっている。
僅かな収入の殆どが食料の購入に消える状態の中で、「食料(トウモロコシなど)の価格が2倍・3倍になる」と言うことが何を意味するか・・・・。
「一部の人間が利益を独占しているからだ!」と言う理屈も成り立つのだが・・・・、それを言うのは「負け犬の遠吠え」では無いだろうか・・・・?。
厳しい話をするようだが、目の前に儲け話が来たとして、「それを黙って見送る」と言う人がどれほどいるであろうか?。
私自身の気持ちを正直に言うなら、「このようなブログを書いている手前、多少心は痛むが見送る事は出来ない」と言う事になるであろう。
多くの人は綺麗事を言うであろうが、その根底にあるのは「自分にそのようなチャンスは巡ってこないだろう」と言う気持ちがあるからである。
「建前と本音」を使い分けているのである。
私の場合は、「建前より本音を重視」するため、とかく「誤解」をされやすい。
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「理想と現実」ならぬ「希望と現実」

2008年06月10日 04時10分52秒 | Weblog
夢を壊すようで申し訳ないのだが、国際宇宙ステーションに日本の実験棟「きぼう」が取り付けられ、そのことで「宇宙旅行」への期待を膨らませている人もいると思うのだが、本当に宇宙旅行が出来る時代が来るのだろうか?。
今でもしようと思えばできない事は無いのだが、それが出来るのは「極限られた大金持ち」だけである。
一般庶民が宇宙旅行が出来るなどと言う事は「夢のまた夢」と言うほか無いであろう。
ましてや「月や火星などに移住する」などとても出来る相談ではない。
冷静に考えてみて、今建設中の国際宇宙ステーションの建設に、どれ程膨大なエネルギーや資材、人手が使われているか考えてみるとわかるだろう。
僅か数人の人間と資材を運ぶために消費されるエネルギーがどれ程膨大な物か・・・・。
原油の高騰は、「埋蔵量の先細り」と言うことが根底にあるので、「宇宙開発」と言う事は「先細りを加速させる」と言う結果を招くであろう。
日本の宇宙開発事業は、近い将来「開発に回す財源が無い」と言う事になりかねない。
所詮、「きぼう」は「希望」で終わりそうな気がするのだが・・・・。
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福田内閣の支持率が向上

2008年06月10日 03時40分00秒 | Weblog
それだけ「物事を冷静に判断する人がいた」と考えるべきなのか、民主党の「説得力の無い主張」によるものか迷う所ではあるが、いずれにしても、今の危機的状況にある日本の財政を考えれば「喜ぶべき事」なのかもしれない。
うがった見方をするなら、NHKの放送が影響を与えたのかも知れない・・・・。
環境問題を扱った番組の中で「ドイツの環境問題に対する取り組方」が取り上げられていたのだが、その対応策のヒントが、ナント「第一次オイルショックのときの日本」だと言うのである。
温暖化ガスの排出量が6%も増加している日本に対して、ドイツではガソリンの税金に更に上乗せするだけでなく(日本の暫定税率と同じ様な物)、「環境税」まで導入して排出量を減少させていると言う。
環境税の導入には、「国民の60%が反対している」と言うのだが、それでも導入に踏み切ったドイツ政府はたいしたものである。
民主党などがよく口にする、「民意を反映させる」と言う事は非常に危険を伴うと言う事が日本では理解されていないのだ。
今の日本で政治に民意を反映させたとしたら、「間違いなく破滅への道をたどる」と言う事になるであろう。
私だって、「本音は皆さんと変わり無い」のだが、それを実行すればどの様な結果が待っているかわかっているので、敢えて苦言を呈するのである。
「理想と現実」と言う、相反する問題を冷静に考える必用が有ると思うのだが・・・・。
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再び後期高齢者医療制度について

