へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

日本の調査捕鯨

2008年01月30日 03時25分50秒 | Weblog
最近、日本の調査捕鯨に対する抗議活動が問題になっている。
何故日本が「捕鯨再開」に拘るのか、一般的に言われているのとは「全く違う視点」から考えてみたい。
私個人の意見(本音)では「昔のように、安く大量に食べられたらいいのにナーーー」と言うのが正直な所である。
しかしこれは、アクまでも個人的な意見であって、世界に通用するものではありません。
それでは、何故日本政府が捕鯨に拘るのかと言うと、「安く大量に食料が手に入る」と言うことだと思うのである。
アメリカとの戦争に負けた戦後の日本は、「極度の食糧不足」に堕ち入てしまいましたが、食料を輸入する資金もなく、アメリカからの食糧援助に頼っていたのです。
しかし、南氷洋に行けば、「お金を払わずに」いくらでも鯨を取る事が出来たのです。
当時は、大型のシロナガスクジラ、ナガスクジラなどが中心で、一頭捕獲すれば、牛数十頭分の肉が「タダで」手に入ったのです。
「公海上のものは何処の国のものでもない」と言う、日本独特の「身勝手な考え」が通用していたのです。
団塊の世代以前の人は、「鯨の肉を食べなかった人はいない」といっても過言ではないくらい、お世話になっているのです。
「鯨のベーコン」と言えば、「安物の代名詞」と言われるくらい「安く大量に」出回っていました。
もう一度「思い切り食べてみたい」と言うのが本音ですが、今の値段ではとても手が出ません。
おやつ代わりに塊のベーコンを食べたものですが、今同じ様に食べたとしたら「五千円から一万円くらい」になるのではないだろうか?。
余談では有るが、マツタケもかなり安かったですね。
子供のウデほども有るマツタケを、一度に二本食べた記憶があります。
今だったら何万円するだろうか・・・・、思わず涎が出てきました。
話を元に戻すが、アメリカが、沖縄ばかりでなく小笠原諸島も占領した理由が、「鯨にあった」と言う事を知る人は少ないとのではないか思う。
小笠原諸島は、「捕鯨船の補給基地」として必要だったのです。
「アメリカが鯨を?」と思うかもしれないが、「日本とは全く違う目的」で捕鯨をしていたのである。
捕鯨の対象は「マッコウクジラ」だけで、食用が目的ではなく「マッコウクジラの油」だけが欲しかったのである。
日本の場合は「捨てる所がない」と言うくらい、「鯨の全て」を利用していたが、アメリカの場合は、「油だけが目的」で、あとは海に捨てていたのです。
「何でマッコウクジラの油?」と思うかも知れないが、戦後もかなりの間、「工業的にも軍事的にも、マッコウクジラの油に代わるものが出来なかった」と言うほど「重要な油」だったのです。
普通、動物の脂は「常温で固まる」と言う性質がありますが、マッコウクジラの油は「マイナス数十度でも固まらない」と言う「驚異の性質」を持っていたのです。
鯨のベーコンでも同じ様に、冷蔵庫に入れておいても油が固まる事もなく、殆どが油にも拘らず「脂っこくない」と言う、不思議な性質が有るのです。
肉質も、牛肉よりも軟らかく、サッパリした感じなのですが、今市場に出回っているのは、殆どが小型の「ミンク鯨」なので、若干味が落ちるようです。
「鯨を食べるのは日本の食習慣」などと言う意見もありますが、本音は「安く大量に手に入る食料」と言うところでしょう。
何処にもお金を払わなくていいんだから・・・・。
日本の捕鯨に反対している国々にお金を払えば、「状況は変わるかもしれない」が、それではコストが上がってしまうので、「意味がなくなってしまう」と言う事になってしまう。
状況を打開する事は困難だと思う・・・・。
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食生活が何処か狂っている

