玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

次の目標は?

2011年06月10日 | 日記
 先週「創刊百年記念号」を発刊して、いささか虚脱感を感じている。新年の「創刊百周年記念新春号」を出し終えてから、五月二十日を一つの目標としてやってきたが、その時はまだまだ先のことと考えていた。しかし、その日はあっという間にやってきた。
 その間、柏崎育ちの獄中歌人・島秋人をテーマにした演劇「鬼灯」の上演や、コレクション館「痴娯の家」の名付け親・巖谷小波の孫で、シュルレアリスム研究の第一人者・巖谷國士氏の講演会を実現することができて、嬉しく思っている。
 越後タイムス創刊百周年記念事業として、もうひとつ、ある作家の講演会を予定していたのだが、これは実現がむずかしくなった。その作家と出版社とのトラブルが原因で、それが解決したら、いつか実現させたいと思っているが、確約はできそうもない。だから、年内の記念事業はこれで終了ということになりそうだ。
 平成十三年十月一日に前主幹・故吉田昭一氏より「越後タイムス」をバトンタッチしてから、十年が経とうとしている。以来「百年を全うすること」を最大の使命と考えて編集発行を続けてきたので、これで一応の区切りができたと考えている。
 次の目標は自分自身の“まるまる十年”ということになろうし、さらなる目標は、戦時休刊六年半のブランクを埋める“まるまる百年”ということにもなるだろう。しかし、新聞受難の時代に、「越後タイムス」がこれからどういう方向に進んでいったらいいのか、考えあぐねている部分がある。
 記念事業も終了したことだし、少しゆっくり考えてみることにしたい。

越後タイムス5月27日「週末点描」より)


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ついに100年

2011年06月10日 | 日記
 遂に百年に達した。今号は「越後タイムス」が明治四十四年五月二十日に勝田加一を中心に創刊されて以来、ぴったし百年目の号となる。記念の号となるよう八頁建てとし、文化的な内容を中心に編集させていただいた。
 百年と言っても、タイムスは昭和十四年七月三十日に休刊し、戦後の復刊は昭和二十一年一月十三日号だから、六年半のブランクがある。戦時統制による休刊だが、柏崎日報が昭和十五年十一月三十日の休刊であるのに対し、なぜ一年四カ月も前に休刊に追い込まれたのだろう。
 三代目主幹・中村葉月の次男である中村達太さんから、三男の紀一さんが書いた文章のコピーが送られてきた。それによると、タイムスは昭和十三年まで小田活版所で印刷されていたが、この年の十二月から葉月は、自宅に印刷機と活字を導入し、自前で印刷を始めたとある。葉月の意欲のほどが窺われる事実だが、しかしそれも八カ月しか続かなかった。
 紀一さんの文章には「当時、野島寿平さんが父のために随分と尽力され、タイムスの続刊を特高関係にまで働きかけてくれたのですが、駄目だったようです」とある(野島寿平はタイムス戦後復刊時の出資者の一人)。この文章に何を読み取ることができるのだろうか。
 達太さんのお便りには「『越後タイムス』は葉月のご先輩の方々、葉月、そして吉田様、柴野様に引き継がれ、皆様のお蔭をもちまして百周年を迎える事ができ、中村家一同心から御礼申し上げます」と書いてあった。「越後タイムス」の栄光の時代を築いたのは中村葉月その人であり、中村家にとってタイムスは欠かすことのできないものだったのだ。
 私はまだ十年をつないだにすぎず、中村葉月が約四十年にわたって築き上げた功績に比べれば、ごみのような仕事しかしていないのを恥ずかしく思う。

越後タイムス5月20日「週末点描」より)


コメント (4)
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巖谷先生と地震

2011年06月10日 | 日記
 東京六本木の国立新美術館で開催中の「シュルレアリスム展」で、五月に来柏を予定している巖谷國士先生が講演されるというので聴講を兼ねてご挨拶してきた。巖谷先生はフランス文学者であり、美術批評家としても名高く、わが国におけるシュルレアリスム研究の第一人者である。
 この講演は本来三月十二日に予定されていたが、東日本大震災の発生で延期となっていたものだ。講演は先生の大震災体験談から始まった。現在先生の監修による「森と芸術」展が東京白金の東京都庭園美術館で開催されているが、三月十一日には展覧会図録の校正の追い込みに入っていた。
 午後二時四十六分の地震発生時、自宅で膨大な量の校正作業を進めていた先生は、すぐさま机の下にもぐりこんだ。東京での揺れもかなりのものだったはずだが、それでも先生は仕事をやめない。締め切りが迫っていたからだ。その後も机の下にもぐり込んだまま校正を続けたという。
 恐るべきプロ根性である。「森と芸術」展は今月十六日から始まったが、大地震にもめげぬ先生の活躍で、大変素晴らしい図録が完成した。“森”を新しい視点から捉え直し、その意味と重要性について考察したもので、これまでにない美術アンソロジーとして楽しむこともできる。
 リアリスムの終焉ととともに、“森”は絵画における描写の対象ではなくなったが、ひとりシュルレアリスム絵画だけが“森”を描き続けた。エルンスト、マグリットなどがその代表といえる。巖谷先生はそのことの意味を問う。
 巖谷先生は五月六日に来柏され、柏崎の鎮守の森を見学されることになっている。その結果は七日の講演に反映されることになるだろう。越後タイムス創刊百周年記念講演である。

越後タイムス4月30日「週末点描」より)


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