へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ある「面白い?」話

2009年01月30日 04時09分36秒 | Weblog
近所のあるお年寄りが「景気をよくするために、お金を沢山印刷してみんなに配ればいいのに」と言っていたのだが、チョット見には「非常に良いアイデア」のように見えるのだが、現実の話としてそのようなことが出来るのであろうか?。
やろうと思えば出来ないこともないのだが、そんな事をすれば「日本の国際的信用がなくなる」と言う結果を招くだけであり、とても出来る相談ではない。
その人は「何時支給されるかもわからない定額給付金」を当てにして買い物をしてしまい、「早く支給してくれ!」と言っているのであるが、この人が言っている「お金」とは「日本銀行券」のことで、厳しい管理の下で発行され、「日本国内でのみ通用(一部旅行者などが国外に持ち出すことは可能ではあるが、金額に制限がある)する」と言うことは意外に知らない人が多いようである。
戦後しばらくの間は、今のドルような「国際通貨」と言うものがなく、貿易などでは「金本位制」と言う制度で決済をしていたのであるが、「金本位制」とは、「金は偽造も乱造も出来ず、世界中で通用する」と言う特性を利用したもので、当時はドルといえども国際的な信用はなかったのであるが、徐々に信用力が上がり「国際通貨」になったのであるが、それは「厳しい管理をした結果」だと言うことではないだろうか?。
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麻生総理が消費税の引き上げにこだわるわけ

2009年01月29日 02時47分45秒 | Weblog
麻生総理が強硬に「3年後に消費税率の引き上げ」と言う事にこだわっているのだが、民主党やその他の野党ばかりでなく「身内である与党」からも批判されながらもこだわり続ける姿勢に私は拍手を送りたい。
「拍手を送る?」と思う人が殆どだろうと思うのだが、ここで冷静に考えてもらいたいのだが、「消費税引き上げ」と言う課題は「選挙対策上非常に不利になる」にもかかわらず取り下げようとしないのは、「そこまでしなければ財政は危機的状態(破綻)に陥る」と言うことを危惧しているのである。
別な角度から見ると、消費税引き上げに反対する人たちは「選挙に当選することだけしか考えておらず、その先のことなどどうでも良い(その時になったら考えればいいだろう)」と言う気楽な考えなのではないだろうか?。
言い方を変えるなら「日本の将来より目先の選挙に勝つ事のほうが重要」で、「跡は野となれ山となれ」と言ったところなのではないだろうか。
こんなことを繰り返していては「長期的展望にたった政策」など出来る筈はないだろう。
「民意を反映させる」と言うことは一見良い事のように思えるのだが、民意は「自分に都合の良い要求だけをする」と言う問題を抱えているため、民意を大切にし過ぎると「誤った方角に進む」と言う危険性も含んでいる事を忘れてはいけない。
今一番気を付けなければいけないことは、「民主党は政権を奪うために民意を『逆手』にとっている」と言うことで、「財源の裏付けのない政策」で民意を引き寄せようとしているのだが、いざ政権をとってみると「やっぱりだめだった」と言うことになる危険性が非常に高いのだが、、その時一体誰が責任を取ると言うのだろう・・・・。
政治の世界は「海千山千のツワモノ」たちの集まりで、「狐と狸の化かし合い」と言っても良いくらいで、「有権者を騙す?のは朝飯前」なのだから気を付けなくてはいけない。
かなり前の話ではあるが、ある警察の署長と弁護士から聞かされた話に「詐欺は、騙すほうも悪いが、騙されるほうも悪い」言うのがあるが、政治の世界も似たようなもので「うまい話には気を付けろ!」である。
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何時になったら景気は回復するのか?

