へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ついにストーブを

2023年11月14日 04時12分54秒 | Weblog

 

室温が13度台までは何とか耐えしのげたが、さすがに11度台となると無理。

去年と比べると1ヶ月以上使い始めるのが遅くなっている。

さらに・・・・。

暖房の温度も去年よりは3度くらい低く設定したが、それでもほとんど寒くは感じほとん

去年までは20度に設定したが、今年は17度台に。

年を取ると皮膚感覚が衰えるので寒さを感じにくくなるという人もいるが、それとは別の原因がありそうな感じが。

というのも、あえて商品名は書かないが、あるものを以前は「1日1錠」長年飲んでいたが、今年の8月くらいから「1日2錠」飲むようになったのです。

名前を書けば多くの人が知っているであろう、かなり昔から売られている「第三種医薬品」なので、ネットショップなどで売られている素姓の定かでないものではありません。

正直、2錠飲むようになってからなんとなく体調が良くなったように感じていたのだが、気のせいではなかったようです。

基本的には「1回1錠、1日に1回か2回服用」となっているので、量的にも問題のないレベル。

金額的にも比較的安価な部類に入るので、1日に2錠飲んでも「30円程度」で済みます。

しかも・・・・。

暖房温度を低く設定できることで灯油の消費量が減るので、「プラスマイナスゼロ」になるかも。

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レジ袋    追記をします   再追記です

2020年08月27日 03時43分14秒 | Weblog

一時「レジ袋を止めて、マイバックに」「レジ袋の有料化」などと、資源の節約を求める話があったのだが、最近は余り聞かなくなった。
「原油高騰の余波」を受けて、ガソリン以外にも「値上げの波」が押し寄せている今こそ、「レジ袋の削減」をしなくてはいけないのでは?。
しかし、いざ実行するとなると「様々な障害」にぶつかる。
私が行くお店で「マイバック」を見かけることは、非常に少ない。
正直な話、私自身も持ってはいないのである。
売る側のお店にしても、「積極的に推奨する」と言う意欲は見られない。
本気で取り組みたくても、「お客に嫌われる」と言うことが心配なのである。
お客の側にしても、「不便でめんどくさい」と言うのが本音であろう。
マイバックを持っていない私であるが、全くレジ袋の削減に協力していないわけではない。
多くの場合、店員が「商品の量と種類」に応じてレジ袋をくれる。
このため、レジ袋が2枚3枚、時としては4枚になる事もある。
「同じ袋に入れたくない」物もあるので、当然の話であるが、私の場合は「出来るだけ」まとめるようにして、余った袋は返すようにしている。
しかし、「レジ袋の削減」がどの程度「省資源」になるのであろう?。
「やらないよりマシ」と言う程度にしか思えないどだが・・・・。
一軒の家で一ヶ月に消費するレジ袋の量はどの程度なのであろう?。
ガソリン1リットルにも満たない量では無いだろうか?。
「ガソリンを1リットル節約する」のと、「レジ袋を全く使わない」のとでは、どちらの方が「実現性」があるであろう?。
私の場合、一年前と比べて「ガソリンの消費量」が大幅に減っている。
一年前は、3週間に1回くらい給油していたのだが、最近は、大体4週間に1回くらいの給油で済ませている。
月に50リットル位だったものが、35リットル程度にまで減っている。
およそ、30%の削減である。
私ほどでなくとも、「チョットした工夫」で、「レジ袋以上の削減」は可能であろう。
「有用な情報」は、あちこちの転がっているのだが、「自らの意思」で探さなければ見つからない。

今私がいる部屋の温度は17度であるが、けして寒くは感じない。
「ある防寒対策」をしているのである。
寝る時も、「10年余り前」までは、寒い時期には「電気毛布」を使っていたのだが、「あるキッカケ」から使わなくなった。
「使わなくなった」と言うより、「必要が無くなった」と言うのが正解である。
「寒い朝でも快適に起きられる」と言う優れものである。
「あるキッカケ」とは、「ひょうたんから駒」「怪我の功名」的な事から起きている。
詳細は、またの機会に書く事にする。

2007.11.29.

