へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

笑い話?を一つ

2011年04月23日 05時40分40秒 | Weblog
半月余り前の事だが、ある農協直営の園芸センターでのことである。

中年の女性2人が店員に文句を言っているのである。

文句の内容は「ここは野菜の苗を置くのが遅すぎる!」と言うのである。

店員と言っても、れっきとした農協の職員で、「時期的にまだ早いので来週辺りから置きますが・・・・」と言っても聞かないのである。

「値段が安い」と言う話を聞いてきたようで、近くの人ではないようなのだが・・・・。

「ホームセンターには沢山並んでいるじゃない!」と言って聞かず、店員は「それじゃそちらで買ってください」「でも未だ早すぎますよ」と言う言葉にキレたようで、「二度とこんなところに来るか!!!」と言う捨て台詞を残して出て行ったのである。

最近は何も知らない素人が家庭菜園を始めており、「早く植えればそれだけ早く出来る」と思っているらしいのだが、気の早い人は3月に植えているので、「うまく育たない」とか「枯れてしまった」と言う花足を良く聞くのである。

しかし、本来は5月の連休ころに植えていたはずが、いつの間にか早くなっているのである。

園芸書などはよく読んでいるようなのだが、植える苗の方ばかり気にしていて、肝心な「植え付け時期」を読んでいないのだ。

テレビの放送でも同じことで、「今放送しているから今植えなきゃ」と思っているのである。

夏野菜の苗は低温に弱く、霜にでも当てようものなら「枯死」とまでは行かなくても、かなりのダメージを受けるのは確実だと言う事を知らないのだ、

このため、適期に植えようと思っても「肝心の苗が手に入らない」と言う、笑い話のような事がおきるのである。

ヤフーの「知恵袋」をみていると、「何でこんな馬鹿な質問をするのだろう?」と、思わず考え込んでしまうような質問も珍しくないのだ。

私は最近これにはまってしまい、解答を書くのが忙しくて、肝心の「花便り」のブログの更新が出来ないのだ。

この記事も、本来であれば「花便り」のほうに書けばよいのだろうが、何となくこちらのほうに書いてしまったのである。

画像は少しではあるが取り貯めてあるので、花便りの更新はもう少し待ってください。

今月中には再開するつもりなのだが・・・・。
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新聞にこんな投書があったので

2011年04月19日 03時41分29秒 | Weblog
数日前朝日新聞に載っていた投書で、「日本人の考え方の特殊性」を物語る記事なので載せておきます。

この記事を見ると「俺も普通の日本人らしい」と思ってしまう。
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世にも不思議な事が・・・・

2011年04月19日 03時33分27秒 | Weblog
掃除もせず雑然としているので、あまり他人にはお見せしたくない画像だが、この画像があることを物語っているのだ。

画像に写っている脚立は、3月11日の巨大地震以前からこの状態で立っているのである。

紐で固定しているわけでもなく、ただこの状態で立ててあるだけなのだが、何故かあの地震でも倒れなかったのである。

このことに気が付いたのは昨日の事で、ナントも不思議な気分なのである。

地震の後数日経ってから新聞に載っていた震度分布図で見ても、私が住む「埼玉西部地区」だけが「震度4」なのである。

ここより震源から離れた地区でも「震度5強」の場所があり、まるでこの地区を取り巻くように「震度5弱」から「震度5強」が分布しているのである。

近所の人の話でも、「被害ゼロ」どころか「棚から物一つ落ちなかった」と言うのである。

ただ、あのときの揺れ方が何時もと違うように感じたことだけは確かで、揺れは大きかったのだが、何となくゆったりとしたような揺れに感じ、「これはただ事ではないぞ」と感じたのである。

真っ先に思い浮かんだのは「東海地震」で、まさか三陸沖であれほどの巨大地震がおきるとは思わなかったのである。

この辺りの地盤がしっかりしていることは確かなようで、普段テレビを見ていて「ただいま関東地方で地震がありました」と表示されることがあるのだが、正直な話「エッ?、地震があった?」と言う事がしばしばあるのだ。

大分前の話だが、このことをせがれに話したところ「父さんは年をとって鈍くなったんだよ!」と言われたのだが、この画像を見れば揺れが少ない場所だと言う事がわかるだろう。

しかし、少し離れるとかなり激しく揺れたようで、震災後しばらくボーリングに行かなかったところ「地震で家がつぶれ、その下敷きになって死んだらしい」と言ううわさが立っていたのである。

「そんな馬鹿な話があるか!」と私が言い、続けて「それなら埼玉は死者ゼロじゃなくて。死者1になるはずだよ」と言うと、「誰にも気づかれずに死んだ」とまで言うのである。

余程私を殺したいらしいのだ。

そこで最近私は「俺の足は義足だから」と言い返しているのだ。

「死人に口無し」ならぬ「死人に足無し」である。

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支持者を放置して、あの人は何処へ雲隠れしたのだろう?

2011年04月07日 05時19分41秒 | Weblog
いつの間にか「東北関東大震災」が「東日本大震災」に変わっている。

「東北関東」と言う言葉にも違和感を感じていたのに、「東日本」とは・・・・。

私の感覚では「東日本」と言う範疇に「東北地方」は含まれず、無理に含めたとしても「福島」くらいまでである。

これでは実際の被災地が曖昧になり、甚大な被害を受けた方々に申し訳ないと思っているのだが・・・・。

私個人としては「3.11三陸沿岸大震災」がよいと思うのだが・・・・。

さて、そんな話はどうでもよい?のだが、東北地方を支持基盤にしているあの方は何処に雲隠れしたのだろうか。

まさか、自分自身に襲いかかろうとしている津波(刑事告訴)から逃げるのに必死なのでは?。

それとも「巨大な津波にも耐える強固な防波堤を作るのに必死?」なのかも・・・・。

母親から多額のお小遣いを貰っている人も姿を見せない。

そして「津波で我欲を洗い流すと言った人も」である。

その一方で「100億円」もの寄付をして話題になる人もいる。

これもひとえに「人間の器の違い」が出るのだろう。

さて、振り返って考えるのは「自分自身のこと」である。

日頃辛口のコメントを書いている以上「それなりの事をしろ!」とおしかりを頂きそうで困っているのだ。

常日頃「諸刃の刃」という言葉を使っているのだが、被災地に遠慮して「自粛」をする事も「諸刃の刃」になることを忘れてはいけないだろう。

「自粛=お金を使わない=景気の低迷=復興の妨げになる」と言う図式も考えておく必要があるのだ。

今年は「お花見は中止」と言う話が多いのだが、単に中止するのではなく「その一部を義捐金に使う」と言う事も考えるべきだろう。

私もここ1ヶ月ほどで「2万円近く」も出費が少なくなっているのだが、その半分は義捐金に回そうと思っている。

全部回せればよいのだが、復興にはかなりの時間がかかるので、残りは折に触れて援助したいと思っているのだが・・・・。

それにしても、支持者を放置?して、あの人はいったいどうしているのだろう?。

メディアも全く話題にしていないのが不思議である。

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