2009年01月26日 04時25分50秒 | Weblog
昼間ある人と話していて「一体何時になったら景気が回復するんだ!、早く景気を良くして貰わないと生活してゆけない!」と言う話を聞かされたのだが、一瞬返答に困ってしまった。
確かに生活が苦しくなってはいるのだが、日本だけの問題であれば多少なりとも打つ手はあるのかもしれないが、[外需頼み」の日本経済を考えれば、 「世界規模の不況」と言う現状では、新たな「負の連鎖反応」による更なる景気悪化の可能性も考える必要があるだろう。
例えるなら「無理(サブプライムローンなど)を重ねたために体を壊し、肺炎(金融危機)になった」のと同じ事で、現状では「肺炎の進行を何とか食い止めようと躍起になっている」と言ったところで、油断をすれば更に肺炎を悪化させ「命にかかわる」と言った状態にならないとも限らない。
少し前まで「派遣切り」などが問題になっていたが、今では「正社員を減らす」と言う企業まで現れ始めているのだからこの先何が起きるやら、騒ぎが落ち着くまでまだしばらくかかるのではないだろうか?。
アメリカではオバマ新大統領の誕生に沸いているようだが、ケネディー大統領誕生時に次ぐ高い支持率にもかかわらず「株価の下落」と言う予想外の問題が起きている。
この事が意味するものは「一般市民はオバマ新大統領の誕生に期待しているが、投資家たちは期待していない(もう一段底があるだろう)」と言うことではないだろうか?。
21日に「新たな責任の時代」と言うタイトルで書いた記事の中に私の感じたことを書いているのだが、投資家たちも同じようなことを考えたのではないだろうか?。
これはあくまでも私の独断と偏見ではあるが、オバマ新大統領の高い支持率も何時まで持つことやら、麻生総理ほどではないだろうが「右肩下がり」になるのは間違いないのでは?。
過度の期待は後でがっかりするだけだと思うのだが・・・・。
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「他力本願」

2009年01月21日 17時34分55秒 | Weblog
本当は前の記事の中に含めたかったのだが、強調する意味も含めて、敢えて別に書くことにしたのであるが・・・・。
「他力本願」とは、「①阿弥陀仏の本願。また、衆生がそれに頼って成仏を願うこと。②転じて、もっぱら他人の力をあてにすること。」と、辞書にはあるが、今の日本人にはかなりの割合で「他力本願」を望んでいる人が多いのではないだろうか?。
「アメリカの新大統領誕生で景気が良くなるのでは?」とか、「民主党が政権を取れば・・・・」などと言う考えは、まさに「他力本願」の見本のようなものであろう。
「あれをしろ、これもしろ、でも消費税を上げるのは反対!」と言うのは、他力本願ではなく「自分勝手(利己主義)」以外の何物でもないだろう。
「新たな責任の時代」は、日本にこそ必要な言葉だと思うのだが・・・・。
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「新たな責任の時代」

2009年01月21日 17時12分54秒 | Weblog
オバマ氏のアメリカ大統領就任演説の主な意見あいとして夕刊一面に大きく書かれているのだが、「新たな責任」とは一体何なのであろうか?。
テレビ中継の同時通訳を聞いていて私が感じたことは、オバマ氏自身が「自分一人の力では何も出来ない、国民の自己責任と協力がなければ無理だ!」と言う事を言いたかった様に思うのだが。
「自己責任と協力」、今の日本に一番欠けていることではないだろうか?。
日本とアメリカでは選挙制度そのものが違うので一概には比較できないのだが、「一年で総理(大統領)が変わる」と言うことは考え難く、尚且つ「自己責任」と言うことに対してもかなり理解されているように思うのだが・・・・。
日本で民主主義と言うと「多数決」と言う言葉が帰ってくることが多いようなのだが、アメリカでは「相手の話を良く聞くことだ!」と言うそうである。
「相手の話を良く聞く」、これも日本人には苦手なことだろう。
「自分の意見を主張する」と言うことは重要なことではあるが、日本人の場合は「自分の意見を主張するより、相手の意見を攻撃する」と言うことの方が多いように思えてならないのだが・・・・。
相手の話を良く聞けば自分の話も聞いてもらえるだろうが、「相手の意見を攻撃する」と言うことをすれば当然の結果、「相手も自己防衛をするか反撃をする」と言うことになり、中東の「パレスチナ問題」と同じようなことになってしまうのである。
自民・民主が激しくぶつかり合う中で、「公明党の動き」と言うものも大きな問題の火種になっているだろう。
公明党の場合、表向きは「政教分離」などと言っているが、「支持母体は創価学会」であることは如何ともし難く、「創価学会の信者の顔色を伺う」と言うことは避けて通れない問題で、「政権与党の一部」ではあるが、「信者が嫌がるような政策」には「総理の足を引っ張る」と言うこともするのである。
このように考えてゆくと、「日本の将来」と言うものに期待が持てなくなってしまうのだが・・・・。
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人間は本当に優れた能(脳)力を持っているのだろうか?

