へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

北欧に学ぶ

2008年08月28日 03時56分36秒 | Weblog
昨夜のブログの続きであるが、日本人の多くは「北欧の国々は高福祉国家」と言う部分しか見ていないようで、「高負担」と言うことが忘れられているように感じてならないのだが・・・・。
そのためだろうか、「納税」と言うことに過剰な反応を示すように思えるのだが、別な言い方をすれば、「政府を信用していない」と言う言い方も出来るのだろうが、その政府(実際には国会議員だが)を選んだのは「どこの誰?」と言いたくなる。
自分たちが選んだ議員によって政治が成り立っていると言うのに、「その結果に文句を言う」と言うことは、「天に唾をする」と言う事と同じではないだろうか?・・・・。


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消費税(付加価値税という国もあるが)25% 「納税は貯金」と言う考え方

2008年08月27日 20時38分23秒 | Weblog
いったい誰がこの様なことを考えるのだろう?。
実は、北欧の国「スウェーデン」の人たちの考え方だそうである(私も賛成なのだが)。
今朝の朝日新聞の8ページと9ページに書かれていた「国際面」の「北欧に学ぶ」と言う記事の中に書かれている言葉である。
日本では、国税を「酷税」などと揶揄するように、「税金は取られるもの」と言う感覚で捕らえる人が大半なのだが、スウェーデンの人たちは「貯金」と考えている。
日本人の考え方からすると、スウェーデンの人たちの考え方は「異次元の話」「とてもじゃないが理解できない」と言うことになってしまうだろう。
国民の負担率(租税負担と社会保障負担を合計したもの)も、日本は40.1%に対して、スウェーデンは70.7%で、デンマークにいたっては「73.7%」もの高い負担率になっていると言う。
このことをある人に話したところ「そんなに取られたら生きてゆけないじゃない・・・・」と言うのであるが、それでは「北欧の国の人たち」はどのように暮らしているのだろうか?。
かなり前の話になるが、テニスの有名な選手が「あまりにも多額の税負担」に絶えかねて、「税金の安い国に移住」と言うこともあったが、多くの国民にとっては「暮らしやすい国」と捉えられているようである。
「取られると考える」か、「貯金と考える」かは、根本的に「発想」のちがいから出てくるのだろう。
「根本的な発想の違い」とは、過去に何回も書いているのだが、国や地方自治体の組む予算は「すべて税金でまかなわれる」と言うことが「念頭に置かれているか、いないか」の違いだと思うのだが・・・・。
ここで比較のためにアメリカのことを書いてみるが、ハッキリ言うと「日本はアメリカに近い」と言うべきではないだろうか?。
国民負担率は、34.5%(日本は40.1%)、消費税(小売り売上税と言って、州ごとに違うらしいのだが、ニューヨーク市の場合で)8.375%と、日本より高い。
「日本より高い」とは言っても、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの25%、フィンランド22%、ドイツ19%、イギリス17.5%など、ヨーロッパ諸国と比べればはるかに低いだろう。
ヨーロッパ諸国は「税金は沢山取るが、後の面倒も見る」と言うのに対して、アメリカの場合は「税金は少ないが、後の面倒は自分で見ろ」と言う「自己責任の社会」と言う言い方も出来るだろう。
日本がアメリカに近い形になったのも、「黒船以来」アメリカとのつながりが強く、何事においても「アメリカが手本」と言うことが根本的な要因になっているだろう。
アメリカ型とヨーロッパ型を比較した場合、「どちらが良いか?」と言うことになるのだが、少し発想を変えて考えると、「現金で払うか、クレジット(ローン)で払うか」と言う事と似ていないだろうか?。
現金で先に支払ってしまえば、「余分な買い物は出来ないが、後で支払いに苦労もしない」と言うことになるが、クレジット(ローン)など「後払い」の場合は、とかく「余分な買い物をして、後の請求に苦労する」と言うことになりがちで、「納税は貯金」と言うほうが「合理的」だと思うのだが・・・・。
国の歴史や文化や、「国を取り巻く社会環境」と言う問題もあるので、簡単に導入することは困難なのだが、そろそろ「発想を転換する必要がある」と言う時代になっているように感じるのだが・・・・。
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テレビが壊れてしまった

