へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

百合さんの疑問への答え

2010年06月22日 03時52分59秒 | Weblog
コメントにある「アクセルとブレーキの踏み間違い」だが、一つの考え方として「科学技術の発達が人間の能力を退化させた」と言うことがあるのではないだろうか。
私はオートマが嫌いでマニアルに乗っているのだが、時にはオートマに乗ることもあるのでわかるのだが、基本的には右足でアクセルとブレーキの操作をするのが正しいのに、人によっては「右足でアクセル、左でブレーキ」と言う人もいるようで、とっさの場合「両方を踏む」と言う事も有り得る事で、運転操作が楽になった分「操作ミス」も多くなるのではないだろうか。
オートマに限らず、最近の車には様々な安全装置が漬けられて来ているのだが、40年以上車に乗っている私が最近感じるのは「運転の下手な人が増えている」と言うことである。
電卓が計算能力を奪い、ワープロ、パソコン、携帯が漢字を忘れさせ、メールが正常な人間関係を維持する能力を奪う、・・・・と、次々と人間の能力を退化させるものが開発されているが、オートマもその一つではないだろうか。
ついでに言うなら「オートマのブレーキは利きが悪い」と私は思っている。
半月ほど前に私の車も車検になり、その代車としてオートマに乗ったのだが、いつも感じるのは「ブレーキの利きの悪さ」で、「オートマは構造上仕方ない」と言うことを聞いたことがあるのだが、もしそうだとしたら大変な事ではないだろうか。
これは10年ほど前に聞いた話だが、「日本人ほどオートマが好き(多い)な国は少ない」と言う事で、とかく安易な方向に行きがちな日本人の特性を現しているのではないだろうか。
私の車も9年になるのだが、最低でも後4年は乗るつもりで、その時買い換えるとしたら・・・・。
仮の話し「マニアル車は消滅」と言うことにでもならない限り「マニアル車を選ぶ」だろう。
省エネ(エコ)と言う観点から見れば、電気自動車、ハイブリット車と言う選択肢もあるだろうが、私が今乗っている「1,500CCのマツダファミリア」は、リッター17キロくらい走り、高速などでは「18キロ近く」も走るので、とても高いエコカーを買う気にはならないだろう。
話は少し横道のそれたが、結論から言うと「科学技術の発達が思わぬ落とし穴を作る」と言うことを忘れてはいけないと思うのだが・・・・。
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どちらが風見鶏?

2010年06月08日 04時52分40秒 | Weblog
かつて「風見鶏」と呼ばれた総理大臣がいたのだが、日本の国民に「他人を風見鶏と呼ぶ資格など無い」と思うのだが・・・・。
そもそも風見鶏とは「風が吹かなければ動かない」と言う性質があり、風が吹くからその方向に向くのであって、その風は「身勝手な民意」によって起きるもので、風見鶏に責任を転嫁するのはおかしいのではないだろうか。
鳩山総理の辞任によって、新しく「菅総理」が誕生したのだが、そのことで民主党の支持率が上昇するなど「その典型的な例」と言ってよいだろう。
しかし・・・・、鳩山総理から菅総理に代わったとして「一体何が変わるのか」と考えて見ると、「財源不足」「日米合意」など、「誰が総理大臣になっても解決不能?」と言う問題を前にしては、「民意は再びそっぽを向く」と言う事は必定で、いつまでもこんな事を続けていると「気が付いたらギリシャの二の舞」と言う事も十分に有り得る話であるが・・・・。
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荒海に乗り出す「菅(咸)臨丸」

2010年06月06日 04時36分09秒 | Weblog
初めからわかっていることなのだが、鳩山政権のもとで大幅に下がった支持率の中に乗り出してゆく「菅臨丸」、船長(菅総理)も未熟なら、それを支える船員(大臣)たちの技量も未知数で、余程性根をすえて支えて行かないと「鳩山総理の二の舞」と言うことになるのも「時間の問題」だろう。
嘉手納基地の問題を始め、「高速道路の無料化」「ガソリンの暫定税率廃止」・・・・と、次々にマニフェストに反することをやってきて、今や「財源不足は明白」な状態で一体どうしようと言うのだろか。
このような状態の中、あと一月余りで参院選挙が実施されるのだが、その結果は「余談を許さない」と言ってよいだろう。
しかし・・・・、政権を奪い返したいはずの自民党にも元気が無く、徒に「民主党の失態を批判する」と言うことに終始するばかりで、一向に具体的な政策(マニフェスト)を発表出来ずにいるのであるが、この事が何を意味するか考えたことがあるだろうか。
簡単に言ってしまえば「民主党の二の舞をしたくない」と言う事で、1年前に民主党が参院選用に掲げたマニフェストが、「財源不足と現実論」の前に遭えなく挫折したように、最早「選挙用の人気集めのマニフェスト」を作る事が出来ないからなのである。
民意(世論)は新総理に期待する声が多いようだが、「無い袖(財源)は振れぬ」と言うように、財源(税収)が不足している以上「民意を喜ばせるようなマニフェスト」などとても無理な話なのである。
しかし・・・・、この程度の事もわからないような国民が増えている事を考えると、「最早日本は終わり」と考えなくてはいけなくなってしまうのだが、こうなると「子供の学力低下」などと言うより「大人の学力低下」の方が心配で、子供の学力低下は「大人に原因がある」と言えるのではないだろうか。
新しい菅内閣は「小沢一郎抜き」で船出をしようとしているが、実際は同じ船内にいるのだから「何時暴れだすかわから無い」と言う事で、時限爆弾を抱えたような状態での船出である。
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鳩山総理辞任

