へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

呆れた話

2008年04月26日 19時19分42秒 | Weblog
雨降りの午後、近所のおばあさんから「チョット来て!」と言う電話がかかってきた。
何か急いでいるようだったので、やりかけのことを切り上げて行ってみると、70代・80代の、所謂「後期高齢者医療制度」に該当するお年寄り4人がが待っていた。
話の内容は言わずと知れた「後期高齢者医療制度」の関するもので、「福田内閣は何故年寄りをいじめるのか?」と言うのであるが、その事を説明してゆく中で、「赤字国債」の話をしたのであるが、一人のお年寄りが「国債は財産じゃないの?」と言うのである。
よくよく聞いて見ると、3年前に無くなったご主人が一千万の国債を持っていたというのである。
何故その様な事を言うのかと思ったところ、遺産相続に際して「国債は遺産(財産)として計算され、相続税を払った」と言うのである。
確かに、国債を持っている人にとっては財産でも、国債を発行した国にとっては借金だと言う事に気が付かないのである。
これで終わればまだよいのだが、「国の借金を、何故国民が返済しなければいけないのか?」と言う意見まで出てきたのである。
私も「あいた口がふさがらない」と言う感じであったが、乗りかかった船である、怒鳴りつけたいのを「じっと我慢」して説明したのだが、ナンとも「お気楽な人」と言わざるを得ない。
「ガソリンの暫定税率を元に戻す」と言う事に関しても、「国民が喜んでいるのに、何故戻さなければいけないのか?」と言った調子で、「現状を認識する」と言う意識が全く欠けていて、自民党(与党)が「ガソリンの暫定税率を元に戻す」「後期高齢者医療制度を導入する」と言う、「選挙対策上好ましくない事」を敢えてすることの意味が理解できないのである。
今ほど財政状態が悪くなかった頃は、「選挙対策用に美味しい餌を撒く」と言うのは、「与党」がする事だったのだが、これだけ財政状態が悪化した状態では「選挙対策用」などと言っていられなくなったのである。
一方の野党にしてみれば「好機到来」と言った感じで、財政状態など「何処吹く風」と言った感じで、目先の利益である「政権奪還」しか考えていない。
現在の政治の混乱を招いたのは、「若い世代」と言うより「お気楽な年寄り」のせいではないだろうか?。
「年寄りいじめ」と言うより、「自業自得」ではないだろうか?。
「バブルの恩恵」を受けたのは、私も含めた「高齢者」たちで、その「負の遺産」を背負わされるのは「若い世代」と言う事になる。
「高齢化社会」になる以上は、高齢者も「応分の負担」と言うものが必用であろう。
ある意味、「バブルの恩恵を受けた」と言う事が、マイナスに作用しているのかもしれない。
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お詫びと宣伝?

