へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

大阪府2600億円「赤字隠し」

2007年12月31日 04時41分31秒 | Weblog
ナント、「財政再建団体」になるのを回避する為だと言う。
地方の小都市である夕張市ならともかく、東京に次ぐ大都市大阪府でさえ「財政再建団体に陥る危険」があると言うのである。
大阪府が「財政再建団体」に陥っていたら、どの様な混乱が起きていたであろうか?。
原油高騰、サブプライムローン問題など、「景気の足を引っ張る材料」に事欠かない中で、「景気回復を望む」と言う事は、「到底不可能」だと言う事に気が付かないのであろうか?。
自民党にしても民主党にしても、「そんな事は言われなくてもわかっている!」と言いたいであろう。
それでは何故、口にしないのであろうか?。
答えは至って簡単、「有権者の反発が怖い」からである。
日本の将来のことなどどうでもよい事で、タダひたすら「議員の椅子」にしがみついているだけ。
しかし、「議員たちの無能ぶり」を批判する資格は有権者には無い。
議員も有権者も「同罪」なのだから仕方ない事である。
「国土も資源も無い国」日本が生き延びる道は、「耐乏生活」以外には考えられない。
かつての日本には「技術と言う資源?」があり、「技術ナショナリズム」と言えるような方法で「経済大国」になったのであるが、今や「技術と言う資源?」は日本だけの「専売特許?」ではなくなってしまい、様々な資源が不足して来ている現状では、「資源を有する国」が「資源ナショナリズム」に走ることに文句を言う事は出来ないであろう。
「経済大国」と言われていた頃の日本が、「貧しい国」の事をどれだけ考えていたであろうか?。
豊かだった時に「貧しい国への援助」を渋っていて、自分が貧しくなったら「援助してくれ」などとは言えないであろう。
今の日本には「自分さえ良ければそれで良い」と言うような風潮が有る。
「自分さえ良ければそれで良い」と言う風潮が、「世界各国」に広がった時の事を考えて見てほしい。
資源も何も無い日本は、「ひとたまりも無い」のではなかろうか?。
いい加減で「悪あがき」を止めないと、「日本中が財政再建団体」になりかねない。
「日本中が財政再建団体になる」と言う事は、=「日本と言う国が財政債権国家になる」と言う事でもある。
それを防ぐ為には、「増税と景気後退」を覚悟しなくてはならない。
「それでは生活して行けない」と言う気持ちはわかるのであるが、「時代の趨勢が変わった」以上、どうする事も出来ないのである。
政府や公務員に「無駄を無くせ」と言うばかりではなく、国民の側も「無駄を無くさなくてはいけない」はずである。
しかしここで注意しなくてはいけない事がある。
「無駄を無くす」と言う事は、=「需要の減少」につながり、「需要の減少」は、=「景気の後退」ということになるのである。
「風が吹けば桶屋が儲かる」と言うのと反対なのである。

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知らぬが仏

2007年12月29日 04時25分43秒 | Weblog
何事によらず「知らなければ問題は起きないのに、知ったとたん問題になる」と言うことがよく有る。
文明社会から隔絶された状態で生活する人たち(原住民などとも言うが)は、我々の目から見れば「貧しい生活」と感じても、彼らにとっては「比較対照するものが無い」のだから、貧しいとは感じていないはずである。
しかし、情報化社会になって、世界中の情報が瞬時に得られるようになった現在、否応無く「比較対照するもの」に囲まれてしまう。
その結果、「現代社会の悲しい性」として、「金銭欲、物質欲など」の欲望に捉われてしまうのである。
様々なメディアによって、富裕層(セレブとも言う)の生活が報じられる事によって、「富裕層への憧れ(欲求不満)」が生じてしまう。
情報化社会の「影(マイナス)の部分」と言えるであろう。
知らなければ平穏に暮らせたものが、知ってしまったために「欲求不満」と言う問題を抱えてしまったのである。
一見「物と情報があふれている社会」のように見えるのだが、その「物と情報の中身」に問題は無いのであろうか?。
私流に言わせてもらえば、「物と情報に振り回されている」と言うように感じるのだが・・・・・。
「物と情報に振り回されて、自分を見失ってしまった」と言うのが、現代社会の「実態」では無いだろうか?。
「知らぬうちが花」などとも言う。
中国、北朝鮮などの、「政府による報道規制(情報操作)」は有名であるが、日本でも「別な意味」で行われているように感じるのだが・・・・。
「別な意味」と書いたが、「広い意味」で考えれば「同じ事」と言えるであろう。
「自分達に都合の良い事だけを報じて、都合の悪い事はウヤムヤにする」と言うことでは、「同じ事」である。
「報道規制(情報操作)」は、「中国や北朝鮮の専売特許」ではない、何処の国でも行われているのである。
流されてきた情報を「安易」に信じる事は「非常に危険」で有る。
薬の効能書きと同じで、「薬の効果(プラス面)ばかりが強調」されて、「副作用(マイナス面)にはふれない」のである。
「情報化社会」などと囃し立てているが、「重要な情報(政府にとっては都合の悪い情報)」は小出しにされる為、多くの国民は、別の意味で「知らぬが仏」状態にされているのではないだろうか?。
自民党にしても民主党にしても、基本的な部分に「次の選挙に勝つ」と言う「大義名分」を抱えているのだから、「不利な情報」など問題にするはずが無い。
別な考え方をすれば、「どうでもよい大量の情報」を流す事によって、「重要な問題をぼやけさせる」と言う、一種の「マインドコントロール」をしているのかもしれない。
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テンプレート変更しました

