へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「国は処分の行程表を示せ」とあるが・・・・

2012年02月29日 12時07分52秒 | Weblog
画像は今朝の朝日新聞の記事で、一体どのような行程表が望みなのだろうか。
メディアでさえこのような政府攻撃をしているが、ここで言うところの「国」とは一体何なのであろうか。
文面から推察すると、「国は独立したもの」として考えられているようである、が・・・・。
国は地方自治体を統括する存在で、地方自治体は国民によって支えられている。
よって、国は独立して存在ではなく、国民そのものがその一部でもあるのだ。

さて、本題に入るが、国はどのような行程票を作成すればよいのだろうか。

毎日のように発生している「汚染灰」だが、今現在その処分方法自体が確定していない。
処分方法が確定していないのに、「行程票を示せ」とは・・・・。
これは、目的地が決まっていない状態で「そこへ行く交通手段を決めろ」と言うのと同じだろう。
目的地(処分方)が決まれば後は自然に決まるだろうが、一体何時目的地(処分法)が決まるというのだ。

今の日本に喜んで汚染灰を受け入れる言うようなところは存在せず、国自体が「思案投げ首」の状態なのである。
一つの方法として、一時的でも「国有地」に保管すると言うてもあるのだが、これさえも周辺自治体の反対で実施さえ出来ない。
放射能で汚染された廃棄物の処理は世界中で問題になっている。
世界中で問題になっているものが日本で解決できるのだろうか。
福島原発の事故が根本的な原因だが、だからといって東電だけを責めることは出来ないだろう。

AIJの問題と同じで、安い電気を国民が求めた結果でもあるのだ。
国民の多くが国や政府を攻撃するが、問題を引き起こした「根本的張本人(国民)」は何時もその責任から逃れている。

毎年のように総理大臣が交代している日本。
これで満足な仕事が出来るほうが不思議である。

私も地元の自治会の役員をしてきたが、任期は1年で、ほとんど何も出来ずに1年が終わってしまう。
任期が終わる頃にやっと全体像がわかるのですが、そのころは役員から解放されています。
何か新しいことをしようと思っても時間がたらず、ほとんどは「先送り」になってしまい、次の役員に頼らざるを得ないのですが、後任の役員だって同じことなのです。

「行程票を示せ」という本人が「こう言う方法もあるが・・・・」と言う案でも示してほしいものである。

無責任な発言が多すぎますね。

情報化社会ではなく「情報禍社会」に成り下がっています。
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信じられない話

2012年02月29日 11時17分10秒 | Weblog
画像は昨日の朝日新聞夕刊に載っていた記事である。
この記事で注目して欲しいのは、画像の中央下のやや左側にある、資産「10年で3.5倍」と言う部分である。
バブル期でも10年で3.5倍はかなり困難だというのに、超低金利時代で3.5倍とは。
こんなうたい文句を前面に出すAIJもAIJだが、これを信じるほうも信じるほうである。
おそらく、欲の皮が突っ張った連中が騙されたもので、騙されたほうにも責任があるだろう。
何を信じようが、それは各人の自由だが、その結果は「自己責任」だという事を肝に銘ずるべきだろう。
私は昔警視庁の刑事からこんな話を聞かされている。
それは、「詐欺はだまされるほうにも責任がある」と言うことです。
そもそもの発端は、私が友人たちの話を信じて騙された話をしたことで言われたのです。
私の無知から起きたことだったのだが、無知だからといって許される事ではない事も諭された。
「知らなかった」とか「まさか・・・・」と言うことがよく言われるのだが、「知らなかった」で済む問題ではないだろう。
「知らなかった」で済むようでは、昔よく言われた「知らぬ存ぜぬ」と同じことになってしまう。
欲の皮が突っ張ると現実の世界が見えなくなるようです。
地道に行くのが最もよいと私は思っています。
収入が減ったらそれに自分の生活をあわせることです。
年金が減る事を恐れている人が多いようだが、それを現実の事として受け入れる事です。
少なくとも私はそれを実践していますよ。
それを実践したからこそ今があるのです。
年間200万にも満たない年金生活だが、今よりも50万減ったときのことも念頭においていますからね。
年がら年中不平や不満を言っていては精神衛生によくありません。
「笑う門には福来る」とも言いますから。

最後にフランスのことわざ?を書いておきます。

それは「不知は罪なり」と言うことばです。

要するに「知らないということ自体が罪」だというのです。

勉強不足は自分の損失にもなりますからね。

死ぬまで勉強しなければ・・・・。

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ごめんなさい

2012年02月29日 00時18分30秒 | Weblog
がん治療における「温熱療法」のことを書いたのだが、何を間違えたのか「花便り」のほうに書いてしまいました。