2010年06月03日 04時05分16秒 | Weblog
「当然」と言うより「良くここまで持ちこたえた」と言う思いのほうが強く、小沢幹事長を道ずれにしたのは「せめてもの意趣返し」と言ったところだろう。
しかし、今度の事が余程身にこたえたのだろう「次の衆院選には立候補しない」と言っているのもうなずける話で、そろそろ小沢一郎の野望も「幕引きの時が来た」のではないだろうか。
次の総理には「管副総理」が立候補するようだが、日本を取り巻く社会環境を考えれば「誰が総理になっても結果は大同小異」でしかなく、次から次えと「首の挿げ替え」を行っていれば、やがては「挿げ替える首に困る」と言う状態になり、ますます状況は悪化するであろう。
しかしながら、多くの有権者は「政治に期待をする」と言うことばかりで、言わば「他力本願」的な考えしか持たず「自ら努力する」と言うことを忘れているのである。
国が何かをしようとする場合、そのことを実施しようとすれば「財源」と言うものが必要になるのだが、有権者の多くは「財源=税収」と言う根本的な問題を忘れ、税金は払わずに「あれもこれもしろ」と言う無理難題を押し付けている。
そこで登場したのが「事業仕分け」なのだが、「右にあったものを左に移す」と言った程度の効果しかなく、「笑う人の陰で泣く人あり」と言った事になるだけで「根本的な解決」には程遠いのです。

今月から給付が始まった「子供手当て」だが、これは名称が違うだけで、自民党時代の「定額給付金」となんら変わらず、どのような政党が政権を取ったとしても「やることは大同小異」でしかなく、その先にあるのは「増税」以外にないであろう。

こんな状態で迎える「参院選」だが、どう考えても「自民党に有利」とも思えず、各党が入り乱れての「混迷状態」になるのは仕方ないだろう。
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総理大臣は飾り物?

2010年06月02日 04時23分21秒 | Weblog
安部、福田、麻生と、3代続けて短命な総理大臣が出来、民主党が散々批判をしていたのだが、「明日は我が身」と言う言葉があるように、批判をしていた側にも同じ問題が起きようとしている。
それでは何故このようなことが起きるかと言うと、総理大臣は「選挙に勝つことを目的に擁立する」と言うことが最大の要因で、「国民のための政治」ではなく「選挙に勝つための政治」に成り下がっているからなのです。
このように考えると「民意は十分に政治に反映されている」と考えるべきだろう。
「それはちがう」と考える人も多いだろうが、「民意を政治に反映する」と言うことを、「自分たちに都合が良いように反映して欲しい」と言う「身勝手な考え方」でしか考えていないからで、「民意を政治に反映させる」と言うことにも「裏表」があるのです。
「何かをしてくれそうだから」と言う言葉にも同じことが言え、「何か」にも裏表がある事に気が付くべきだろう。
実際の話「新しい政権は必ず何かをする」のだが、その「何か」は、有権者が期待するものとは限らないことに気が付くべきだろう。
「何かをしてくれそうだから」の「何か」は、「自分たちに都合の良い事」であって、それ以外の事は「何かではない」と言う、極めてエゴイズムに満ちた考え方なのである。
これは「医療・福祉」などにも言えることで、「自らの負担は少なく、見返りは大きく」と言う、極めて身勝手な考え方が根本にあり、「高負担高福祉」ではなく、「低負担高福祉」しか考えていないのです。
このように考えれば「総理大臣は飾り物」と言う事も出来、「気に入らなければ交換する」と言うことになるのだが、日本を取り巻く社会環境を考えると「いくら交換してもムダ」でしかないだろう。
これはあくまでも「仮の話」であるが、仮の話し「鳩山総理が辞任」と言うことになったとしても、「総理大臣の使い捨て」をやっていれば、「次の総理は誰がなるの?」と言う問題に直面してしまい、国際的な信用も失墜してしまうだろう。
何時までもこんな事をしていては、近い将来「ギリシャの二の舞」と言うことが現実のものになってしまうだろう。
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