2007年12月27日 04時08分23秒 | Weblog
最近のブログの内容が、「地球規模の話」が多くなったので、宇宙に変えてみました。
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百聞は一見にしかず

2007年12月27日 03時49分50秒 | Weblog
「聞くと見るでは大違い」などとも言いうが、テレビ、映画、DVDなどの映像を見ることは、果たして「一見」と言えるのであろうか?。
テレビの番組を見ながら、何となく疑問に感じたのである。
「百聞」ではないのだが、「一見」と言うにはかなり無理があるのではないだろうか?。
単に「見ている」と言う意味で言えば、「一見」の範疇に入るように思うのだが、よくよく考えると、「見ていると」言うより「見せられている」と言った方が正しいのではないだろうか?。
「この部分をもっと見たい」「右側はどうなっているの?」・・・・など、見る側の意思が反映される事は殆ど無い。
アクまでも、撮影する側に「主導権」を握られている状態では、とても「一見」とは言え無いように思うのだが・・・。
事前に映像を見て出かけても、現地で「予想外の光景に出会う」と言う事はよく有ると思う。
カメラと人間の目の「視野の違い」によるものも多いのだが、「撮影する側の事情」によるものも多い。
10年近く前、アメリカの大統領やフランスの首相などが宿泊した、中国・上海の「超高級ホテル」なども、建物自体は「大きくて豪華」なのだが、周囲のひどい状況を見ると、まるで「掃き溜めに鶴」と言った感じである。
映像では全体を写さないので、気が付く事はないのでである。
このように考えてゆくと、映像による情報は「百聞」とそれ程違わないように感じてしまう。
同じ様な事が「情報化社会」にも言えると思う。
多くの場合私たちは、情報を「得ている」のではなく、「与えられている」と言った方がよいのではないだろうか?。
「必要も無い情報(一部には有害なものも)」、「意図的に流された情報」などの波に飲み込まれて、何時の間にか「感覚が麻痺」してしまったようである。
「タダほど高いものは無い」と言うように、次々と与えられる「どうでもよい情報」によって、「本質を見失う」と言う事になっては、「大きな損失を被る」と言うことになりはしないだろうか?。
気を付けなくてはいけないのは、現状のままで行くと近い将来、日本人の多くが「白痴化」してしまう恐れがあるのだ。
「学力の低下」はいずれ、「科学や産業技術などの低下」を引き起こすでしょう。
「日本の生命線」とも言える、「科学や産業技術」を失っては、国土も資源も無い日本が生き延びる道は、「かなり厳しい」のではないだろうか?。
現代医療では治療が困難な、携帯依存症、テレビ依存症、ゲーム依存症、情報依存症などの「新しい病」が増加している。
これも人間社会が発展した事による、「運命(宿命)」なのかもしれない。
「運命(宿命)」であるとすれば、どうあがいてみても「成る様にしか成らない」のだろうか。