 

追記です。

この記事を書いたのは13年近くも前の事です。

で、ついにレジ袋の有料化が実現です。

が、私は今でもマイバックは持たず、レジ袋を使っています。

が・・・・。

元々レジ袋はゴミ袋としても活用していたので、前々から捨てないで保存をしてあります。

そう、今はその保存をしておいたレジ袋を持参しているので、マイバックは使わないのです。

マイバックはかさばるものも多いが、レジ袋はかさばらないので、買い物の邪魔にはならない。

上手に使えは10回以上繰り返し使える。

 

正直、保存した袋が増えすぎて困っていたので、ちょうどよかったのかも。

ゴミ袋としても使うので徐々に数は減るだろうが、それでも1年や2年では使いきれないだろう。

使い切ったらその時考えることに。

2020.07.28.

 

 

再追記です。

レジ袋の有料化によってマイバッグを使う人が増えたが、それに良って新たな問題が発生しているようです。

 

それは・・・・。

「マイバックを利用した万引き」です。

だいぶ前から万引きが問題になっているが、マイバックの普及がそれを助長しているのです。

そう、お店の側とすると、マイバックの中を確認することは困難なため、それを悪用する人が増えているようなのです。

 

ドラッグストアーなどではそれを防ぐ対策をとっているところもあるようだが、食品スーパーでは少ないようで、何んとも困った問題の様です。

で、私は相変わらずレジ袋を愛用しています。

もっとも、有料化される以前にもらったレジ袋で、何度も繰り返して使っています。

きれいにたたむとかさばらないので、常に3枚くらいは持ち歩いています。

 

1枚5円で買っても、5回使い回すと・・・・。

マイバックよりはるかに安上がりで、最後はごみ袋に使います。

 

 

 

 

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リハビリの問題点     追記をしておきます

2018年10月28日 23時10分55秒 | Weblog
今様々な病気や怪我で、体の機能が麻痺した人に対するリハビリが盛んになってきている。
NHKの放送でも取り上げているのだが、「患者の側の不満」ばかりが大きく取り上げられているように感じてならない。
けして、「患者が不満を言う」事が悪いと言うのではない。
五体満足な私が言うのはおかしいかもしれないが、「患者の側の不満」も良くわかるのだが、「破綻状態に近い医療財政」と言うことを考えると、これ以上のことを求めるのは「リハビリを施す側の負担」が大きくなり、医師や看護士、介護士などの健康にも問題が出て来るのではないだろうか?。
すでに、一般の医師や看護士の、過労による体調不良や自殺まで起きている。
そればかりではない、医療事故を恐れて「手術を断る」と言う医師まで出てきてるという。
このままで行くと「治療をして欲しくても医者がいない」と言うことにも成りかねない。
患者の側にも「応分の負担」が必要だと思うのだが・・・・。
医療が発達すればするほど、「高度な医療機器」と「高度な医療技術」「高価な薬」が必要になるが、「高度な医療機器=値段が高い=医療財政の圧迫」」と言う事と「治療期間も長くなる=医療財政の圧迫」と言うダブルパンチ、トリプルパンチにより、あちこちの医療機関が、「財政破綻」により閉鎖されている。
健康保険料の引き上げは、家計を圧迫する事は間違いないのだが、「いざと言う時に安心して医療が受けられない」と言う状態に成っては、「元も子もない」のではないだろうか?。
ここで、もう一つの問題点にも触れてみたい。
ある看護士さんの話だが、「最近は患者さんの態度が悪くなっている」と言うのである。
「医者は病気を治すのが当り前」「看護士は看護するのが仕事」などと言うことで、僅かな事で文句を言う人が増えていると言う。
完全に「お客様気取り」だと言うのである。
昔は退院する時に「お世話になりました」と言うのが普通だったそうだが、最近ではそれも少なくなっていると言う。
便利な世の中になっては来たが、「人間関係」は悪くなっているようである。

2008.02.13.