2008年04月25日 03時42分05秒 | Weblog
最近ブログの更新が停滞している。
ブログのネタが限られてきた為、多少無理な書き方をしていることで、少々「自己嫌悪」に陥っている部分があるのと、以前に一度書いた事があるのだが、趣味で栽培している植物(花)専用のブログを立ち上げた事も絡んでいる。
そればかりでなく、オカヤドカリ専用のブログまで立ち上げようとしているのである。
当初このブログ自体は、オカヤドカリの事を書くつもりで始めたのであるが、何時の間にか横道にそれ、気が付くと横道のほうが大通りになってしまったのである。
これからしばらくの間は、「へそ曲がりおじさんの花便り」と、「へそ曲がりなオカヤドカリ飼育法」の方に重点を置くつもりです。
できる事ならば、週に一回くらいは更新したいと思ってはいるのですが、思い通りに行くかはわかりません。
チェックだけは毎日するつもりなので、コメントをいただければ返事は書きますので、「ご意見、感想、ご要望」など、ナンでも結構なのでお願いいたします。
それでは「へそ曲がりおじさんの花便り」と「へそ曲がりなオカヤドカリ飼育法」ともども、よろしくお願いいたします。
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埋蔵金

2008年04月20日 03時39分47秒 | Weblog
原油高騰の影響で、2年後に閉山する予定だった北海道の炭鉱が閉山を先延ばしするらしい。
原油が高騰したために「電力会社からの要請」があった事と、原油高騰で採算が取れるようになったことによる物らしいのだが、産出量は国内消費量の「1%程度」らしいのだが、なんとも短絡的な考えだと思うのだが・・・・。
資源ナショナリズムが台頭してきている事を考えれば、少しでも国内資源(埋蔵金)を温存する事が重要ではないだろうか?。
霞ヶ関でも埋蔵金探しをしているようであるが、埋蔵金とは一種の「へそくり」と同じ事で、使ってしまえばそれで「オワリ」、と言う事になる。
ガソリンの暫定税率を引き下げた事により、カソリンノ価格が下がり、車を持つ多くの人が喜んでいるのだが、その一方で、「ガソリンの無駄使い」、と言うことも起きている。
原油の枯渇が心配されていると言うのに、「ガソリンが安くなったので、連休に車で遠出ができる」、と喜んでいる人が結構いるようである。
地球の温暖化を防ぐために「温室効果ガス」を減らさなくてはいけないと言うのに、それに逆行するような事が行われようとしている。
地球上の生命の中で唯一、人間だけが「高度な知能」を持っているのだが、その高度な知能を持ったゆえに、「新たな難問」を抱える事になってしまった。
所詮、高度な知能も諸刃の刃でしかないのである。
地球上の人間以外の生命は、全て「自然の摂理」に従って栄枯盛衰を繰り返してきたのだが、人類だけが自然の摂理に反した生き方をしてきた。
しかし、自然の摂理に反した生き方にも限界があることに気が付いていないのだが、実際には、「限界」、では無く、これもまた自然の摂理なのかもしれない。
それでは、「自然の摂理」、とは如何なるものかと言うと、単純に言えば、「自然淘汰」、と言う事になるのだが、要するに、「エサが豊富に有ると個体数が増えるが、やがてエサ不足の状態に陥り個体数が減少し、個体数が減少する事によりエサが増え、エサが増えれば個体数も増え、個体数が増えると・・・・・・」、と言う事の繰り返しになるのであるが、人類だけが「人工的に食料を増産」し、「天然資源を浪費」して「繁栄を謳歌」してきたのだが、地球と言う限られた空間ではそれにも限界があるのである。
人類は様々な動植物を「絶滅」させてきたが、長い地球生命の歴史の中では、「絶滅」、と言う事は極めて稀な事で、「地殻変動や巨大隕石の衝突」などの、不可抗力(自然現象)な事以外では殆ど有り得ないのではないだろうか?。
「埋蔵金を掘り出す」、と言う事は、「自らの首を絞める」と言う事になるのだが、その首は、今現在生きている我々の首ではなく、将来「生まれてくるであろう人たち」の首なのである。
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民主党は何を考えているのか