温熱療法の実態を知りたい人は、「花便り」のほうも見てください。

ブログを4つも持っていることで勘違いをしたようです。

以前にもありましたが・・・・。
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電力供給の自由化

2012年02月28日 18時47分06秒 | Weblog
福島原発の事故の保障で多額の資金を必要とする東電が「電力料金の値上げ」を発表しているが、それに伴って電力の自由化が求められている。
自由化すれば競争原理が働き、その結果として「電力料金の引き下げ」と言うことになるのだろうが、そこには大きな落とし穴があることにも気が付いてほしいものである。
日本の電力会社は各地域ごとに独占的な経営をしているが、これがどうも面白くないらしい。
だが、この考え方の根底にあるものは「都市型思考」であろう。
この考え方は「郵政の民営化」「国鉄の民営化」と同じで、地方の事などまるで考えられていない。
「民営化」すればよいと考えるのは都市部に住む人の考え方であり、ここには「地方に切捨て」と言うことは全く考えられていない。
これは、NHKと民放の関係を考えてみればよくわかるであろう。
「NHKは受信料を取るが、民法は取らない」と考える人も多いのだが、それば横において、もっと別な視点で考えてほしいものである。
それではNHKと民放の違いはと言うと「NHKは日本全国何処でも見ることが出来、見ることが出来なければ受信料は徴収しない」と言う特性を持っている。
それに対する民放はと言うと、「大都市部以外では見たくても見ることが出来ない地域がある」と言う違いを持っている。
つまり、民放は「営利第一主義」で、採算が取れない地域は切り捨てているのである。
これは最近台頭してきた「PPS」と言う電力供給組織にも言えるのである。
彼らが安く電力を供給できるのは「採算が取れない部門の切捨て」をしているためで、誰でもが供給を受けられるわけではないのだ。
更に問題なのは、緊急時のバックアップ体制が出来ておらず、何かあったときはどうするのであろうか。
東京電力を初めとする電力会社は「緊急時のバックアップ体制」を持っているため、これらのコストも電力料金い含めざるを得ず、どうしてもコスト高になってしまう。
これは法的に持つことが義務ずけられていて、それがあるからこそ停電が起きないのである。
それ以外でも、採算が取れない「人家の少ない山間僻地」でも供給しなくてはならない義務も抱えており、このような場所ではPPSによる電力供給などとても考えられない。
大都市の人間による「一票の格差」など、このことを考えれば考えられないはずだが・・・・。
都会の人間は、格差、格差と叫んでいるが、最も格差で悩んでいるのは地方の人だろう。
しかし、彼らは所詮「少数派」でしかなく、多数決で物事を決める日本の民主主義の前では何も出来ないのである。
私は東京が嫌いで今の場所に住んでいるのだが、ここも過疎化が進んでいる。
民営化や自由化は、都市部には利益をもたらしても、地方には何も恩家をもたらさない「不公平な考え方」なのである。
地方が衰退したら日本はどうなるのだ。
食料の自給率が下がり、有事のときは「飢餓列島」になるのでは・・・・。
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またも新メニュー?です

2012年02月28日 01時02分26秒 | Weblog
ここのところ次々と新しい食材が見つかり、食事が大分楽になりました。

以前から気がついていたのだが、今回は「牡蠣」を試してみました。
生の牡蠣や牡蠣フライは大好きなのだが、煮た牡蠣はそれほどでもない。
しかし、ミキサーにかけるとなると煮るしかないのである。
煮込みすぎると硬くなるので、早めに火を止める。
ところが、いざミキサーにかけてみると「しまった!」と言う気分になってしまった。
臭いがナントもいえず、これは「捨てるしかない」と思ったのだが、それでも思い切って食べてみた。
食べてみると牡蠣の味はするのだが、少々違和感もある。
だが、熱いうちは気になった臭いも、温度が下がるとともにそれほど気にならなくなり、結局「完食」してしまった。
次に食べる時はもう少し工夫をしてみる。
たぶん、内臓の部分をミキサーにかけたのが臭う原因のようで、次は別にしてみようと思う。
内臓の部分ならそのまま食べられるかも。

