へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

久しぶりにオカヤドカリの事など

2007年09月17日 22時10分54秒 | Weblog
少し前にオカヤドカリの色について書いたのだが、あちこちのブログの写真を見ると、概ね、体色と貝殻の色が似ている。
体色に合わせて貝殻を選ぶのか、貝殻に体色を合わせるのか?。
何となく後の「貝殻に合わせる」ように思う。
自然界はもとより、飼育下では、体の色に似た貝殻を探すのは難しい(色が同じでも大きさが違ったらダメ)。
或る程度@の色は「保護色」と考えた方が良いかもしれない。
自然界では、弱い物(食物連鎖の下位に居る物)は、保護色、擬態、数等で「種」を維持している。
暗い夜間では、保護色や擬態は意味を成さない。
ここでまた「オカヤドカリは夜行性」と言う事に疑問が生じてしまう。
人影に驚いて、「流木から落ちる」、「慌てて逃げる」、「貝殻に引っ込む」、等と言う事は夜行性の生き物では余りない。
「動く物に反応する」と言う事も、夜行性では考えにくい。
「触覚」の長さも、夜行性にしては短いのでは?。
ナンとも「オカヤドカリの生態や飼育法」には「疑問な部分」が多すぎる。
これは「止むを得ない事」ではある。
希少生物である、パンダ、コアラ、ラッコ、・・・・・・。
動物園などで、専門のチームが24時間体勢で観察・研究しても「解らない事だらけ」なのだ。
オカヤドカリなど、詳しく研究観察した人などいないであろう?。
もし居られたら教えて欲しいものです。

先ほど、或るブログで「大きな@が、小さな@を鋏で突き飛ばす」と言うシーンを見た。
人間社会から見れば「乱暴な」と感じるだろうが、自然界では「極、当たり前」な事です。
人間社会と違って、「厳しい生存競争」の自然界では、多くの場合「体の大小」で「上下関係」が決まります。
大きさの差が大きく成れば成る程、悲惨な結果(共食いなど)に成る危険が増加します。
「共食い」と言う、人間の目から見ると「残酷」な事も、厳しい生存競争を勝ち抜く為には「仕方ない」事なのです。
人間だって、共食いこそしないが、生きて行く為に「多くの生き物の命」を奪っているのです。
「多くの生き物の命」を奪っていると言う感覚が無いのは、自分の目の前で「命を奪う」と言う行為が無いからです。
牛肉が好きな人でも、「目の前で牛が殺される」のを見たら、多くの人は食べられなくなるのでは?。
牛肉が好きな私でも自信は有りません。
小さな生き物の場合は、「このような感覚」が余りなくなるのは、我ながら「残念」です。
人類だけが、「脳細胞の発達」により、「優れた知能」を得た。
その「優れた知能」のおかげで、繁栄して来た。
しかし、この繁栄は何処まで続くのだろうか?。
「物には限度」と言う物がある。
「科学技術で解決出来る」と言う人もいると思うが、私はそうは思わない。
すでに「破滅への道」を歩んでいるかもしれない。
「滅亡する」事は無いかも知れないが、生き残るとすれば、アフリカ、南米、ニューギニア等に残る、「原始時代」に近い生活をしている人たちではないだろうか?。
彼らが生き残る確率は、可也高いだろう。
しかし、「核兵器」が使われた場合はダメかもしれない。
コメント
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