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幸せとは一体なんだろう

2007年12月26日 01時02分35秒 | Weblog
その反対に、不幸とは一体何であろう?。
人それぞれに価値観などの違いがあるので、答えを出す事は難しいであろう。
1万円もらって幸せに思う人と、100万円もらっても満足できない人。
日常のチョットしたことにも幸せを感じる人と、感じない人。
周囲の人からは「可哀相な人」と言われても、本人はナンとも思ってない人と、周囲から羨ましがられているのに、本人は実感していない人。
お金は無いが健康な人と、お金は有るが病気で寝たきりの人。
他にも様々なケースがあるが、一体どちらが幸せで、どちらが不幸なのであろうか?。
私は、前者の方が幸せだと思うのだが・・・。
かなり昔の話ではあるが、ある人が「幸せになる方法」と言うのを話しているのを聞いた事がある。
基本的には、「周りを見るな」と言うことである。
周りを見れば必ず、「他人と自分を比較する」と言う心理が働く。
この場合に多いのが、「自分の悪い部分と、他人の良い部分を比較する」と言うことである。
「自分の悪い部分と、他人の良い部分を比較」すれば、当然の結果として「劣等感(コンプレックス)=不幸」と言う図式が出来上がる。
人間の常として「隣の芝生は緑く見える」と言うように、「良い部分」だけを見がちであるが、「現実は大違い」と言うことも多いのである。
自分の胸に手を当ててみると良い。
人間誰しも、「外見を飾りたい」と言う意識が有ると思う。
「飾り立てた外見」を羨ましがっても仕方ないではないか。
他人のよい所ばかりを見ていれば、おのずとして「自分がミジメに感じる」だけである。
不幸を嘆いてばかりいれば、「幸せになるチャンス」も逃げてゆくのではないだろうか?。
反対に、幸せに浮かれてばかりいると、「思わぬ落とし穴」に落ちる危険も増えてくる。
これは私の永い?人生から得た「経験則」である。
「人生の前半を裕福に暮らし、後半は貧しい生活をする」のと、それとは反対に「
前半は貧しかったが、後半は豊かに暮らす」のとを比べたら、どちらが良いであろうか?。
前半と後半が入れ替わっただけで、結果に大きな違いが出ると思う。
「終い良ければ全て良し」と言う言葉も有る。
私自身若い頃は、自分の不幸を嘆き、自殺を考えた事もあるのだが、今となっては「遠い思い出」にしか過ぎない。
其の時は深刻に考えていた事も、時が経てば「思い出に変わる」と言うことも有るのです。
しかし、現実の話、現在の心境になるまでには、「相当の時間」がかかったのも事実である。
「一朝一夕」にしてなるものではありません。
実際には、「一つの大きな転機」があったのも確かです。
9年前に始めて中国に行ったことが大きく係わっています。
中国の「最貧困層」の人たちの姿を見たとき、自分がいかに恵まれているかを感じました。
「日本の貧困層」の「更に下」の生活をしているのです。
日本の貧困層の場合、「顔に表情と生気が無い」と言う表現をしますが、中国の最貧困層の場合は、それを通り越して「死んだ人の顔」に近いのです。
道を歩いていてもわかります。
まるで「死んだ人が歩いている」と言った様な感じがします。
上を見たらキリがありません、自分がミジメになるだけ。
表現は良くないのだが、自分より貧しい人と比べれば「ささやかな幸せ」を感じる事が出来るのです。
「逆転の発想」をすることも必要だと思うのだが・・・・・。
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有難うございます

2007年12月25日 03時39分32秒 | Weblog
念願の記録達成です。
24日の訪問者数:112IP, 閲覧数:360PV。
丸一年目を前に、念願だった「訪問者数三桁」を達成できました。
過去に一度だけ、訪問者数:90IPと言う日があったのですが、それ以外は60IP前後の日が大半でした。
「九万牛の一毛」は卒業できたようですが、「九牛の一毛」にはもう少し頑張る必要がありそうです。
願わくは、「九牛の一毛も卒業できれば」と言う思いでいます。
大それた考えではあるのだが、「九牛の一毛」をも卒業できるようになれば、少しは日本と言う国が変わるような気がする。
「稀有壮大な夢」では有るだろうが、「千里の道も一歩から」と言うように、近ずく努力をしなければ、一歩先のものでも「永久に近ずく事は出来ない」のだから。
次の目標は「四桁」、かなり時間がかかりそうだが、地道に頑張るつもりです。
絵文字を使ったり、興味本位の内容にだけはしたくありません。
「閲覧数を増やす特別なテクニック」が有るらしいのだが、今の所使うつもりはありません。(仮の話し、使おうと思っても知らないので無理なのだが)
パソコンに向かう時間が限られている為、コメントに対する返事が遅れることをお許しください。
それでは、これからもよろしくお願いいたします。
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スエーデン型かアメリカ型か

