玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ついに100年

2011年06月10日 | 日記
 遂に百年に達した。今号は「越後タイムス」が明治四十四年五月二十日に勝田加一を中心に創刊されて以来、ぴったし百年目の号となる。記念の号となるよう八頁建てとし、文化的な内容を中心に編集させていただいた。
 百年と言っても、タイムスは昭和十四年七月三十日に休刊し、戦後の復刊は昭和二十一年一月十三日号だから、六年半のブランクがある。戦時統制による休刊だが、柏崎日報が昭和十五年十一月三十日の休刊であるのに対し、なぜ一年四カ月も前に休刊に追い込まれたのだろう。
 三代目主幹・中村葉月の次男である中村達太さんから、三男の紀一さんが書いた文章のコピーが送られてきた。それによると、タイムスは昭和十三年まで小田活版所で印刷されていたが、この年の十二月から葉月は、自宅に印刷機と活字を導入し、自前で印刷を始めたとある。葉月の意欲のほどが窺われる事実だが、しかしそれも八カ月しか続かなかった。
 紀一さんの文章には「当時、野島寿平さんが父のために随分と尽力され、タイムスの続刊を特高関係にまで働きかけてくれたのですが、駄目だったようです」とある(野島寿平はタイムス戦後復刊時の出資者の一人)。この文章に何を読み取ることができるのだろうか。
 達太さんのお便りには「『越後タイムス』は葉月のご先輩の方々、葉月、そして吉田様、柴野様に引き継がれ、皆様のお蔭をもちまして百周年を迎える事ができ、中村家一同心から御礼申し上げます」と書いてあった。「越後タイムス」の栄光の時代を築いたのは中村葉月その人であり、中村家にとってタイムスは欠かすことのできないものだったのだ。
 私はまだ十年をつないだにすぎず、中村葉月が約四十年にわたって築き上げた功績に比べれば、ごみのような仕事しかしていないのを恥ずかしく思う。

越後タイムス5月20日「週末点描」より)


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1 コメント

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私の祖父 (野島寿太郎)
2011-10-15 22:32:46
野島寿平は私の祖父です
名前も寿を祖父からもらいました。
祖父は昔日本帝国軍に石けんなどの生活必需品を下ろしておりその収益を新聞発行に費やしていたそうです。地元柏崎以外にも岩手県盛岡でも新聞社を作り発行していたそうです。ふと検索したら祖父の名前がでていたのでコメントさせていただきました。

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