2008年04月17日 04時32分10秒 | Weblog
年金、ガソリンの暫定税率、日銀の新総裁選び、・・・・と、何かにつけて自民党の政策に「イチャモン」をつけているのだが、今回の「高齢者保険制度」については、2年も前に決定されていたにも拘らず、今頃になって「年寄りいじめだ」等とほざいている。
今頃になって「年寄りいじめだ」等と言い出すのであれば、何故に2年前の閣議決定をした時に言わなかったのであろうか?。
今頃になって言い出すとは「付け焼刃」もはなはだしいとは思わないのであろうか?。
まあ、政権に固執してしまって「其処まで気が回らない」と言うところだろう。
さて、最近の自民党(与党)が何故に民主党(野党)の攻撃を受けるような政策を次々の推し進めようとしているのであろうか?。
単純に考えれば、「民主党(野党)の攻撃を受ける政策=国民(有権者)の支持を失いかねない」、と言う事になるのだから、「選挙対策上不利」と言う事になるにも拘らず、敢えてそれを承知で強行しようとしているのだが、それには大きな理由が有ると思う。
その理由とは、過去においては「減税」「補助金のばら撒き」などは、与党が選挙対策用にするものだったのだが、税収と関係なく行った結果、「不足する財源は国債で補う」と言うことで誤魔化してきたのだが、いまや「国家予算の10年分」にもなる「赤字国債」を抱えるようになって、最早その手も使えなくなってしまったのである。
これ以上の赤字国債を抱えるような事になれば、日本と言う国の「国際的信用」は失墜してしまう事になり、「国際的信用の失墜」と言う事は、日本と言う国が「夕張市のようになってしまう」と言うことを意味するのである。
日本と言う国が夕張市のようになってしまったとしたら、どの様な悲惨な状態になるかは、夕張市を見れば解るだろう。
今の民主党を始めとする「野党」が主張するような事を実行して行くとすれば、確実に日本と言う国家の財政は破綻(破産)してしまう。
「財政の破綻(破産)」と言っても「ピン」と来ないかもしれないだろうが、企業が倒産した時の事を思い浮かべれば解ると思う。
企業が倒産すると、債権者が「ハゲタカ」のごとく資産を回収して行ってしまうか、債権者の監視の下で「会社更生法」の適用を受けることになるのだが、国家の破綻の場合は後者と同じ様に、債権者(赤字国債を引き受けてくれている国など)の監視下に置かれ、現在のような自由な生活など出来なくなるであろう。
「重税に苦しめられたり、重要な産業の支配権を握られる」と言う事は覚悟しなくてはいけないだろう。
公の立場いいる人とがこのような事を言うわけには行かない為、与党も選挙で不利になる可能性があるにも拘らず「引くわけに行かない」のである。
政権を担っていない「野党」は、直接責任を負う事も無いのだから、「気楽な家業」と言った所だろう。
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後期老人保険制度

2008年04月16日 04時58分36秒 | Weblog
「ナンとも困った制度が出来たものだ」、と言いたい所なのだが、時代の趨勢から言えば「仕方ない事」と言うほか無いであろう。
総体的に見れば、「負担増」になる人が圧倒的に多い事は確かなのであるが、「時代が変われば社会(制度)も変わる」と言うように、過去に作られた「保険や年金などの諸制度」も、時代に合わせたものに変えていかざるを得ないだろう。
これらの制度が作られたのは、戦後間もない頃の事で、現代とは根本的に「大きな違い」がある。
大きな違いとは、各年代ごとの人口の構成を見ればよくわかるのだが、戦後しばらくの間は「ピラミッド型」だったものが、現在では「釣鐘型」になってしまっている。
力学的な見方だけでなく、底辺の大きな「ピラミッド型」の方が安定性があり、底辺の小さな「釣鐘型」は不安定なのは当然の事だろう。
「少子高齢化」が進めば進むほど「不安定」な状態がひどくなる事を考えれば、新しい保険制度の導入もやむを得ないと言う事になってしまう。
「団塊の世代の大量退職」と言う事は、これまで税金を納めていた人たちが「税金を使う側に回る」と言うことなのだから、「税収不足」は尚一層深刻化するであろうから、現状の医療を維持するためには仕方ない事なのである。
