玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『別荘』(7)

2015年11月24日 | ゴシック論

②―2
『別荘』の第1章「ハイキング」は、親たちがなぜハイキングに行くことになったのかの理由を明らかにする章であると同時に、ドノソの子供というものに対する考え方を、何人かのいとこ達の姿を借りて表明する章ともなっている。だから第1章はこの作品にとってだけでなく、ドノソが子供を登場させる他の作品にとっても重要な意味を持つことになる。
 まずは、テレンシオの長女アラベラ(13歳)である。アラベラは小説後半でも重要な役をつとめる、この小説においては準主人公と言ってもいい存在である。
 アラベラは母ルドミラの溺愛の儀式に耐えきれず、「アラベラの成長は止まり、彼女は巧みに自分の気配を消す術を身に着けた」とドノソは書いている。さらにドノソは詳しく書くだろう。アラベラは……。
「立派な両親、テレンシオとルドミラに喜びを提供することのできない苦しみのせいで、彼女のすべてが縮んでいったのだ。その意味では、アラベラの運命も他のいとこたちの運命と何ら変わるところがなかったが、それが彼女には耐えられず、縮みゆくうちに、苦しみの旗印となった怨念にすがりつくようになった。(中略)アラベラは大人たちがいなくなればいいのにと思い始め、殺すのではなく、どこかへ遠出させるという形で彼らの存在を消し去ろうと目論み始めた」
 両親の愛情に素直に応えることのできない子供、しかもその愛情が強ければ強いほどそうであってしまう子供というモデルをここで提起することができるだろう。「夜のガスパール」のマウリシオも、母親がステレオやバイクなど普通の子供なら喜びそうなものを買ってあげると言われても、素っ気なく「いらない」と応えるだけであった。
親に愛するという喜びを与えることのできない子供というものは存在するし、マウリシオの例を見ればドノソ自身がそんな存在であったことは間違いないだろう。しかし、それは親自身の責任でもあるのであって、子供達は親たちの溺愛に虚偽を読み取っているがゆえに、親たちの愛に応えることができないのだ。それが33人のいとこ達の運命なのである。
 アラベラは自分の気配を別荘の膨大な本を収めた図書室の中に消し去るだろう。彼女はそこで一日中本を読みふけり、ほとんど誰とも接触することのない少女となるだろう。アラベラはそのようにして世界に参入していくのである。
 ところで、ハイキングの発案者はアラベラではなかったが、アラベラはその豊富な知識を活かして、屋根裏部屋におかれていた古地図を偽装し、そこに理想郷を描いてみせ親たちをハイキングへと誘導する。それは次のように書かれている。
「ウェンセスラオの手を借りて、黴の染みが山脈に見えるよう、白蟻の食った穴が確かな道程を示す偶然の手がかりに見えるよう、入念に細工を施した」
 この時からアラベラとウェンセスラオの共謀関係は始まっている。小説の後半で二人の関係はさらに深まるだろう。