更に「カスベ」と言う魚も試してみた。
これはエイの一種だそうで、醤油と味りんで煮てみる。
肉質から想像していたように、これはミキサーにかけなくても食べられそうである。
骨はほとんどが軟骨で、骨だけミキサーにかけてみたが、軟骨といえどもなかなか細かくなってくれない。
軟骨は好きで、出来れば食べたいと思うのだが・・・・。

それと、今夜は「マカロニサラダ」にも挑戦である。
一緒に入っている野菜(きゅうり、ニンジン、コーン)とハムは少々てこずったが、マカロニは何とか食べtられる。

やはりミキサーにかけないで食べるほうが美味しいですね。

おかげで少し体重が増え増したよ。

今度は増え過ぎに注意しなくてはいけないかも・・・・。
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ウニ

2012年02月26日 19時14分32秒 | Weblog
昨日は息子たち家族が遊びに来たのだが、帰ったあとあるスーパーに買い物に行きました。
その前に息子たちと他のスーパーに買い物に行っていたのだが、そのときは全く買い物はしなかった。
買い物をしなかった理由は、「特に必要な物がなかった」と言うだけの理由で、帰った後に行ってスーパーにはそれがあるのだ。
それは何処のスーパーでも売っているコカコーラなのだが、値段が全く違う。
1.5リットルのペットボトルがナント「138円」なのである。
数量は「1人一ケース(8本)まで」で、私は一ケース買いました。
もともとコカコーラは大好きだったのだが、手術をする前まではダイエットのために控えていました、が・・・・。
今はそれが一変して、カロリーと水分補給のために飲み始めていて、この値段なら纏め買いする意味もあるでしょう。
ただ、これだけで買い物が済まないのが私の悪いクセである。
何時ものことではあるが、売り場を一周してみる。
今回は出来る限り買うのを控えようと思っていたのだが、残念ながらあるものに目が行ってしまうのである。
まず「半額」と言うシールで引き付けられたのだが、それは「生ウニ」である。
1パック980円が「半額の480円」。
これを見た瞬間、「これなら食べられそう」と思い、思い切って買いました。
そして、夜それを食べたのです。
手術をした影響で味覚が少しおかしいのだが、十分ウニとして食べることが出来ました。
ミキサーにかけることも無くそのまま食べられるので、また一つ新たなメニューが増えました。
ついでに鮭も試してみました。
鮭は「焼き鮭」のほうが好きなのだが、ミキサーにかける都合上「煮鮭」で我慢です。
まあこれも及第点はやれるでしょう。
以前はレトルトの「牛丼の元」や、カレー、シチュー、ハヤシライスなどが中心でしたが、最近は魚が中心になっています。
次は「アブラカレイ」「メカジキ」に挑戦です。
アブラカレイはミキサーにかけなくても食べられそうなのだが、こればかりは作ってみないとナントも言えませんがね。
あと、口直しの意味で「漬物」にも挑戦してみたのだが、大好きだった「キムチ」は辛すぎて食べられず、大根とニンジン、パプリカの酢漬けもダメでした。
少しは食べられるのだが、3種類の野菜を混ぜると複雑な味になり、チョットいただけません。
それぞれを単独でミキサーにかければよいのかもしれないが、後の掃除が嫌で試す予定はありませんが、白菜やきゅうりの漬物は試してみようと思います。
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癌は食事療法で治るのか