以前にも書いているのだが、「経済の発展」とは「ねずみ講と同じ原理」なのだから、「少子高齢化社会」になった現在では、「経済の発展(景気回復)は破綻した」と言う事で、破綻した後に何が起きるかは、企業の破綻や夕張市の様な自治体の破綻を見れば良く解るであろう。
民主党などは「年寄りいじめ」などと言っているが、もしも「後期老人保険制度」を導入しなければ、今度は働き盛りの「若者いじめ」と言う事になるであろう。
私も含めた「高齢者」も大変だと言う事は確かなのであるが、今の若い世代にとっては「先行き不透明な時代」と言う事を考えれば、将来に大きな不安を抱えて「大変だ」と言う事は「高齢者以上」ではないだろうか?。
全てが一概にそうだとは言わないが、「若い世代より前期高齢者、前期高齢者より後期高齢者の方が良い時代を生きた」と言えると思うのだが・・・・。
年金なども、後期高齢者がもらい始めた頃にはかなり有利な条件だった物が、その後少しずつ条件が悪くなってきて、現在に至っているのである。
一つの例として、現在では働いてある程度収入が有ると、それに応じて年金が減額されるのだが、後期高齢者の時代では年金が減額される事も無く(年金と失業保険両方をもらう事も出来た)、国民年金も厚生年金も60才から満額もらえたのである。
悪い言い方であるが「甘い汁を吸っていた」ために、贅沢に慣れてしまい感覚が鈍ってしまったのである。
「年金から所得税が引かれる」などと言うことも無かったのである。
これから益々「少子高齢化」が進むことを考えれば、高齢者も「応分の負担」と言うことが必要になるであろうが、高齢者が負担をしなければ、その分だけ若い世代の負担が増えることになり、「少子高齢化に拍車がかかる」と言う事になるであろう。
困った世の中になったものである。
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水と油

2008年04月11日 04時07分31秒 | Weblog
北京オリンピックの聖火リレーが、各国で大混乱を起こしているのだが、日本での聖火リレーも注意が必要であろう。
事の発端は、チベット自治区の「自主独立」と言う主張に、中国中央政府(共産党)が力で介入した事が大きな原因になっている。
昼間、車を運転しながらこの問題をラジオで聞いていたのだが、一般の人の意見として「お互いにもっと話し合いをして欲しい」と言う意見が多かったようなのであるが、果たして「話し合い」と言うことが簡単にできるのであろうか?。
振り返って見れば、自民党と民主党の「低レベル」の話し合いでさえ難航していると言うのに、チベット族の「チベット仏教に基ずく精神的安定」と、中央政府の「物質的豊かさ」と言う、正に「水と油の関係」なのだから、「話し合い」などと言う事は、到底「出来る相談ではない」だろう。
同じレベルで比較する事は出来ないのだが(くれぐれも誤解しないで欲しいのだが・・・)今の自民党と民主党の関係と、「類似」しているのだが、「類似」であって「同じ」ではないことをわかってください。
中国政府の「力による併合」から逃れる為には、北京オリンピック開催は「千載一遇のチャンス」、となったもので、民主党にとっても意味は違っても、「ガソリン税の期限切れ」と言う事態は「千載一遇のチャンス」である事に変わりが無いでしょう。
中国の問題は「窮鼠猫をかむ」と言ったところであるが、日本の問題は「弱みに付け込む」と言ったところで、内容には「大きな違い」があるのである。
それにしても、日本人や中国人(漢族)とチベットの人の「モノの考え方」の違いには「大きな隔たり」があることに驚かされた。
普通の日本人であれば「鉄道が来る」と言えば大喜びするのであるが、チベットの人にとっては、「鉄道が来る」と言う事は=「物質社会と漢族の侵入」と言う理由で歓迎出来ないのである。
通常であれば、多くの人は「物質的豊かさ」と言う魅力には勝てないのであるが、チベットの人にとっては、「物質的豊かさ」より「精神的安定」の方が重要なのである。
今回の問題の根底にあるものは、中国政府の「力による制圧」と言うところに問題があるだろう。