2008年08月27日 03時02分42秒 | Weblog
10年と4ヶ月22日使ったテレビなので寿命がきたのだろうか?。
今更「修理する」と言っても、部品があるかどうかわからないばかりか「修理するより買ったほうが安い」と言うことも考えられえるのだ。
地デジの問題もあるので、来年くらいには「買い換えようかな?・・・・」と思ってはいたのだが、大幅に予定が狂ってしまった。
ビデオ付20型ブラウン管なので、同じタイプのテレビであれば2万円台でも売っているのだが、どうしたものかと迷っている。
それほどテレビに依存してはいないので、とりあえずはテレビが無くてもそれほど不自由はしないのだが、「これから先、ずっと」と言うことになるといささか困るので、買わないわけにはいかないのだが・・・・。
ブラウン管テレビでは、スペースの関係で20型までしか置けないのだが、薄型のテレビであれば32型くらいまでは置けるのだが、財布と相談しなくてはいけない。
ビデオ内蔵型だったので、ビデオについても考えなくてはいけないのも悩みの種である。
正直な話「お金が無いわけではない」のだが・・・・、私の主義としては「今あるお金には出来る限り手をつけない」と言うことなので、このようなケースは極めて稀な事である。
もともと、「ほしい物は、改めてその分を貯めてから買う」と言うことでヤリクリしてきたもので、現在では、7年乗った今の車を、5・6年後(12・3年乗ることになる)に買い換えるために、「月16万チョットの年金の中から、年間で最低30万残す」と言う計画を実行しているのである。
当然、テレビの分も予定に入ってはいるのだが、少し計画より早くなってしまった。
メーカーを問わなければ、32型の液晶テレビが10万以下でも売っているのだが、見栄を張らなければ、ブラウン管テレビという手もないわけではない。
20型のビデオ内蔵型、「29,800円」はかなり魅力的ではあるのだが・・・・。
1ヶ月ほど前の広告に「26型液晶テレビ、79,800円」と言うのがあったが、このあたりが妥当なところか・・・・(売っていれば、の話だが)。

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オリンピックが終わって思うこと

2008年08月26日 03時20分36秒 | Weblog
金メダルを期待された「星野ジャパン」に対する風当たりが強いようであるが、仮の話ではあるが、メダルを取ったとして「そのメダルにどれほどの価値があるのだろうか?」と言う気がしてならない。
「金メダルは金メダルだ」といってしまえばそれまでだが、水泳の北島康介選手のように「世界新で金メダル」と言うのであればわかるのだが、アメリカチームのように、プロの主力選手がいないような状態では「鬼の居ぬ間の洗濯」と同じではないだろうか・・・・。
一方、陸上400メートルリレーの銅メダルに関しては、「運も味方した」という言い方もあるが、「バトン渡しも重要な要素」である以上、運だけとも言えないと思うのだが・・・・。
サッカーにおいても、個人個人の能力で劣る日本が戦うためには、「チームプレー」が必要なのにもかかわらず、野球にも同じことが言えるのだが、「チームとして練習する時間が足りない」という決定的な問題を抱えている。
その上「オリンピックで活躍するより、所属するチームで活躍するほうがお金になる」という話を聞いたこともあるのだが、所属チームとしても「主力選手が抜けたために試合に負ける」ということは重大な問題だろう。
更に、メダルを期待するほうは「メダルが取れれば大喜びだが、メダルを逃すと・・・・・・」という状態では、選手がかわいそうではないか・・・・。
かつては「金メダルを取れなかったために自殺をした選手も居る」くらい大変なことを理解するべきだと思うのだが・・・・。
いい加減で「結果論でものを言う」のはやめたいものであるとともに、試合中にアレコレ言うのもやめたいものである、、縁台将棋と同じ事で「周りで見ている人の方が良くわかる」のと同じで、試合をしている本人たちは一生懸命頑張っているのだから。
「オリンピックは参加することに意義がある」などという言葉は、はるか昔に「死語」になってしまった。
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リサイクルの問題点

