玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

市内某所で

2009年04月15日 | 日記
 市内某所を何年ぶりかで訪れた。そこは里山の散策ができるところで、池や湿地帯もあり、面積の割には多様な動植物の生態系を観察することができる場所だ。特に春先の今の時期が訪れるのに最もよいと思う。
 小さな池の中に、白い綿の塊のようなものを発見した。カエルの卵かなと思った。かなり大きいのでガマガエルの卵かと思ったが、「いや、違う。これはどこかで見たことがある」と思い直した。カエルではなく、クロサンショウウオの卵嚢であった。カエルの卵と違って、白くて不透明なのが特徴だ。
 柏崎・夢の森公園でこれを見たことがあったのだ。しかしそこで見たものよりもかなり大きい。しかも、いたるところの池に浮かんでいて、絶滅が危惧されているというクロサンショウウオも、ここでは健在なのだ。
 池のそばにいると、派手な色のチョウが飛んできた。アゲハチョウの仲間のギフチョウだった。羽化したばかりで、その飛翔は心もとないが、羽根の色は見事なものだった。ギフチョウも絶滅危惧種というが、短い時間に数頭に遭遇した。ギフチョウもここでは普通に見られるのだった。
 山の斜面がいやに鮮やかに彩られていると思って近づいたら、雪割草の群生であった。移植されたものらしいが、繁殖に適しているのか、見事に密生している。思わず息を飲んだ。西山町大崎の雪割草の里よりも密度が高く、さまざまな色の花が咲き誇っていた。まるで桃源郷にいるような気分にひたることができた。
 雪割草は盗掘が横行しているから、場所を明らかにするわけにはいかない。市内“某所”としか言えないのが残念だ。湧水がつくる清流にはセリもあればクレソンも生えている。池にはコウホネやハス、ジュンサイまであるという。ますます場所を明かすことができなくなってしまうので、この辺でやめておこう。

越後タイムス4月10日「週末点描」より)



虹を予知する

2009年04月15日 | 日記
 先月二十一日から二十九日まで、市内新橋の文学と美術のライブラリー「游文舎」で開かれた市内石曽根出身、高橋和子さんの写真展に深く関わった。高橋さんは、創風システム社長の石塚修さんの幼なじみであり、写真展の開催は石塚さんの存在なしにはあり得なかった。
 高橋和子さんの写真は「游文舎」始まって以来の、五百人に迫る来場者の心に深い感動を与えた。未だ“ひと”が見たことのない風景を執拗に追い求める姿勢、そして写し取られた写真の切れ味と完成度の高さに、多くの人が「すごーい」の声を発せざるを得なかった。
 写真展が終わり、作品が撤去された今も、高橋さんの写真の数々が鮮明に脳裡にこびりついて離れない。これまで「游文舎」では絵画を主体に展示を行ってきた。絵画でも具象よりも抽象を好むから、もともと即物的な表現は苦手で、写真の良さもよく理解できていなかった。
 「夢」と題する作品がある。北海道の広大なジャガイモ畑に無数の花が咲いている。畑はなだらかに傾斜した斜面の上に拡がっていて、その上に虹が懸かっている。強い光を発する虹で、それだけでも夢のように美しいのだが、その上にもうひとつ、淡い色の虹が見える。二重の虹の出現を捉えた瞬間なのだ。
 こんな風景を普通“ひと”は生涯かかっても見ることはないだろうし、それを写真に撮るとなれば、さらに可能性は低くなる。でも高橋さんは“虹の出現を予兆できる”のだという。鼻のあたりがムズムズしてきて、“あ、虹が出る”と分かるというのだから、ものすごい。
 風景写真を撮る人は、気象条件を知り尽くしていなければならないのは当然のことだが、それが“本能”のように身に備わってこその、あの写真なのだと思う。恐るべき写真の数々を見せてもらって感謝に堪えない。

越後タイムス4月3日「週末点描」より)



胎盤を食べる!