2008年01月29日 03時20分32秒 | Weblog
20代の娘さんを持つ母親がぼやいていた。
話の内容は「娘と一緒に献血をしようとしたが、二人とも貧血がひどいので断られた」と言うのである。
「食生活には十分気をつけているというのに断られた」と言うのであるが、普段食べているものを聞いて、いささか?????、と言う思いである。
「肉より魚の方がよい」と言う話を聞いて、魚を中心に食べていると言うのだが、食べている魚と、その食べ方を聞いて呆れてしまった。
白身の魚と、ノルウエー産の「養殖サーモン」が殆どで、それも、身の部分以外は食べないと言うのである。
これでは、たんぱく質以外の栄養素は殆ど取れないのだから、貧血になるのは当然の話しである。
この事を話した所、目を丸くして驚いていた。
単に「魚が身体によい」と言う程度の知識しか持っていないのである。
「養殖サーモン」も、「魚の油は頭をよくする」と言う理由だそうで、イワシなどの青魚の油と勘違いしているのである。
私の場合は、「全く正反対」と言っても過言ではないだろう。
年に2回献血をしているのだが、毎回のように、「比重に全く問題ありませんから、400CCの献血をお願いします」と言われる。
一人暮らしなので、けして食生活は十分とは言えないかもしれないが、栄養面では気を付けています。
魚は好きなのでよく食べるのだが、出来る限り「丸ごと食べられる魚」を買うようにしています。
イワシ、アジ、サンマなどは、硬い骨以外は、内臓を含めて全て食べます。
内臓には、ビタミン、ミネラルなどの「重要な栄養分」が含まれているのです。
其の他にも、マグロ、ブリ、鮭などもよく買うのですが、普通の切り身は買わず、俗に「アラ」として安く売られているものを買います。
アラには、皮膚の若さを保つ為の「コラーゲン」がったぷりと含まれているので、よく「肌のつやがいいですね」と言われる事があります。
また「血合い」と言う部分は、血液成分を多く含んでいるので、貧血の改善に効果が有るのです。
魚の身体も、人間の身体も、「栄養成分的にはそれ程違いはない」はずで、「頭から尻尾までそっくり食べる」と言う事は、栄養学的に理にかなっていると思うのだが・・・・。
「安いアラのほうが栄養がある」とは、なんとも皮肉な事である。
煮干を、「カルシウムの補給源」と考えている人が多いのだが、頭から内臓まで全てを食べれば「総合的な栄養源」になるのではないだろうか?。
エスキモーなどの局地に住む人たちは、アザラシなどを捕獲すると、「最初に内臓を食べる」と言うことを聞いたことがある。
何事によらず、「一部分だけに捉われることなく、全体を見る」と言うことが重要だと思うのだが・・・・・。
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大河ドラマ「篤姫」

2008年01月28日 02時40分16秒 | Weblog
NHKの大河ドラマは、初期の頃から欠かさずに見てきたのだが、今回の「篤姫」に関しては、気持ちの上で、今までのドラマの見方とは「全く違う見方」になっていることに気が付いた。
過去の大河ドラマでは、多くの場合、「一つの物語」と言う見方で見ており、見た後には「単なるドラマを見た」と言う程度の余韻しか残らなかったのだが、今回に限っては「全く違う」といっても過言ではない。
ドラマである以上、或る程度の「作者の作為」と言うものもあるだろうが、出演者のせりふの中に、「現代社会への教訓的言葉」が非常に多いのである。
島津斉彬に関しては、「人格者であったと」言う程度の知識しかなかったのであるが、「目からウロコ」と言う感じである。
ここで「勇将の下に弱卒なし、弱将の下に優卒なし」と言う言葉を思い出した。
このドラマを、単なるドラマとしてではなく、「現代社会への教訓」としてみる人が増えてくれるようになれば、「多少は日本も良くなるのではないか」と思うのだが・・・・。
とかくNHKの不祥事が問題になるのだが、民放の問題は殆ど話題にならない。
この事は、別な見方をすれば、「見る人間の質に差がある」と言う言い方も成り立つと思う。
民放の場合、アナウンサー、アシスタントなどは、「容姿」さえよければ「頭の中」などはそれ程問題にならない。
かなりの間違いを犯しても「笑い話程度」にしかならないが、NHKの場合は「一字一句の間違い」に対しても、抗議の電話が鳴り止まないと聞く。
このような結果から考えても、NHKを見る人と、民放を見る人とでは「大きな質の違いが有る」と言うことが出来ると思う。
日頃民放を見ている人が「篤姫」を見たとしても、「猫に小判」「豚に真珠」「馬の耳に念仏」「宝の持ち腐れ」と言う事になってしまうかもしれない。
民放にも良い番組がないわけではないのだが・・・・、何となく「興味本位的な演出」で、ぶち壊しになってしまう傾向が多いように思う。
民放の場合は「視聴率を稼がなければいけない」と言う問題があるので、有る程度は仕方ないとは思うのだが、「程度問題」と言うことを忘れているように感じてならない。
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意外な反響にビックリ

