へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

超・大型連休

2015年04月28日 22時51分35秒 | Weblog
またもパソコンがウイルスに感染し、やっと回復。

なので、久々の更新です。


いよいよ明日から「大型連休」が始まるようだが、私の場合は現役を引退しているので、「毎日が日曜日」と言う生活である。

なので、「大型連休」どころの話ではなく、「超」の字を幾つも付けたくなるほどの連休続きである。

で、この連休の終わりは「人生の終わり」の日になる。

仕事で苦労することもなく、リストラの心配もないが、悲しいことに、この超大型連休を堪能できるだけのお金が無い。

若い頃は、年金などに頼らずに生活できると思っていたが、「予定は未定にして・・・・」と言うように、想定とは大幅に違ってしまった。

なので、今は年金が頼りの生活である。

しかし・・・・。

国民年金が15年で、厚生年金が25年である。

その上、十指に余る程の会社を渡り歩いているので、対象となる厚生年金の額も少ない。

生活保護よりはましな程度のレベルで、持ち家でなければかなり大変なことになっていたかも。

その持ち家も、31歳で建てたので、早やいもので、建ててから41年にもなる。

この頃はマンションが人気になり始めた頃だが、マナションを選んでいたらどうなっていたか。

一戸建ての持ち家であれば「騙し騙し」でも住み続けられるが、マンションではそうも行かない。

同じ頃に建てられたマンション。

老朽化して建替えられているか、「スラム化」していて、まともに住む事も出来なくなっている。

と言うことで、一戸建てを選んだのは、正解だったかも。

ローンが嫌で賃貸を選んだ人もいるが、高齢化すると貸してもらえなくなることも・・・・。

賃貸では、私の道楽(花作り)も十分には楽しめない。

欲をかいてもキリがない。

現状で「良し」としなくてはいけないだろう。
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人生とは・・・・

2015年04月06日 22時13分41秒 | Weblog
「冒険旅行のようなもの」と言う人もいれば、「博打(賭け)」と同じだと言う人もいる。

「筋書きにないドラマ」とも言えるかも。

そして、人生は「毎日が新しい体験」でもある。

が、年を経るにつれ、「新しい体験」だと言う感覚が薄れてしまう。

そう、長年の積み重ねにより、数多くの体験をしているので、「新しい体験」という感覚が消えてしまうのだ。

が・・・・。

いくらその感覚が薄れたとしても、昨日は昨日であって、今日ではないのだ。

そして・・・・。

明日はまた別の一日になる。

何やらまとまりのない文章になったが、またパソコンの調子が悪くなっていて、反応が非常に遅いため、いざ記事を書こうと思っても、新規投稿欄にたどり着く頃にはその気が失せている。

が、ここはまだ良い方。

アメーバはどうしょうもないほど遅い。



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趣味と道楽

2015年04月02日 03時17分43秒 | Weblog
どちらも同じ意味だと思う人が多いと思うが、私の個人的な考えでは、少々違いがあると思う。

ということで、これから書く事の内容に関しては、学術的な根拠も裏付けもないのだが・・・・。

さて肝心な「趣味と道楽」の違いだが、昔は「道楽」という言葉が主に使われていたと思うが、最近はあまり使われない。

なので、時代の変化で言葉が変わった可能性もあるだろう。


趣味は「趣を味わう」と書き、道楽は「その道を楽しむ」と書く。


どちらも同じだとも思えるが・・・・。

が、私はそうは思わない。


で、私の見方(考え方)としては、趣味は「庶民」を対象にした言葉で、「道楽」は裕福な人間の趣味を表す言葉とも言えるのでは?。

更に、こんな考え方もできると思う。


「趣味が高じたものが道楽」だとも。



なので、私が好きな「花作り」も、以前は「趣味」と言っていたが、最近は「道楽」と言うことが多くなっている。


ある程度の心の余裕がないと、何事も楽しむことはできないと思うのだが・・・・。


そう、かつての私には、趣味を楽しむだけの心の余裕がなかったのだ。

長い年月の積み重ねによって、ようやく「悟りの境地」に到達したのかも。



ウイスキーやワインと同じで、熟成には時間がかかるのです。
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模範解答

2015年04月01日 23時19分21秒 | Weblog
「模範解答」とは一体何なのか?。

辞書で調べると、「模」は木の器(形)で、「範」は竹の器(形)の事を言うとか。

こに場合の「器(形)」は、「鋳型」を意味すると思えば良い。

と言うことで、「模範解答」は、「出題した人の意に沿った(希望通りの)解答」と言うことになる。

時折話題になる「氷が解けたら何になる?」という問題の解答も、模範解答は「水」なので、「春になる」と書くと「×」になってしまう。

が、「春になる」も解答の一つである。

「エッ?!」と思う人もいるかもしれないが、現実の世界では「複数の解答がある」と言う場合の方が多いのではないだろうか。

独裁的な権力者が、「イエスマン」ばかりを側近にするのも、このことが原因するのだろう。


今の安倍政権など、その典型ではないだろうか。
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夢屋さんのコメントに対する話

2015年04月01日 03時27分07秒 | Weblog
物理の試験で120点を頂いたのは、おっしゃるとおりで、ある意味「独創性」が評価された結果です。

1問20点の問題が5問で100点。

3問は公式を使ってすぐに解けたのだが、残りの2問は公式がどうしても思い出せない。

ところでこの学校の試験。

試験の時間は1時間だが、30分を経過すると、たとえ問題ができていなくても、本人の意思で教室を出ることができる。

が、滅多にそのようなことは起きないのだが・・・・。

が、その時は20分くらいで3問を解き終え、あとは何気なく時間が経つのを待っていたが・・・・。

そのような中で、ふとあることに気がつく。

それは、「公式を使わなくても解けるかも」と気がついたのである。

そして・・・・。

1問はなんとか解き終え、残りの1問にも取り掛かったが、半分解いたところで時間切れ。

で、この物理の先生だが、問題を解き終えていなくても、その内容に応じて点をくれる。

逆に、答えが合っていても、途中に間違いがあると減点に。

と言うことで、本来は「90点」くらいなのだが、「公式を使わないで問題を解いた」と言うことが大きく評価され、普通ではありえない「120点」と言うことに。

中1から高3まで物理を教える先生で、すべての教室でこの話をしているため、上級生が何人も俺を見に来たものだよ。



また、「110点」と言うのもある。

正しくは「0点」なのだが、0の下に横棒を2本引くので、それを90度向きを変えると「110点」になるだけの話だがね。



また、生物の試験で「100点」を取った時も、その先生自ら「俺の試験で初めて100点をつけた」と言っている。

生徒の間でも「あの先生の試験は98点以上は取れない」と言われていて、「98点が満点だ」と言われていた。

何しろ、問題を作った先生自身が「俺でも満点は無理だ」と言っているのだから。

それではなぜ100になったのだろうか。

それは、試験の問題が「現在の地球に存在しないある植物の、存在しない理由を説明せよ」という設問に対し、私の回答が予想外の内容で、尚且つ「新たな可能性の証明(追加)」のヒントでもあったのだ。

はっきり言って、「○×式」の問題はほとんどなく、「二者択一」的な問題も少ない。

要するに「自分の頭で考えろ」という問題が大半なのだよ。

あと、授業中に習ったことがそのまま出ることも少なく、殆どは「応用問題」だったのだよ。


正直な話、物理と生物の先生の授業は、ほかの学校とは違う、かなりユニークな教え方だっただろうね。

多くの生徒は嫌がっていたが、俺にはピッタリの授業だったよ。
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