2012年02月26日 18時26分11秒 | Weblog
以前私のブログにコメントをしてくれた人のブログに、ナントも不可解な記述がある。
その人が書いたことではなく、アメリカで発表された理論にもとずいて活動しているサイトに書いてあることである。
著名な研究者が書いているようなのだが、その中に現実を無視したような記述があるのだ。
とても著名な研究者とは思えない記述である。
それは、ブドウ糖が癌細胞のえさになるので、ブドウ糖の原料となる「糖類や小麦粉などの澱粉質」を取ってはいけない」と言うような趣旨の記述である。
さて、専門的知識がない人はこれを鵜呑みにするかも知れないが、現実には全くの「思い違い」もはなはだしいのである。
それは、糖尿病で良く問題ななる「血糖値」を考えてみればよくわかる。
血糖値は血液に含まれるブドウ糖の量を数値化したもので、この値が低下すると「低血糖」になり、放置すると昏睡状態から死に至る事も珍しくない。
このことからもわかるように、ブドウ糖は人間にとって「必須の栄養源」であることがわかるだろう。
一般的には、糖類や澱粉質からブドウ糖が作られると思われているが、糖類とは無縁の完全なベジタリアンでさえブドウ糖を体内で作っている。
これは、ブドウ糖の原料である「糖類、澱粉」などがなくてもブドウ糖が造られることを示す良い例であろう。
現実には、食料を得ることが出来ない「飢餓状態」になると、油(体脂肪)や蛋白質からでもブドウ糖は作られるのです。
ついでに言うなら、ブドウ糖をえさにしているのは癌細胞だけではないことも知っておく必要があるだろう。。
人間の体を構成している全ての細胞がブドウ糖をえさ(エネルギー源)にしていて、ブドウ糖を槍玉に挙げる理論自体が「ナンセンス」なのである。
これ以外にも疑問点は多々あり、私がこの療法を取り入れると「癌が治る前に栄養失調になる」だろう。
食事療法で癌が直った人がいることは否定しないが、「誰にでも当てはまる」と思ってはいけません。
それに、食事療法が効いたと言う根拠にも疑問は残ります。
何か別の要因で良くなった可能性も否定できず、単純に信用するのは危険だと思いますよ。
食事療法で癌がよくなった人の話は聞きますが、悪くなった人の話は余り聞きませんが・・・・。
しかし・・・・。
ここにも大きな落とし穴があるのです。
良くなった人は一生懸命それを公表するのだが、悪くなった人はそのことを公表できないことが多く、結果として「良い話ばかりがまかり通る」と言うことになるのです。
食事療法で症状が悪化する人も結構いて、私の知る範囲でも死んだ人が2人いますからね。
私が入院した病院の看護師さんも同じことを言っていて、食事療法を始めたからと言って病院に来なくなり、その結果「症状が悪化して再入院」と言う事もあるそうです。
私は食事療法を取り入れるつもりは全くありません。
様々な療法が発表されてはいるが、その根拠にには疑問に思うことが多いので。
ブドウ糖を減らせば低血糖になり、命そのものが危うくなる事も知らない著名な研究者がいるなんて・・・・。
そんな人の話を信じる人がいることも信じられません。
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一票の格差

2012年02月24日 19時29分02秒 | Weblog
以前にも書いているのだが、最近この言葉が目に付くようになり、再び書いてみる。

都市部と過疎地では選挙における「1票の価値」に違いがあるのは仕方ない事だと私は思っている。

私が住んでいる地域は、都市部ではないが過疎地でもない。

いわば「中間地域」で、両者の言い分の違いがよくわかる。

「両者」と一応は書いたのだが、これは少々語弊があるかもしれない。

それは、都市部の批判的意見は聞いても、地方の意見はほとんど耳にしないからである。

大都市部の人に言わせれば「1票の価値に差があるのは違憲だ」と言うが、それ以外の部分で格差があることには触れようともしない。

それ以外の部分とは、地方と大都市との「生活水準とインフラ」の格差である。

このことは地方の人が言いたいのだが、現実には数の差でかき消されてしまうのだ。

日本の民主主義制度では「数がものを言う」と言う困った制度があり、この場合は私が良く書いている「数の暴力」と同じ状態になっている。

数の暴力。

これは私が最も嫌う言葉だが、現実の社会ではごくあたり前に行われているのだ。

数の力の前には地方都市は全くの無力で、最悪のケースでは、「地方の切捨て」と言うことにもなりかねない。

切捨てにはならないまでも、「都市部に都合の悪いもの(原発など)を押し付ける」と言うことはごく当たり前におこなわれている。

この格差を一体どう説明すればよいのだろうか。

福島原発の事故では東京電力の責任ばかりが追及されているが、それでよいのだろうか。

東京電力は関東地方をエリアにしているのに、何故福島に原発を建設したのだろう。

福島だけではない。

関東地方の電力需要をまかなうために数多くの発電所が関東地方以外に建設されている。

これは財政基盤の弱い地方都市の弱みに付け込んだもので、ここにも都市部の人間の「数の力」が働いている。

このように考えれば、福島原発事故の責任は東電だけになすりつけるのはおかしいだろう。

しかし、都市部の人間たちは数に物を言わせた発言に終始し、自分たちに都合の悪いものは地方に押し付ける事ばかり考えている。

これで「1票の格差」を口にするのだから驚きである。

こんな人間たちが議員を選ぶのだ。

日本社会がダメなのは、政治がダメなのではなく「国民自身がダメ」なのだ。

政治でいくら社会を変えようとしたところで、国民がそっぽを向けばそれでおしまいである。

国民自身が変わらなければ日本社会は変わらない。

特に高齢者が変わることが重要だろう。

既得権益にしがみついているのは我々高齢者なのだから。

少子高齢化社会になり我々の数は大幅に増加し、いまやその数は侮れないものになってはいるが、残念ながらそれは「数の暴力」に成り果てている。

次に、このことは余り書きたくはないのだが、成り行き上書かないわけにもゆかないだろう。

それは、非常に残念な話ではあるが、昨年の手術以来私自身も「健康保険の財政悪化」に手を貸す身に成り果てている。

昔から思っていたことだが、長生きは良い事ばかりではないのである。

しかし、自分で命を絶つ勇気も持ちあわせていない。

この先どうなるのであろう。
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少々もったいない話だが・・・・

