へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

群盲象をなでる

2007年09月29日 03時43分51秒 | Weblog
爆笑問題が、慶応大学の教授達とトークバトルをしていた。
単に話だけを聞いている分には面白いのだが、各教授達は自分の専門分野の話に集中する。
それぞれが単独にバラバラな話をしているので、アタカも「群盲象をなでる」状態に成っている。
「2030年の日本はどうなっているのか?」。
いろいろな話が出てきたのだが、幾つかの重要な話が抜けている。
その分野の教授がいないのだから当然である。
世の中の成り立ちは、様々な事が複雑に絡み合って成り立っている。
その中の一つでも欠ければ、「全く違う結果」になることもある。
しかし、ここに困った問題がある。
私のような一個人が発言する分には、それ程問題にならないのだが、メディアで私と同じ事を言った場合は大問題になる。
「視聴者からクレームが付くような内容」のものは、放映出来ないのである。
たちまち「槍玉」にされて、大変な事になる。
その結果、視聴者に希望(夢)を持たせるような内容になってしまう。
困った事である。
23年後の世界は、エネルギー、食料、貧困などの問題が深刻化しているのではないだろうか?。
人類は、脳が発達して「言葉や知能」を持つようになったのだが、その事が人類にとって幸せなのかどうかは「少々疑問」に思う。
自然界では、「自然淘汰」によりバランスが保たれてきた。
人類だけが、自然の法則である「自然淘汰」を免れて発展してきた。
しかし、地球という限られた規模の中では、「無限の発展」は有り得ない。
ねずみ講と同じで、いずれ行き詰まるのである。
温暖化や異常気象などは、その「前兆」ではないだろうか?。
もはや「明るい未来」は、夢物語になってしまうだろう。
レジ袋の削減や、省エネで解決出来るレベルではなくなっている。
数十年先には、否応無く「昔の生活」に戻らざるを得ないかも知れない。
場合によっては、エネルギーや食料、鉱物資源を巡って「深刻な争い」が起きる可能性もある。
そうなれば、資源の乏しい日本は大変な事になる。
食料自給率も40%では、とてもお話にならない。
「形や見てくれ」が悪いと廃棄されていたものでも食べざるを得なくなるだろう。
お米にしても、「味よりは収量」が重視される事になるかも。
戦争中のように、「贅沢は敵」という事にもなるのでは?。
「配給制度」の復活も有り得る。
再生産の難しい、化石燃料や鉱物資源に頼った生活をする限り「この問題」から逃れる事は出来ないであろう。
宇宙旅行など「夢のまた夢」と言ったところ。
「備えあれば憂いなし」、「希望的予測」ばかり信じているとショックが大きいかもしれない。
少なくとも、私は「希望的予測」は少しも持っていない。
ガソリンや食料品その他の値上がりも、「来るものが着た」という感じである。
「時代の潮流」がそうなっているのだから、受け入れるしかないだろう。
潮流に逆らってみても、結局は押し流されるだけ。
政治に期待するのは「愚の骨頂」である。
コメント
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