へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「群盲」は差別用語だったんですね

2007年09月30日 19時31分58秒 | Weblog
全く気が付かずに使っていました。
気分を害された方には「ゴメンナサイ」。
私のブログの中には、幾つもの差別用語が使われていると思います。
ここで、「私の真意」を書いておきたいと思います。
今回の「群盲象をなでる」だけでなく、「目明き千人、メクラ千人」と言う表現は、障害者を差別する意味ではなく、「健常者」に対する「皮肉」として使っています。
「五体満足」な健常者が、障害者と同じか、それ以下の事しか出来ない。
ナンとも「情けない」話です。
ここで名前を出すわけにはいきませんが、「一部の企業」では、「健常者の中にいるメクラ」(物事の本質を知らない・知ろうとしない人たち)相手の商売を始めています。
ネット上に流れる情報、TV,ラジオ、新聞、雑誌などによる情報は、「情報操作」をする気になれば十分可能なのです。
特に、日本人は「群れたがる」傾向があります。
「意図的」に大量の情報を流せば、その情報に左右される人は多いでしょう。
「情報操作」は、共産圏や軍事政権国家だけではないのです。
数の力、権力などによって「自分にとって都合の悪い事」を隠蔽しても、それを暴く事はたやすい事ではありません。
「最後は正義が勝つ」等と言う事は、「夢物語」に近いかもしれません。
結局最後は、「数の力が物を言う」と言う事になるでしょう。
「格差の無い社会」など出来るはずがありません。
昔から「金が金を呼ぶ」と言います。
豊かな人(富裕層)はより豊かに、貧しい人は・・・・・・?。
最早、「時代の流れ」が変わってしまっているのです。
その原因は、「原油の高騰」に有るでしょう。
それでは何故、原油が高騰したのでしょう?。
生産量を増やせば、価格は下がります。
しかし今の情勢では、産油国が増産してくれる事は期待薄です。
多くの産油国は、原油以外に売るものが殆ど無い「売り食い状態」なのです。
「原油の枯渇」が現実のものとなっては、「少しでも高値で売りたい」と言うのが本音でしょう。
かつては、「買ってやる」だったものが、今では「売って下さい」に代わってしまったのです。
「攻守所を代える」と言う事になってしまったのです。
こんな事も解らない国民や政府は、「群盲以下」と言わざるを得ない。
これも「差別発言」と言う事になるのか?。
何年か前、小柴さんと田中さんが、同時にノーベル賞を受賞した時に、誰かさんが「日本もたいしたものだ」とバカ騒ぎしていたが、その後、ノーベル賞のノの字も出て来ない。
アメリカは100万人以下で一個、北欧では30万人位で一個もらっている国もある。
それに対し、日本は一千万人で一個。
「自分に都合の良い情報だけを強調する」。
これも、「情報操作」の一種である。
洪水のように情報があふれる「情報化社会」。
その中から有益なものを選ぶ。
大変な事である。
有益だと思った情報が、後になって「有害な情報だった」と言う事にならない様に気を付けなくてはいけない。
他人を安易に信用してはいけない。
最後は「自己責任」で身を守るしかない。
いざとなったら、他人(政府も含めて)は守ってくれないのだから。

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群盲象をなでる  その2

2007年09月30日 04時27分31秒 | Weblog
昨日は爆笑問題と、慶応大学の教授について書いたのだが・・・。
こんな事は、今の世の中では至る所で、「極あたり前」に行われている。
政治の世界だけでなく、一般市民でさえも気が付いていない。
各人(党)各様に、言いたい事を言っている。
どの意見、主張にもそれぞれ根拠があり、その問題だけを考えれば「間違えではない」かも知れない。
しかし、現実の世界で、物事がそんなに単純に運ぶのであろうか?。
様々な事が「複雑に絡み合っている」はずである。
個別に考えれば間違っていない問題も、総合的に考えた時には「間違い」と言う事だってある。
日本の行政でよく言われる「縦割り行政」。
横のつながりナシに行われる為、何か問題が起きたときには「責任のなすりあい」と言う事になる。
「長期的視野」に基ずいた考えが無いので、政権が変わるたびに政策もコロコロと変わってしまう。
「政府が悪いのだ」と言うのは、「天に唾する」事と同じである。
「明るい日本」も、看板を下ろしてしまった。
新しい政権だけではなく、それ以外の党も、「口にする政策」は、気まぐれな有権者の気を引こうとするものばかり。
政治だけが悪いのではない、「目先の私利私欲」にしか目が行かない有権者にも「責任の一端」があるのだ。
何人もの人と話しをしてみたが、全て自分に都合の良い要求をするばかり。
そして、「当の本人」は何もしないのである。
「都合の良い要求」だけをして、その要求が実現しなければ「文句」を言う。
国民がこれだから、日本と言う国が悪くなるのは「当然の事」と言うべきだろう。
「美しい日本」など出来るわけが無い。
「物があふれる豊かな国?」になった代わりに、「心が貧しく」なってしまったのだ。
「物質社会」を手に入れるために、心を売り払ってしまったようなものである。
「日本人は頭が良い」等と言われたのは。一体何時の事であったろう?。
「幻影」であったのかもしれない。
「私も後何年生きられるであろうか?」。
「生き延びられるだろうか」といった方が良いかもしれない。
少しでも長く「平穏な社会」が続いて欲しいものである。
出来る事なら、私の予側が外れてくれればよいのだが。
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