2009年01月19日 02時52分02秒 | Weblog
実はこの記事、昨日投稿するはずであったのだが、ちょっとした手違いから「草稿」のままにしてあったものです。

一昨日深夜のNHKのテレビで「サンク・コスト(埋没費用)」についての放送をしていたので、更にネットでも調べていて気が付いたことではあるが、現在の景気悪化やそれに伴う失業問題などにある経済学者?がブログに書いているのを見つけて読んでみたのであるが、このブログの記事とコメントの中には「○○が悪いから」とか、「××がこうしなかったから」とか、誰かを悪者にしたり非難するような書き方をしたものが非常に多いのだが、果たして本当にそうなのであろうか?。
確かにそういう一面も無いとは言えないのだが、テレビ、新聞、インターネットなど、様々なところで様々な意見が噴出している事を考えるに、人間が本当に優れた能力を持っているのであればこんなことにはならないと思うのだが、私から見ると「人間の脳が発達したことにより発生した問題」ではないかと思うのだが・・・・。
なまじ脳が発達してしまったために「人間は自然界とは違う存在である」と考えるようになってしまったようで、現実は「人間も自然界の一員」であることに変わりないことを忘れてしまったようである。
自然界の一員である以上、「自然の摂理に従う」と言うのが常道なのだろうが、なまじ脳が発達してしまったばかりに、中途半端な知恵を使って「問題を解決しよう」として、「自然に逆らう」と言うことをしてしまうのである。
自然界であれば「ある種だけが増え続ければ、やがては餌(養分)不足になって数が減る」と言うことで調和を保っているのだが、人間の場合は「知恵を働かせて問題を解決する」と言う手段で乗り越えようとするのだが、残念なことに「人間の能力には限界がある」と言うことを忘れているようで、「取りあえず目先の問題が解決すればよい」と言うことしか考えが及ばなく、やっと問題を解決したと思ってもその事によって発生する新たな問題にうろたえることになるのである。
今の時代は、まさに「限界を超えた」と言ってよい状態なので、「誰が悪いとか、何が悪いとか言う状態ではない」と思っているのだが・・・・。
現在の景気悪化や雇用不安を根本的に解決する方法など「皆無」と言ってよい状態で、時間をかけて徐々に解決(自然淘汰)してゆくしか方法は無いのではないだろうか・・・・。
「政府が早めに対策を取らなかったからだ」と言う意見も聞かれるのだが、一体どこの誰がこんな事になることを予測出来たであろうか?。
「一寸先は闇」と言うように、「未来を予測することなど誰にも出来ない」のだから、「誰かに責任を押し付ける」などという愚かな事はやめたいものである。
「中途半端な人間の能力が生んだ災」で、「起こるべくして起きた問題」と言うことも出来ると思うのだが・・・・。
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何故政治家は短期的な目でしか見ないのか・・・・

