本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

証言に疑義

2009-02-09 14:42:28 | Weblog
『文藝春秋』2月号の連載小説「運命の人」に「天皇の御真影を風呂敷に包んで、戦火の中を逃げまどった祖父が、本土出身の兵隊に誰何され、沖縄方言が通じなかったため、スパイ嫌疑をかけられた挙句、銃殺された口惜しさを語った肉親の証言だった」という一節があった。
 これは、沖縄の平和祈念資料館にある証言集の中のひとつの証言として書かれたものだ。この証言は作家の創作ではなく、実際に展示されているものだろうか。妙に気になった。
 
 本土出身の兵隊といえども、昨日今日沖縄に配属されたわけではあるまい。制空権、制海権を奪われて兵輸送ができなかったはずだ。つまり、沖縄の方言が通じないことぐらい身をもって知っていただろう。
 それに、戦火の中すなわち最前線にスパイなんぞいるまい。スパイは後方で諜報活動をするためにいる。仮に斥候をスパイの一種としたとしても、銃器を持たずに味方の砲弾をかいくぐって偵察にやって来るとは思えない。

 したがって、事実として考えられるのは、兵隊が恐怖に駆られてその場で誤って射殺したことだ。その後で、誤射を隠すために、スパイ容疑をでっちあげたのであれば辻褄は合う。それにしてもその証言の祖父は「天皇の御真影を風呂敷に包んで」いたという。これはどんな説明になるのか。

 悲惨な事実としても、この話に証言者の勘違いか事柄に虚飾をまぶしたような気がしてならない。