人間誰しも、力で押さえつけられれば、「何とか跳ね除けようとする」と言うのと同じ様に、中国政府の介入を何とかして跳ね除けようとするのは仕方ない事ではあるが、中国政府にとっても「メンツ」と言うものが有るため、簡単には引き下がれないだろう。
簡単に引き下がりでもし様ものなら、他の独立したがっている民族に勇気を与える事になってしまうので、「痛し痒し」と言ったところである。
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弱みに付け込み、弱い物いじめ

2008年04月10日 03時53分40秒 | Weblog
自民・民主の党首会談の一部をニュースで見たのだが、福田総理の発言にも問題はあるのだが、それ以上に問題なのが小沢一郎の態度である。
衆参のねじれ状態と、野党と言う立場を利用して言いたい放題の事を言うばかりか、「対応に困り果てた福田総理を見ながら笑っている」と言う、言語道断の態度である。
かつて、内容は違うのだが、野党の対応に腹を立てた吉田総理が「バカヤロー!」と怒鳴り、「バカヤロー解散」と言う事態になった事があるのだが、福田総理も、心中では「バカヤロー!」と言いたかったのではないだろうか?。
しかし、何時の時代でも「政治屋」のすることは同じ様な事をするものである。
「政治屋のする事」とは、「有権者が喜ぶ事(エサ)をして票を集める」と言うことなのだが、「有権者が喜ぶ事(エサ)」とは、「減税などの有権者の利益になること」なのであるが、度が過ぎる(税収の伸び以上のことをする)と、その為の財源を確保する事が難しくなるため、「国債の発行」をすると言うことになる。
一部には「国債」を借金だと認識していない人がいるようなのだが、立派な「借金」だと言う事を認識して欲しい。
さて、バブル崩壊以前であれば、国債の発行額にも余裕があったのだろうが、何時までも余裕があるわけではない(今では国家予算の10年分位になる)ため、国債を発行して対応する事も出来ず、自民党としても有権者にばら撒くエサに困ってしまったのである。
今回の「ガソリン税の引き下げ」は、有権者にエサを撒く事が出来なくなった自民党の弱点を、民主党が突いたもので、野党と言う責任の無い立場を利用した「ズルイ」やり方なのである。
多くの有権者にとって見れば、様々な食料品などの値上がりに苦しんでいる時に、ガソリンが値下がりすると言う事は、この上も無い事に見えるのであろうが、そのツケは後になって必ず戻って来るのであるが、その時になっても「ガソリン税引き下げのツケ」だと気が付く人は少ないであろう。
ガソリン税の上乗せ部分は、国の予算の2.5%位ではないかと思うのだが、私の予想では、ツケの多くは「弱者」に押し付けられるだろう。
政治の世界では、「お金の力」と言うものが大きく幅を利かせているため、お金を持っている「強者」の意向を無視することは難しいのである。
何故ならば、「強者」は「献金」と言う形で、政治への「無言の圧力」をかけることが出来るからである。
「企業が献金をする」と言うことは、「慈善事業」でも「社会奉仕」でも無い事は明白な事実で、「暗黙の了解」と言うことなのである。
悲しい事ではあるが、世界中どこへ行っても「金がモノを言う」世の中なのである。
時代は大きな転換期に入っているため、気を付けないと「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、ジッとてを見る」と言う事になりかねない。
原油を始めとする、「各種の資源の枯渇」と言う問題が根底にある以上、「資源少国」の日本がたどる道は「ジリ貧」と言う事になるのは仕方ない事で、「耐乏生活」と言うことも視野に入れておく必要があるのではないだろうか・・・・?。
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久しぶりに顔を出した小泉元総理

2008年04月08日 02時49分07秒 | Weblog
久しぶりに見る小泉元総理の顔は、以前のような精悍さは無く「ただの人」と言う感じで、発言の内容も「自民党の窮地を楽しんでいる」としか感じられなかった。