2009年01月18日 18時23分02秒 | Weblog
河原真さんのコメントの返事にも書いているのだが、改めて別な視点から考えて見たいと思う。
私の好きな政治家に「後藤新平」「吉田茂」と言う人がいるのだが、「吉田茂」に関しては、麻生総理のお祖父さんで「バカヤロー解散」でも有名なためご存知の方も多いと思うのだが、「後藤新平」に関してはご存知の方は少ないだろうが、「後藤新平」と言う政治家(元は医者であるが)については、「余りにも長期的展望にたった考え方なので周りの人には理解されにくく、付いたあだ名が『大風呂敷』」なのである。
「余りにも長期的展望」とは、明治時代に「百年後の東京が人口一千万の大都市になるだろう」と予測していたことや、現在の主要新幹線網と殆ど同じものを明治時代に計画(狭軌ではなく現在と同じ広軌で計画するも、軍部の反対で実現できず)したり、関東大震災後の、「僅かにしか自動車が走っおらず、荷馬車や大八車が大手を振って走り回っていた」と言う東京市長(今の都知事と同じ)時代に、「やがては車社会がやってくる」と言うことを予測して東京の再開発を計画していたのであるが、東京市議会(当時は東京都ではなく東京市だった)の猛烈な反対にあって大幅な計画縮小を余儀なくされてしまったのだが、それでも当時としては広すぎる道路の完成に「こんな広い道路を作ってどうするのだ!」と言う抗議に「この道路もいつか狭くなるときが来る」と応えたのだそうであるが、まさにそのとおりになってしまったのであるが・・・・。
さて、簡単に書いたのではあるが、これらの事を冷静に考えて見ればわかるかと思うのだが、「長期的展望に立って考える」と言うことは「理解を得るには非常な困難を伴う」と言うことで、目先の欲得に目がくらんだ有権者相手にはとても無理まことではないだろうか?。
更に困ったことには、人間の心理に「将来の利益より目の前の利益を優先する」と言うものがあることも問題を難しくしている。
ましてや後藤新平のように「50年後、100年後」などと言うことになっては受け入れることは難しいのではないだろうか?。
100年後と言えば、私ばかりでなく若い人でも生きている可能性は殆どなく、50年後だって、若い人でさえ「後期高齢者」になっているだろうから、とても考えが及ばないだろう。
私が若かった頃は「10年一昔」と言われていたものが、現在は「10年1日の如し」などとも言われるように変化が激しいく、半年前までのガソリンの高騰がうそのように、今では半値にまで値下がりをしているのだが、このようなことを何処の誰が予想したであろうか?。
「明日をも知れぬ」と言う言葉はこの場合適切ではないだろうが、「予測不可能」とも言われる現在は、「山で霧に巻かれて方向を見失う(遭難)」と言うのと同じようなものだと思うのだが・・・・。
山で方角を見失ったときの鉄則に「無闇に動くな!」と言う言葉があるが、今の時代にも当てはまるのではないかと思うのだが・・・・。
更に別な考え方をするなら、「世界的不況と言う猛烈な嵐に巻き込まれている」と言う言い方も出来、「じっと嵐が過ぎるのを待つ」しかないのかもしれないが、仮に「嵐が過ぎ去った」としても嵐の規模が大きいだけに、「大きな被害の後かたずけが大変」だと言うことも考慮しなくてはならないだろう。
後藤新平の言葉に「金を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのは上」と言うのがあるそうだが、私も手本にしたいものであるが・・・・。
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「有権者」と言う名の気楽な稼業