2008年01月27日 18時28分39秒 | Weblog
ミニステッパーに関しては、適当な題材に困って、「軽い気持ち」で書いたのですが、予想外のコメントを頂き、感謝しています。
皆さんが、私が予想していたより真剣に読んでいてくれる事がわかり、責任の重大さを感じています。
昨夜は、行きつけのお店が閉店する最後の日だったために、遅くまで店に居り、帰ってきたのは深夜の3時半で、パソコンを開く気にもならず、そのまま寝てしまいました。
当分カラオケはお預けです。
カラオケの歌い過ぎが原因で「風邪(気管支炎)」になったのですが、今はのどの調子もよくなったというのに、カラオケができないと言うのはなんとも皮肉な事です。
「ボックスにでも行言って歌えば」と言う人もいるのですが、何となくボックスは好きになれないのです。
一人でフラット行って「その時の気分と、その場の雰囲気で歌う」と言うタイプなので、特定の相手と行く事が多いボックスは、どうしても好きになれないのです。
中々得難いお店だったので、このお店に変わるお店を探すのは困難な事でしょう。
人生は、常に良い時ばかりとは限りません、「悪い時期をどう乗り越えるか」と言うことが重用ではないだろうか?。
「何かが出来なくなったとき、落ち込んでいないで、新たな事を始める」と言う「発想の転換」が、人生を豊かにしてくれる事もある。
「新しい出会いが、新しい考え方を生む」と言うこともある。
「何かに捉われ続ける」と言う事は、「新たな事を知るチャンスを失う」と言うことにもなる。
「発想の転換」「逆転の発想」=プラス思考、と考えればよいと思う。
マイナス思考からは、「新しい何かを発見する」と言う事は少ないと思う。
このためには、たとえどんなに嫌いな人の意見でも、「一つの意見」として受け入れるための、「寛大な心」が必要ではないだろうか?。
多くの場合、「単なる個人感情」で物事を判断する傾向があるが、これは大きな損失につながると思うのだが・・・・。
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ミニステッパー

2008年01月26日 03時57分40秒 | Weblog
風邪を引いて以来、どうしても家にこもりがちになってしまった。
一年で一番寒い時期なので、どうしても外に出る気にならないのである。
先日、ボーリングに行ったついでに、或るホームセンターで安いミニステッパーを見つけた。
以前から気になってはてはいたのだが、中々買う気にならずにいた所だったので買う事にした。
使ってみて気が付いたのだが、寒い時期にはピッタリの運動になる。
何がピッタリかと言うと、冷えた足がよく温まるのである。
室内で余り動かずにいると、どうしても足が冷えてしまい、余計に寒く感じるのであるが、ミニステッパーを100回ほど踏んでいると、足の血流がよくなり、冷えを感じなくなるのである。
場所もとらず手軽に出来るのだが、ひざの悪い人には薦められない。
かなりひざに負担が掛かるからである。
ひざが悪い人は、自転車型のマシンの方がよいと思う。
自転車型のマシンは、腰掛けて出来るので、ひざへの負担が少なくて、高齢者には「転倒予防」にもなるそうである。
自転車型の欠点は、多少場所をとることと、「ミニステッパーのように手軽に出来ない」と言うことです。
私くらいの年に成ると、どうしても運動不足になりやすく、「転倒事故」が原因で「寝たきり」になる危険が出てきます。
健康のために「1日1万歩」などと言われますが、これが中々難しい事なのです。
単純に計算しても、60cmの歩幅で歩いたとして、6キロ歩かなければいけないのです。
時間にしておよそ1時間半、それも、毎日となると気が重くなってしまいます。
私の経験からすると、「或る程度以上の負荷が掛かる運動」は、月に1,2回でも十分に効果は有るようです。
40代半ばの頃、たまたま少年野球のコーチの真似事を始めたのだが、始めは月に2回でも大変であったものが、1年後には、毎週のようにフルに動いても全く疲れなくなったのです。
「月に1回や2回ではダメだ」と言う人もいるようだが、けしてその様なことはないと思います。
これは私の「経験則」で、諦めて何もしなければ、何も結果は出ません。
始めは無理のない程度から始めて、「少しずつ増やしてゆく」と言う方法で、「継続的に続ける」と言うことが必要です。
「成せば成る、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬものなり」と言う言葉を思い出しました。
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冗談が通じない