2009年04月15日 | 日記
 恥ずかしさをこらえて、柏崎ふるさと人物館で開かれている「産育習俗 変わるもの・変わらないもの」を覗いてみた。取材というより“覗き見”のようなもので、お産とは縁のない性の故に恥ずかしいのだった。
 会場の一隅に、漫画が掲げられていた。フレーベル館の「キンダーメルヘン」付録「つばめのおうち」に掲載されたスギヤマカナヨの「出産の巻」の一部だった。「胎盤を見たことがありますか?」というタイトルで、助産婦さんが、出産したばかりの女性に、胎盤を拡げて見せている漫画であった。二コマ目の助産婦さんのセリフがすごい。「で、どうしますか? 持って帰ります? 食べる方もいるそうです」というのである。
 実は妊産婦もほとんど見たことのない“胎盤”というものを見たことがある。二十代の頃、外で飲んで友人を電話で誘おうと、市役所前の電話ボックスに入ったら、そこにビニール袋に入れられた血まみれの肉塊のようなものが置かれていた。それが何なのか分かるはずもない。重大な事件に関連していると判断して、警察に電話するしかなかった。
 警察の調べで、ある病院が焼却を頼みに市役所に行く途中、電話ボックスに置き忘れたということだったが、そんなものを置き忘れてもらっては困る。こちらは本気で殺人事件に関連しているものと思い込んでしまったのだから。
 それは、血まみれのレバーのようでもあり、モツのようでもあった。誰が見ても凄惨な場面を想像させるもので、それを“食べる”などということは思いもよらないことであった。でも多くの動物は出産後、胎盤を食べるのだという。
 人間もまた、栄養補給のために胎盤を食べる文化が世界中にあるのだそうで、医薬品、化粧品、健康食品等にも利用されているという。胎盤を食べる文化は、日本には最近までなかったようだから、妊産婦の健康志向として近年生まれてきたのかも知れない。
 見たことのない人には想像もつかないだろうが、今になって思えば、焼肉屋のレバーやホルモンと一緒だから、タレで焼いて食べてみてもいいかなと思わないでもない。

越後タイムス3月27日「週末点描」より)



古浄瑠璃復活初演へ

2009年04月15日 | 日記
 七日、市内新橋の「游文舎」で開かれた古浄瑠璃のイベントは、非常に内容の濃いものだった。早稲田大学名誉教授の鳥越文藏氏の講演、そして六月七日に三百年ぶりに全段復活再演される「越後國柏崎・弘知法印御伝記」の一部と、「小栗判官照手姫車曳きの場」の上演、さらに鳥越氏と越後猿八座の越後角太夫氏、西橋八郎兵衛氏の鼎談はとても充実した内容で、画期的なものだったと思う。
 越後タイムス編集発行人として「游文舎」に関わっているが、このイベントには直接タッチしていない。それでも打ち上げに参加させてもらった。八十歳に近い鳥越先生の酒豪ぶりに驚いてしまった。「講演料なんかいらない。おいしいお酒を飲ませてもらえればそれでいい」というのは本当だった。楽しい会だった。歴史音痴だし、古典芸能にそれほど興味があるわけでもない。
 しかし、越後猿八座のやろうとしていることは、単に伝統の継承ということではない。三味線弾き語りの角太夫さんは、「弘知法印御伝記」の復曲に取り組んできたが、譜面が残されているわけでもなく、ほとんど新しく作曲をしているようなものだ。八郎兵衛さんの操る人形は自分で作ったものだというし、その動かし方だって、三百年前の所作が記録されているわけもない。
 「弘知法印御伝記」の復活再演は、伝統継承というよりも、新たな文化創造活動といえるのかも知れない。越後猿八座による三百年ぶりの復活再演に大いに期待したいところだ。
 古浄瑠璃の大きな特徴はその“娯楽性”にある。決して高尚なものではなく、見ていてとても面白い。もちろん、テレビも映画もなかった時代の庶民の娯楽であったに違いない。そんな娯楽性を遺憾なく発揮している「越後國柏崎・弘知法印御伝記」の発見者である鳥越先生の講演録を、しばらく掲載させていただく。

越後タイムス3月20日「週末点描」より)