玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

カルロス・フエンテス『アウラ・純な魂』(11)

2015年11月12日 | ゴシック論

「アウラ」では60年前に死んだというコンスエロ夫人の夫、リョレンテ将軍の回想録が謎を解く重要な手がかりとなっている。古い文書を謎の解明のための鍵とすることは、ゴシック小説に特有の手法であり、多くの作家がこうした手法を使っているし、フエンテスもまたそれに倣っているのである。
 フエンテスは「アウラ」の中にたくさんの謎めいた言葉を仕掛けていくが、それらの言葉の謎が、モンテーロが回想録を読み進むにつれて、少しずつ明らかになっていく。これはゴシック小説の古典的な手法と言っていいもので、フエンテスはそれを実に効果的に使っている。
 しかも、屋敷の中で起きる不可思議な現象と謎めいた言葉が積み重ねられ、コンスエロ夫人とアウラの不可解な言動が繰り返されながら、同時進行としてモンテーロは回想録を読んでいくわけで、謎の設定とその解明が目まぐるしく交叉する。このあたりがフエンテスの真骨頂であろう。
 コンスエロ夫人の歳はいったい幾つなのだろう。リョレンテ将軍の回想録から計算すると、現在百九歳でなければならない。回想録の一節、
「かわいい、コンスエロ、お前は本当に服の着こなしが上手だ。いつもお前の目と同じ緑色のビロードの服を着ている。私は思うのだが、お前はいつまでも美しいままだろう、きっと百歳になっても……」
 そして、リョレンテ将軍は次のように付け加えるのだ。
「お前は自分の美しさを鼻にかけている。いつまでも若さを保てるのなら、お前はどんなことでもするだろう」
 この一節が、これまでに起きたこと、これ以降に起きることの謎の解明につながっていく。
 ところで、緑色の目をし、緑色の服を着ているのはコンスエロ夫人であるよりも、むしろアウラなのである。モンテーロがアウラの目を初めて見る場面の記述は次のようになっている。
「君はその目を見て、いや、思い違いだ、彼女の目は君がすでに見たことのある、あるいはいずれ見ることになるはずのべつの緑色の美しい目と変わるところはないと自分に言い聞かせるだろう」
 この謎のような一節も、小説の進行とともにその意味を明らかにしていく。「すでに見たことのある」という言葉は、モンテーロがリョレンテ将軍としてコンスエロの中に「見たことがある」ということを意味しているし、「いずれ見ることになるはずの別の美しい目」という言葉は、モンテーロがアウラと情を通じる場面で、アウラの中に「見ることになるはずの」ということを意味している。
 たったこれだけの一節にフエンテスは、複雑な謎と同時に謎を解く鍵をも同時に仕掛けている。つまり、二つの目が「変わるところはない」というのなら、コンスエロ夫人とアウラが同一人物であることが仄めかされているのだし、その目が「すでに見たことのある」ものであるとすれば、モンテーロはリョレンテ将軍の分身でなければならないのだ。
 また、アウラがその美しさとは不釣り合いな行動をする場面、つまりアウラが台所で雄の山羊の首を切り落とすところは、この娘の残酷さを示している。そして、リョレンテ将軍の回想録によれば、コンスエロもまた猫を虐待する残酷な面を持っていたのである。コンスエロは「猫をいじめるのは私たちのすてきな愛を深めるための象徴的な犠牲なの」と言ったのだという。
 また、モンテーロが中庭に鎖でつながれた数匹の猫が炎に焼かれるのを見る場面もあって、それはきっとコンスエロ夫人の仕業なのだ。
 リョレンテ将軍の回想録の最後には次のような一文が書かれていた。
「コンスエロ、悪魔もまたその昔は天使だったのだ……」
 この謎のような言葉がいったい何を意味しているか、分からないことはないのである。雄山羊が悪魔の象徴であり、猫が悪魔に生贄として与えられるのだということを理解するならば。

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