現役の総理大臣時代も、記者会見のときの姿は「薄ら笑い」を浮かべた様な顔で答えていたのだから「当然と言えば当然の話」だが、こんな人を総理大臣として受け入れていた多くの日本人がいたことが不思議でならない。
小泉内閣を支持した人の多くは「何かをしてくれそうだから」と言うものが多かったのであるが、その「何か」とは一体なんだったのであろうか?。
「自民党をぶっ壊す」などと言っていた事は確かにその通りになりそうであるが、果たしてこのような形になることを誰が予想したであろうか?。
小泉元総理が政権を担っていた当時の与党は「圧倒的多数」を誇っていたのだから、数の力でどの様な法案も通す事が出来たのだから、「真の意味」で日本の将来を考えていたのであれば、「将来に備えた税制関連法案」を審議しておくべきだったろう。
郵政民営化よりもっと重要な事が幾らでもあったはずなのだが、如何せん「民営化による効果(利益)」にばかり気を取られてしまった「有権者の支持」があったために「千載一遇のチャンス」を逃してしまった。
折角メディアに顔を出したのだから、「福田に任せていたのではダメだから、もう一度俺に任せろ」とでも言えば、「小泉も大した者だ!」と言えるのであるが、ノーベル賞の数と同じで「虚仮威し」でしかない。
今回の「ガソリン税の引き下げ」「日銀総裁選びの混迷」などを見ていると、急速な「世界における日本の地位の低下」と言うことを心配しなくてはならないだろう。
過去には日本が握っていた、マグロを始めとする「高級食材」「穀物」「鉱物資源」などの「価格決定権」の多くが、中国などに握られてしまっている現状を考えれば、「これ以上の地位の低下」は何としても防がなければいけないのだが、「私利私欲」に目が眩んでしまった「民主党とその支持者」にとっては、「対岸の火事」「馬耳東風」と言ったところかもしれない。
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社会に出てから役に立つ勉強

2008年04月04日 23時07分53秒 | Weblog
良く、父兄や児童から「社会に出てから役に立つ勉強を教えて欲しい」と言う意見が出るのだが、一体何を要求しているのかサッパリ理解ができない。
「社会に出てから役に立つ勉強」と簡単に言うが、大学を出てから社会に巣立つと仮定して、高校生では4年から7年、中学生では7年から10年、小学生に至っては10年から16年も後の社会がどうなっているか想像できるのであろうか?。
明日がどうなるかもわからないというのに、そんな先のことなど誰にもわからないはずで、「昨日役に立った事が今日は役に立たない」と言う事だってけして珍しい事ではない現代社会、なんとも「単細胞的」な考え方ではないだろうか?。
突然こんな事を書き始めたのは、今日の午後に近所の中学生が二人いる母親の話を聞いていて、10日ほど前の話を思い出したのである。
10日ほど前の話とは、ドコモショップで携帯の解約をしたときの話で、担当の店員が35歳の男の人だったことがキッカケで、35年前のことを思い出したのである。
現在では、携帯電話でも固定電話でも「何時でもすぐに手に入る」と言う時代になっているのだが、35年前には、携帯電話など当然の話無いのだが、「固定電話でさえすぐには手に入らない」と言う時代だったのである。
私が35年前に、東京から現在の所に家を建てたときに、勤務先の社長から「電話がないと仕事に不便だからすぐに申し込め!」と言われて、NTT(当時は確か電電公社と言っていたと思うが)に申し込んだのであるが、受付の人は「回線に空きが無いのでしばらくお待ち頂きます」と言い、「どの位かかりますか?」と言う質問には「さあ?・・・、今年度の回線工事の予定は今のところ無いので、来年度以降になると思います」と言うのである。
結局、電話がつながったのは1年半以上後のことで、3年近く待った人もいたようである。
僅か35年がこんな状態だったのに、現在の「小学生まで携帯電話を持っている」と言う時代を、一体誰が想像したであろうか?。
原油高騰をはじめ、鉱物資源の枯渇と高騰、小麦、トウモロコシ・・・・・と、一体ダレが予想したと言うのであろうか。