2008年01月24日 03時17分52秒 | Weblog
日頃私は「冗談で生きている」などと、冗談を連発しているのだが、外見から判断されるせいか、全く「冗談が通じない」と言う事態が発生する。
少し時間が経つと、或る程度は通じるようになるのだが、日を改めるとまた元に戻ってしまう。
「外見で判断される」と言う事は、実に困った事なのである。
これとは別に、「自分では冗談を言うくせに、他人の冗談に腹を立てる」と言う輩もいるから困ったものである。
今日も、そんな男の相手をしなくてはならず、ほとほと疲れました。
私の場合、気の会う人であれば、はじめて会った人でも、「5分後には冗談を言い合う」と言うこともよくあります。
「掛け合い漫才」の様になり、傍から見ると、「幼馴染」「十年来の友達」と見えるようです。
相手の年齢はそれ程関係ありません、十代から九十代まで話を合わせる自信はあるのだが、「冗談が通じない相手」だけは苦手です。
今日の相手は、その「最たるもの」と言えるでしょう。
付き合わなければよいのだが、「同じ組内」の人間だけに、付き会わないわけにも行かず困ったものです。
今日はチョット愚痴ってしまいました。

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気違いに刃物

2008年01月22日 02時12分40秒 | Weblog
料理に使う包丁だって、使う人が悪いと大変な事になる。
ガソリン税も同じことが言えるだろう。
「ガソリン税を引き下げて、ガソリンを安くする」と言う民主党。
世界の潮流は、省エネ、温室効果ガス排出削減・・・へと、大きく流れを変えようとしているのに、その潮流に逆らうような政策。
同じ野党の仲間である、国民新党、社民党ばかりでなく、同じ民主党の中にまで批判する人たちがいるというのに、小沢・鳩山は一体何を考えているのであろうか?。
以前には「格差是正」などと言っていたのだが、このガソリン税の引き下げは、考え方によっては「金持ち優遇税制」と言うことも出来ると思う。
ガソリンを大量に消費する人ほど恩恵を受ける税制だからである。
運送業界は別として、通常、大量にガソリンを消費するのは、複数の車を持つ人、燃費の悪い高級車に乗る人、が殆どで、大体お金持ちの人が多い。
その一方で、貧しくて車を持てない人には、何の恩恵もないのである。
「格差是正」を言うのであれば、もっと底辺の人たちのことを考えるべきで、「金持ち優遇税制」など、もってのほかであろう。
国会の党首討論を聞いていても、民主党の鳩山幹事長の発言は、タダひたすら「注目を集めたい」と言うように感じてならない。
ガソリン税を引き下げれば、当然の結果として「財源不足」を招くのだが、その事に対しては「何の説明もない」のである。
私が今、何となく感じている事がある。
それは、「民主党は政権を担う気は無いのでは?」と言うことである。
タダ単に「自民党政権を潰す」と言うことが目的ではないのだろうか?。
単なる「民主党の面子」の為に、「関係のない国民が迷惑する」と言うことでは、たまったものではない。
しかし、よくよく考えると「国民の側にも責任の一端がある」のではないだろうか?。
「ガソリン税の引き下げに、世論の6割が賛成」などと言う報道もされている。
「世論の6割が賛成」と聞けば、民主党が勢いずくのも仕方ない事かもしれない。
しかし「世論の6割が賛成」って、どの様にして調べたのであろうか?。
様々な世論調査の結果が発表されるのであるが、しばしば、????、と感じる事がある。
私自身、65年間生きてきたが、「タダの一度も世論調査を受けたことがありません」。
その為、軽々に判断は出来ないのだが、各種のアンケートなどから類推すると、「設問自体に無理がある」のではないだろうか?。
アンケートなどでは、選択肢が少ないと「○の付けようがない」と言う問題も起きてくる。
どの様な設問がされていたのか知りたいものである。
タダ単に「ガソリンが安くなるとしたらどう思いますか?」と言う程度の質問であれば、「世論調査に値しない」と言いたい。

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資源の再利用はエコロジー?