2008年08月24日 04時12分53秒 | Weblog
過去においては、家庭から排出されるゴミのほとんどは、「埋め立てるか、焼却する」と言うことが当たり前のようであったが、埋立地の確保が難しくなり、焼却することに対する風当たりも強くなってきたことなどから、「分別収集」という手法がとられるようになって来たのだが、分別収集された後のことを考えたことがあるだろうか。
実は、「分別収集してリサイクルに回す」と言うことが、「想像以上にコストがかかる」と言うことに気がついていないのである。
今年になって問題になった、「再生紙の古紙混入率偽装」などが良い例なのだが、再生紙の問題ばかりでなく、「再生資源を使うより、新しい材料を使ったほうが手間もかからず安上がり」と言うことが意外に多いのである。
「リサイクル」「再生品」と言うと、どうしても悪いイメージがあるために、販売価格をある程度以上低く設定しなければ需要が見込めず、益々採算が取りにくくなってしまう。
そして、国際的な資源高騰により回収資源の価格も上昇したため、中国市場に新聞紙やペットボトルなどが流出していることも「再生をしている企業」にダメージを与えている。
「再生をしている企業がダメージを受けて倒産」と言うことになれば、「中国への輸送ルートがある地域」以外では、「引き取り手がない」と言うことになってしまう。
引き取り手がなくなったらどのようなことになるのか・・・・。
「資源を大切にする」と言う意味でリサイクルが進められてはいるのだが、「リサイクルをする」と言うより、「ゴミを出さない」と言うほうが効果的なのだが、「ゴミを出さない」と言う考え方は、「資源を守る」と言う意味では非常に有効な手段なのだが、それはそれで「新たに別な問題が発生する」と言う問題を抱えている。
「景気はお金の流通量で決まる」と言うことが言われているが、一般的には「ゴミは価値のないもの」と思われているようだが、考え方を変えてみると「ゴミ=お金」と言うことも出来るだろう。
つまり、「ゴミが減る」と言うことは「お金の流通量も減る」と言うことで、お金の流通量が減れば、当然の結果として「景気が悪くなる」と言うことになるのである。
まさか・・・・、と思う人もいるだろうが、「レジ袋の削減」を例に考えてみればわかると思う。
わかりやすくするために多少極端な表現になるが、仮の話「レジ袋の使用量が半分になった」とすると、レジ袋を作っている会社は、生産が減った分の「設備と人員が余る」と言うことになり、人員整理(リストラ)が必要になってしまう。
人員整理された人(失業者)が増えると言うことは、「景気の足を引っ張る」と言うことになり、必然的に「景気が悪くなる」と言うことになるのである。
多くの国民が「景気回復」を望んでいるのだが、「もはや景気回復を望む時代は終わった」と私は考えている。
国政の場でも、与党野党ともに「景気回復」と言うことを前面に出して有権者の気を引こうとしているのだが、その裏に隠れた問題にはほとんど触れられていない。
まるで「薬の効能書き」と同じで、良いことばかりが強調されて、「副作用」にはほとんど触れられていない。
過去に起きた「数々の薬害事件」と同じように、問題が起きてからでは手遅れなのだが・・・・。
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再びレジ袋について