予想できなかったからこそ、日本どころか、世界中が混乱しているのである。
仮の話し、学校教育で「社会に出てから役に立つ勉強」を教えられたとした所で、子供が社会に巣立つ頃には「時代遅れ」になってしまうだろう。
「社会に出てから役に立つ勉強」とは、「学校で学ぶこと」+「日常生活から学ぶこと」+「自助努力」で、「自助努力」が最も重要ではないだろうか?。
いくら学校教育に求めたとしても、「将来の事は予測不可能」なのだから、「求めるだけ無駄」と言う事になるだろう。
それよりも、学校での勉強は「将来社会に出たときに備えた基礎を築く」と考えるべきで、平屋の家を建てるのであれば「ブロックを並べた程度の基礎」でも建てることは出来るだろうが、「超高層ビルを建てることは出来ない」と言うことと同じで、「学校でどれだけ基礎を学んだか?」が、「その人の将来を決める」と言う事になりはしないだろうか?。
ついでだが、「失敗」と言うものも重要なことだと思うのだが・・・・。
誰だったか忘れたが、「勝った試合からは得る物は無いが、負けた試合(失敗)からは得るものが沢山ある」と言っているではないか。
正に、「失敗は成功の元(母)」である。
科学技術の発達により「便利な世の中」にはなったのだが、その一方で「他力本願」と言う傾向が強くなり、「自助努力」と言うことが疎かになっている。
科学や技術の専門家は「少しでも良い物を、便利な物を」と考えているのだが、悪い言い方をするならば「親切の押し売り」と言う事にはならないだろうか?。
一部のリハビリの現場ではこの事に気が付いて、「自分自身の努力(自助努力)で機能を回復させる」と言う取り組みを始めているが、「自助努力」はリハビリの為だけにあるものではなく、全ての人に求められるものではないだろうか?。
他力本願を当てにしていれば、最終的には「泣くのは自分自身」と言う事になるだろう。
「基礎の重要性」と言うものを認識しなければ、その先に待つものは?・・・・。
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巨人初勝利、しかし・・・同率最下位

2008年04月04日 03時34分07秒 | Weblog
巨人ファンには申し訳ないのだが、先日のブログで書きたいと思いながら書かずにいたことが現実の事になったのです。
巨人が勝って広島が負ければどうと言う事も無かったのだろうが、広島も勝ってしまったので、勝率でどうしようもなくなってしまったのである。
通常であれば、両者が勝った場合は「順位は変わらない」はずなのに、順位が入れ替わってしまうのだが、今度は横浜が負けてしまったので、どちらも1勝5敗で巨人と同率になってしまうのだが、どちらを上に書くか、明日の朝刊が楽しみである。(ヤフーサイトの順位では、予想どうり横浜が一番下になっている)
さて、巨人ファンにとって面白くない事を繰り返し書いて申し訳ないのだが、私のブログは「ウラに潜んでいる物」を読み取って欲しい為に、敢えて「巨人ファンに失礼な内容」を選んだもので、何かにつけて「情報過時代」とか「情報禍時代」と書いている事と関連があるのです。
何かにつけて、情報化、情報化、と言われているのだが、この「情報」と言うものが曲者なのである。
「情報の9割以上は出鱈目である」と言う専門家もいるほど、社会に流されている情報は「信憑性が疑われる」と言うものが多いのです。
一部の企業(人間)が意図的に自分に有利な情報を「継続的」に流し続けると、あたかもそれが「真実」であるような「錯覚」に捉われてしまうのである。
そしてその錯覚が、何時の間にか「真実」だと信じられてしまい、誰も疑問に感じなくなってしまうのである。
これが「情報操作」と言うもので、別な表現をするならば「意図的な情報によってマインドコントロール(洗脳あるいは刷り込み)する」と言うことと同じで、知らず知らずのうちに飼い馴らされているのである。
漠然とした感覚ではあるが「日本人は特にその傾向が強い」と思えてならない。
「日本人はブランドに弱い」と言われている事が、それを示す良い例ではないだろうか?。
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