2007年12月24日 22時23分51秒 | Weblog
税負担と医療・福祉などのことであるが、日本は、歴史的にも地理的にもアメリカの影響を多く受けていると思う。
スエーデンなどの北欧諸国は、「高負担高福祉」と言う制度になっている。
一方のアメリカでは、「負担は軽いが、あとは自己責任で」と言う考え方である。
どちらが良いかは、人それぞれ価値観が違うため、一概には言えないのだが、私の考えでは「北欧型」のほうが良いと思う。
低所得層からは、「これ以上税金が増えては生活してゆけない!」と言う話ばかり出てくるのだが、果たして本当なのだろうか?。
私に言わせれば、「大きな錯覚(誤解)」あるいは「思い違い」としか言いようが無い。
もし、本当に「生活できない」と言う意見が正しいのであれば、北欧諸国はどうしているのであろうか?。
大分以前のことではあるが、ある有名なテニスプレーヤーが「税金が高すぎる」と言う理由で、「税負担が無いモナコ公国」に逃げ出した話がある。
これ以外にもあるのだが、基本的には、北欧型の国では「高額所得者には不利」で、アメリカ型の国は「高額所得者に有利」と言うことが言えるのではないだろうか?。
「高額所得者=金持ち」は、自己責任で何でも出来るだろうが、「低所得者=貧乏人」は、自己責任さえ取る事が難しい。
北欧の高負担型では、「手元に残るお金は少ない」が、アメリカの低負担型では、「手元に残るお金が多い」と、一見すると「低負担が有利」な様に感じるのだが、これが「大いなる錯覚(誤解)」なのである。
「手元に残るお金」は確かに多いのだが、アクまでも「手元に残っていると言うに過ぎないお金」と言う部分がある。
北欧諸国では、「子供を生み育てる費用」「教育費用」「医療・福祉などの費用」は「殆ど必要ない」のに対して、日本はどうであろうか?。
子供を生み育てるにも、教育するにも、医者にかかるにも・・・・と、多くのお金が必要になる。
「アメリカでも同じことが言える」、と言うどころか、「公的保険制度が無い」アメリカでは、自主的に保険に加入していなければ、「病気になっても医者に行けない」と言う問題が起きてくる。
「手元にお金が残っている」からといって、全てが自由になるわけではない。
「いざと言う時の備え」は、「自己責任でする」と言うことが求められるのである。
どちらが良いのであろうか?。
おかれている立場によって「正反対」に分かれると思う。
「高額所得者に有利なものは、低所得者には不利」「低所得者に有利なものは、高額所得者に不利」と言う事になる。
「あちら立てればこちら立たず、こちら立てればあちら立たず」なのだから、「意見の一致」など「到底不可能」と言うほか無い。
「消費税増税の悪い面」ばかりが強調されているが、「一次的には低所得者層に厳しい」一面はあるが、「将来的」に考えるなら、「消費税の増税は仕方ない」と考えるべきではないだろうか?。
「増税なき財政再建」など「夢物語」どころか、更に「次世代と低所得者に負担を強いる政策」と言わざるを得ない。
「情報化社会」などと浮かれているが、「本当に必要な情報」など「殆ど無いに等しい」と言いたい。
「意図的」に流されている情報も多いから、これらの情報を安易に「鵜呑み」にすることは危険である。
私自身もそうであったが、若い世代の時には「将来に備える」などと言う事には「考えが及ばない」と言うのが本音である。
「国の政策」として「強制的」に、「将来に対する備え」をして置くべきではないだろうか?。
また、「高負担高福祉」と言う考え方は、別の観点から見ると「格差の是正」と言う効果も期待できる。
現実の話、北欧諸国では「格差と言う問題」は、それ程起きていない様に思うのだが、いかがなものであろうか?。
物事には「表と裏」「明と暗」がある事を忘れないで欲しい。
時には私のように「へそ曲がり(悪い意味ではなく)的」な考えも必要だと思うのだが・・・・。
ブログを書き始めて「丸一周年」を前にして、少し長文になったようである。
明日から、またよろしくご愛顧のほど、お願いいたします。



