へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

震災後2度目の外出です

2011年03月31日 03時26分37秒 | Weblog
震災後初めて外出したのが18日だから、今回は12日ぶりの外出である。

食糧の備蓄は未だ10日分以上あるのだが、さすがに家にこもるのも飽きてきた。

「飽きてきた」などと書くと被災した人たちに申し訳ないのだが、一人暮らしに周辺の過疎化が加わり、殆ど人の顔を見ることがないのである。

避難所で暮らすのは大変であろうが、それに比べればましとは言うものの、人の顔を見ることがないというのもつらいものである。

さて、一番近くにあるガソリンスタンドは未だ閉鎖されていてたのだが、幸い行きつけのスタンドは平常どおりの営業をしていた。

これでガソリンも灯油も心配が無くなり、取り敢えずは一安心なのだが・・・・。

次は近くのスーパーに行ったのだが、前回に比べるとかなり平常に戻っているようだ。

ペットボトルの水はさすがに品切れだったが、前回品切れだった食パンは、通常に比べると少な目ながらそれなりに並んでいる。

次はホームセンターに行ったのだが、ここでも水は在庫切れで、乾電池も、単三、単四は若干ではあるが並んでいた。

しかし、普段あまり使うことが無い、単一、単二は全く見当たらない。

計画停電も実施が見送られるようになり、徐々にではあるが店頭に並ぶようになるだろう。

しかし、乾電池にしても水にしても「私には用のないもの」なので、特別困る事もないのである。

懐中電灯は何度か使ったのだが、単三の電池を単一として使うことが出来るアダプターを使っているため、単三の電池さえ備蓄しておけば何の問題もないのである。

この後もう一軒スーパーに寄ってみたのだが、ここで野菜が意外に安い値段で売られていることに気が付いた。

福島原発の風評被害であろう、全く影響の無い産地のものまで疑いの目で見られるため、値段を安くしないと売れないのだそうである。

私は余り気にしてもおらず、安価で手に入るのはうれしいのだが、風評被害にあわれている農家にとっては「死活問題」であろう。
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未だ物不足は続いているのだろうか?

2011年03月24日 01時19分58秒 | Weblog
11日に起きた大震災以後、18日に献血をかねて買い物に行った事は書いているのだが、その後も全く外出はしておらず、下界の様子が全く分からない。

NHKのテレビ放送では地元の様子など知ることは出来ず、食料品、水、ガソリン、灯油、などの流通がどうなっているか全く分からないのだ。

10日に1週間分の買い物をして以来、18日に一度食料を買いに行ってだけで、そろそろ買い物に行く必要があるのだが、今日しまい忘れていた乾麺が見つかった。

賞味期限はとっくに過ぎているのだが、私にとっては気にするほどのことではなく、これで3日分はまかなえそうである。

計画停電はあっても、それ以外の時間は「水もあれば電気もある」と言った恵まれた生活が出来るのだから、贅沢を言っては被災地の方に申し訳ない。

煮炊きにはプロパンガスを使っており、プロパンガスの需給は問題がないようなので一安心である。

ガソリンも、近場で買い物をするレベルであればしばらくは問題もなく、灯油に関しても、出来る限り使用を控えた結果「後半月は大丈夫」と言った感じで、上手くすると「今シーズンは大丈夫」かもしれない。

このようなわけで、金曜か土曜には買い物に行くつもりでいたが、次の買い物は来週でも十分間に合いそうである。

さて、「毎日家にいて飽きません?」と言われる事があるのだが、毎日好きな花を見ていれば「飽きる暇はない」のである。

ガソリンが十分にあれば遊びにでもゆくのだろうが、ガス欠が心配ではそどれどころではないだろう。

知り合いではないのだが、近所のある人は、物不足を心配して買い物に夢中になり、気がつくと「ガス欠」で動けなくなったそうである。

JAFに助けを求めたのだそうだが、3時間待たされた挙句、ガソリンが不足していて「牽引はするがガソリンの補給は出来ない」と言われたのだそうである。

さて、被災さたた方々には申し訳ないのだが、今回の物不足は私に「プラスの効果」をもたらしてくれた。

普段は「あれもこれも」とつい買い過ぎてしまい、捨てるのがもったいないと食べてしまうため「ウエイトオーバー」になっていたのだが、おかげさま?で「1.5キロの減量」が出来たのです。

後2キロは落としたいのだが・・・・。
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お上が決めることじゃない?