2008年01月21日 02時31分42秒 | Weblog
今製紙業界が揺れている。
古紙の使用率が偽装されていたのである。
何故このような問題が発生するのであろうか?。
様々な情報が乱れ飛んでいるのだが、どの情報にしても、「日本人特有の問題」には触れていない。
「日本人特有の問題」とは、「自分では努力せず、他人がしたことに便乗する」と言う性質である。
京都議定書による温室効果ガス排出削減が良い例であろう。
企業の側では一生懸命に削減の努力をしているにも拘らず、「一般家庭では7%もの増加」、と言う事実からもわかるように、「企業努力におんぶに抱っこ」と言った状態。
古紙の問題にしても、「古紙を沢山使っている紙を使っているから、エコロジーに協力している」と言う程度の考えなのである。
その様な状態であるから、製紙業界にしても、「古紙使用率」は、企業の死活問題になってしまうのである。
宣伝文句に踊らされて、チョット人気が出ると「我も我もと、右へ習えする」様な日本人には、起きて当然の問題ではないだろうか?。
「情報・禍・社会の申し子」の様なものであろう。
さて、話を現実の問題に戻して考えてみたい。
かなり以前の話ではあるが、或る製紙会社の人に聞いた話である。
「再生紙を作るのって、以外に高くつくんですよね、新しいパルプで作った方が安く出来る場合もあるんですよ」と言う話である。
古紙には様々な不純物が含まれていて、この不純物を除去するのが大変な作業で、丁寧にすればするほど繊維の長さが短くなり、品質の低下につながるという。
インクの質も良くなった分、取り除くのは不可能に近くなっていると言う。
これらの問題に「古紙の価格高騰」と言う追い討ちが掛かってしまったのである。
中国の急速な経済成長が、「新たな古紙の需要」を発生させ、「古紙の奪い合い」と言う問題も起きている。
今、製紙業界だけが悪者になっているようであるが、「製紙業界のせい」だけにして良いものであろうか?。
大分以前には「ペーパーレス時代が来る」などと言うことが言われていたが、何処へ消えてしまったのであろうか?。
景気の低迷で、企業の側は、「何とかして売りたい」と言う気持ちが強く働く為、DM,折り込み広告、ポスター、チラシ・・・・・・と、ペーパーレスどころではなくなっている。
私の知り合いに、会社の総務の仕事をしている人がいるのだが、「PCが普及すれば、紙の使用量が減る」と聞かされていたが、実際は、「昔より遥かに増えた」と言っている。
PCも、一見すると、「非常に便利」な道具ではあるが、「意外に不便」な事も多い。
「ペーパーレス」と言われながら、そうならなかったのは「以外に不便」と言う部分にありそうである。
古紙の使用率を問題にするより、「紙の使用量」そのものを減らす努力が必要だと思うのだが・・・・・。