2008年06月06日 04時03分19秒 | Weblog
与党は「内容を修正」、野党は「廃止」と、大揺れの後期高齢者医療制度なのだが、何故に与党が存続に固執するのか、従来と違った視点で考えてみたい。
「年寄りは死ねと言うのか!」と言う声も聞こえてくるのだが、私個人の気持ちから言うと「その気持ちもよくわかる」と言いたいのだが・・・・、個人的感情論で物事を解決してよいものだろうか?。
この問題を「冷静かつ客観的」に考えてみると、「物事の基本原則」から言っても「高齢者の負担増は止むを得ない」と言う事になるだろう。
「そんな馬鹿な!」と思うかもしれないのだが、人間だけを特別視せずに考えて見て欲しい。
一つの例として「自動車」の事を考えてみればわかるのではないだろうか?。
「自動車と人間の何処に関係があるのだ!」とお叱りを受けそうだが、けして無関係とは言えないのである。
それではどんな関係があるのかと言うと、新しい車は、人間で言えば若い世代と言ってよいだろう。
つまり、新しい車は故障も少なく、部品を交換する必要も余り無いため、維持費は少なくて済むのだが、年数を経る(人間が年を取るのと同じ事である)と、「故障も増え、部品の交換も必要にり、維持費がかかるようになる」と言う事になるのである。
この維持費は一体誰が負担するのであろうか?。
車であれば「車の所有者」が負担するのは当然の話なのだから、増え続ける高齢者の医療費の負担も、当然の話「高齢者自身」と言う事になるであろう。
民主党が制度の廃止を主張しているが、廃止をすれば、その分は「若い世代に負担を押し付ける」と言う事になるであろう。
国民一人当たり800万円と言う膨大な借金の付けを回し、その上に「年金、食料、資源、温暖化などの環境問題・・・・・」と、様々な不安材料を抱えた次世代にこれ以上の負担を掛けてよいのであろうか?。
若い世代が成り立たなくなれば、私も含めた高齢者は「共倒れ」と言う事になってしまうであろう。
大阪府では財政再建のために「大幅な歳出削減」と言うことが計画されているが、けして「対岸の火事」ではなく、「明日は我が身」と考えなくてはいけないだろう。
「大幅な歳出削減」に対しては、様々な「不平・不満」が出てきているが、今のうちに抜本的な対策をとらなければ「夕張市の二の舞」と言う事になり、「もっとひどい状態になる」と言うことを覚悟しなくてはならないだろう。
日本の財政状態から考えれば、「高齢者医療制度の導入は止むを得ない」と言う事になるのである。
後期高齢者=クラシックカー、と考えれば納得が行くのではないだろうか?。
クラシックカーに乗るのは「非常にお金がかかる」と言うのと同じ様に、高齢者が生きてゆくためには「多くの医療費が必要になる」のである。
その負担を若い世代に押し付けるのは「理不尽」だと私は思うのだが・・・・。
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「有権者」と言う気楽な家業

2008年06月01日 03時17分05秒 | Weblog
新聞の投書や近所の人の話などを聞いていると、「国民の身勝手さ加減」を痛感する。
何か問題が起きると、決まって「政治の無策や行政の怠慢を指摘する」のだが、自分達はいったい何をしているのであろうか?。
国や地方自治体が行う事は、「全て税金で賄われている」と言う事を考えず、自らが払っている税金の何倍もの事を平気で要求をしたり、新たに持ち上がった問題に対する「政治の無策や行政の怠慢」ばかりを取り上げて、文句ばかりを言っている。
不満の内容にしても、「結果論」ばかりで建設的なものは「皆無」と言ってよいだろう。
「結果論」で物を言う事は簡単な事で、「それならば何故その時に言わないのだ!」と、私は言いたい。
後になって「あの時○○して置けばよかった」と言ったところで「後の祭り」でしかないのだが、その事には触れようともしない。
そもそも「無策な政治」の元を作ったのは、文句を言っている有権者では無いだろうか?。
「私利私欲で議員を選んでおいて、結果に文句を言う」とか、「自分の思うようま結果が出ないと支持政党を変える」と言うような、身勝手な主張をする有権者は「気楽な家業」と言わざるを得ないだろう。
「政治の腐敗=国民の腐敗」と考えるべきでは無いだろうか・・・・?。
「魚心あれば水心」と言うではないか。
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