2008年08月22日 04時38分37秒 | Weblog
一時期言われていた「レジ袋削減」と言うことも、最近はあまり聞かなくなってしまったのだが、果たしてどれくらい浸透したのであろうか?。
東京などでは多少は浸透したのかもしれないが、私が住んでいる埼玉県西北部で見る限り「ほとんど浸透していない」といってよい状態で、マイバックを持つ人など極わずかしか見かけない(私も店によって、使ったり使わなかったり、であるが)。
資源の節約と言う意味で「レジ袋削減」と言うことが言われているのだが、以前にも書いているのだが、「レジ袋の削減による効果」と言うものを、改めて別の角度から考えてみたい。
私は一人で暮らしているので買い物には良く行くのだが、売り場にある商品を見ていつも感じることがある。
それは、レジ袋より、ペットボトル、生鮮食品のトレーやパック、ゼリー・プリン・ヨーグルトなどの容器、・・・・といった包装資材の削減のほうが重要だと言うことである。
最近では、三菱化成工場の火災による原料不足から、「指定のゴミ袋」が不足したため、特大のレジ袋などはゴミ袋に流用できるようになったのだが、包装資材はほとんど流用がきかない。
更に悪い話がある。
「回収されたペットボトルの多くが焼却されている」というのである。
その他にも、せっかく分別収集されたプラスチック類も、一部は再生処理されて燃料として利用されているのだが、多くは「引き取り手がない」と言う理由で焼却処分されているというのである。
改めて考えてみると、レジ袋の中には「レジ袋の数倍の石油資源」が入っているのである。
更に、原油高騰が新たな問題も発生させている。
原油高騰のあおりを受けて、回収されたペットボトルの一部が中国などに輸出されていると言うが、再利用という観点から見れば良いことなのだが、輸送のために無駄なエネルギーが消費されるのである。
「輸送のためのエネルギー」と言うことになると、日本の「フードマイレージ」も問題にしなくてはいけないだろう。
「自給率39%」と言う数字からわかるように、「大量の食糧を輸入しなくてはいけない」と言うことで、日本は「世界一のフードマイレージ大国」と言うことになってしまう。
考え方を変えると、2万キロ近くも離れた国から輸入された魚などの食料品は、「石油を食べている」と言う言い方も出来るのではないだろうか・・・・。
更に(少々くどい?)、「省エネ電化製品」にも気をつけなくてはいけないだろう。
「新しい製品に買い換えたほうが省エネになる」と宣伝されているようなのだが、「条件によってはほとんど変わらない」と言う場合もあるから注意が必要である。
我が家で実際に起きた話であるが、4年前に、16年間使った冷蔵庫が故障したので買い換えたのだが、友人の話によると「電気代が少なくなって、数年で元が取れる」と言う話で期待していたのだが、いざ使ってみると「ほとんど変わらない」と言うのが実情で、「扉の開け閉めが多い家は省エネになるが、開け閉めが少ない家ではほとんど変わらない」と言うのが実態のようである。
「メーカーの宣伝文句」や「風評」などに惑わされると、思わぬ損失をこうむることもあるから気をつけないといけないだろう。
「軽は燃費が良い」というのも、最近は当てはまらないケースが増えているようで、私の車のように「1500CCで17キロ」と、「軽以上?」と言う車もあるが、運転する人が変わると15キロ以下になるので「運転の仕方にもよる」と言うことになってしまう。
比較的新しい型の車の中には、「燃費の良さ」を売りにしている割には「実際の燃費は悪い」と言う車も結構あるようで、気をつけなくてはいけないようである。
こうして考えて見ると、「レジ袋の削減」など、「ほんの微々たる効果しかない」と言うことがわかるであろう。
もっと「抜本的な対策」が必要だと思うのだが・・・・。
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産科医に無罪判決