追記です。

この記事を書いたのは今から10年以上も前のこと。


で、実は、この3年半余り後の、2011年10月に、私は舌癌の手術をすることになり、障碍者の仲間入りをすることに。


今から7年も前のことです。

手術で舌の半分を失い、その後遺症で、食事も会話も満足にできない身に成り下がりました。

そこで必要になるのが「リハビリ」だが、残念ながら、私はほとんどリハビリは受けていません。


ハッキリ言うなら「リハビリを受けたくても近隣のそのような施設がない」というのが実情なのです。

正直、リハビリを受けようとしても、そこまで行くのが困難(電車で2時間近く)だったのです。


手術を受けた病院には通いの言語療法士はいたが、気まぐれな人だったようで、予約をとっておいても「ドタキャン」。

結局はそのまま自分で頑張るしかない状態に。



しかし・・・・。

私はこの事で文句を言ったことはありません。



あれからもう7年です。


今もまだ不自由ではあるが、食事も会話も何とかできるように。



3ヶ月半にも及ぶ入院中も、医者や看護師さんたちに文句をいったことはありません。

そう、患者はお客様ではないのです。



これからますます医療現場は大変なことになるだろう。


患者の側にも我慢が必要なんだがね。
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卓球とピンポンの違い        追記です

2018年02月21日 17時51分20秒 | Weblog
ボーリング場が10日(土)にオープンしたらしいが、まだ行っていない。

新しい会社の運営なので、料金その他に違いがあるらしい。

で、今まではなかった、卓球台とビリヤード台が設置されているらしい。


そこで卓球に関して少し。

私が若い頃にも卓球ブームがあり、私も友人たちとやっては見たが、余り上手く出来ない。


なので、結局のところ、卓球ではなく「ピンポン」と言ってもよい状態。

基本的には、卓球もピンポンも同じことなのだが・・・・。

私は、卓球とピンポンは少し違うように思っている。

卓球は「上手な人」がやるもので、ピンポンは「下手な人」がするものである。

屁理屈だと思う人も多いだろうが、最近は死語になってしまったが、かつては「ピンポン外交」と言っても、「卓球外交」とは言わなかったのです。


が、最近は「卓球外交」と言いたくなるような事態も多いように感じるが・・・・。

2015.10.11.



追記です。


「ピンポン外交」とは言っても、「卓球外交」といわないわけ。

前にも書いているが、ピンポンにはのんびりとした感じがある。

緩い球なら打ち返すのも楽。

が、早い球では打ち返せないことも。


外交の場だけでなく、人間関係でも同じことがいえるが、相手に無理難題を押し付けては正常な関係は維持できない。

矢継ぎ早に問題をぶつけても同じで、相手が対応できなければ話は決裂に。


正直、現代社会には「ピンポン外交」など絵に描いた餅なのかも。

国会における論戦を聞いていても、ただお互いに言いたいことを言いあっているだけで、「論戦」とはとても言えない。


「仁義なき戦い」といった方が良いだろう。



さて、日本はこの先どうなるのであろうか。
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マネーロンダリング(資金洗浄)   追記です