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明日で丸一年

2007年12月24日 04時25分23秒 | Weblog
年を取ると月日の経つのが早く感じる。
明日25日で、ブログを書き始めて一年になる。
我ながらよく続いたものだと驚いています。
始めのうちは見てくれる人も無く、何時まで続くのか自信は無かったのだが、少しずつ閲覧してくださる人が増えてきて、書くはりあいも出て、大変感謝しています。
しかしながら、最近では、話のネタ探しに困る事が増えてきました。
願わくは、感想、反論、意見、希望など、何でも良いのでコメントをいただけると幸いです。
始めたキッカケは、オカヤドカリに関する情報が、「かなりいい加減」なものが多かったので、修正しようと思ったからで、ブログを始める前は、幾つかのブログにコメントを投稿していたのだが、その多くは「オカヤドカリオタク仲間」にとって都合が悪い為か、削除されてしまった。
それならば、「自分で作ればよい」と言うことで始めたのだが、何時の間にかオカヤドカリの話は片隅に追いやられてしまった。
肝心のオカヤドカリは、気温の低下と共に「半冬眠状態」になっている。
8ぴきいるはずなのだが、地上にいるのは2匹か3匹、後は砂の中に潜っているので確認は出来ない。
一年前の冬も同じ状態だったので、特別心配はしていない。
オカヤドカリの飼育を始めて1年と8ヶ月経つのだが、今更ながらネット上に流れている「オカヤドカリに関する情報」に変化は感じられない。
「旧態依然」といった感じで、「初心者に不安を与えるような内容」のものが多い。
オカヤドカリに限らず、ネット上にあふれている情報の中には、???、と言うものが非常に多いのだが、ひとたび流通してしまうと、アタカも、それが「真実な情報」と信じられてしまう。
NHKの「ためしてガッテン」という番組を見ていると、「従来の常識」に、いかに間違いが多いか思い知らされる。
地道な番組作りをしているのだが、見る人はそれ程多くないようである。
私などは、この番組を見るたびに「受信料の元を取った」と思っている。
私の知人の奥さんは、この番組のおかげで、家族から「お母さんの料理がおいしくなった」と言われるようになり、毎週のように行っていたファミリーレストランに行きたがらなくなったと言う。
家計的にも、「家族5人で、毎回のように1万円近く使っていたのが節約できた」と言って喜んでいる。
料理関係ばかりではない、それ以外のテーマでも、思わず「エー?、ウソー?」と言うことが多い。
まさに「目からウロコ」なのである。
世の中には、まだまだ沢山の「思い込み」「錯覚」「思い違い」などによる、「常識のウソ」が存在する。
それ以外にも、何らかの理由で「意図的に操作された情報」も多い上に、政府が直接発表するものばかりで無く、専門家や学識経験者などの発表するものには、「希望(楽観)的観測」なものや「プラス面だけを強調」したものなどが多いので気を付けなくてはいけない。