2008年08月20日 21時39分44秒 | Weblog
何か複雑な心境である。
昔は医療事故の訴訟などと言うことはほとんどなかったように記憶するのだが、最近はチョッとしたことでも訴訟になるケースが増えているようだが、この事について個人感情を出来る限り排除して考えてみたい。
交通事故などの事故で命が奪われたケースなどでは、億単位の損害賠償が請求されることが多いように、命の値段はかなり高額なものになるのだが、その一方で、その命を救うために働く「医療従事者」に対する報酬は年々少なくなっている。
過去においては「医者は儲かる仕事」と言われていたのだが、最近では、「報酬の割りに仕事がきつく、万一事故でも起こせば一生を棒に振る」と言われるように「割に合わない仕事」になってしまったように感じる。
昨年ある病院の看護婦さんから聞いた話なのだが、その病院のある外科医が「ノイローゼになってやめてしまった」と言う話を思い出した。
なぜノイローゼになったのかと言うと、原因は「医療ミスによる訴訟が心配」と言うことにあったのだそうである。
看護婦さんの話によると、手術中には「予期せぬ事態」や「2つ・3つと問題が同時におきる」と言ったことはけして珍しいことではなく、「とっさの判断」と言うものが要求されると言う。
「とっさの判断」である以上、ゆっくり考える余裕などあるはずがなく、後で考えると「ああして置けばよかった」「あれで良かったのか?」などと言うことになり、そのことが原因で「手術の前夜は眠れない」と言うことになってしまい、「睡眠不足の状態で手術をする」と言うことに耐えられなくなってしまったのだそうである。
人間は、手術と言うことに限らず、「極度の緊張状態」を一体どれくらい持続できるものであろうか?。
答えは「その人によって違う」としか言いようがなく、「医者なら長時間維持するべきだ」と言う人もいるだろうが、「そんなことを言ったら医者がいなくなってしまう」と言うことになるのではないだろうか・・・・。
医者がいなくなってしまえば「助かる命も助けられない」と言う「本末転倒」の状態になってしまい、「救急患者の受け入れ先が見つからない」と言うのもその一つの表れと言ってよいだろう。
「悪意や故意」によるものは当然裁かれるべきだが、「ヒューマンエラー」まで問題になる状態は、少し「異常」だと思うのだが・・・・。
さて、この「ヒュウマンエラー」についてだが、すべてを「エラー」として考えるのは「少々問題があるのではないか」と思うのだが・・・・。
これも大分前に聞いた歯医者の先生の話なのだが、「同じ治療をしても、人によっては上手く行かない場合もある」と言う「個人差」があるからである。
私などは傷の直りが早いせいか、「抜歯後2・3週間で型が取れる」のだが、人によっては、3ヶ月どころか「半年経たないと型が取れない」と言う人もおり、抜歯の時の出血も、私のように「少ない」と言う人から「多くてなかなか止まらない」と言う人までさまざまだと言い、「治療をしてみないとわからない」というのが実情のようである。
不幸にして、亡くなられた本人や残された遺族の心情もわからなくはないのだが、「医療訴訟の増加」が、「医療現場の荒廃」を招くことがないようにしないと、「必要なときに必要な医療が受けられない」と言うことになっては「元も子もない」と言うことになってしまう。
後になってあれこれ批判することは簡単なことだが、最も重要なことは「その時の医者がどの様な状態(精神・身体)におかれていたのか」ということを考えることだと思うのだが・・・・。
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訪問者数は54なのに、閲覧数は1788

2008年08月16日 03時23分16秒 | Weblog
一人平均33回も閲覧してくれたようであるが、何かの間違いでなければよいのだが・・・・。
過去の例から行けば「一桁違う」と言った感じである。
どなたか新しい方が、過去の分までさかのぼって読んでくださったのかもしれないが、それはそれでうれしいことではあるが、欲を言うなら「コメント(反応)をいただければ」と言うのが本音である。
「コメント(反応)がない」と言うことは、ともすれば「一人相撲」になりがちで、最近のように暑い日が続くと「書く意欲」も失せがちになってしまう。
66年も人間をやってきたので、若い人に比べれば多少は人生経験に差があるので、多少でもお役に立てればと思っている。
昔は、私のような年寄りが沢山いて、若い人の相談相手になっていたのだが、最近はめっきり少なくなってしまった。
「自分さえよけりゃいい」と言う考え方が、年寄りの世界にも蔓延しているようで困ったものである。
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政治に関心がない