2011年03月23日 23時28分40秒 | Weblog
理屈から言えばそうだろうが、いったい自分を何様だと思っているのだろうか。

まさに「我欲の塊」と言ってもよいのだが、「津波で我欲を洗い流す」と豪語した石原知事は何処へ雲隠れしたのだろう。

発言を撤回して陳謝したのだから「俺にはもう関係ない」とでも思っているのだろうか。

それとも・・・・。

「東京には津波が来なかったので洗い流せない」とでも言いたいのだろうか。

更に・・・・、である。

日本の首都でもある東京が、未曾有の大震災で被災した人たちの受け入れでも後手に回っているように感じてならないのだ。

私は東京に生まれ、30まで東京に住んでいたのだが、東京と言う町をどうしても好きになれず、ある事情から家を出なくてはならなくなり、そのことをきっかけに今のところに家を建て、その後はずっと今のところに住んでいる。

読売ジャイアンツにしても同じ事である。

子供の頃は熱烈な巨人ファンだったのだが、成長するにつれ少しずつ違和感を感じるようになり、今では「熱烈?なるアンチ巨人」となってしまった。

「節電に協力をしろと言う事だろ」と言っているようだが、それ以上のことは考えられないのだろうか。

東京も、物質的には豊かなのだろうが、非常に残念ではあるが「心貧しい町」としか思えない。

今心から思うことは「東京に住む人間でなくてよかった」と言う事である。



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予定通り?献血に行ってきました

2011年03月19日 04時18分52秒 | Weblog
17日にブログを書いていた時点では「今の精神状態では少し無理かな?」と思っていたのだが、朝起きたときの気分が大分良くなっていたので、予定通り?献血に行ってきました。

大災害の後だった事もあり、何時もより献血する人が多かったです。

しかし、献血の後買い物に行ってビックリしました。

「買いだめ」のうわさは聞いていたのですが、これほどひどいとは思わなかったのです。

始めに近所のホームセンターへ行ったのですが、何時もであればうず高く積み上げられているペットボトルの水は全く無く、ウーロン茶のボトルが僅かに残っているだけなのです。

それも「お一人様1本限り」と言う札が張ってある。

私には特別必要の無いものだからいいのだが、店員は「次の入荷が何時になるかは分かりません」と言っている。

メーカー側とすれば「被災地が優先」と言う事で仕方が無いのだが、この「入荷の予定が不明」だと言う事も買いだめに走る心理状態にさせる要因になるのだから難しい問題ではあるが・・・・。

ここでは何も買う物が無く、次に行きつけのガソリンスタンドに行ってみた。

しかし、そこには「当分の間営業はいたしません」と言う張り紙があり、食料品を買いに行くついでに回った他のスタンド4軒も営業はしていなかった。

灯油を扱っているホームセンターがあるので寄って見たのだが・・・・。

丁度タンクローリーが来ていたので、灯油だけは手に入ると思ったのだが、他のお客に「計画停電がもうじき始まるので今日は売ることは出来ません」と言う声が聞こえてきた。

そのお客は「明日なら買えるのだな!」と聞いていたのだが、「すでに予約が入っているので、多分ムリかと・・・・」と言う答えしか返ってこないのである。

ナントも恐れ入った話だが、私は今月中の分は何とかやり繰り出来そうで、これ以上探すのはガソリンの無駄になりそうで止めにした。

次に、食料品を買うためにスーパーに行ったのだが、ここも似たようなものであるが・・・・。

弁当、惣菜、生鮮食品などは結構並んでいるのに、食パン類の棚は空っぽで、袋入りのラーメン類もあとわずかである。

顔なじみの店員によると、お客の一部(結構いるらしいが)に「そんなに買ってどうするのだろう?」と思うほど買う人がいるのだそうである。

結局予定の半分くらいしか買うことができず、別のスーパーに行ってみたが、何処も皆同じような状態である。

何とか1週間分の食料は確保できたので、また1週間外出はしない予定であるが、移動手段を持たない人は大変であろうと思うが、私にはどうしようもない事である。

石原知事が我欲を洗い流してくれる事を期待したいのだが、「再出馬表明」だって「我欲の一つ」だと思うがねーーーーッ!。
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我欲=私利私欲

2011年03月17日 04時27分44秒 | Weblog
未曾有の大災害にあわれた方を思うと心痛んで仕方が無いのだが・・・・。

私が住んでいる所は埼玉県西部で、被災地の方には非常に申しわけないが「被害ゼロ」でした。

しかし、私の周囲には被災された人たちの事をまるで無視するような行動をとる人が実に多いのである。

画像は15日の朝日新聞夕刊に載っていたものであるが、石原知事がいくら頑張っても無理なように感じてならない。

被災地では、ガソリン、灯油、食料、衣服、医療・・・・と、生活に必要なあらゆるものが不足していると言うのに、被害を受けていない地区の人間がこれらの物資の「買いだめ」に必死になっているのだ。