2017年12月08日 23時54分56秒 | Weblog
一般の人たちの多くは、「マネーロンダリングなて関係ない」と思っているだろう。
ところがドッコイ、身近なところで「日常的」に起きているのである。
「そんなバカな?」とお思いだろうが、気が付かないだけなのだ。
悪い連中が、大金をロンダリングする場合だけがニュースになるが、引ったくりなどで奪われた数千円のお金でも、買い物などで使われた場合は、ロンダリングされたと同じなのである。
悪いお金と知っていて受け取った場合は、「共犯」と言う事になるが。
売上金として金庫に入ってしまえば、よいお金も悪いお金も区別が付かなくなってしまうのです。
NOBAの猿橋社長が、会社の金で「豪華な社長室」を作った事が話題になっている。
道義的には、許されない事では有るのだが・・・・・。
悪い事=悪い事?・・・・・。
「何を言い出すのか?」と思うかもしれないが、戦後の日本経済の復興は「朝鮮戦争のおかげ」だと言う事を考えて欲しい。
戦争と言う悪い事によって、発生した「戦争特需」により、日本経済は「恩恵」を受けたのである。
これも。一種のマネーロンダリングである。
「景気の回復は、お金が動かなければ成り立たない」
バブルの崩壊も、「お金の動きが止まった」結果起きたといってよいのでは?。
「豪華な社長室」を作った結果支払われたお金は、次々と市中に広がり、皆さんの財布の中に入っているかもしれないのだ。
当然の事、これもマネーロンダリングなのです。
NOBAの社員、受講者、債権者にとっては、「迷惑千万」な話ではあるが、「余禄」にアズカッタ人もいるのです。
「ワル知恵」の働く人は、他にも沢山いる。
けして「許される事」ではないのだが、「必要以上」に騒ぐのは、「負け犬の遠吠え」の様な気もするのだが・・・・・。
だいぶ以前の話しでは有るが、「俺はそんな悪い事はしない」と、豪語した男がいたが、私に言わせれば「したくても出来ないんでは?」と言いたい。
私自身、もしも同じ立場に立ったとしたら、「しない」と断言は出来ない。
目の前に「美味しい話」が有ったとして、「その誘惑」に勝てる人はどれだけいるであろう?。
「自分は大丈夫」と言いたいかもしれないが、現実の話し、「チャンスが無い」と言うのが本音では?。

2007.11.02.




追記です。

この記事を書いたのは10年も前のこと。

そこで、最近のことを少し書き加えてみたい。


数年前から「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」と称するものが多発している。

毎日のように被害にあったことが報道されていても、一向に減る気配がない。

で、被害にあった方には申し訳ないが、その被害にあったお金のほんの一部ではあるが、私の財布にも入っている。

別に私が悪いことをしたからではなく、全ての人の財布に入っているのです。

前にも書いてあるが、お金には「これは悪いことをして得たお金です」とはけして書いてない。

詐欺で得たお金であっても、それを知らないで受け取ってしまえば、もう汚れたお金では無くなってしまうのだから。


で、安倍政権はこのことに関してはほとんど無関心のようにも思えるが・・・・。

そのわけは・・・・。

これはあくまでも私のうがった考え方ではあるが、「見て見ぬふり」をしているのかも。

????と思うだろうが・・・・。

詐欺を働く連中は、貯金などまずしないだろう。

「悪銭身に付かず」ともいうように、彼らは何らかの形でそのお金を使う。

そう、「消費拡大に一役買っている」ともいえるのだから。

「成長戦略には都合良い」と思っている?。

そうでないことを祈りたいが。
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11月10日がトイレの日?   追記です