2009年01月16日 19時03分47秒 | Weblog
かなり前ではあるが「サラリーマンは気楽な稼業」と言う趣旨の文章を書いたことがあるのだが、「有権者」と言うのはそれ以上に気楽な稼業ではないだろうか?。
「サラリーマン」の場合は、「会社の業績」「本人の勤務内容」などによってその資格を失うことがあるのだが、「有権者」と言う資格は二十歳になれば自動的に与えられ、めったなこと(公職選挙法違反など)以外では失う心配もないのである。
突然こんな話を始めるにはそれなりの理由があるのだが、その理由とは、「百年に一度」とも言われている世界的な不況に対する政府(自民・公明)の対応に、「余りにも自分勝手な批判ばかりする有権者(野党も含むのだが)が多すぎる」からである。
私自身は、いつも書いているように「自民党や公明党を支持するつもりは毛頭無い」のであるが、野党を支持するつもりも毛頭無いのである。
さて、「有権者と言う気楽な稼業」であるが、「政権与党の政策に批判をする」と言うことは、けして悪いことだと言うつもりも無いのだが、「批判をするだけ」と言う「無責任な態度」が気に入らないのである。
「批判するだけ」であれば小学生にでも出来ることで、「選挙権を持った大人のすることではない」と思うのだが・・・・。
良識ある大人であれば「批判をする以上、その結果には責任を持つ」と言うことが必要だと思うのだが、現実には「責任を持とう」などと言う人はごく一部ではないだろうか?。
「権利には義務が付くのは当然の話」なのであるが、現実には「選ぶ権利(選挙権)だけを主張して、その結果には責任を負わずに批判だけをする」と言うことでは「余りにも身勝手」と言うしかないであろうし、「健全な政治」も出来ないと思うのだが・・・・。
私自身は殆ど選挙権を行使しいたことは無いのだが(無いわけではないのだが、投票した人は必ず落選する)、だからと言って政治に無関心なわけではなく「選ぶに値する人がいない」と言うのが実情であるが、棄権する以上「政府には最低限(税金を払っている以上当然の権利だと思うのだが)の期待しかせず、自分の身は自分で守る」と言うことを心がけているのだが、政治批判ばかりする多くの有権者は「500円しか払わずに1000円の料理を要求する」と言うのと同じ事だと思うのだが・・・・。
仮の話ではあるが、「500円で1000円の料理を提供する」と言う店も無いわけではないが、あくまでも「一時的」なことで、毎日のように実施していれば、やがては「赤字(借金)で閉店」と言うことになってしまうのだが、今の日本の財政状態は、まさに「赤字で閉店に追い込まれる寸前の店」と同じ事で、経営者(総理大臣)が変わったとしても状況に変化は出ないのだが、一つだけ違うことがある。
違う部分は「経営者と総理大臣の違い」にあるのだが、「豊かな資本を持った経営者」であれば、その資本で店を立て直すことは出来るのだが(赤字が続けばやがては同じ道をたどる事になってしまうのだが・・・・)。
一方の「総理大臣は?」と言うと、仮の話し、「私財がどれほどあったとしても国家予算に比べれば微々たるもの」でしかなく、もとよりそんなことが許されるはずもない(昔は『代議士になると井戸と塀しか残らない』と言われたこともあるのだが)話で、「消費税のアップ」も仕方の無い話である。
麻生総理の支持率が非常に低いのだが、それでは一体誰が総理になれば支持率が上がると思っているのであろうか・・・・。
悲しいかな、誰が総理になろうと「結果は大同小異」でしかなく、「なるようにしかならない」と同時に、「無い袖は振れない」のである。
民主党や多くの有権者などが主張することは「無い袖を無理に振らせようとする」のと同じ事で、袖(財源)を借りてこなければ無理な話で、益々財政状態を悪くする事に気が付くべきなのだが・・・・。
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自分勝手な話

