本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

勉強・稽古・工夫

2006-01-14 15:57:17 | Weblog
 眠気もよおしに、寝床で谷崎潤一郎の小説『蓼喰ふ蟲』を読んでいたところ、「仏蘭西語の稽古に行って」という一節があった。昭和3年の作である。
 それで思い出した。ある時期まで「勉強する」とは言わず「稽古する」と言っていたそうだ。
 
 漢語辞書によれば「勉強」とは『中庸』からの出典で、つとめはげむ、精を出すという意とある。しかし学問や学習の意味はない。どうやら「勉強して学問をする」の後段が落ちて、勉強イコール学問・学習になったらしい。これは、漢字の本来の意味からはずれ、日本独特の意味を持たせたもの。つまり国訓とある。
 骨董市で「勉強してよ」と言うのは「勉強して値下げしてよ」の後段落ちだろう。骨董屋のオヤジに「学問をして」と迫ったわけではない。こちらは、勉強イコール精を出して、となるから本来の意味に近い。
 一方、稽古イコール学習・練習とする意味も、実は国訓。ただし、本来は、いにしえ(古)の道をかんがえる(稽)ことの意であるから「学校に稽古に行く」が本質だと思う。
 
 ついでながら、ある中国文学者の話を敷衍すれば、勉は「免」からできた言葉であるそうだ。この「免」、ク(女性のしゃがんだ格好)、口(穴)、人(子供)が縦に組み合って新生児を生み出す形の象形文字で、狭いところから出ることが本来の意味とか。ところが、ある状態からまぬがれるという意味を含んで免責、放免、免税があり、一般に許さないが特別に許すという意味を含んで免許、赦免がある。そこで、本来の意味は女偏の「娩」という形声文字に換えて区別したと辞書にある。そうそう、「勉」は力が加わった形声文字で、りきんで出すことである。

 韓国語で「コンブ」とは学習のことである。漢字語の「工夫」からの由来という。日本語での漢音読み「こうふ」と発音が似ている(「くふう」は呉音読み)から、なにやら保線現場にでもいる人を想像してしまうが、本来の意味は、思慮をめぐらせることだから、勉強より理に適っている。土木作業員の意味は、これも国訓。
 床を這い出て、眠れなくなったことでした。

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