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スエーデン70%、日本39.4%

2007年12月23日 03時08分20秒 | Weblog
NHKで、日本の年金問題についての討論番組が放送されていた。
若い人から高齢者、フリーターから学識経験者まで、様々な人が、様々な角度で討論をしている。
毎度の事ではあるが、「最終結論」に達する事は無い。
単なると言っては失礼なのだが、「単なる公開討論会」である以上、「最終結論を出す必要はない」のである。
人それぞれに「置かれた条件」が違うのだから、どの意見が正しいのかなど判断の仕様が無い。
国会などの場では、この様な事は出来ないので、「多数決」で決める事になる。
「多数決」は「数が多いほうの意見で決まる」と言うのが原則であるが、必ずしも「多数意見」が正しいとは限らない。
話が少し横道にずれてしまったが、タイトルの「スエーデン70%、日本39.4%」は、「国民総所得に対する税金の割合」の事である。
ヨーロッパ、特に北欧はこの割合が高い。
「高負担、高福祉」と言う考え方である。
この反対がアメリカである。
アメリカは31%余りであるが、「自己責任」が要求されているため、日本に比べて負担が低いのである。
この手の討論を聞いていて気になることがある。
多くの意見は「見返りを要求するばかりで、自己負担はしたくない」と言うことが根底にある。
「消費税を引き上げて福祉に回す」と言う問題にしても、「これ以上消費税が上がっては、生活して行けない」と言うのだが、本当にそうなのであろうか?。
単純に考えればその通りなのだが、富裕層は使うお金の額が多い分だけ、「支払う消費税の額も多い」と言うことを考慮する必要がある。
富裕層が支払った消費税の多くは、「低所得者層」に回ってくるのである。
「金持ちのお金の一部が、貧しい人に回ってくる」と言うことを忘れてはならない。
「貧富の格差」が日本よりも遥かに大きい中国では、富裕層から多くの税金(直接税だけではなく間接的にも)を徴収しているのだが、それでも格差は広がっていると言う。
富裕層が消費する「ぜいたく品」、自動車、高級ブランド品、高級化粧品、高級食材、その他の輸入品などの価格は、「日本の物価にスライド」すると、日本で売られている値段に「ゼロ」を一つ付けた以上の価格になるのである。
日本で200万の車が、2000万以上で売られるのと同じ事である。
日本もこのような制度を導入してみてはどうだろうか?。
「格差」が問題になっているのだが、「日本の格差」程度では、このような制度を導入するのは難しいであろう。
「日本の格差」は、「中国の格差」に比べれば、「どんぐりの背比べ」に近い気がする。
何となく「野党の選挙用の材料」に使われているような気がするのだが。
私の話は、けして「推論」で言っているのでは無い。
上海に9回(延べで2ヶ月余り)、「一般観光客はけして足を踏み入れる事の無い、下町の最貧困層」の実態と、富裕層の実態、両方を目の当たりにしてきて感じた事である。
「資本主義自由社会」は、別な言い方をするならば「格差を生む社会」とも言えるだろう。
「お金がお金を集める」と言うことを、嫌と言うほど味わってきた。
皮肉な事に、「金持ちの所ほど、儲け話が来る」と言う現実。
「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」と言う事になるのである。

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自民党の支持率が低下

2007年12月22日 04時24分10秒 | Weblog
「支持しない」と言う人の方が多くなってしまった。
自民党にとっては、「非常事態」と言うことである。
自民党にとっての非常事態は、民主党にとっては「非常に喜ばしい事」と言えるであろう。
しかし、「好事魔多し」とも言うように、喜んでばかりはいられないであろう。
自民党の「テロ特措法」に対する、「民主党の対案」を見れば、その事は「明白」である。
野党と言う「直接責任を負う必要の無い立場」に居る間は、綺麗事(建前論)を言っていられるが、果たして与党と言う「政権責任政党」になっても、同じことが言えるであろうか?。
民主党に限らず、共産党、社民党などが主張する「建前論・希望論」などの綺麗事が、何処まで通用するのであろうか?。
財源不足を補う為に、「予備費」にまで手を付けようとしている。
「予備費」と言うには、一種の「貯金」の様なものである。
貯金である以上、「使えば無くなる」と言うものなので、単なる「一時しのぎ」でしかない。
この様な「場当たり的」なことは、すぐに「ネタ切れ」と言う事になる。
次はどんな事を考えるのか・・・・・。
いい加減で「成長路線」を改める必要がある。
これまでの「経済成長」は、「赤字国債と言う借金」に裏打ちされた、「偽りの姿」と言わざるを得ない。
偽りの姿である以上、何時までも続けられるものではない。
「京都議定書による温室効果ガスの削減義務」を達成する為には、「景気の減速」と言う痛みが伴うのは、「止むを得ない事」であろう。
アメリカが排出削減に消極的なのは、この事を知っているからである。
中国、インドなどの発展途上国にしても、同じ事が言えるであろう。
アメリカの景気が減速すると、「世界恐慌」の恐れも出てくる。
「あちら立てれば、こちら立たず。こちら立てれば、あちら立たず」と言う、「八方ふさがり」の状態なのである。
このような問題が根底にあるため、「自民党の支持率」が低下しても、支持率を回復させるための手立てが打てないのである。

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