2012年02月24日 00時29分21秒 | Weblog
私が何度も食べる事に苦労していることは書いているのだが、その課程でかなりの食材が無駄になっている。

これなら食べられそうだと思って買って来ても、実際に食べてみると上手く食べられないものも多いのだ。

無理をすれば食べられない事もないのだが、非常に時間がかかってしまい、途中で食べる気にならなくなってしまうのである。

一つの例を挙げると、以前であれば数分で食べられたカップラーメンが「30分以上」もかかるのだ。

これは、一部の菓子パン(薄皮クリームパンなど)やケーキ類にもいえることで、せっかく買って来ても捨てる分のほうが多くなっている。

以前であれば少しくらい賞味期限が過ぎても平気で食べていたが、最近は食べる気にもならないのである。

そこで思い切って割り切ることにした。

無理して食べることは今の私にとって苦痛でしかなく、精神的によくないのである。

食べる事に費やされる時間は1日に6時間に及ぶ事も珍しくなく、食べる楽しみなど何処にもないのだ。

そこで考え出したのが「食べやすい部分だけ食べる」と言うことである。

そう考えると、今まで敬遠していたものも食べられるのだ。

その代表が「シュークリーム」である。

シュークリームの皮は食べるのが困難なのだが、中身のカスタードクリームや生クリームは食べることが出来る。

ロールケーキも同様で、出来るだけクリームが多いものを選ぶようにしている。

ロールケーキの場合はカステラの部分も食べられない事はないのだが、クリームが多ければその分食べやすくなるのだ。


次に、以前書いていた魚だが、マグロとアンコウで試してみた。

マグロは煮ると硬くなり、少々食べにくかったのだが、アンコウを煮るときにハンペンも一緒に煮て、その一部をマグロに混ぜてみた。

こうすれば結構いけるようで、他の魚でも試すつもりでいる。

次にアンコウだが、これも何とか食べられる。

本当は軟骨も一緒にミキサーにかけるつもりだったが、軟骨が上手くとれず、それは断念した。

その次に試す魚は、鮭、アブラカレイ、銀ダラ(メロウ)、カジキ、ブリ、といったところだが、多少とろみをつけるためにハンペンは欠かせないだろう。

魚が好きな私にとっては強い見方になってくれそうだ。


後、今まで書いてこなかったのだが、パン粉、米粉、も結構使える。

だが、最も気に入ているのは「揚げ玉(天かす)」である。

以前はおかゆを中心にしていたのだが、最近はパン粉を使うことが多い。

ただ、パン粉だけだと味が物足りないのだが、揚げ玉を入れるとぐっと味が良くなるから不思議である。

人によって好みが違うのだが、揚げ玉はタヌキうどんや蕎麦に使われているように、結構美味しいものである。
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4ヵ月半ぶりにボーリング

2012年02月23日 23時34分07秒 | Weblog
去年の10月始めに行って以来のボーリングで、3ゲーム投げてきました。

さすがに体力の衰えは否めず、1投目は不覚にもボールを落としてしまいました。

過去にボールを落とした記憶もなく、少々ガックリきたのだが、気を取り直して投げました、

スコアーは、1ゲーム目が133点で、2ゲーム目は164点になり、3ゲーム目は171点までいきました。

もう少し投げようかとも思ったのだが、久しぶりなのでやめました。

無理をすれば5ゲームくらいは投げられるだろうが、親指が少し痛み出し、後々の事を考えてやめましたが、正直な話「少々物足りない」と言う気持ちはあります。

ボーリング仲間も沢山いたのだが、私が上手く話せないので気を使ったようで、何時もなら話しかけてくる人も来ませんでした。

しり上がりに良くなっていたので、何度か練習すれば元のようなスコアーも夢ではなさそうです。

ゲームを終えて車に戻った頃に少し足の痛みを感じたのだが、今はナントもありませんが、年をとると痛みが出るのが遅くなるので、明日か明後日には痛みが出るかも・・・・。
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