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世界の孤児

2008年01月20日 03時20分55秒 | Weblog
町村官房長官が「ガソリン税の引き下げは、環境問題に逆行・・・・」、と言う発言をしていた。
まさしくその通りである。
省エネ、温暖化ガスの排出削減が叫ばれている中で「ガソリンの価格を下げる」と言う民主党は、一体何を考えているのだろうか?。
洞爺湖サミットを目前に控えていると言うのに、「日本は省エネなど考えていません」と、宣伝するようなものではないか。
サミットを主催する国がこれでは、世界が相手にしなくなってしまうのではないだろうか?。
これでは、経済どころか政治も文化も「三流国」に成り下がってしまうであろう。
「児童の学力低下」どころの騒ぎではない、「民主党と言う組織の学力低下」と言う、国家を揺るがす重大問題である。
私個人の意見を言うならば、「ガソリン税をもっと高くし、1リッター200円(あるいはそれ以上でも)位にして、それによって得られる税金の増収分を、医療、福祉、環境問題に使うべきである」と言いたい。
高くなれば、消費量が減るだろうから、計算通りの税収は見込めないだろうが、消費量が減る分「省エネ、温室効果ガス排出削減」と言う効果が期待できる。
現在の、医療、福祉は「危機的状況にある」といてよいだろう。
「救急患者のたらい回し」「子供を生みたくても、産科、小児科がない」「深夜の介護が受けられない」・・・・・・と、問題だらけ。
国民健康保険税、介護保険料の引き上げが必要にも拘らず、内部で処理をしようとしてきた結果起きた問題である。
年々増え続けている、医療費、介護費用をどの様にして賄えばよいのであろうか?。
「医療、介護報酬の引き下げ」で対応すれば、医師、介護師の生活が成り立たなくなってしまう。
一部の開業医や介護センターの経営者などを除けば、一般の人が想像するより遥かに低い報酬で働いている。
危険な医療現場に従事している医師などは、それ以外の問題まで抱えなければならないのである。
それ以外の問題とは、「何か問題があると、医療ミスとして告訴される」と言うことである。
医療ミスの裁判では、「医師の側に厳しい判決」が多いように思う。
これでは、「危険を伴う医療」に従事する医師が減ってしまうのは無理からぬ事であろう。
「最新医療には危険は付き物」と考えるべきではないだろうか?。
新薬にしても同じことが言える。
何事においても、「新しい事には危険が伴う」のが当たり前の事、危険を恐れていては新しい事は出来ない。
現状のままで行くと、やがてアメリカ社会のように「個人で医療保険に入っていなければ、高度な医療を受けられない」などと言う事になりかねない。
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「もはや日本は『経済一流』ではない」

2008年01月19日 19時30分42秒 | Weblog
今朝の朝日新聞に載っていた、大田経済財政相の発言である。
「よくぞ言った」と、拍手をしたい。
内容的には、私の思っているところと違う部分はあるものの、経済財政相と言う立場を考えれば仕方ない事かもしれない。
立場上からすると、私のような発言をすることは「不可能」と言わざるを得まい。
記事を読んでいない方も居られるだろうから、記事の全文を載せてみる。

成長力の強化財政相が訴え

大田経済財政相は18日の通常国会の経済解説で、「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」と述べ、日本の経済力の国際的な地位低下を指摘した。その上で「もう一度、世界に向けて挑戦して行く気概を取り戻す」と、成長力の強化に力を入れる考えを強調した。
大田経財相が根拠としたのは、06年の1人当たりの名目国内総生産(GDP)が、経済協力開発機構(OECD)加盟国(30カ国)中18位に低下したことだ。比較可能な80年以降で最低の水準だ。
演説は、日本がバブル崩壊後、不良債権など負の遺産の解消に追われている間に、中国やインドなど新興国が急成長したことも指摘。「わが国は、世界経済のダイナミックな変化に取り残され、今後も成長を続けていく枠組みはいまだに出来上がっていない」と訴えた。
大田経財相は演説後の会見で、「日本の10年後を考えると、しっかりと成長力をつけるための改革をして行かなければならない時期に来ている。危機感からスタートしたい」と述べた。

以上が記事の全文である。
私に言わせれば、「元々日本は『経済は一流』ではなかった」と言いたい。
「多額の赤字国債によって裏打ちされた経済」とは、「砂上の楼閣」以外の何物であろう?。
赤字国債と言う借金、別な表現をすれば「贋金」と言えないであろうか?。
実はこの贋金、我々庶民は、知らないうちに、大量に使っているのである。
まさか?と不審に思われるだろうが、これが「本当の話」だから、困ったものである。
バブル崩壊後、「自分はバブルの恩恵は受けなかった」と言う人が結構いたのだが、実は、知らないうちに受けていたのである。
一部には「ババ」をつかまされた人がいるのは確かであるが、多くの人は「バブルの恩恵」を受けている。
あの当時は「ワイロ」「献金」「ウラ金」が横行していたが、これらの「あぶく銭」を手にした連中は、「高級料亭」「高級クラブ」などに入り浸って、「浪費」をしていた。
彼らが支払ったお金は、店の売り上げとなり、従業員や出入りの業者の支払いに使われてしまえば、マネーロンダリング成立である。
どんな悪いお金でも、一度、「善意の第三者」の手に渡れば、もはや「悪いお金」ではなくなってしまうのである。
このように考えれば、多額の赤字国債が出来てしまったのは、「経済成長を求める、国民のせい」と言う事になるであろう。
大田経財相のような発言が、次から次へと出てくるような「健全な社会」を作りたいものです。
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