本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

日米首脳会談

2009-02-18 10:31:05 | Weblog
 国際情報の分析に長けた米国のことだ。日本の政治の情勢なんぞ百も承知でしょう。だからこそ、来日中の国務長官は民主党にもツバをつけた。

 それなのに、死に体の麻生首相と日米外国首脳会談をセットした。政府は、米大統領の初の外国首脳会談に選ばれたと喜んでいるようだが、早晩、交代する可能性が高いから、米国は急いで会談をセットしたに違いない。
 では、先が知れた首相となぜ会談するか。首相は支持率アップを願って、親密ぶりのアピールと外交成果に頼んで、過大なおみやげを持っていくからだ。それを待ち構えている。たとえ、政権が倒れても二国間の公約は重い。簡単に反故にできまい。

 と、読めるのだが……


消費者生活センター

2009-02-17 10:12:27 | Weblog
 国は「消費者庁」設置に伴って、地方自治体の「消費生活センター」の強化支援を図るとされている。どのような具体策を講ずるか分からないが、強化の方向性は確かだろう。

 試みに、地方自治体の「消費生活センター」を検索してみた。すべてを確認したわけではないが、少なくとも九州各県の「消費生活センター」をみると、唯一、この県の名称は「消費生活・男女共同参画プラザ」となっている。
 
 同生活センターは商品表示のまやかしクレームも受け付けるはずだが、この名称では、皮肉で言えば、消費者が商品表示にまごつくようなものだ。一目瞭然の「消費生活センター」にするべきではないかと思う。殊に、消費者相談には、サラ金債務などプライバシーが伴う。「プラザ」になじまないだろう。

 これ、県民モニターの提言にしよう。

支持率

2009-02-16 10:29:11 | Weblog
 昨夜のテレビによると、麻生内閣の支持率が10%を切ったようだ。解散しなければ、総辞職しなさいということ。
 新聞各社やNHKは独自に内閣支持率の世論調査を行う。それぞれが無作為に選んだ千数百人規模程度の人から回答を得るわけだが、どれの調査結果も大した差異はない。

 さて、ある一社だけが調査人員を2倍にすれば、調査結果の精度が2倍に上がるかといえば、そうでもないらしい。ものの本によれば、千人による調査の精度を2倍にするには2の二乗倍、つまり4倍の四千人が必要であり、3倍の精度を上げるためには3の二乗倍、つまり9倍の九千人が必要という。
 であれば、新聞社の調査人員千数百人では、精度は低そうだが、各社の調査人員を合計すると七、八千人になるのではないか。ということは、その平均値は信頼に足りるだろう。

 重ねて言えば、どこの調査の支持率も数パーセントの誤差の範囲で、国民の意思の精度が高い。麻生さんは白旗を挙げたほうがよい。

講義(その10)

2009-02-15 10:46:05 | Weblog
 本日もレトリックの続きです。
 成績がよくないのに、子どもの通信簿を見た母親が「なんとまァ、見事な成績」と言いました。これは皮肉ですよね。
 また、便所のことをちょっと気取って化粧室、洗面所とも言いますが、用を足す意味とは違いますよね。あからさまな言葉を避けたわけで、これを美化といいます。
「おい、社会の窓が開いているぞ」と言われ、あわててズボンの前を見る。この社会の窓は言うでもりませんね。これは遠まわしの言い方、迂言といっています。「彼は、永遠の眠りについた」もこの類いでしょう。
 さて、これら皮肉、美化、迂言も比喩の一種、諷喩(ふうゆ)とみてよいでしょう。

 次は比喩から離れて、撞着語法に移ります。
 撞着とはつじつまが合わないことで、例を挙げると「有りがた迷惑」、「うれしい悲鳴」、「美しき誤解」などがそうです。このレトリックは相反する言葉が結合しますから強いインパクトになりますね。

 擬人法はご存知ですよね。「あの人は生き字引だ」、「彼は社長の懐刀だ」の生き字引や懐刀が人に擬せられているわけです。「あなたは疑惑の総合商社だ」と言われた人もいましたね。総合商社はえらい迷惑でしょう。「木の葉がささやいた」は文学的ですけれど。

 誇張法は中国人の最も得意とするレトリックでしょうね。「白髪三千丈」、「一日千秋の思い」などと大げさに表現しますから。

 フランス語のオノマトペは、擬音語、擬態語を総称するものです。擬音語は「雨がざあざあ、しとしと」、「戸がガダビシ、ガラガラ」「風がそよそよ、ピューピュー」など物体の音を示すことですね。もちろん、ワンワンやニャーニャーの動物の音声も擬音語です。
 一方、擬態語は「こっくりとうなづく」や「そわそわする」という身振りの状態を表現する方法です。

 畳語法とは同じ言葉を重ねて、動作の反復や継続を表します。「泣き泣き」、「知らず知らず」、「はやばやと」、「またまた」がそうです。
 これに似た意味に重言があります。重ね言葉ですね。朗々、転々、淡々、洋々、凛々、汲々、散々がそうです。レトリックはここまでとして、次回は重言について触れます。
 

日本語基礎講義(その9)

2009-02-14 10:17:38 | Weblog
 本日はがらりと話題を変えて、修辞法すなわちレトリックの話をしましょう。レトリックとは、文章を強調したり、印象づけたりあるいは分かりやすくするための表現方法といえますが、ときにはゴテゴテと飾り付けて逆効果になることもあります。
 代表的なレトリックを挙げてみます。

 とりわけ、比喩はその代表でしょう。ある現象を別の理解しやすいものに喩えることですね。この比喩はいくつかに分類されます。
 直喩(明喩)法は、ある現象が「~のような」、「~みたいな」、「~に似た」、「~ぽい」「まるで~」といった言葉で喩えられる表現です。
「鬼のような部長」、「タヌキみたいな顔」、「キツネに似た目」、「タマゴぽい顔立ち」、「あのすばしっこさはまるでネズミだ」がその例ですね。

 隠喩(暗喩)法は、ある現象と喩えるものを直接結び付けます。鬼部長、タヌキ面、キツネ目といった具合です。「人生は旅だ」、「社長はヒットラーだ」もこの類いでしょう。

 換喩法は、ある現象をそれと密接に関係あるものに置き換えます。「ホワイトハウスの発表」、「永田町の常識」、「霞ヶ関の陰謀」といえば、その喩えられた現象はあれのことかと分かりますよね。「ペンは剣より強し」のことわざは端的な換喩法でしょう。

 提喩法というものもあります。
「アルコールが欲しい」の表現は、日本酒かビールかはとにかく酒類の全体を総称しているにほかありません。一方「人はパンのみで生きるものではない」と言いますが、これは食べ物すべての代表を一部であるパンに喩えていますね。このように喩えるものが、ある現象の全体か部分かの関係にあるわけです。このような代用方法が提喩法です。
 比喩は、事柄の性質や特徴を説明するのに、まことに便利なものです。

 隠喩でいえば「時は金なり」。これ以上みなさんの時間を無駄にできませんので、本日のレトリックは比喩で終わります。