2008年08月15日 22時47分38秒 | Weblog
人によっては「とんでもない!」と言う人もいるだろうが、一概に決め付けることはできないと思うのだが・・・・。
「政治に関心を持つ」と言うこと自体は重要なことではあるだろうが、問題は、その「関心の持ち方」にあると思う。
広く世界に目を向けた「長期的展望」と言うことを基本に関心を持つのであればよいのだが、「私利私欲」にとらわれて関心を持つのは困ったものであるが、私自身は、「政治に関心はあるが、期待はしない」と言う考え方である。
所詮「どの党が政権を取ろうが、大同小異」だと思っているのだが・・・・。
福田内閣が補正予算を組むにあたって「赤字国債の増発もやむ終えない」と言う趣旨の発言をしている人がいるのだが、この発言が出ると言うことは「私利私欲に駆られた有権者が多い」と言うことになるのではないだろうか・・・・。
民主党をはじめとする野党の政策は、まさに「この部分をついている」と言うことになるので、自民・公明の「連立与党」とすれば「目には目を、歯には歯を」と言うことになってしまうのだろうが、その「ツケ」は一体誰が払うのであろうか・・・・。
何時までも赤字国債(借金)を増発することなど出来る相談ではなく、これ以上増発すれば、「経済大国」ならぬ「借金大国」と言うことにもなりかねない。
「借金大国」にならないようにするためには、「増税」または「行政サービスの削減」、あるいは「両者の併用」と言う方法しかないだろう。
「景気の停滞」と言うより、「悪化」と言った方がよい局面は、日本だけに限った問題ではなく、「多くの国が抱えた共通の問題」である以上、「根本的な解決策はない」と考えるべきだと思うのだが・・・・。
悪あがきをすると、「益々泥沼に嵌まり込む」と言うことにしかならないだろう。
政治に関心を持たず、「自分の身は自分で守る」と言う方が賢い生き方かもしれないのだが・・・・。
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補正予算

2008年08月15日 03時38分33秒 | Weblog
福田内閣が「補正予算」を組もうとしているのだが、一体何のための補正予算なのだろうか・・・・。
色々と言われているようだが、突き詰めて言えば「選挙対策用」と言う事に成るのだが、「選挙対策」、と簡単に言うが、その財源は一体何処から捻出すると言うのだろうか?。
タダでさえ「財源不足」が問題になっている現状の中で、補正予算を組んで「新たな支出をする」と言うことは、「新たな借金を作る」、つまり、「赤字国債を増発する」と言う事になり、「財政の健全化」と言う理念とは正反対のことをしようとしているのである。
選挙対策用に補正予算を組めば「財政の悪化」と言う問題が起きるのだが、現状では、選挙対策に力を入れなければ「次の選挙で民主党に政権の座を奪われかねない」と言う、言わば「前門のトラ、後門のオオカミ」と言う事態に追い込まれているのである。
原油の高騰などに端を発した「給料は上がらずに、物価だけが上がる」と言う問題に悩まされている消費者にとって、民主党の主張する政策は「非常に魅力的」に見えるのだろうが、その魅力的な政策(エサ)には「針」が隠されていることに気が付く必要がある。
最終的には、「針にひっかかって痛い思いをする」のは、国民の側なのだが、しかしながら、非常に悲しい事ではあるが、一部には、その事に気が付いていながら「ツケを払うのは俺ではない(ツケが回るのは次の世代だと言う事)」と言う輩もいるのである。
「俺には子供なんていないから関係ない」と言うのである。
「自分さえ良ければいい」と言う考えの人が増えているように感じるのだが・・・・。
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