2017年11月17日 23時05分46秒 | Weblog
何とも奇妙なお題だが、トイレは用を足せればいいと思っているので、あまり意識などしたことがない。

かつて上海に何度も行ったことがあるが、上海ではトイレを探すのが一苦労。

公衆トイレなどほとんどなく、「有料トイレ」もあるが、それも数は少ない。

ショッピングモールだって探すのが一苦労。

その点、日本では至る所にある。

しかも、どこも結構きれいである。

が、あまり豪華できれいなトイレだと、その分商品価格や使用料に上乗せされているだろうから、単純に喜んでもいられない。

正直、用が足せればいいのだから。




追記です。

日本では「8月10日」と「11月10日」を「トイレの日」と制定しているらしいが・・・・。


国連では「11月19日」を「トイレに日」として制定しているという。

日本のほうが早く制定してはいるが「日本トイレ協会」という団体が制定しただけで、国は関与していない。

その一方、「11月19日」は国連が制定しているので、かなり格が違うかも。

国連が制定したのであれば世界的に通用するだろうが、日本のトイレ協会の制定では日本以外では通用しない。


これも「世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識」と似たようなものかも。


それと、国連は営利目的での制定ではないが、日本トイレ協会は営利目的での制定である。

そう、全く次元が違う発想での制定なのである。
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オカヤドカリは共食いをするのか?     少し訂正します   追記です

2017年09月03日 23時55分53秒 | Weblog
オカヤドカリのサイトを見ていると、殆どのサイトで「脱皮事故」と言う言葉が出てくる。
「脱皮事故」とは、「一種の共食い」と言うことなのだろうが、私のところでは「かなりの過密飼育」で、なをかつ「殆ど放任状態」で隔離などせずに飼育しているのだが、毎月1匹か2匹は脱皮しているにも拘らず「脱皮事故」は起きていない。
同じ事がブルーザリガニでも言えるのである。
現在60cmの水槽に、オスの大きな個体1匹と、去年の秋に生まれた4cm~7cmの子供20匹余りがいる(オカヤドカリ以上の過密状態)のだが、一向に共食いをする様子がない。
立体的に住み分けられるようにはしてあるのだが、オカヤドカリと違って一年で一気に成長してしまう為、頻繁に脱皮をしているにも拘らず、「脱皮事故」は起きていない。
ある程度大きくなると、鋏が片方無い個体は出てくるが、共食いは不思議に起きないのである。
脱皮直後の身体は非常に柔らかいので、襲われたらひとたまりも無いはずなのだが、何故か数は少しも減らない。
普段見ていても、喧嘩をする事さえ無く、二匹が鉢合わせすれば、「どちらかが驚いて逃げる」と言う状態で、「襲う」などと言う事は見た事も無いのだが、これは仲間内だけの事で、他の小動物や金魚などに対しては、正反対の動きをします。
外見からすると、「獰猛で肉食」と言うイメージで見られがちであるが、意外にも水草や藻類も好んで食べる「雑食性」だと言うことがわかりました。
これらのことを総合的に考えると、「脱皮事故」は「過干渉によるストレスが原因」のように思えてならない。
「月に1回か2回砂を洗う」と言う飼育法に問題があるのではないだろうか?(私の場合は原則的には年二回です)。
脱皮で砂に潜る場合、「2ヶ月以上も潜る事がある」と言うことを考えれば、頻繁に砂の交換をされては「落ち着いて脱皮も出来ない」と言う事になるだろう。
「脱皮が始まって危険だから隔離する」などと言う事はストレスを与えるだけではないだろうか?。
これでは「可愛がっている」と言うより、「虐待している」というほうが正しいのでは?・・・・。
一度広まってしまったことを改めるのは非常に困難ではあるが・・・・。

2008.02.15.




訂正です

共食いは起きないと書いていたが、現実には起きていました。

が、ネットで騒ぐほどの頻度ではなく、餌が十分であればその頻度は低くなリます。

また、宿替え用の貝殻が無い場合も起きやすいように思うが。



餌に関してもさまざまなことが言われているが、今は殆んど「ホテイアオイの葉」だけを与えているが、腐りかけている古い葉のほうが好みのようです。

かつてはエケベリアの葉を与えたこともあるが、枯れて干乾びた葉の方がよく食べるようです。

2015.10.10.





