現代仮名遣いでは「じ」と「ず」が原則で、「ぢ」と「づ」は例外とされている。
例外とされる「ぢ」の遣い方のひとつに、同音の連呼がある。「ちぢみ」がまさにそうだが、不思議なことに「いちじく(無花果)」や「いちじるしい(著しい)」では「じ」となる。 もうひとつ「せかいじ(ぢ)ゅう」は「じ」でも「ぢ」でもよいので、どちらも正しく「世界中」と漢字変換する。
昔、濁音を清音に直して意味が通じるものが正しいと習った。例えば「鼻血」は「はなち」としても意味が通るから「ぢ」となる。別の見方をすれば、漢字音の濁音化といってもよい。「血(ち)」の音が「ぢ」と濁ったということ。
ところが、現代仮名遣いではこの考えは必ずしも通らない。「融通」は濁音を清音に直した「ゆうつう」のほうが「ゆうすう」よりまだ意味が通りよい。また「通(つう)」の濁音化は「づう」だ。しかし「ゆうずう」が正しいのだ。「地面」もそうだ。「ちめん」でも分かるが「しめん」では意味が通じない。そもそも「地」は「ち」だ。だが「じめん」としなければ漢字変換しない。
無法則より昔の考えが理に適っていると思うのだが、私の習ったことは勘違いかな。
例外とされる「ぢ」の遣い方のひとつに、同音の連呼がある。「ちぢみ」がまさにそうだが、不思議なことに「いちじく(無花果)」や「いちじるしい(著しい)」では「じ」となる。 もうひとつ「せかいじ(ぢ)ゅう」は「じ」でも「ぢ」でもよいので、どちらも正しく「世界中」と漢字変換する。
昔、濁音を清音に直して意味が通じるものが正しいと習った。例えば「鼻血」は「はなち」としても意味が通るから「ぢ」となる。別の見方をすれば、漢字音の濁音化といってもよい。「血(ち)」の音が「ぢ」と濁ったということ。
ところが、現代仮名遣いではこの考えは必ずしも通らない。「融通」は濁音を清音に直した「ゆうつう」のほうが「ゆうすう」よりまだ意味が通りよい。また「通(つう)」の濁音化は「づう」だ。しかし「ゆうずう」が正しいのだ。「地面」もそうだ。「ちめん」でも分かるが「しめん」では意味が通じない。そもそも「地」は「ち」だ。だが「じめん」としなければ漢字変換しない。
無法則より昔の考えが理に適っていると思うのだが、私の習ったことは勘違いかな。