本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

講義(その10)

2009-02-15 10:46:05 | Weblog
 本日もレトリックの続きです。
 成績がよくないのに、子どもの通信簿を見た母親が「なんとまァ、見事な成績」と言いました。これは皮肉ですよね。
 また、便所のことをちょっと気取って化粧室、洗面所とも言いますが、用を足す意味とは違いますよね。あからさまな言葉を避けたわけで、これを美化といいます。
「おい、社会の窓が開いているぞ」と言われ、あわててズボンの前を見る。この社会の窓は言うでもりませんね。これは遠まわしの言い方、迂言といっています。「彼は、永遠の眠りについた」もこの類いでしょう。
 さて、これら皮肉、美化、迂言も比喩の一種、諷喩(ふうゆ)とみてよいでしょう。

 次は比喩から離れて、撞着語法に移ります。
 撞着とはつじつまが合わないことで、例を挙げると「有りがた迷惑」、「うれしい悲鳴」、「美しき誤解」などがそうです。このレトリックは相反する言葉が結合しますから強いインパクトになりますね。

 擬人法はご存知ですよね。「あの人は生き字引だ」、「彼は社長の懐刀だ」の生き字引や懐刀が人に擬せられているわけです。「あなたは疑惑の総合商社だ」と言われた人もいましたね。総合商社はえらい迷惑でしょう。「木の葉がささやいた」は文学的ですけれど。

 誇張法は中国人の最も得意とするレトリックでしょうね。「白髪三千丈」、「一日千秋の思い」などと大げさに表現しますから。

 フランス語のオノマトペは、擬音語、擬態語を総称するものです。擬音語は「雨がざあざあ、しとしと」、「戸がガダビシ、ガラガラ」「風がそよそよ、ピューピュー」など物体の音を示すことですね。もちろん、ワンワンやニャーニャーの動物の音声も擬音語です。
 一方、擬態語は「こっくりとうなづく」や「そわそわする」という身振りの状態を表現する方法です。

 畳語法とは同じ言葉を重ねて、動作の反復や継続を表します。「泣き泣き」、「知らず知らず」、「はやばやと」、「またまた」がそうです。
 これに似た意味に重言があります。重ね言葉ですね。朗々、転々、淡々、洋々、凛々、汲々、散々がそうです。レトリックはここまでとして、次回は重言について触れます。