追記をしておきます。

2年前に訂正をしたときは@がいなかったが、今年また6匹も買ってしまいました。

なので、今は6匹飼育中です。

買った時のサイズは「M」だったが、今は「Lサイズ」になった@もいます。

相変わらずそれほど大きくもない飼育容器での「多頭飼育」ではあるが、何度も脱皮をしているにもかかわらず、共喰い事故は起きていません。

で、かつてはあれこれと試行錯誤の連続であったが、今はほとんど「ほったらかし」に近い感じになっています。

特別「塩水」などは作らず、エサも「ホテイアオイ」だけです。

たまに塩を一つまみ程容器の中にばらまいているだけだが・・・・。

買ってから3か月余り経つが、特に問題は起きていない感じです。


ここにきて気温が低くなったので食いが落ちてはいるが、気温が高い時期はホテイアオイをモリモリと食べていた。

以前は古い葉を選んで入れていたが、今は一株そっくり入れています。

根は好まないようなので、根だけは取っているが。



参考までに。

あれこれといじるとそれがストレスとなり、その結果「共食い」が起きるのかも。

後、新しい@を入れるとしばらくは落ち着きがなくなるが、放っておくと鎮静化します。

人間社会だって、新しい仲間が入るとしばらくは落ち着かないのと同じなのだろう。

そこでは当然、喧嘩が起きることだってある。


飼育する側からすれば、@の動く姿を見たいだろうが、それは@にとっては迷惑な話なのです。

人間だって、周りからじろじろと見られたらいやだからね。
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オカヤドカリの餌    追記をしておきます

2017年08月09日 23時57分17秒 | Weblog
あるブログで、豆腐をよく食べる、という話があった。
ダメモトで試してみた。
鶏肉を煮たときの残りの汁で煮込んでみたのだが、結構よく食べている。
生のままや、味付けしないで煮ただけの物は試していない。
次の機会に試してみるつもりです。
相変わらず、半冬眠状態なのか、姿を見かける@は少ない。
11匹いるはずなのだが、2匹か3匹しか見かけない事が多い。
何時も同じ@ではなく、時々入れ替わっているようだ。
寒が明けた頃から、砂を掘った跡が増えている。
それまでは、地上のヒーター(砂の中にもヒータを入れてある)の近くは殆ど掘る事は無かったのだが、最近はよく掘っている。
ヒーターの反対側は、結露した水がたれる為、ややウエットなのでよく掘っていたのだが、ヒーターの近くはドライなので以前は掘る事は無かった。
あまり動かないせいか、餌の減りも少ない。
温度25度、湿度70%でも動きが少ないと言う事は、冬場の@は、半冬眠すると考えた方がいいようだ。
観賞目的で温度を上げることが、果たして@にとってよい事かどうかは疑問です。

2007.02.08.




追記です。


この記事を書いたのは10年以上も前の事です。

途中で一時中断をしていたが、最近また飼育を始めたので、改めて少し書いてみることに。

オカヤドカリの餌。

今は「ホテイアオイ」をメインにしているので、ほかの餌はほとんどやりません。

ホテイアオイ。

ブラシのような根はほとんど食べないようです。

好んで食べるのは葉の膨らんだ部分です。

で、最も好んで食べるのは、新しい葉ではなく、「古くて腐りかけた葉」です。

なので、私は古い葉を根元からもぎってそのまま入れています。

寒い時期はホテイアオイが手に入りにくいので、秋になると生の葉を乾燥させて保存します。

私はいつも多目に入れいるが、いつの間にか減っています。

@たちは、新しい葉より古い葉を好むようなので、新鮮である必要はありません。
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カキ氷・・・・・

2016年06月27日 23時27分59秒 | Weblog
最後に食べたのは何時の事だったか・・・・・。


思い出せないほどカキ氷とはご無沙汰をしている。



なので、子供の頃の思い出でも。

昭和20年代後半から30年代にかけての思い出だが、あの頃は種類も少なく、「イチゴ」が定番であったように記憶している。


他にもあるにはあったが、カキ氷にありつけるのはお祭りのような時だけ。

道路の横に屋台が並び、カキ氷屋も並ぶのだが、時折、イチゴ以外を注文すると嫌な顔をするお店もあった。


後で聞いた話だが、イチゴシロップ以外は値段が高かったのだとか。

なので、イチゴ以外は初めから少ない量しか用意しない場合もあったのだとか。


確かに、イチゴ以外は品切れのことも多かったような気もする。



今は「物余り」の時代で、「飽食」の時代でもある。

なので、何でも好きなものを選ぶこともできる。



昔は寄り好みなどできなかったんだよね。
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日本と韓国は仲良くなれるのか     5年以上前に書いた記事だが・・・・

