玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

これが柏崎の空間か?

2012年07月13日 | 日記
 八日の文化会館「アルフォーレ」オープンに先立って三日、マスコミ対象の内覧会が行われた。建物自体は四月末に竣工したが、駐車場や外構等も含め、すべての工事が完了したのは六月末ということだった。
 外観の威容からもその立派さが窺われたが、中を見せてもらって、改めてものすごい施設であることを実感した。市民ラウンジに集合したが、なかなかいい空間である。ガラス戸を開け放つと、そこは野外の劇場広場になっていて開放感がある。
 市民ラウンジの上部は、フリースペースになっていて、机と椅子が置かれ、簡単な打合せや会議もできる。カウンター席もあって、その下にはコンセントが用意されている。ここでパソコンを利用することもできるのだ。
 さて、メインの大ホールへ。一階席に入って、まず「でかい」と思った。旧市民会館と客席数は変わらないのに「でかい」。ステージに上がって客席を展望してみた。圧巻である。「これが柏崎にある施設の空間なのだろうか」とさえ思ってしまった。威圧感さえ感じさせる豪華な空間であった。
 二階席に上がって足がすくんだ。高い。極度の高所恐怖症なので、最前列の席に近づくことさえできない。これでは二階席で鑑賞することはできそうもない。全席指定の時は早くチケットを買いに行って一階席を確保しなければならない。
 ホワイエの窓から、米山、黒姫、八石の刈羽三山が眺望できる。天気のいい日には、すばらしい眺めとなるだろう。しかし、竣工したばかりで、窓ガラスがきれいすぎて、何もないかのように見える。またしても足がすくんでしまった。
 会議室はともかく、練習室や楽屋も極めて立派な仕上がりになっている。中でもマルチホールは手頃な広さで、飲食もできるというから、いろんな使い方ができそうだ。大ホールを借りることはないだろうが、マルチホールは是非利用してみたいと思った。

越後タイムス7月10日「週末点描」より)

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「叫び」は警告に使えるか

2012年07月13日 | 日記
 マイケル・マドセン監督の映画「十万年後の安全」を観た。原題はInto Eternityで“永遠の中へ”という意味。原発から出る高レベル放射性廃棄物の地層処分をテーマにした映画だ。
 フィンランドのオルキルオト島では、世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が行われていて、映画はその掘削現場に潜入して撮った映像と、地層処分に関わる専門家へのインタビューで構成されている。
 処分場は十万年間保持されるように設計される。プルトニウムが無害となるのに十万年かかるからだ。マドセン監督は十万年後の人類に、その危険性を確実に伝える方法があるだろうかと問う。インタビューに答え、「イエス……」と言いかけて絶句してしまう専門家の姿。誰も分かるわけはないのだ。
 十万年といえば、キリストが生まれてから今日までの約五十倍の年月である。十万年前はホモ・サピエンスの前のネアンデルタール人の時代である。言語で警告しても、十万年後の人類がそれを解するとは思えないし、なにか隠されたものがあれば掘り出そうとするのが人間の本性だ。十万年後の人類が放射線測定器を保有しているとは限らない。
 言葉では無理だから、画像で伝えるという発想もある。専門家の一人はムンクの「叫び」を警告に使用したらどうかと提案していたが、十万年後の人類がムンクの絵に考古学的興味を覚えたら大変なことになる。
 映画では地殻変動については言及されない。地震のないヨーロッパならではのことと思うが、六万年後に来ると言われる氷河期はどう影響するのだろう。氷河の重さは地層を変形させることさえあるのだから。
 マドセン監督は高レベル放射性廃棄物について、「原発に賛成であろうが反対であろうが、立ち向かわなければならない問題だ」と言う。放射性物質を無毒化することができない以上、地層処分はいずれ日本でも現実の課題となってくるだろう。地震大国の日本に、安全な永久処分場をつくる場所があるとも思えないが……。

越後タイムス6月25日「週末点描」より)

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キジの声

2012年07月13日 | 日記
 まち中なのに、「ケーン、ケーン」とキジの鳴く声が一週間ほど続けて聞こえていた。このあたりでは、スズメやカラスの鳴き声はすることはあっても、キジの鳴き声を聞くのは、今までになかったことだ。時々、キジバトの「デデッポッポー」という声が聞こえてくることはあるが……。
 キジの姿は刈羽の林道や里山などでよく目にする。「あっ、キジだ」と思った時にはもういない。逃げ足が速いのだ。特にオスの美しい姿をじっくり見たいと思っても、素早くどこかへ行ってしまう。
 これを「けんもほろろ」と言うのだそうで、“けん”はキジの鳴き声の「ケーン」から、“ほろろ”はキジの羽音からきているのだという。嘘みたいな本当の話だ。
 近頃キジの姿を見ることが多くなったような気がする。鳴き声もよく聴く。きっと個体数が増えすぎて、ナワバリを追われた一羽がまち中に逃げてきたのだろう。一週間ほどで声が聞こえなくなったところからみると、飛ぶのがあまり上手でないキジにとって、まち中で暮らすことはむずかしいことなのに違いない。
 ところで、江戸時代までの日本人が食用とした肉で一番大きな割合を占めていたのが、キジ肉だという。今はあまり食べる習慣がないが、実は大変美味しいのである。キジ鍋はカモ鍋に劣らず絶品で、冬にはおすすめだ。
 炊き込みご飯にしても、鶏肉よりもはるかにコクがあって美味しい。キジ肉とキジ卵でつくる親子丼というのもあり、卵が濃厚な味で贅沢な一品らしいが、未だ食べたことはない。大型の禽類の中では一番美味しいと思うが、スーパーでは売ってないし、取り寄せると結構高いので、めったに口に入らない。
 近所にしばらくいたはずのキジは、ひょっとして誰かに捕まえられて食べられてしまったのかも知れない。

越後タイムス6月8日「週末点描」より)

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