「カセットコンロが売り切れていた」とか、「乾電池は高いものしか残っていなかった」など、私から見ると「何を言っているのだ!」と言いたくなる事ばかりである。

灯油の引き売りに来た業者には「ずいぶん高いわね、便乗値上げげじゃないの?」とまで言う始末である。

引き売りの人もさすがにこの言葉には腹が立ったようで、「それならよそで買ってくれ!」と言って走り去ってしまった。

その人には悪いが、陰で聞いていた(偶然ですよ)私は内心「ざまあ見ろ!」と叫んでいたのである。

私は地震発生の前日(10日)に1週間分の食料を買っていたこともあり、それ以後は現在(16日)まで全く外出も買い物もしていないのである。

灯油が少し心細い状態になってはいるのだが、着る物を工夫するなどして節約すれば、最低でも後10日は持ちそうで、買うのは1週間先にするつもりだが、18日(金)は献血車が町に来る予定になっており、献血がてら買い物に行くつもりで、その時の状況によってはガソリンの給油ついでに買うかも知れない。

ガソリンも3分の1程度しか残っていないのだが、どうしても乗らなければいけないような理由もなく、状況によっては来週に延ばすことも考えている。

常日頃「災害時に備えた備蓄」と言う事が言われていながら、実際にそれを実行している人はどれほどいるのであろうか、

「非常持ち出し袋」を用意している人は多少いるようだが、食料や水などの備蓄をしている人は少ないのではないだろうか。

「国や自治体が何とかしてくれるだろう」と考えている人が多く、「自助努力」をする人は少ないのである。

私がこのようなことを書くにはそれなりの理由がある。

人によっては「お前はやっているのか?」と言う人もいると思うが、私はかなり昔からそれを実践しているのである。

私が住んでいるのは、津波や洪水の心配はない場所で、家の倒壊や火災さえ起きなければ「半月以上」は援助無しでも生き延びることは可能だろう。

現に、今現在でも「1週間買い物に行っていない」のだが、後10日分ぐらいの食料は確保できているのである。

カセットコンロもあり、予備のカセットボンベも5本ある。

乾電池も買い置きが十分にあり、無理に買う必要など全くないのだ。

飲み水も、常日頃様々なペットボトルにつめてある分と、「買い置きの飲み物」を含めれば「断水しても半月は大丈夫」であろう。

「私と同じ様な考えの人が3分の1でもいれば」とは思うのだが、現実は全く逆の状態で、被災者を無視して「買いだめに走る人が多い」のが現実の姿なのである。

ナントも困った事なのだが・・・・。
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ヨーロッパで出来る事が、なぜ日本では出来ないのだろうか?

2011年03月06日 04時16分05秒 | Weblog
これは、ある人が私に疑問をぶつけてきたもので、かなりこのような疑問を持っている人がいるらしい。

このような疑問を持つ原因には、「メディアでの報道」と言うものが大きく影響しているのではないだろうか。

だいぶ前の話だが、私のブログを読んだある人から直接批判を受けたことがある。

批判の内容は、「お前は何で国民の悪いところばかり書くのだ」と言うのである。

そして、「テレビではそんなことは全く言わないぞ!」とも言うのである。

正にそのとおりなのだが、このことの根底に「市場原理」と言うもの働いている事に気がついていないのである。

「こんなところで市場原理?」と思うかもしれないが、「需要と供給のバランス」と言う面で考えてみて欲しい。

私のブログは「営利と無関係」で、読む人がいなくても生活に困る事はないのだが、「メディアの報道」となると話は全く変わってしまう。

メディアの報道では「見る(聞く)人がいないと成り立たない」と言う宿命を背負っており、「見る側に都合の悪い情報は流しにくい」と言う根本的な問題があるのだ。

冷静になって考えれば分かる事だが、自分たちに都合の悪い事を放送している番組を喜んで見る人がいるだろうか。

「見る人も聞く人もいない報道」を営利で運営する局が放送するはずもなく、どうしても見る側に「迎合する(媚を売る?)」と言う事になってしまうのであるが、営利を目的としていない私はそのような事をする必要が無いのである。

人気ブログにでもなろうとするなら話しは別だが、そのような気持ちは私にはない(少しはあるのだが、安易な迎合はしたくないので)のである。

タイトルの「ヨーロッパで出来る事が、なぜ日本で出来ないのか?」は、報道で比較のためにヨーロッパ諸国のことが引き合いに出されるためで、その根底にある「大きな違い」は語られないことが多いからである。

消費税の引き上げが問題になったときでも、「フランスでは2.5%も引き下げられるんだって!」と言う事が話題になったが、「2.5%」ばかりが話題になり、元の税率が「20%」だと言う事は無視されているのである。

正確な数字は分からないのだが、日本人の所得に占める税金の割合は「30%台」であるのに対し、ヨーロッパでは「60%台」と、倍近い差があるのだ。

この話を日本人にすると、「そんなに税金を払ったら生活出来なくなる」と言うのだが、それでは、何故ヨーロッパの人は生活出来るのであろうか。

「国民性(歴史、文化)の違い」と言うほかなく、日本人だってやれば出来ない事はないのだが・・・・。

一見「個人主義」的な感じがするヨーロッパが「全体のバランス」を考え、一見全体のバランスを保ちたががるように見える日本人は「自己の利益ばかりを優先させる」とは。

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