2016年01月02日 22時14分15秒 | Weblog
NHKの「日本の、これから・・・・」と言う放送で、韓国と日本の関係について討論する番組があったのだが、その中で「お互いの国に対する日本人と韓国人の認識の差」と言うことが大きな問題になっていたのだが、「何故認識に大きな差が出るのか」については殆んど論議される事も無く終わってしまった。
これは毎度の事で、この手の討論番組ではよくあることではあるのだが・・・・。
しかし、これで終わってしまっては何時まで経っても問題の解決は難しく、ここではその問題の「根底にある問題」に触れてみたいと思う。
日本人と韓国人の認識の差の根底にある問題は「日本は加害国で、韓国は被害国だ」と言うことに気が付かなくてはいけないのである。
これを悪い言い方をするならば「被害国にとって加害国は敵だ!」と言うことになり、認識に大きな差が出るのは当然の事で、「置かれた立場が違う」のだから、認識に差が出るのは仕方ない事なのである。
更には、加害者は「早く忘れたい」という意識が働き「問題から逃避する」と言うことをしがちだが、被害を受けた者にとっては「忘れたくても忘れられない」と言う思いがある事も理解しなければいけないのだが・・・・。
かつて「最早戦後ではない」「戦後は終わった」などと言うことが言われた事がこの事を如実に表しており、このような事が言われる根底にも「早く加害者と言う立場から逃れたい」と言う意識が働いていることは確かだろう。
そして、戦争の加害者でありながら被害者の立場をとる「広島・長崎の被爆問題」については、相も変わらず「日米の認識の差」というものが存在している事にも気が付くべきで、「日韓(日中もだが)問題」では加害者の立場を忘れ、「広島・長崎の被爆問題」では被害者の立場に立つという、言わば「被害者と加害者の使い分け」をしていることにも「日本人の身勝手さ」が現れているのではないだろうか。
このように考えてゆけば「被害者と加害者が仲良くなる」と言う事は至難の技と言わざるを得ず、認識の差を縮小するには未だ長い年月が必要であろう。
韓国では日本との歴史問題を教育の場で取り上げているのに対して、「日本では全くと言ってよいほど取り上げない」と言う事も「被害者と加害者の認識の差」と言うことによるもので、総理大臣が謝罪文を読み上げたくらいで解決するほど簡単な問題ではないのである。
日本人の一部には「総理大臣が謝ったのだからそれでいいだろ!」と言う人もいるようだが、自分が逆の立場になったときに同じ事を言われたらどうするのだろうか・・・・。

私は純粋?な日本人ではあるが、このような問題が起きるたびに「日本人である事を恥じに思う」と言う気持ちで一杯になり、どうしてもこのようなことを書きたくなってしまうのである。



これは2010年8月15日に書いているのだが、改めてアップしておきます。

日韓の政府間では「元従軍慰安婦問題」は解決したことになっているが、被害者である元従軍慰安婦の真情は完全に踏みにじられている。

これはあくまでも仮の話ではあるが、もしも、日本と韓国(中国もだが)の立場が逆であったとしたら・・・・。

安倍総理は合意を受け入れたであろうか。



これはあくまでも仮定の話ではあるが、合意を受け入れることはないはずである。

立場が全く正反対の被害者と加害者。


心底から仲良くなった話を聞いたことが無い。



表面的に仲良くなることだって困難だろう。

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