9日㈫、今日は上林へ。10時から主要地方道小浜綾部線の大町バイパス(大町~片山)の開通式典で挨拶し、テープカットと通り初めをした。

16年前の最初の府議選、12年前の2度目の府議選の際、川北淳市議、波多野文義市議にお世話になって、中上林地区全戸を挨拶に回った。その時に集落を通るこの道路がいかに危険かを身をもって感じた。
両市議からは「ほ場整備と合わせてバイパスをつくる話があったが、ほ場整備も時代の流れで話がなくなり、バイパスの話もなくなってしまった」と聞いており、府議になってから何とかしたいと取り組み、ようやく半分区間の開通を果たすことができた。
今後は残る区間(片山~日置谷)の早期開通と奥上林地区内のさらなる改良、府道舞鶴和知線の残っている清水の用地買収と拡幅工事などの推進のためにさらに努力したい。

式典後、小浜綾部線の奥上林地区、長野、有安の箇所を見に行った。長野は現在、ほ場整備が計画されており、これができてしまうと道路拡幅やバイパスは難しくなるので、地元の最終的なご意向を確認してもらうようにお願いしている。


気まぐれギャラリーで開催されていた「ボールペン画展」を見学し、なかなか行けていなかった「二王の栖」に寄って、昼ご飯を食べた。「二王の栖」は志摩機械の志摩敏樹社長が奥上林地区の地域振興の拠点にと作っていただき、2名の優秀な若い社員を毎日常駐させて、地域の人と一緒に活動するようにさせてくれている。
市議選挙の応援で東舞鶴から来られていた元海上自衛官のご主人と中上林出身の奥さんのご夫婦と相席になり、舞鶴のことや綾部のことをいろいろとお話した。


午後は奥上林地区古屋の渡辺和重さんのお宅を訪問した。いつもLINE等でご連絡をいただいているが、病気で倒れられてからお出会いできていなかったので、久しぶりに訪問してお話した。

3年前に脳梗塞で倒れられ、「この先は車椅子生活になる可能性がある」と医師から宣告されたそうだ。しかし、舞鶴の日赤病院の看護師さんが「私が渡辺さんを歩けるようにします!」とおっしゃり、厳しい懸命のリハビリによって、今は杖をついて近所を散歩できる程度には回復された。ただ、車に乗ったり、山を登るのは難しく、「もう一度、千年の栃の木を見に行きたい」と泣いておられた。

今の古屋は唯一の男性である70代の渡辺さんが自治会長で、97才の渡辺さんのお母さん、90代の叔母さんの3人だけの集落になっている。今冬の大雪では、近くで工事をしていた物部のローランド工業の方々が雪かきなど手助けをしてくださって、すごく助かったとおっしゃっていた。
古屋へ続く綾部美山線は京都府が管轄する主要地方道であるが、来る途中にも舗装が痛んでいる箇所が2ヶ所あった。京都府への府民協働型インフラ保全事業の申請書をつくることなどは「うちの事務所に電話してもらったら、お手伝いしてこっちで作るように言っておきますから」とお約束した。ふきのとうの訪問介護、生協の宅配、「とくし丸」の移動販売、いこいの村のデイサービスにお世話になって生活しているとおしゃっていた。


お話した後、プリンタの移転とWi-Fi設定をして、スマホから直接プリントアウトできるようにしたら喜んでいただいた。
古屋は綾部市の中心部から見れば小さい離れた集落だが、東京から見れば綾部市自体がそんな存在だろう。
命をかけて地域を守っている、水源を守っている、歴史を守っている、そういう地域を大切にする政治であらねばならないと決意を新たにした。