2009年01月13日 02時14分03秒 | Weblog
お昼前にある人から「○○がお金を貸してくれと言って行くかもしれないから気をつけろ」と言う電話があったのだが、○○と言う男の名前にはまったく覚えがないのだが、夕方現れた男の話を聞いているうちに思い出した。
10以上前に勤めていた会社に派遣会社から派遣されてきた男で、「不況で仕事がなくなりお金がないので貸して欲しい」と言うのだが、私は「ずいぶん虫のいい話だね!」と言って相手にはしなかった。
普通の人の感情からすれば「かわいそうな事を・・・・」と思うだろうが、これには深いわけがあるのだ。
そのわけとは、同じ会社で一緒に働いていたときの話で、彼が働き始めて1年くらいたった頃だと思うのだが、真面目に働き仕事に対する能力も高かったので、会社のほうから「君が望むなら派遣会社に話して正社員として採用するのだが」と言う話が出たのだが、その話を聞いた私が「良かったね!」と言ったところ、「その話は断りました」と彼は言うのである。
「こんなチャンスはめったにないから考え直したほうがいいと思うよ」と繰り返し言う私に対して彼は「正社員になって一つの会社に縛られるのはいやだ、派遣なら仕事に飽きたら直ぐに別な仕事に移れるから派遣のほうが良い」と言うのである。
程なくして彼は他の会社に移っていったのだが、当時の社員名簿を彼は持っていたのである。
初めは必死に泣きついてきた彼も、私が当時の話しを始めると黙って下を向いたまま寂しそうの立ち去っていったのだが、私も何とも言えぬ嫌な気分になってしまった。
正直な話をするならば「少しくらいなら貸しても」と思ったのだが、どうしても個人感情が邪魔をして貸すことが出来なかったのである。
「個人感情?」とは、当時の私は「入社したときの年齢が規定より2ヶ月遅かった」と言う理由で「正社員ではなく準社員」にしかなれず、数年後の企業合併では「合併先に準社員と言う制度がない」と言う理由で、「契約社員」として使ってはもらえたのだが、2年後には「契約の更新は出来ない」といって切り捨てられてしまったのだが、正社員は全員残ることが出来たのである。
彼が正社員に登用する話を素直に受けていればこのような事にならずに済んだのではないかと思うと、どうしても貸す気になれなかったのである。
麻生総理が「本気で働く気が有るのかどうか・・・・」という発言をして物議を醸した事があるが、一部には自ら派遣やフリーターを選んだ人がいることも確かである。
自ら派遣やフリーターを選んだ人は、嫌な言い方では有るが「自業自得」と言われても仕方がないのでは?・・・・。
「まさかこんな事になるとは・・・・」と彼も言っていたのだが、私に言わせれば「危機管理(危険予知)能力が不足している」と言うしかないだろう。
「何時までも、有ると思うな親と金、無いと思うな、運と災難」である。
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麻生内閣の支持率が20.4%、不支持率が72.3%に

2009年01月12日 03時53分29秒 | Weblog
こんな数字が出ることは当初から予想されていたことで、特別驚くようなことではないのだが、「不支持率72.3%」と言う数字に、改めて「身勝手な人間の多い」と言う事を思い知らされる。
阿部・福田と続いた突然の辞任劇を「無責任だ!」などと批判し、後任の麻生総理に対してもまた同じようなことをしようとしているのだが、一体どれだけ総理の首を挿げ替えれば望みがかなえられると思っているのだろうか・・・・。
民主党の小沢代表に期待する人も多いようなのだが、「今は誰が総理になろうが大同小異」でしかないことに気が付かないのだろうか?。
景気回復、雇用の確保など、幾多の問題を解決するためには「多額の財源」を必要とするのだが、過去に何度も書いているように「財源=税金」だと言うことを忘れてはいないだろうか?。
「打出の小鎚」や「金のなる木」でも有るなら話は別だが、予算のすべてが税金で賄われている以上「税収以上のことは出来ない(無い袖は触れない)」のである。
つまり「支持率を上げるには国民が喜ぶような政策を実施すればよいのだが、それをするための財源(税収)が不足している」と言うことを理解しなければならないのだが、困ったことには、72.3%の国民はこんな簡単なことも理解出来ていないのであるが、これには「政府が行うことと一般社会で行われることは別物」と言う意識があるのでは無いだろうか?。
「政府と一般社会が同じ?」と疑問に思われるかもしれないが、現実には「規模が大きいか小さいか」と言う程度の違いしかないことに気が付いてほしいものである。
「政府が実施する政策と財源」の関係を一般社会に置き換えてみると「店に並べられている商品と値段」と同じことになり、欲しい商品を手に入れるためには「それに相応する対価を支払わなければならない」と言うことが必要で、お金が無いのに無理をしてローン(国の赤字国債と同じである)で買い物を続ければ、「後々返済で苦労する」と言うことになり、結局は「多額の赤字国債を抱えた現在の政府」と同じことになってしまうのである。
このように、「政府も一般社会も仕組みは基本的に同じ」と言うことが理解出来れば、「誰が総理になろうが大同小異」だと言うことがわかると思うのだが・・・・。
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